61.敵か味方か
作戦会議と称してジークがシバを連れサーバールームに引っ込むと、俺と美桜、そしてテラの三人が応接間に残された。
ようやく席が空いたと俺の隣によいこらせとテラが座り、小腹が空いていたのか、ローテーブルの上にまだ残っていた個包装の洋菓子に手を伸ばした。パンクっぽい容姿からは想像もできないが、テラは甘いものが好きらしい。次々に手にとっては、これは美味そうだとかこれは口当たりが良さそうだとか、ブツブツと呟いている。
美桜はそんなテラをじっと観察しながら、何かを考えている様子だった。お茶をすすりながら、幾度となくテラの表情や仕草を覗き込んでいた。
「イケメンの仲間には入れて貰えなかったな」
口から菓子のカスを飛ばしながらテラが俺に笑いかけた。行儀が悪い。
「そもそも、イケメンの意味がわかるのかよ」
食いながら喋るなよと目で訴えたが、通じてはいないようだ。
テラはもぐもぐと咀嚼しながら、
「文脈から言って、要するに“顔のいい男”ってことだろう。ジークは勿論、容姿がいいし、シバだってあの通りの容姿端麗だ」
「シバの正体は見ただろ。ちんちくりんだぞ」
「ちんちくりん……? 君だって、容姿については胸が張れないだろうに」
ぐぬぬ。
ああ言えばこう言う。
残っていた紅茶をグイと飲み干して、俺はぐんと身体を伸ばした。
近頃、“あっち”でも“こっち”でもいろいろありすぎて肩が凝る。とにかく一つずつ解決しないと、どんどん面倒なことになりそうで怖い。ま、特にこの目の前の彼女を本当は何とかしたいところなんだけど。
「シンって、こんなんだったかしら」
美桜がいぶかしげに眉をひそめた。
「こんな、砕けた感じじゃなかったと思うのよね。優しいお兄さんっていうか、頼れる大人っていうか。そんな感じだったような記憶があるんだけど。……臭いは一緒なのに、変なの」
するとテラはハハハと笑って、
「そりゃ、仕方ない。竜の容姿や性格は全部主に依存するんだ。美幸と凌、比べてみなくたって全然違うだろう。私だって初めは驚いたさ。まるで世間に喧嘩を売ったような面構えに、本当に私なのかとね。慣れてしまえば、結構いいものさ。以前のおっとりした外見も気に入っていたが、今のワイルドさも悪くないだろう。ま、凌と違って元がいいからな」
「お、おま……」
テラは平気で俺の気にしていることにズケズケと入り込んでくる。
うるさい。こっちだって、好きでこんな顔になったわけじゃない。遺伝子の問題には逆らえんのだ。
「にしても、“向こう”には凌に気のある女が居るんだろう。世の中、何が好かれるか、わからないものだな。な? な?」
「う……、うるさいなぁ。須川のことは、俺だってどうしてそんなことになっているのか知りたいよ。大体、絡んだことなんてないんだから。なんで俺なんかに興味を持つのかはなはだ疑問だよ」
腕組みをし、俺は思いっきりソファに仰け反った。
好きとか嫌いとか、面倒くさい。そりゃ俺だって美桜のことを好きかと言われたら、ま、嫌いじゃないと答えるし、できれば美桜みたいな綺麗な娘と付き合いたいよなとか、いけないことをしてみたいよなとか思わないこともないけれど。この、恋愛とも友情とも取れない微妙な状態で、しかも知りたくもなかったことまで無理やり知らされて、それで男女の関係にまで発展できるかと言われたら無理な話。それなのに、突然須川の話が出てきたんだから、パニックもいいところだ。
参ったな。須川なんて、まともに顔すら思い出せないほど印象薄いのに。
「前にも言ったけど、凌は自分のことを過小評価してるのよ。素直に喜んだらどうなの。好意を寄せられるということは、悪いことじゃないと思うわよ」
美桜も、無責任なことを言う。
「でも、だからといって、凌と親しくしている私のことを恨むのは止めて欲しいけどね」
美桜はため息を吐き、そっと俺とテラから目を逸らした。青の混じった瞳の向こうで何を見ているのか、美桜はもの悲しげな表情を浮かべている。
「須川をユニオンに引き入れるのは反対?」
「賛成はしたくないわ」
「どうして」
「面倒なことは嫌いなの。全部一人で何とかなるならしたいくらいよ。でも、知らないうちに凌もいろんなことに巻き込まれてたみたいだし、ジークだって、私に内緒で凌と会ってたし。もう、私一人ではどうにもできなくなってきているのかも。助けて欲しいなんて言いたくないけど、誰かに頼らなきゃ、ダメなところまで来ているのかもね」
普段から全部自分で抱え込もうとする、美桜の悪いクセだ。
俺も人のことを言えた義理じゃないが、美桜は頼った方が上手くいきそうなことも全部自分で解決しようとしてしまう。
私生活にしたってそうだ。まだ未成年なんだし、いろいろわだかまりがあるとはいえ、今のうちに頼れる人脈でも作っておけばいいのに。それができないから、マンションで一人暮らしをしているんだろうけれど。
「お手並み拝見と行こうじゃないか。何とかしてくれるんだろう、あの二人が」
固くなりすぎた場をほぐそうとしたわけじゃないけど、とりあえず。
「近くで見られないのが残念だな」
とテラ。
「私の代わりに、きちんと見届けてくれよ。そして是非仲間に引き入れて、連れてきてくれ。凌のことを好いた理由を聞き出したい」
「……テラは一言余計なんだよ」
プッと美桜が噴き出し、肩を震わした。
「それ、私も知りたいかも」
「美桜まで」
何にせよ、仲間が増えること自体は歓迎すべきこと。あとは須川がどこまで知っていて、どんな風にレグルノーラと関係しているのかどうかだ。
それから、どうにかして他のヤツらとドレグ・ルゴラについての情報の共有を図らなければ。これについてはもう少し、時間が必要のようだが……。
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「じゃーん。見ろ」
翌日の昼休み、芝山は白い紙を一枚、俺の前に差し出してきた。教室でぼっち弁当をしようと荷物を漁っていた俺は、手を止めてその紙を受け取った。
「なんだこれ。『同好会設置申請書』……。マジか」
美桜はどこかで昼を取っているらしく、既に教室から居なくなっていた。その席に芝山が短い足を組んで座り、後ろを向いて無理やり俺の机の上に自分の弁当箱を置いてきた。包みを広げて弁当を開け、箸を取り出しながら、
「仕事早いだろ」
と眼鏡を光らせた。
「仕事が早いのはいいけどさ……」
弁当を取り出し損ねた。
二人で同じ机の上に弁当を置くのもなんだか気持ち悪い気がして、というか、相手が芝山だったのがあまり嬉しくなかったというのが本音だが、仕方なしに自慢げに出してきた紙の中身を読み込む。
「『Rユニオン』……の“R”って、“レグルノーラ”の“R”……」
何というセンス。
もっと何かなかったのか。
俺は思わず顔をしかめた。
「あと、この活動内容欄。『並行世界RとR影響下における物理的概念の崩壊に対する研究と意見交流』……いや、あながち間違ってはないけど。これ、通ると思う?」
「通ります。通るに決まってます。オカルト研究会がOKで、RユニオンがNGなんておかしいし」
「おかしくないだろ……。ま、いいや。代替案もないし。顧問は……物理の古賀? いいのこれ?」
「いいのいいの。許可は取った。用紙を見せて、名前貸してくださいと言った。もちろん、古賀先生がテニス部の顧問なのは知ってますから、無理強いはしませんがと。先生は“物理”の字を見て、『いいよ』と言ってくれた。何の問題もない」
関わるようになってだんだんわかってきたが、芝山は案外強引な性格のようだ。これくらい強引じゃないと、帆船の長も務まらないのかもしれないが、とにかく強引で、俺には理解が及ばない。
「い……いいならいいけど。『並行世界』ねぇ。大体、“あそこ”はそういう位置づけなわけ?」
「じゃ、来澄はどんな位置づけだと? あれか、ファンタジーっぽく“異世界”とでも称すればいいのか。ボクはそんな単純な場所だとは思わないけどね」
異世界というのが単純な場所かどうかはさておき、これで申請が通るなら確かに悪くはない。人数が足りて部室があてがわれれば、堂々とレグルノーラの話ができるわけだし。
「いいよ。これで。美桜には見せた?」
「これから。陣君にもこれから説明に行く。ここにサインして。申請者欄。五人分必要だから」
芝山はそう言って、ボールペンを渡してきた。既に代表者の欄には芝山の名前が書いてあった。その下の会員名と書かれた枠の中に、仕方なく名前を書き込む。
ペンと用紙を芝山に渡すと、彼は嬉しそうに手元のクリアファイルに戻していた。
「あとは須川さんの説得だけど。放課後、陣君と速やかに行う予定だから、報告まで」
もぐもぐと弁当を掻っ込みながら、芝山は言った。随分カラフルな弁当の中身。俺の弁当とは違い、野菜が多めだ。
「来澄は食べないの」
「え、あ……食うけど」
芝山と飯を食うのか。何か、一人で食ってた方が気楽でいいな。
芝山の弁当にぶつからないよう、端っこに寄せて開いた弁当に、芝山が反応する。
「唐揚げ。美味そう」
「あ……いる?」
「いいよ。取っても」
「ありがとう。じゃ、代わりに沢庵」
「え……!」
二度と芝山と飯は食うまい。
キノコ頭に食われていく唐揚げに、俺は固く誓ったのだった。
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日中はレグルノーラへ飛ぶこともなく、休んでいた分を取り戻そうと必死に授業に食らいついた。夏休みの補習は確実で、そうなると2週間ほど平時と同じように学校に通うことになる。頭のいい美桜や芝山、陣は免除だろうから、レグルノーラに関わっているヤツの中では俺が只一人、補習対象ってわけだ。
得意科目があるわけでもなく、まんべんなく苦手な俺にとって、数日前芝山と取り付けた約束はいちるの望みでもあった。勉強を教えてくれるという、アレのことだ。
もし愛好会設置が許可されたら、活動と称してそこで勉強教わるのも悪くない。なにせ、補習後の理解度テストにパスしなかったら、再補習があると既にいろんな先生に脅されてしまっているのだから。
全ての日程が終わる頃には神経がすり減って、もうレグルノーラに飛ぶとか飛ばないとか、そういう状態じゃなかった。頭の中で数式や年号、文法が踊っている。早く帰って休みたい。休んで心に余裕が出たらあっちに行こう。そんな感じだった。
そんなんだから、俺はうっかり放課後のことを忘れていて、荷物を背負ってそのまま帰ろうとしてしまったのだ。廊下に出ようとしたところで美桜が腕を掴んで、
「様子、見なくていい?」
と言われるまで、何のことだか思い出すこともできなかった。
先に授業を終えた2-Aの教室から陣が足早にやってきて、芝山のところで何やら打合せを始めていた。コソコソと二人、何か話し合い、須川怜依奈がまだ教室から去っていないのを確認してうなずき合っていた。
「あまり堂々と見てるのは……ちょっと」
俺はせめて廊下に出ようと美桜を誘った。が、美桜は立ち止まったまま、二人と須川の様子を凝視している。
「私は気になるわ。彼らがどういう方法をとるのか」
そう言われると、俺だって気にならないわけじゃない。渋々教室の片隅で美桜と様子を覗うことにした。
教室にはまだ半数ほど生徒が残っていて、とてもじゃないがこれから“レグルノーラ”について言い出せるような雰囲気には思えない。芝山と陣は決意したような顔で窓際の須川のところに歩いて行く。その最中でも、女子への挨拶は欠かさない辺り、陣は変なところに抜け目ない。
「珍しいね、陣君がC組に来てるなんて」
「何の用事?」
女子が寄ってくるのはどうやらイケメンの宿命というヤツらしい。
「野暮用。君たち、日が落ちる前にちゃんとお家に帰るんだよ。暗くなったら危険だからね」
同じセリフを俺や芝山が言ったら多分嫌味にしか聞こえないだろうに、陣に言われた女子どもは揃って「はぁ~い」と語尾にハートマークをくっつけて頬を緩めながら手を振って教室から出て行くのだ。やはり顔がいいというのはある種の才能のようだ。
須川怜依奈は教室の入り口付近で立ち止まったままの俺と美桜をギロリと睨み、面白くなさそうな顔をして荷物を片付けていた。余計な荷物は置いておく性分らしく、時間割とバッグの中身を交互に見ては、机の中に教科書やノートを入れている。合皮のバッグは小さめで、確かに何でも詰め込んで持ち歩くのは難しそうだ。何より、細くて小さな須川には、そんなに重い荷物は持てないんじゃないかと、そう思えてしまうほど、か弱く見えた。
「須川さん、ちょっと、いい?」
先に声をかけたのは芝山だった。
須川は顔を上げ、手を止めた。
「話があるんだけど。えっと、彼は……」
芝山が後ろを振り向いて陣に身体を向けると、紹介されるより先に、
「A組の陣郁馬です。須川さんとは図書室で何度か会ったよね。覚えてる?」
陣はホントか嘘か、自分との接点を強調してきた。
須川は首を傾げ、イマイチ思い出せないとアピールしている。
「でも、君は本に夢中で、僕のことなんか見えてなかったみたいだし。知らなくても無理ないよ。僕は君のショートボブが可愛くて、何となく覚えてたんだ。で、少し話したいことがあるんだけど、いいかな」
「……何」
やっと聞き取れるかどうかという声で、須川が答えた。
「場所、変える?」
気を利かせて陣が聞く。
「ここでいいよ。忙しいんだから、手短にしてよね」
授業以外で須川の声をまともに聞いたのは初めてのような気がした。少し低めの、トゲトゲしい声だ。
「これ、もし良かったら、入らない?」
昼間俺に見せたあの紙を、芝山はクリアファイルに入れたまま、須川の前に差し出した。
須川は驚いたように一度身体を反らしたが、渋々クリアファイルを受け取り、無言で読んだ。
「覚え、あるよね」
陣が言うと、
「……ふざけてるの?」
須川はファイルを突き返す。
「馬鹿みたい。私、急いでるから」
帰ろうとスクールバッグを肩にかける須川。
「待って」
陣が手を伸ばし、須川の腕を掴む。咄嗟に須川は手を振り払い、陣を睨み付けた。
しかし、そんなことで怯む陣と芝山ではなかった。
芝山がスッと須川の前に歩み出て前を塞ぐ。
須川は芝山の行動にうろたえ、顔を歪めた。
「話、聞いて。――『並行世界』ってのはつまり、同じような時間の流れがありながら、全く別の次元に存在するもう一つの世界ってこと。それは現実に存在していて、人によっては夢だったり幻覚だったり、そういう意識のまどろみの中で偶々接触できることがあるんだ。思念体と言ったらいいのか、意識だけがその世界に飛んで、まるで夢の中にいるような感覚に陥るけど、そうじゃない。現実に存在してる。知ってるんだろ。“あの世界”の存在を。ボクも、来澄も、“向こう”に行く途中で君を見たんだ。知らないなんて、言わないよな」
“来澄”と俺の名前が出たところで須川は明らかに動揺した。数歩後退って、顔を真っ赤にした。俺の顔を見て、唇を噛みしめてそっぽを向く。
まだ何人か無関係のクラスメイトの残る教室で、芝山の熱弁は浮いていた。芝山をチラチラと見ながら、どうしたんだろうといぶかしげな顔で見つめる男子や、目立たぬ須川にクラス委員とA組のイケメンという妙な組み合わせの男二人が迫っているのを怪訝そうに見つめる女子が数人居る中で、彼らなど目に入らないとばかりに芝山は言いきったのだ。
あちこち半開きの窓から入る生温い風が教室の中を撫でるように通り抜け、校庭を抜けて帰路に就こうとする生徒たちの声を一緒に運んでくる。ジリジリと鳴く蝉の声も、廊下を駆けていくたくさんの足音も、耳には入るが、頭には入ってこない。
俺たち四人は、ただ須川の反応だけに注目していた。
「その中に、どうして芳野さんの名前があるの」
沈黙を破った言葉に、よからぬものを感じた。
「芳野さんはどうして、いつも来澄君と一緒なの」
視界が徐々に黒く染まり始めた。
空気の中に墨汁のような黒いものが、広がってきていた。