8.複雑な
美桜は神妙な面持ちでジークの言葉を受け止めているように見えた。深く考え込むときのクセなのか、口元に手をやって難しい顔をしている。
それにしても、まさか正体不明の敵と戦っているだなんて思わなかった。明確にボスだとわかる存在があって、周辺に出没する魔物を倒しながらいずれそいつを倒す……っていう、王道パターンとは全く違う。よく分からないが、とにかく“レグルノーラ”には異変が起きていて、その原因が“悪魔”と呼ばれる“悪意を持って干渉している干渉者”なのだということだけはわかっている。しかもそいつは一人の人間だとは限らない、複数人存在するらしいということだけがハッキリしてきた。
雲を掴むような話だ。
こんなんじゃ、どんなに懸命に魔物を倒しつづけても意味がない。
「悪意を持って干渉している人が居るとして、それをどうやって見つけるつもりなんだよ」
俺が言うと、美桜もジークもため息を吐いた。
「そこがね」
「そこなんだけどね」
二人声を合わせるだけのところを見ると、どうやら本当に打開策はないらしい。
「お得意の“臭い”とかでわからないのかよ。俺のときは『“干渉者の臭い”がする』なんて変なこと言ってたクセに。それこそ、“悪魔”ならもっと強い臭いがするんじゃないのか」
しかし、
「そんなに簡単なら、とっくに見つけてるわよ」と美桜。
ジークも唸りながら、
「そうなんだよね。“悪魔”らしい気配さえあれば、捕まえて倒してってのは、案外簡単だと思うよ。それがわからないから試行錯誤してるわけであって。例えば君のことを、美桜が“見つける”まで一年以上かかった。彼女が感じた“臭い”が君のものだと確信できるまでそれほど時間が必要だったってこと。難しいんだよ。“臭い”とか“気配”とか。どうしても他のものと混じってしまって、どれが発信源なのか探るまで時間がかかる。機械みたいに正確に感知できるなら楽なんだけど、あくまで干渉者自身が感じて探し出すのだから、特定までそれ相応の時間が必要になるんだ。だけど、このところの魔物の出没具合を見るに、そろそろそんな悠長なことも言ってられなくなってきた。だから、いろんな方面からアプローチをかけている。……結果は散々だけどね」
そういう、ものなのか。
これだけ科学が発達しているように見えても、やっぱりその“干渉者の感覚”のような不安定なものがモノを言うのか。
「それにさ、特定を阻む一番のネックは、“表の世界”の広さなんだよね」
腕組みをして、ジークは悔しそうな顔を見せた。
「広さ?」
「そう、広さ。この“レグルノーラ”に比べ、“表の世界”は広すぎる。広すぎて、一体どこの誰がどんな風に干渉してきているのかが全然わからないんだ。どうしてここ一年急に“悪魔”からの干渉が増えたのかもわからない。“表”で急激に何か変かがあって、それが原因で“こっち”で何かが起こっているのだとしたら、探しようもあるんだけど。ハッキリ言って、“表”は広すぎて、しかもいろんなことが短期間に起きていて、原因を特定しきれない。つまりお手上げ。全然わかんない。だからこそ、“表の干渉者”である君たちにも動いてもらわなくちゃならないってわけ」
おわかり? と最後に大げさに疑問符を付けて、ジークは俺に向かって半笑いした。
わからなくはないけれど、要するに何の情報もありませんよと突っぱねられたような気がして、釈然としない。
「“悪魔”ってのが“干渉能力”を使うには、どうにかして“裏”に行かなきゃならないんだろ。それこそさっき言ってた“ゲート”を通らないとダメだとか、どのくらいの力がないとまず無理だろうとか、そういうのはないのかよ」
ジークと美桜を交互に見ていると、美桜が短く息を吐いて、「そうね」と言った。
「“ゲート”は通っているでしょうね。余程強い能力を持っているなら別だけど、大抵の“干渉者”は“ゲート”を通って“裏”に干渉する。“ゲート”の付近を監視していれば、もしかしたらそれなりの人物が浮かび上がるかもしれない。だからこそ、ジークは“ゲート”の監視をしているのだろうし」
「そゆこと」
ジークは細かく何度もうなずいた。
「けど、さっきも言った通り“表”は広い。今映してる街以外の場所にもたくさんの“ゲート”が存在してる。その一つ一つを潰していったとして、どのくらいの時間と労力が必要になるかわからない。しかも……、“悪魔”は魔物を寄越しはするけれど、その本体をなかなか見せようとしない。これがまた厄介な点で、いつまで経っても“悪魔”を追い払うことができない一因になってる。難しいことかもしれないけど、君も協力してくれないかな。“悪意を持ってレグルノーラに干渉している人間”を探すのを。手詰まりなんだ」
申し訳なさそうにジークが手を合わせてこちらを見ている。最近やっと“干渉者”らしいことができるようになってきたずぶの素人に向かって『協力してくれ』なんてどうかしてる。何とも微妙な気持ちだが、ここはわかった以外の返事はありえなさそうだ。
「とりあえず協力はわかったけど……、さしあたって何をすれば良いのか具体的に指示をくれないと困るな。闇雲に動くだけだと、今までと何も変わらないわけだろ?」
「ああ、それなんだけど」
俺の返事に気をよくしたのか、ジークはパッとわかりやすく表情を明るくした。姿勢を正し、拳を膝の上に載っけて咳払い。
「君たち二人の通う学校、翠清学園高校の“ゲート”をしっかりと監視して欲しい。何かが起こるとしたら“ゲート”の周辺だってのは、さっきも話してわかってると思う。僕も監視を続けるけど、やっぱり内部を探るには限界がある。一応別の手も打ってるんだけど、色々と思ったようにいかなくて。特に2-Cの教室周辺は強力な“ゲート”になってるようだから、是非頼むよ」
念押しされ、俺は勢いで「はい……」と答えてしまった。
返事をしたところで本当にできることなのかどうかもわからないのに、ジークは満面の笑みで急に立ち上がり、パンパンと手を叩いた。
「よし。話はした。あっちの部屋に戻ろう。で、お茶の続き」
え?
この流れで?
どうにも独特のテンションでついて行けそうにない。
「そういえば、クッキー途中だったわね。せっかくだもの、ご馳走になりましょうよ」
と、美桜まで。
メリハリがあって良いですねとでも言えば良いのか。直前まで深刻な話をしていたはずなのに、そんなことはもう忘れてしまったのかと心配になってしまうくらい楽しそうに、ジークと美桜はサーバールームから出て行った。
こんな所に一人残されても困るわけで、俺も渋々後に続いて洋間へ向かう。
重い足取りで戻っていくと、二人は少し冷めたお茶をすすりながら既に談笑を始めていた。美桜の左隣に座り、ジークの焼いたクッキーに手を伸ばしながら、俺は二人の顔を交互に眺めた。
ジークと居るとき、美桜は本当に楽しそうだ。
「でね、凌ったら酷いのよ。素質はありそうなのに、全然力が使えないんだもの。最近やっと戦えるようになってきたんだけど、どうやったら強くなれると思う?」
会話の内容はともかく、美桜はいつもより流暢に話した。
ジークもずっとニコニコとしている。
「どうやったら? さぁ、どうだろう。ただ、君のやり方はあまりにも強引だからね。もうちょっと初心者にも優しくした方がいいと思うよ。僕が魔法を習い始めたころも色々やらかして先生に散々怒られたけど、凌は元々武器や魔法に囲まれた世界で生きてきたわけじゃないんだから、その辺ちゃんと考えてあげなくちゃ。僕が彼の立場だったらとっくに切れてるし、とてもじゃないけど今後一切関わり合いたくないって思ってしまっていたかもしれない。凌が我慢強いからどうにかなっているのであって、そこは美桜もきちんとわかってあげた方が良い」
「随分な言い方ね。で、どうなの、凌。私のやり方じゃ力を付けるのは難しいかしら」
突然のブーメラン。
ドキリと肩を震わせ、俺はおどおどと答える。
「え? いや。どうだろう。習うより慣れろというのは何となくわかるようなわからないような」
「ほら、わからないんだよ。だからちゃんと教えた方が良いって」
「何となくわかるんならいいじゃない。即戦力が必要なんだから、基礎から教える必要はないでしょ。実戦で覚えた方が絶対効率いいと思うけど」
美桜が明確な答えなんて求めていないのは会話の内容から何となく察せられた。
それに、ジークと話すとき、美桜は俺のときみたいに上から目線じゃない。二人とも同じ高さで話しているような気がして、何となく居心地が悪い。
こんな言い方は間違っているのかもしれないけれど、ジークと喋っている美桜は、俺の知ってる美桜とは違う。別人だ。
帰りたいな、と思い始めた。
気を使って色々と用意してくれたジークには申し訳ないけど、なんだろう、胸の内側がもやもやする。今まであまり感じたことのない、嫌な感情が渦巻いてくる。
「あれ、もしかして凌に苦いの当たった?」
ジークに言われ、ハッと顔を上げる。
「凄く不味そうに食べてるんだもん。手作りだから偶に焦げたのが混じったりするんだよね。美味そうなのだけ食べてよ」
「あ、いや」
顔に出てしまっていた。
クッキーは本当に美味しくて、苦みなんて全然ないのに。
「あの、そろ、そろ。じ……時間なんで。これ以上はちょっと」
口元が引きつっているのがわかる。
本当に俺、どうしたんだ。いつもなら気持ちが顔に出ることなんてないのに。
「そんな。まだもう少し、大丈夫でしょ? 普段戦っているときよりは精神力は使わないと思うけど」
美桜が見つめてくると、尚更俺の心臓はバクバクと激しく動いた。
「まぁまぁ。凌はまだ“干渉者”に成り立てなんだから、無理に引き留めなくても。またおいでよ。狭い世界だし、もしかしたら、別の所で会うことになるかもしれないけど」
ジークが微笑みかけてくる。
口角を無理やり上げて、軽く会釈。知らぬ間に手汗をびっしょり掻いていて、握った手が気持ち悪い。
「顔色も悪い。美桜も、無理させちゃダメだろ。君と彼との間に、どれくらい力の差があると思ってるんだ。凌、無理せず戻れ」
「けど」
「けどじゃないだろ、美桜。ああ、本格的にヤバそうだ。ゴメン、気付かず」
ジークが立ち上がってローテーブルをグルッと回り、手を差し出してきた。
大きな大人の手が背中を擦る。
「すみません、なんか、急に吐き気が」
焦点が合わない。
いよいよ限界か。
「無理するな。目をつむって、“表”に置いてきた自分の身体を感じろ。ゆっくり息を吸って、吐いて。もう一度息を吸って」
………‥‥‥・・・・・━━━━━■□
胸の奥から酸っぱいものが口の中まで戻って来た。
ウッと顔をしかめたが、それが固体ではなく気体状のものだったことがわかると、俺は安心して息を吐いた。
絡んでいた美桜の指を引き剥がし、転がるようにして床に座り込む。壁により掛かって、胸を掻きむしっているうちに、少しずつ落ち着いてきた。
気持ち悪くなったのは“裏”にいた俺であって、“表”の俺じゃない。だのに、息苦しさも胸の不快感も手の中の湿り気まで“裏”のまんま。意識だけが“裏”に飛んでいるわけじゃないのか。
「大丈夫?」
意識を戻した美桜が話しかけてきて、俺はようやく目を開けた。
制服姿のいつもの美桜だ。
「な、なんとか」
微笑み返したつもりだったが、表情が固まっていて、上手く笑えない。
「急にどうしたの。今までこんなことなかったのに」
心配して屈んでくれたようだが、なぜだろう、あまり美桜の顔を凝視できない。
「なんでもない。本当に、なんでもない」
両手の平を美桜に見せ、必死に無事をアピールする。
本当は胸の奥がまだもやもやしていて、言葉を発すると液体や固体が逆流してきそうだ。
「無理させてごめんなさい。長かった……?」
俺はそんなことないと首を小さく振る。
「ジークに言われてハッとした。そうよね、まだ凌は干渉者に成り立てなのよね」
今更ながら気付いたのかと、体調の良いときなら鼻で笑ってやるところだが、今はそんな気力もない。
座っているのも辛くなってきて、俺は床にごろんと横になった。
すると、美桜が益々心配して側に寄ってくる。
「本当に、大丈夫なの? 帰れる?」
「大丈夫。少し休んでから帰る。それより、俺と一緒に教室出たら色々と面倒だろ。先、帰れよ」
「でも」
「いいから。先に」
何となく、そう喋ったところまでは覚えてる。
30分ほど仮眠を取り、目を覚ますと美桜はいなかった。
代わりに、『ごめんね 無理させて』と書かれた付箋の貼られた缶ジュースが一本足元に置いてあった。
ジュースを飲み干した後、俺はようやく帰路についた。