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75.白昼夢の如く

 そりゃ、誰かのことを好きになるってのは祝福されるべきことだとは思うんだ。頭ではわかってる。美桜だって普通の女の子なんだし、そういう感情が芽生えてもおかしくない年頃だ。でもだからって、その相手が俺ってのは。

 ちょっと前まで足蹴にされてた。好きなのか嫌いなのか、俺は美桜にとって何なのかと問いただしたこともあった。頼られるのは悪い気がしないけど、ずっとハッキリしない態度を取られ、それでも自分の領域に俺を無理やり引きずり込んで。俺は美桜にとってただ都合のいいだけの男だった。だから、いつまでも平行線の関係で、絶対に感情が交わることはないんだなって思ってたのに。

 直ぐに受け入れられるか?

 彼女に一体、何があった。

 折りたたみのテーブル越しに、潤んだ瞳で俺を見つめる美桜。眼鏡を掛けていないせいか、いつもよりハッキリと彼女の表情が見て取れる。テーブルの角に手を置いて仰け反る俺の手に自分の手をそっと置いて、美桜はグッと俺の方に顔を寄せた。


「好き。どうしようもないくらい、好き」


 厚ぼったい唇が動く。

 まるで媚薬に冒されたみたいに、彼女はとろけた表情で俺を見ている。

 俺の中で妄想が暴走していく。

 例えば。彼女の誘いを受けてそのまま唇を奪ったとしても、今なら抵抗はされないんじゃないかとか。押し倒して胸を揉みほぐしたって、彼女の下半身まさぐったって、許されるんじゃないかとか。きっと彼女はものすごく柔らかくて温かい。美桜と二人きり、しかも美桜は何故か俺に恋愛感情を抱いている。だったら思いきって最後まで行っちゃってもいいんじゃないかとか。

 幸運にも家には他に誰も居ない。多少声を出そうが何しようが、気にする必要もない。

 下半身がやたらと反応する。まだお日様は昇ったばかりなのに、そういうことしか考えられない。

 胸元から谷間とブラがチラッと見えた。鮮やかな桃色。

 下唇を噛む。渇いた喉に唾液を流し込む。


「俺も」


 好き、なのだと思う。

 そうじゃなかったら、逃げ出せば良かったはずだ。俺の気持ちや都合なんて全無視して、強引に戦いを強いた彼女から。

 自分の気持ちに正直になっていいと言うなら。

 おもむろに立ち膝になって、彼女の方に顔を近づける。


「美桜のことが欲しい……って言ったら、泣く?」


 自分がどんな顔をしているのかわからない。

 強面で、友達もまともに作れないような無愛想で、不器用で。誰かに好かれる要素なんて殆どない俺を、彼女は好きと言った。それだけでも興奮するってのに、頭の中は膨らみすぎた妄想で支配されていて、この気持ちを抑えるには行動に出るしかないって思い始めるほど。


「凌になら、全部あげてもいいかな」


 美桜がはにかむ。

 俺の頭がイカれてしまったのか。あり得ないセリフが耳に響く。

 ――理性が吹っ飛ぶのに時間なんて要らない。

 このまま押し倒してしまおう。そうだ。勢いに乗ってやること全部やってしまったらきっとスッキリする。俺の中のもやもやも全部吹っ飛んでいくはずだ。

 美桜が、目を閉じた。

 そういうことで、いいんだよな。

 折りたたみのテーブルをちょいと横にずらし、美桜の肩に両手を乗せる。それからゆっくりと慎重に、彼女に身体を寄せていく。顔を傾けて、そうっとそうっと、唇を彼女と重ね……。

 夢でも見ているのか。

 とろける。どこまでもとろけていく。

 この間の人工呼吸さながらのキスとは全然違う。

 彼女の吐息が頭に響く。激しく、求めてくる。口の中で絡み合い、二つが一つになろうとする。

 俺の背中に手を回して、シャツを掴んで、そのか細い手の感触が、また堪らなく良い。彼女の柔らかい髪の毛を撫で、細い肩を擦り、とにかく触れるところ全部さわり尽くしてやりたかった。

 良い匂いがする。女の子の匂いって、何でこんなに気持ちいいんだ。

 ダメだ。こんなの。我慢なんか、できそうにない。

 無意識のうちに彼女のブラのホックを外し、Tシャツの中に手を入れていた。

 (けだもの)だって思われても構わない。そうさ。美桜も俺を欲してる。このまま押し倒して、やること全部やってしまうんだ。


 ――ピンポーンとチャイムが鳴った。


 現実に戻された。

 誰だ。客?

 美桜から身体を剥がして、時計を見る。


「芝山君、じゃない?」


 言われてハッとした。忘れてた。約束。

 完全に頭の中エロモードで、ナニのことでいっぱいになってた。


「あ……ああ、うん……」


 美桜のシャツの中からスルッと手を戻して、大きく息を吐いた。

 興奮しすぎて、変に頭が覚醒している。


「行って、あげないの?」


 ものすごく良い気分だったのに、急ブレーキを掛けられてしまった。

 こんな興奮した状態で芝山を迎えるなんて、あんまりだ。せめて下半身だけでも落ち着かないと、変な誤解を生みそうで、俺は何とか頭を冷まそうと、両手で自分の頬を何度か叩いた。

 口を手の甲で拭って立ち上がり、部屋を出る前にひとつ確認。


「み、美桜も、一緒に勉強する?」


 服を直して、美桜はフフッと小さく笑った。


「どうしよっかな。手ぶらで来ちゃったし。でもこれ以上一緒にいたら、芝山君の前でも始めちゃいそうだよね」


 そうやってまた、俺のことわざと興奮させようとして。

 二回目のチャイムが鳴った。今度はガチャッと玄関扉の開く音も一緒だ。


『来澄ぃ~、起きてるかぁ~。芝山だけどぉ~』


 階下から声。

 ヤバイ、家に入って来てる。


「ちょ、ちょっと待って、今行く」


 美桜の答えを聞く前に、俺は慌てて部屋から飛び出し、階段を駆け下りた。玄関で、私服の芝山が待っていた。


「あ、ゴメン。起きてた。ちょっと色々準備が」


 青いチェック柄の半袖シャツにジーパンという芝山の格好は、さっきまでの美桜との甘ったるい時間をかき消すには十分すぎるインパクトがあった。オタクルックと言うべきかなんと言うべきか。なにせ、キノコ頭にデイパックもセットな訳だから、この上なく滑稽なのだが、本人は似合ってるつもりなんだろうなと思うと、なんとも微笑ましくなる。

 お陰で下半身の興奮はすっかり冷めて気が抜けた。

 俺がハハハと間の抜けたように苦笑いすると、芝山は機嫌悪そうに中指で眼鏡をクイとあげた。


「何でも良いけど、約束してたんだから、寝てるとかやめてくれよな。君が勉強でつまずいてばかりだと、ボクがレグルノーラに行くのに支障が出るじゃないか」


「へいへい」


「なんだよその適当な返事は」


 階段を上がりながら、芝山の来た超絶素晴らしいタイミングに感謝した。あと少しでも遅かったら、俺は完全に美桜を押し倒していた。そしたらきっと、そのことしか頭になくなって、芝山の押したチャイムの音に気が付くことはなかっただろうし、下手したら勝手に家に上がってきて現場を目撃されていたかもしれないのだ。


「そういえば、来澄って女のきょうだいでも居るの」


「へ? なんで?」


「女物の可愛いサンダルが玄関にあった。どう考えてもお母さんのじゃないよなと思って」


「あ……、それなんだけど……」


 首の後ろをボリボリ掻きながら、自分の部屋の扉を開ける。

 びっくりするだろうな、まさか美桜も来てるだなんて言ったら。付き合ってるってのは格好だけで、本当はそういう関係じゃないって言っておきながら、自分より先に美桜が来ていると知ったら芝山は変な顔をするに違いない。


「実はさ」


 苦笑いしながら部屋に入って……、辺りを見まわしたが、そこに美桜の姿はなかった。

 まさかベッドの下? 押し入れの中? あちこち探すが、それらしい人影がない。


「おっかしいなぁ……、さっきまでは居たんだけど」


 首を傾げてあちこち探す俺を見て、芝山が言う。


「何探してんの? 猫?」


「いや、猫なんか飼ってないよ。猫じゃなくてさ。まー、猫っぽいと言えば猫っぽいけど。帰ったのかな……」


「帰った? ボク玄関にいたけど、誰ともすれ違わなかったよ」


「あ、うんまぁ、そうなんだけど」


「寝ぼけてんの?」


「寝ぼけてるわけじゃなくて」


 アレが夢だったとは思えない。

 確かに、美桜はさっきまでここに居た。

 夢じゃない証拠に、二つのグラスには飲みかけのジュースが注いである。

 転移魔法でも使ったのか。そうでなきゃ、忽然と姿を消すなんてあり得ない。

 美桜なりに、気を遣ってくれたのだろうか。芝山と三人でこの空間にいたらギクシャクしそうだって思ったのだろうか。


「補習終わったからって、ボーッとしてると、夏休み終わるよ。それよりさ、さっさとやることやっちゃおう。な?」


 さっき美桜が座っていたところに、芝山はドカッと腰を下ろした。

 荷物を置いて不自然にズレていた折りたたみテーブルの位置を直し、そこあったジュースに目をやると、


「丁度喉渇いてたんだよね」


 えっ、と俺が反応するよりも先に、芝山は美桜の飲みかけジュースをがぶ飲みした。美桜の使ったグラス、美桜の飲み残し……などとは知らぬ芝山は、一気に飲み干しぷはーっと気持ちよさげに息を吐いた。


「オレンジジュースに目がなくて。うまい。おかわり頂戴」


 横に置いた1.5リットルのペットボトルに視線を移して催促する。


「あ……、なんか、今、全てが夢だったような気がしてきた」


 俺がぼそりと呟くと、今度はポテチを頬張って、


「やっぱり寝ぼけてるだろ。ホラ、ジュースジュース。それからさっさと勉強やって、終わったら“向こう”に行くってことで」


 気落ちする俺とは裏腹に、芝山は何だか楽しそうだ。


「補習中もご機嫌よさげだったけど、何、今も砂漠にいんの」


 やられたもんはどうしようもない。諦めて自分の席に座り、仕方なく芝山にジュースのおかわりを注ぎながら尋ねると、彼は「まぁね」とにやついた。


「前に“キース”って干渉者から船の速度を上げる魔法を教えてもらったって、言っただろ。お陰で同じ日程でも飛躍的に移動距離が伸びたんだ。せっかくだから行けるところまで行こうってことになったんだけど、どうやらボクらが思っていたよりもずっと砂漠は広いらしくてさ。出没する魔物や砂漠の砂の種類が変わってきて、そろそろ、いわゆる未開の地に差し掛かろうかというところなんだ」


 “キース”という名にドキリとする。

 そもそも芝山が彼の話をしなければ、事態はこんなに複雑化してなかったわけで。いや、あのとき俺が異常に興味を示さなければ良かったんだろうけど、なにせ過去の世界に行った直後だったから、ピリピリしてしまったんだ。

 かの竜が何を考えて自分の住処たる砂漠の向こう側へ帆船を導こうとしているのか知らないが、こんだけワクワクと冒険している芝山たちに水を差すのも悪い気がして、かける言葉が見つからない。


「そういう来澄は、須川さんの訓練、どうなってんだよ。上手くいってんの」


 ボーッとしているところに話題を振られ、ビクッと肩が震えた。


「あ、ああ。うん。まぁ、一人で行くのはまだ時間がかかりそうだけど、一緒に行くならどうにかなるかな。難点は武器が出せないことだけど、そこはまぁ、魔法でカバーするしかないってことで落ち着いた。補習も終わったし、しばらく会えなくなるから、感覚忘れないか心配だって本人は言ってたな。かといって、個人レッスンの予定はないけど」


「そっか……。勿体ない。彼女、相当な力を持ってるのに。ボクと同じ“二次”だもんな。美桜と須川さんの距離が縮まれば、二人で会うこともあるかもしれないけど、望みは薄いかな。なんたって、須川さんは来澄のことが好きすぎるからね。羨ましい」


 須川がわりかし素直に訓練に応じていた理由は、そこにあったんだろう。俺的には優しくしている自覚などないのだが、何故にそういう感情を抱くに至ったのか、未だ理解に苦しむ。親切にすることが、好意を抱いている、好きだと思っているに変換されてしまうなんて、思春期女子の思い込みの激しさにはついて行けない。


「そういえば」


 芝山は思い出したかのようにスマホをデイパックから取り出した。えーとえーと言いながらスマホを弄り、あったあったと顔を明るくして俺に画面を見せてくる。


「来週、臨時の部活動」


「は?」


「前に古賀先生が言ってただろ、みんなで一度会った方が良いんじゃないかって。で、先生のスケジュール開いているところ教えてもらったんだ。あの部室じゃ暑くて敵わないから、別のところに集合した方がいいと思って色々調べたら、学校近くの公民館、冷房付きで無料で借りられることがわかったんだ。ツツジ公園集合で公民館まで歩いて行って、そこで部活動と銘打って情報交換会の計画立てたんだけど、どうかな」


 スマホのメモアプリに書き込まれていたのは、夏期部活動のお知らせと題された文書だった。目的から時間、場所、参加の可否報告方法まで事細かに書かれている。

 某SNSのRユニオン専用グループ……これはユニオン結成時に芝山が作成したものだが、そこにレスしろと書いてあった。なるほど、あれはこういうときに使う物だったんだなと再認識。昨今の部活動の連絡手段は専らSNSだと聞く。友人の居ない自分にとってSNSアプリは無用の長物だっただけに、初めてその利用価値を知らされた気分だ。


「いいんじゃないの。文書として漏れはないし。この内容で」


「暇だろうし、来澄は参加は可能、だよね。陣君も多分大丈夫だと思うし、女子二人は……返事待ちってことになるかな」


 芝山はこういう裏方の仕事が好きらしい。だからクラス委員もやってるんだろうし。ただのガリ勉眼鏡に見えて意外と行動力がある。見習うべきかもしれない。


「で、情報交換会って、具体的に何するつもりだよ」


 芝山にスマホを返しながら聞くと、


「それぞれの持っている情報を纏めて文書化したいなって思ってる。これは、単にボクの研究心がうずくからだけどね。あの未知なる世界をボクらはもっと知るべきだ。互いに保有している情報はあまりに断片的すぎる。これじゃ、レグルノーラの全体像が掴めない。あの世界の中心にある塔についてだとか、文化、科学、魔法について纏めてみたら、結構面白くなると思うんだよね。美桜は随分前から“向こう”に行っていたと聞くし、陣君は元々“向こう”の人間だし、古賀先生だって一年以上“向こう”に行ってたのなら、ボクら以上の情報を何か持っているはずだ。全部繋がったらきっと面白い。それこそ、凄いものが作れる。もしかしたら、“裏の世界・レグルノーラ”の秘密も、何かしら見えてくるかもしれないだろ。どうだ、ワクワクしてこないか?」


 帆船の(おさ)たるもの、これくらいの好奇心がないと務まらないとでも言うのか、スケールが壮大すぎて思わず引いた。


「え、あ、う……ん?」


「何だよ来澄。興味なさそうだな。君だって相当レグルノーラにのめり込んでるんじゃないのか」


「いやぁ……、そうでもないよ。俺はただ巻き込まれたっていうか、成り行き上っていうか、自分から足を突っ込もうと思って突っ込んでるわけじゃないし。面倒なことにはなってきてるけど、だからってそこまで知らなくても別に支障がないというか。芝山ほど深く物事を注視してるわけじゃないから、そんなこと、考えたこともなかったからさぁ」


「じゃ、考える良い機会じゃないか。決まり。それぞれから情報を聴取してしっかり纏めよう。さぁて、忙しくなるぞ」


 コイツさては、小学生の頃は自由研究に命をかけてたクチだな。面倒くさいという気持ちが芝山にはないのか。あまりにも価値観が違いすぎてついて行けない。

 しかし、このままだと色々と面倒なことを掘り起こされる可能性も出てくる。美桜の過去について、ドレグ・ルゴラについてのことは特に、無駄に情報が拡散しないよう注意しなければならない。その辺り、陣には申し合わせできるだろうが、他のヤツらが一体どうなのか、だな。

 俺一人の力じゃ事態がもう収集できないところまで来ているようで、何だかとても嫌な予感がする。美桜の部屋のゲートのこともそうだし、美桜が飯田さんに事情を話すことになったこともそうだ。陣が補助魔法に妙な危機感を抱いたことも、美桜とキスをしたことも、こうやって芝山がユニオンで新たな動きをしようとしていることも、これから起きる何かの予兆だったりするのだろうか。

 参ったな。

 それまで必死になって事態が暗転しないよう掛けられていた歯止めが、少しずつ緩んできているような気がしてならない。しかも、確実に今までとは空気の流れが違うようなのだが、その原因がなんなのか、困ったことに思い当たらない。

 杞憂で終われば良い。

 が、当然世の中そんなに甘くはないわけで。残念なことに嫌な予感というヤツは案外正確に当たってしまうのだ。


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黄昏のレグルノーラ~災厄の神の子と復活の破壊竜~
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