86.救世主現る
あまりの衝撃に言葉を失い、俺はポトリと手鏡を落とした。
確か、この身体はいわゆる実体であって、意識だけ飛ばしてきてる状態ではないとさっき言われたばかりだ。つまりディアナは俺の頭に本当に石を埋め込みやがったということになる。
地べたにへたり込んだまま頬を引きつらせてディアナを見上げると、彼女は満足げに腕を組み、うんうんとうなずいている。
「ま、ちょいと違和感はあるだろうが、そのうち慣れるだろう。色々と調べた結果、竜石に竜の力を閉じ込める方法が一番良いのではというところに辿り着いた。お前のために屈強の男どもを数人洞穴の奥まで送り込んだのだぞ。竜の瞳と同じ色の石なら力を閉じ込めやすいのだというから、赤いのを取るまで帰ってくるなと指示したら思ったより時間がかかってしまった。あんなところ、元々人間がおいそれと近づける場所ではないのだから仕方はないが、うっかり命を落とすところだったと散々凄まれたよ。文献に寄れば、先の干渉者も竜の力を押さえるのには苦慮したらしくてね。彼は竜石を首飾りにして常に携帯していたらしいが、それでは引きちぎられたり落としてしまったりする可能性があるのではと思ってね。どうせならば現代の技術力でどうにかできないものかと検討を重ねた結果、脳神経と繋がって視覚以上の情報を与えるチップを埋め込むことでお前の無知の補完もできる竜石が完成したってわけさ。これで今まで読めなかったレグルの文字も読めるようになるだろうし、魔力の察知もし易くなるだろう。竜化したいときは力の解放を強く願えばできるはずだが、これは徐々に慣れていくしかあるまい。ただし、竜石には溜められる力に上限というモノがあるらしいから、膨れあがるようだと溢れた力は身体の方に回ってくる。今のところきちんと制御できているようだし、極端な上昇がなければ元の姿を保てるだろうよ」
誇らしげに語る彼女に上手く反論できない。
言いたいことはわかる。ものすごくわかる。
しかしだ。この世界ではアレか、人体に対し何らかの処置を施す場合、施される側の意思や人権は総無視か。
「あ……、あのさ。ご尽力いただいたことは本当にありがたいんだけども」
胡座をかきなおし、どうにかこの気持ちを伝えようともごもごしていると、
「おお、肝心なことを忘れていた。ようやくご登場の救世主様にいつまでもみすぼらしい格好をさせておくわけにはいかないな」
ディアナはパチッと指を弾いた。
バシャッと水中を通り抜けるような感覚があり、慌てて目をつむる。すると今度は一気に風が抜け、かと思うとひんやりしていた床の感触が急になくなった。
おおっと、男たちが感嘆の息を漏らすのが耳に入った。ビクッとして目を開けると、何か服を着せられている自分に気付く。市民服のようなのっぺりさもなければ、Tシャツにジーパンの手軽さもないが、心地よくしっかりと身体に吸い付く生地。華美さを抑えた直線メインのデザインがレグルノーラっぽいといえば聞こえが良いか。どっかのRPGにでも出てきそうな恥ずかしい格好……ではないことは確か。グレー基調のシャープなデザインで、くっきりとした赤いラインがスッと通っている。インナーも赤いが、まぁ上着を羽織ってる分には問題ない。黒いグローブも丁度いい握り心地だし、何より丈夫そうだ。俺にはとても思い浮かばないようなデザインには感心する。
「サービスで身体も綺麗にしてやったが、どうだ」
ディアナはドヤ顔だったが、まぁ、悪い気はしない。
「ああ。凄くいい。ありがとう」
礼を言って立ち上がる。
「こんな所に閉じ込めて、悪かった」
彼女はそう言って、目を細めた。
「お前がレグルノーラに尽くしてくれているというのは痛いほどわかる。しかし、本当の戦いはこれからなのだ。この先、かの竜が更に力を増し、悪魔の攻撃が激しくなっていくことが予想される。“表”でも“裏”でもお前の力が試されるだろう。これからお前は“救世主”として第一線で戦うことになる。勿論、結果的にこの世界を滅亡から救わなければその肩書きは無意味。伝説を信仰する住人が無数居る中、お前は常に最高の結果を求められる。これまでのように後ろ向きでは敵に呑まれるぞ。神経を張り巡らし、相手の策略を暴かなければならない。敵という敵は全て撃破するくらいの勢いでないと、到底かの竜などには敵わないのだ。……よいな」
「ああ」
今更のように、ディアナは俺の意思を確認した。
わかってる。それがどんなことかわかっているからこそ、俺は返事をしたつもりだった。
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居心地最悪の地下牢から地上までは、長い階段で繋がっていた。竜化した俺をえっちらおっちら数人で運んだのだろうか、いや魔法くらい使ったんだろうなどと邪推しながら、ディアナの後に続いて歩く。
曰く、地下牢は今は殆ど使われていないのだとか。人権だとか旧時代的だとか叫ばれるようになってからは閉鎖された状態だったそうだ。
そんな場所に俺を幽閉せざるを得なかったのは、それほどにかの竜とその使いである半竜人、つまりリザードマンに対して相当の恐怖を抱いているからだろう。もし仮に半竜人の仲間だと確定したなら、拷問してでもかの竜の目的や今後の動きを探っただろうし、喋らなければ早急に殺していたはずだ。
まさか味方であるはずの干渉者が敵の手先と似たような姿に変化するなんて彼らは考えてもいなかっただろう。俺だって知ってたら別の手段を執っていた。全ては無知だった俺が悪い。無知であり続けることに何の躊躇もなかった俺が悪いのだ。
「少し、落ち着いて話をしよう」
地上に着くとディアナはそう言って、男たちを厄介払いしようとした。
「あの」
と俺は男の一人に声をかける。
「その本、少し貸してもらえますか」
かつて竜化して戦ったという干渉者の伝承が記載された分厚い本。もし本当にレグルの文字が読めるようになったならと男から受け取った。A4サイズほどのその本は、厚さが10センチ近くあり、かなりずっしりくる。
礼を言って彼らと別れると、ディアナはこっちへ来いと俺を手招きした。
展望台へと続くエレベーターに二人で乗り込む。過去の世界で乗り込んだときは、確か極度に緊張していて、まともに会話すらできなかった。
「見違えたな」
エレベーターの壁にもたれてディアナが言った。
「見る度に成長しているのがわかるというのは、なかなか面白いものだ。何がその要因となったかはわからないが、お前ほど急激に成長する干渉者は見たことがない。様々な偶然が重なっていることもその一因かもしれないな。それにしても……、いや、この先は私の部屋で話そう」
目を細めたディアナの口元が、少し震えているように見えた。
エレベーターがやがて展望台の三層目に着くと、俺はディアナに連れられ奥にある彼女の部屋までの長い廊下を歩くことになる。最初の異変は、その廊下で起きた。
正面から歩いてきた女性が、俺の顔を見るなり驚いて、山のような書類をぶちまけた。俺が慌てて手を差し伸べようとすると、ディアナは構うなと言うし、女性は何故か顔を赤らめて大丈夫ですと言う。ゴメンねと声をかけて去ろうとすると、今度は別のドアから現れた数人の男性が、やはり俺の顔を見るなりおおっと息を飲んでいた。軽く会釈すると向こうは何故か胸に手を当てて深々と頭を下げてくる。何が起きているのかわからないが、とにかくいつもとは確実に何かが違っているということだけは感じ取れた。この……服のせいか? 目立つしな。
「竜石だ」
応接間に着くなり、ソファに深々と腰掛けながらディアナが言った。
「あ……」
うっかり忘れそうになっていた。そういえば頭に石を埋め込まれたんだった。しかも触ろうとすると何故か痛覚が反応して、その周囲を指で触れるのがやっとだったのを思い出す。
「竜石がいわゆる一つの“救世主たる証”のようなものさ。まぁ座れ」
言われるがままディアナの向かいのソファに腰をかけ、借りた本を隣にドサッと置いた。
手前のローテーブルには相変わらず小さな木箱が置いてあった。真面目な話をするときにどうしても手放せないというキセルを、彼女は今日も取り出した。刻みタバコを丸めて火皿に詰め、パチンと指を鳴らして火を付ける。あのときは気付きもしなかったが、よく見ると刻みタバコは一種類ではないらしい。少なくとも四つの区画に分けてあって、それぞれ微妙に色が違う。今詰めたものには青い花びらを乾燥させたものが混じっている。他のタバコにもやはり別の色の花びらが混ぜてあり、容易に区別できるようになっているようだ。
感心しながら木箱を覗いていたところに、珍しくノック音。失礼しますと入ってきたのは、俺より少しだけ年上に見える若い女性だった。ローテーブルの上にお茶と菓子が運ばれる。ありがとうと礼を言うと、彼女ははにかんで顔を赤くし、そそくさと居なくなった。俺は少し驚いた。今までこんなことはなかったからだ。
なんだろう、この反応。何がどうなってるんだ。
「この塔で働く人間はみんな、お前のことを知ってるからね。竜の力を抑えるための石を取りに行った話も、赤い竜石が救世主たる者の証であることも、当然、お前が竜化を解かれるまで地下で辛抱強く待っていたことも知っている。だからこそ、額に竜石を持ったお前を見て過剰に反応しているのさ。『間違いない、この人が世界を救ってくれるんだ』とね」
期待、されてるってことか。
この世界に初めてやってきた頃は、とにかくその二文字が重かった。俺に何を期待するんだと、期待されてもどうなるのか保障なんてできないと、とにかく後ろ向きにばかり考えていた。
この世界の抱えている闇は深い。
その闇を払うのに、よりによって俺なんかの力が必要なのかと今でも思うことはある。けど、現状として、求められる力を備えてしまった。これを破棄するのはまず不可能だ。
「……なんだ。反論しなくなったじゃないか」
ディアナは口角を上げ、ぱちりとウインクした。
「まぁね。受け入れざるを得ないのだとしたら、あとはどれだけできるかを考えるしかない。逃げ道もないし、逃げ方もわからない。心臓に呪文を刻まれたときより、正直今の方がショックがデカくて――、俺は今“表”との関係を完全に断っている状態なんだと思ったら、いろんなしがらみが馬鹿馬鹿しく思えてきたところ。戻ろうと思えばいつでも戻れるのかな」
「“表”に?」
「“表”に」
「どうだろう。竜と同化し肉体の全てを持ってきてしまったのだから、今までとは違うだろうしね。やってみないことにはわからない」
「古賀は“表”に戻ってった。リザードマンは特別なのかな」
「特別……かどうか断言は難しい。同じ理屈なら戻れるかもしれない。直ぐにでも、戻りたいと思っているのか」
「いや」
差し出されたお茶に手を伸ばす。ほどよく温かい。ゆっくり喉に流し込むと、茶葉の匂いが鼻を抜けた。
「帰れないよ。そんな無責任な男にはなりたくない」
カップをローテーブルに戻したところで、ディアナが肩で笑い始めた。
「何だよ」
口をとがらせる俺に、
「お前は本当に成長したな。運命的なものを感じたのも、ここまで来ると必然ではないかとさえ思えてくる。それだけの覚悟があるのなら、この先何があっても揺るがないだろう」
ディアナはどこか浮かれているようにも見える。
「ところで、お前にとって残念なお知らせが一つあってね。どうやら“竜石を持つ救世主”の話題がレグルノーラ中に広まっているらしい。ここにも小さいながらメディアは存在するのだが、新聞やらニュースやらがそういう特集を組んでいると耳にした。私自身はメディアに疎くて興味もないのだが、一般人ほどそういうモノに敏感だからね。塔の人間でさえあんな調子だ。塔を出ればそれがより顕著になるだろう。お前という個人ではなく、“表の干渉者”としてでもなく、“救世主”として扱われることになる。これまでとは勝手が違うよ」
「……目立つところに石埋め込んでおいてよく言うよ」
「まぁまぁ、そう怒るな。目立つくらいでなければ意味がないのだから」
やっぱり。
ディアナはニヤリと口角を上げた。
「俺は言わば囮だな」
「そういうこと。最終手段でもあるが囮でもあると。一般人や市民部隊をこれ以上巻き込まないようにするためには、やはりお前のような存在は必要なのだ。悪く思うな」
「わかってるって。……まぁ、悪い方に考えるのを止めれば何とか道も開けてくるらしいから、どうにかなるんじゃないかな。身体が全部こっちにあるのは時間との戦いからの解放だと思えば良いし、俺を目立たせるってことは余計な犠牲を払う必要がなくなるってことなんだろ。問題は俺の無茶を引き留めてくれてたテラの声が一切聞こえないことくらい。ブレーキ役くらい付けてくれるんだよな?」
「当然、それは考えている。塔きっての能力者を二人、お前の従者として宛がってやろう。衣食住に関してもサポートはキッチリとさせてもらう。大事な“救世主様”に粗相などないようにしなくてはね」
直前まで牢屋に閉じ込めておきながらよく言うよ。とは思ったが、口には出さなかった。
ディアナの態度は今までとは確実に違っていたからだ。
以前、ランクの話をされた。干渉者協会なる場所で、干渉者のランク付けを行っているって話。ディアナは最高ランクSSと格付けられているレグルノーラ最強の魔女だ。そんな彼女と対等に話をしている――これまでは一方的に試練を与えられるだけだった俺が、だ。
救世主とやらがそれだけ重要な役割だってことが身に染みてわかる。
「説明するより会わせた方が早い。モニカ、ノエル、ここへ」
パンパンとディアナが高い位置で手を叩く。小さい魔法陣が二つ、扉の前の床に描かれ、そこから大小二つのシルエットが現れた。
「お呼びですか」
二人、ほぼ同時に声を上げた。
シルエットから光が消え、色がハッキリとする。背の高い女と、背の低い男……いや、男の子。
「前に話したはずだ。レグルノーラを救う力を持った干渉者のことを。名を来澄凌という。お前たち二人には、彼のサポートをしてもらいたい」
ディアナはそう言って、凸凹な二人に俺を紹介した。




