70.秘密の共有
答えに窮した。
余計なことを喋れば粗が出る。差し障りのない言葉を選ばなきゃ、面倒くさいことになる。
「言われてみれば、そうだよね」
芝山は腕組みをして天井を仰いだ。
彼が知っているのはせいぜい、美桜が強い力を持った干渉者で、自分とその数人が影響を受け、レグルノーラへ干渉してしまっていたということくらい。美桜が何故力を持ち得たかを知っているのは、恐らく俺一人なはずだ。
「干渉者同士が引き寄せられる形で? とか?」
眼鏡を傾け、芝山が聞いてくる。
「そ、そう、かもな。ま、あり得ない話じゃない」
「類は友を呼ぶわけで。確かに多いとは思いますが、引き寄せられたというのは確かだと思いますよ。ボクも美……芳野さんと同じクラスじゃなかったらこんなことにはなってないだろうし」
古賀は俺の方を見て質問していたのだが、芝山が全部答えてくれた。お陰で喋らずに済む、と思いきや。古賀は何故か俺から目線を逸らさない。
「それだけ、かな」
途端に古賀が本当にただ興味本位で聞いているのか不安になる。
気配、というほどハッキリしたものではない。何かぼんやりとして、視界を曇らせるようなものがあるのは確かだった。薄いぼかしのフィルターをかけたような、もやもやとした居所の悪さ。
「ま、いいや。ところで他のメンバーは? お前ら二人は補習に来てるみたいだが、須川はどうした?」
「あ~、芳野さんと陣君は補習は免除なので。夏休み入ってからは見てませんが。須川さんは……、昨日は元気そうだったんだけど。来澄、知らない?」
「知るか」
連絡先なんて聞いてないし、俺も教えようとは思わない。
芝山のヤツ、昨日のアレを聞いてて面白半分で聞いてるんだな。顔がニヤついてる。
「昨日来澄にも言ったんだが、もし集まれるようなら、補習期間が終わってからでも一度、集まらないか。俺も“向こう”の話を色々聞きたいし。なにせ、行けるだけで魔法すら使えない体たらくだ。期待できるようなことはできないかもしれないが、役に立つことくらいあるかもしれないからな」
「わかりました。そしたらちょっと声かけてみます」
芝山は素直に古賀の提案を受け入れた。寧ろボクが代表なので任せてくださいとばかりに、胸を強く叩いている。
そりゃ、集まるのは構わない。構わないんだが。
何故だろう、嫌な予感がする。
最初は美桜と俺だけの秘密だった“レグルノーラの存在”が、芝山、陣、須川、それから古賀にまで広がってしまったところに妙な危機感を抱いてしまう。二人だけの秘密だった頃は、ただ周囲にバレないかどうかハラハラし通しだったが、これだけ広範囲になってくると、別の意味でハラハラとしてくる。
Rユニオンという秘密の共有体は果たして成功だったのかどうか。
言うに言えないレグルノーラの秘密、あのドレグ・ルゴラという巨大な白い竜のことを未だ誰にも相談できていないのは、まだ全員が全員、味方になってくれるのかどうか自信がないから。元々人付き合いは苦手だ。どうやって話を切り出せばいいのかもわからない。その上で何とかしていかなければならないのだ。
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次の日、須川怜依奈は目の下にくっきりとくまを作った酷い顔で現れた。ゲッソリとして肩を落とし、ようやく歩いてきましたという感じだった。
流石の俺も気になって、補習前に須川の席まで行った。
「身体中ギシギシして、頭がガンガンするの。微熱だったし、夏風邪かなって」
声まで辛そうだ。
「それ、もしかして“向こう”に行った反動かもな。俺も最初の数日は、身体が痛くて大変だった。今は何ともないけど。……悪いことしたな」
「ハ……ハハ。そうなんだ。おかしいよね。身体は“こっち”に置いてってるのに、なんでこんなに。凌、あとで補習プリントの答え写させて」
「了解了解。無理すんなよ」
数ヶ月前の俺もあんなんだったか。ま、寝込むほどじゃなかったから、須川よりずっと症状は軽かったのかもしれない。それに、俺のときはまだこんな暑くなかった。真夏のジリジリとした暑さが加わって、須川の体力を奪ったのだろうと考えると、何となく可哀想な気もしてくる。
「大丈夫。また、連れてってよ」
須川は気丈に口角を上げて見せた。
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夏休み、フルで補習を言い渡された俺と違って、大抵のヤツは該当教科の補習が終われば帰るわけで。人数によっては他の教室に移動してみたり、ほぼ教師とワンツーマン状態だったり、案外せわしない。
教室の窓は常に全開で、補習には縁遠いが部活で夏休みを潰されてる連中がせっせとグラウンドで走り込みをしている声が聞こえてきていた。
ある日は日差しに音がついているのではと思えるほど突き刺すような光に照らされ、ある日は熱気が籠もりすぎて扇風機や下敷きの団扇では太刀打ちできぬというのに、頼りの扇風機の風が教師の方にだけ向いていた。かと思えば突然の土砂降りに見舞われ、傘忘れたなと虚しい気持ちになる日もあったり、ゴロゴロと雷が鳴っているのに窓も閉めず板書とにらめっこしていた日もあったりした。
峰岸始め、何人かの男子がガン飛ばしてくることは多かったが、だんだん慣れた。ヤツらはヒソヒソ話で俺と美桜、須川を三角関係だとはやし立てていたが、何度も聞くウチに馬鹿馬鹿しく相手にすべきではないという結論に至った。恐らくいつぞやのコラージュ写真も、こういう偏見を持ったヤツらの犯行じゃなかろうかと思うと、美桜が最初に笑い飛ばしていた理由がわかった気がする。要は、相手にするほどこちらは暇ではないのだ。
補習が終わった後に部室に行く習慣は続いていて、俺と芝山、時々須川が混じる構図も一緒だった。
美桜が居ないこともあってか、須川はだいぶ落ち着いていた。手に触れてレグルノーラに飛ぶ訓練を何度も続けているウチに、何となく“向こう”へ行く感覚も掴めてきたらしかった。古賀の居た農村じゃなくて、都市部やキャンプの付近など、あっちこっちに飛んでみたが、須川はこれを旅行感覚で楽しんでいて、幾度となく遊びで連れてきてるわけじゃないと突っ込んだ。
イメージの具現化も簡単なものならできるようになってきて、彼女の身の回りにある文房具やコスメくらいならパッと思い浮かべて出せるようになっていた。が、武器には俺同様疎いらしく、しばらく時間はかかりそうだ。
芝山はというと、帆船の長として仲間と砂漠の旅を楽しんでいるそうで、偶にザイルや船員たちの様子を教えてくれる。コックの新作料理の話、まだ俺が出会っていない砂漠特有の魔物の話、それからレグル文字の法則について。
実際、部室に居る時間なんてほんの二時間程度。話せることやできることは限られていたけれど、芝山から補習のおさらいをしてもらい、レグルノーラへ向かい、冷えたサイダーを飲み、須川に干渉の手ほどきをし……と、充実した時間を過ごせた。
あの日以来、テニス部と補習で手一杯なのか、古賀は部室に来ることもなかった。補習で顔を合わせたとしても、“向こう”の話なんかすることもないわけで。
面倒くさいけどそれなりに楽しんだ補習期間もあと少しという頃。
陣郁馬が久々に俺の前に現れた。
そもそも彼の中身は大人で、必要に迫られ“こっち”の世界で高校生を演じていた。当然、補習など縁遠い。それもあってか今までずっと姿を見なかった。
補習を終え、一緒に部室で過ごしていた芝山が塾へ向かい、須川が先に帰るねと居なくなった直後だった。
開襟シャツのボタンを更に一つ外して裾を出し、明らかに着崩した格好で現れた陣は、どことなく神妙な面持ちで、
「よぉ」
と片手を上げて部室へ入ってきた。
「久しぶり。元気してた?」
「まぁな」
当たり障りない挨拶を交わし、冷蔵庫から冷えたサイダーを出す。そろそろ在庫が尽きそうだ。箱買いの時期か。
陣は俺とはす向かいの席にドカッと座って、プシュッと缶を開けた。グビグビ気持ちよさそうに喉にサイダーを流し込み、長く息を吐くと、両肘を長机に乗せて俺の方に向き直った。
「最近、美桜と会った?」
「いや。アイツ、補習関係ないし」
「そっか。だよね。じゃ、ディアナ様とは接触した? ……って、わざわざ凌の方から会いに行くことはないか」
陣は一度目を逸らし、何かを思案した。
「何か、あったのか」
「あったというか、何というか。気のせいだといいんだけど」
陣は勿体なさぶって、なかなか話そうとしない。
扇風機の首振り音がゆっくり聞けるほど黙って、またため息を吐く。
「夏休みに入ってから陣は、“こっち”全然来てないんだろ。“向こう”で何かあったとか」
「いや、まだ何かが起こったというわけではないんだ。ただ、色々と気になることが出てきて。とりあえず凌が一人になったのを見計らって来てみたわけだ」
見計らって、と言われてハッとした。そういえば陣は“向こう”では裏の干渉者ジークとして小型のカメラで“こっち”を監視していたんだ。ということは、もしかして。
「陣は古賀のこと、知ってるのか」
念のため、聞いてみる。
「ああ。物理の古賀先生、だっけ。二次干渉者らしいね。あり得ない話じゃないんだろうけど。ノーマークだったな」
陣にさえわからなかったと言うことは、それだけ見つけにくい存在だったってことか。やはり、二次干渉者は鬼門だ。
「そういえば怜依奈のこと、ちゃんと面倒見てるみたいで感心した。あの力が全部プラス方向に働けば、かなりの使い手になるんじゃないかな。……って、そういうことを話しに来たわけじゃない。一度、二人で美桜のところに行ってみないか。最近、様子がおかしいんだ。彼女、昔から自分のことはあまり話さないし、困ったことがあっても絶対に相談しない。だから、何かあると周囲が察したらすぐに駆けつけてやる必要があってさ。非常に言いにくいんだけど、僕一人じゃどうにもできない可能性もあって。凌ならもしかして、なんとか出来るかもしれないから、できれば一緒に行って欲しいんだ」
陣は真剣だった。が、直ぐに詳細は言わない。
「行くのは構わないけど、居るかどうか。連絡、しとこうか」
スマホを取り出そうとすると、
「いや。彼女はそうそう出歩いたりできないはず。直接行こう」
「何焦ってるんだよ」
「凌がどこまで知ってるかわからないけど、彼女、かなりの訳ありで。実は僕も、こういうことになってからディアナ様に詳細を聞いて、心臓がバクバクしてるところ。知ってたらもっとできることがあったろうに、肝心なことは誰も何も言わないんだ」
整った顔を歪ませ、ギリリと悔しそうに奥歯を噛む陣。相当苛立っているらしい。
あまり考えたくない。考えたくはないが。
「それって美桜の出生と、関係……ある?」
鎌をかける。
この答え如何によっては粗方事態の予想が付くというもの。
「――やっぱり、凌は知ってたんだな。知ってて彼女を野放しに」
「ちょ、ちょっと待てよ。なんだよそれ。俺は彼女の保護者じゃない。彼女は自分の意思で動いているし、俺にだって俺の時間がある。同じ家で暮らしてるわけじゃないんだから、四六時中彼女と行動を共にするのは無理だ。特に今、学校でさえ同じ時間を過ごすことはないってのに、どうやって彼女を拘束すりゃいいんだ」
思わず、立ち上がって声を荒げてしまった。
陣は勝手だ。俺のことをなんだと思って。
「……確かに、君の言うとおりだ。けど、今は残念ながら、君の力が必要だ。あまり口には出したくなかったんだが、ここはレグルノーラとは別の世界、喋ってもさし支えないだろう。――『“ドレグ・ルゴラ”の動きが活発になってきている』と、ディアナ様はおっしゃった。レグルノーラを分厚い雲ですっぽり隠してしまったかの竜が、少し前キャンプ上空に現れた。あのときは部隊や干渉者らが力を合わせて追い返したらしいが、あの様子じゃいつ都市部に現れてもおかしくないと怯えた様子だった。僕はそのとき、あいにく別の場所にいて騒ぎには気付かなかったが、かの竜を目の当たりにした誰もが、恐ろしく巨大で逆らいがたいものだったと答えた。それまではただの伝説に過ぎなかった時空の狭間の竜が実在したことで、レグルノーラはかつてない恐怖に包まれた。かの竜の出現は世界の終わりを予感させる。とても危険な存在だ。そんな恐ろしい存在が、僕らと同じ人間の姿になって何食わぬ顔をして歩いていたら――、誰だって、いい気はしないだろう。ディアナ様が言うには、かつて竜は人に化け、異界の少女をたぶらかし子を宿らせたのだそうだ。やがて子は生まれ、成長した。それが美桜だという。滑稽な話だ。それを直ぐに信じろと言ったディアナ様を、僕は恨むこともできない。恨むより前に、いろんなことが頭を巡った。信じたくはないけど、彼女の中に確実に特別なものが流れていることを、僕自身、ずっと感じ取っていたからだ。彼女は、美桜は特別で、守らなくちゃいけない存在で、だけど誰よりずっと大きな力を持っている。そう思っていた。それがまさか、レグルノーラを混沌に陥れようとするかの竜の血を引いていただなんて、僕は一体どうしたらいい。悩み、悩んだ。彼女とは最近、“向こう”でも殆ど会うことはなかった。お互い、自分の使命を果たすので精一杯で、顔を合わせる機会すら失っていた。そんなときだ。ディアナ様にこの話をされ、僕の頭は真っ白になった。それどころじゃない。同時に、美桜に異変が起きているようだと知らされた。ディアナ様自身、最近お疲れの様子でなかなか塔を出ることができない。そこで、僕に美桜の様子を見るようにと伝えてきた。凌に力を借りろと、ディアナ様はおっしゃった。――頼む。何が起きているのか、一緒に確認して欲しい」
俺が何か言おうとするのを遮って、陣は一気にまくし立てた。
陣郁馬の姿でこれだけ真剣だったのは、黒大蛇に美桜がやられて以来のこと。
断りようがない。
「わかった」
と小さくうなずき、
「俺の話も少しだけ聞いて欲しい」
と、静かに言う。
「キャンプでドレグ・ルゴラを追っ払ったのは俺だよ。ついでに言うと、かの竜には名前も顔も覚えられてしまってる。ちょっと、確執があって。美桜と竜の関係について、俺は偶々知った。いつ誰に相談したらいいのか、信頼すべき仲間は誰なのか、長い間探っていたことを許して欲しい。命に関わるかもしれない大事なことだったから、簡単に口に出すことができなくて。俺は、美桜自身はこのことについては知らないんじゃないかと仮定して動いている。実際のところは……わからない。けど、もし彼女が自分の出生について知ってしまって、その上暴走なんてしてしまったらとんでもないことになると想定したからだと、ここは理解して欲しい。だけど……よかった。陣が、ジークがこの話題を共有できる初めての仲間で。俺はどうにもならなければ一人で全部抱え込む覚悟だった」
言い終えると、今まで喉につっかえていた大きなモノがすっかり取れてしまったような気がした。
そうだ。俺の中で最大の懸案事項は、ドレグ・ルゴラの存在。天を覆い尽くさんばかりの巨体で絶対的な力を見せつけるあの竜に、俺は命を狙われているのだ。
「あのとき……カフェで、凌にこれ以上美桜と親密にならないでくれと頼んだのを、覚えてるか」
「ああ」
ディアナと引き合わせるため、ジークが一芝居打ったときのことだ。
美桜は俺を好いているらしい、だが、同時に巻き込みたくないとも思っているようだと。だからこれ以上親密にならないで欲しい。そう、言った。
「親密どころか、もう後に引けないところまで来ていたんだな」
距離を縮めず、守ってやって欲しいと、そんな感じのことを言われた。それだって、難しいことだった。彼女は俺との距離を縮めようとはしなかったし、俺も意識して縮めたりはしなかった。だけど、知らず知らずのうちに、彼女の知ってはいけない秘密まで全部知らされてしまったのだ。
恋心とか、恋愛感情とか、そういう問題じゃなくて。
俺は一人の人間として彼女を守らなければと固く誓った。
ディアナの呪いに負けたわけでもない、目の前で展開された辛い出来事に打ちのめされたわけでもない。
自分自身で、そう選択した。
「君が全てを知っていて、よかった。行こうか」
陣は立ち上がり、ゆっくりと右手を差し出した。