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56.ドレグ・ルゴラ

 白い幌で覆われたテントからは、闇夜に浮かび上がるように様々な色の明かりや音が漏れていた。一時的とはいえ、そこで沢山の人々が生き、暮らしている。人影が揺らめき、明かりが瞬く。歌い合い、語り合う声、ときには泣き声もあるけれど、様々な音が聞こえるのは確実にそこに存在しているからだ。

 そんなキャンプの一角を、俺は真っ暗闇のような男と歩く。俺自身、黒のダウンジャケットを羽織っているわけで、人のことを言えた義理じゃないのかも知れないけれど、このキースとか言う男は、芝山からの事前情報通り、上から下まで見事なまでに真っ黒だった。


「あまり時間がないんだ。手短に話がしたいんだけど」


 話せる場所を探しているのか、ズンズン前を進んでいく男に言うと、


「確かに、肝心なところで“向こう”に戻られたら困る。こっちへ」


 彼はわかっているよと片手を軽く上げ、テント群から少し離れた広場へと俺を案内した。森を開いた場所らしく、大きな切り株が点々としている。キースはそこまで来るとゆっくりと立ち止まった。


「こんな所まで来ないと、話せないのか」


 皮肉を込めて言うと彼は振り返り、俺をじっくりと見下ろした。

 テント群から漏れる明かりと、あちらこちらに配置された獣除けの松明の炎だけでは、彼の表情をうかがい知ることは難しい。ただ、氷のような凍てつく気配を漂わせていることだけはよくわかった。

 身震いする。

 嫌な予感しかしない。


「こんな機会が巡ってくるとは、幸運だ」


 彼はぽつり、呟いた。


「何の話だ」


 手のひらには汗。

 ゴクリと唾を飲み、キースを凝視する。


「あの日君が纏っていた空気の違いに、私はもっと早く気付くべきだった。そうすれば、こんな苦労はせずに君と関係を築けていたというのに。実に愚かしい」


 パブで喋ったときと全然印象が違う――。

 本当に俺は、同じ人物を目の前にしているのか。ザワザワッと、背筋を何かが走って行く。


「“キース”っていうのは、本当の名前じゃない、よな? 美幸のときはなんて名乗ってた? あなたの正体は知ってる。かの……竜、なんだろ……?」


 男はククッと喉で笑う。

 細い目を更に細くし、口角を上げた彼は、さも楽しそうに両手を広げて語り出す。


「人間は私を様々な名前で呼ぶ。名前など……、何の必要があろう。“かの竜”“時空の狭間の竜”……、“虚無”“混沌”“絶望”……どの呼び方も、私を畏怖し、遠ざける。が、遙か昔、私を敬愛した人々が呼んだ名だけは、気に入って私も使っているのだ。“偉大なるレグルノーラの竜”――“ドレグ・ルゴラ”。私という個体を呼ぶなら、これが一番相応しい。が、人間どもは恐怖のあまり、その名前さえ口にしないのだ。なんと嘆かわしいことか」


 ドレグ……ル、ゴラ。

 身震いなんてレベルじゃなくて。雷が落ちたような衝撃が、全身を伝う。

 レグルノーラに来るようになってそんなに長いわけじゃない、この世界の歴史なんて微塵もわからない。けれど、目の前のコイツは恐らく俺が出会っちゃ行けない人物で、それは美幸の最期の際にも思ったことなんだけれど、何で……、何でこんなヤバイ竜が俺のことを探して――?

 思わず、後退っていた。

 全身が火照って、喉が渇いて、逃げ出せるならいっそ逃げ出して。そうだ、“向こう”に戻ってしまえば。


「まだ、“戻る”時間じゃない」


 右腕を、握られた。

 眼前に迫るドレグ・ルゴラの深い青色の瞳には、松明の炎が揺らめいている。


「あの日、君の放った一言で、私の魔法陣は書き換えられた。屈辱だ。私は理性を失い、ただの獣と化してしまった。あの日逃がした君を――私はずっと探していたのだよ。異界から来た干渉者、リョウ……!」


 腕が……痛い。千切れそうだ……!

 凄まじい力で握りしめてくる。このままじゃ、筋肉が千切れる。骨が折れる。

 苦痛に顔を歪めると、ドレグ・ルゴラは笑いだし、パッと手を放した。腕をさすり、悶絶する俺の肩をポンポン叩き、


「ゴメン、やり過ぎた」


 と、今度は一転して優しく声をかける。

 わから……ない。何を考えている?


「目的は何だ。俺と出会って、ひねり潰そうと? そんなの、あなたの力をもってすりゃ、簡単なことじゃないか。わざわざ人間に化けて(おさ)言伝(ことづて)し、俺が接触するのを待つなんて、まどろっこしいことをしなくても、俺はちょくちょくこっちに来てるし、見計らって殺せば済むこと。違うか……?」


 腕をさすりながら俺は彼を睨み付けた。いや、実際には上目遣いで必死に見上げたという程度。元来の目つきの悪さがたたったか、ドレグ・ルゴラはまたも喉を鳴らし、不機嫌そうにこちらを見下ろしている。


「殺す必要があるなら、ここに来る前に君を殺していた。君には、働いて貰わなければならない」


「は……働く?」


「私の可愛い“ミオ”は、まだ私の存在を知らない。自分に偉大なる竜の血が流れているとも知らず、日々悪魔と戦っているのだ。最近、“表”にも“悪魔”の影が現れるのだろう。いずれ影は実体化し、この世界と同様に人々を襲うこととなる。そうすれば、ミオは更に戦いに巻き込まれていく。“表”は“こちら”と違い、魔法が発揮しにくい世界だと聞く。君には、ミオの手助けをして貰いたい。彼女が窮地に陥ったときには是非、君が駆けつけ、力を貸して欲しいのだ」


 どういう風の吹き回しだ。

 俺のことを憎んでいるようなことを言いながら、一方で力を貸せとは一体。

 ドレグ・ルゴラは怒りを静めるようにして一息吐き、俺の顔をまじまじと見ながらこう尋ねてきた。


「補助魔法は使えるか」


「補助……いや」


「簡単な話だ。ミオが力を発揮しやすいよう、補助魔法をかけてあげればいい。今の君なら“表”でも“裏”でも自在に“力”が使えるはず。いつも通り魔法陣を宙に浮かべ、文字を刻む。レグルの文字ならば一層良いが、君は書けるか?」


「いや」


「ならば“表”の言語でも構わない。“偉大なる竜よ、血を滾らせよ”と。難しいことではない。単純な魔法だ」


「それ……だけ?」


「至極、単純だ。君ほどの能力の持ち主なら、容易いはずだが」


 確かに、単純だ。単純すぎる。

 が……、真意がわからない以上、簡単に引き受けることはできない。

 この場を切り抜けるためにも、とりあえずわかったとでも返事をするべきか。


「疑っているようだな。無理もない。が……、私はミオを、あの子を愛しているのだ」


「――嘘だ」


 無意識に、言葉にしていた。


「愛しているなら、何で彼女を直接的に助けない。美幸にしたことも、この世界を滅ぼそうとしていることも、俺は知ってる。信じるための材料が全然足りない。協力なんてできない」


 残忍で冷酷な竜が、どんな興味を持って美幸に近づき美桜を産ませたか知らないが、今更のように『愛している』だなんて、よくもそんなこと。


「ミオの一番側に居る君に、是非頼みたいと思ったまで。それを曲解されるのは癪だな」


 ギリギリと歯を鳴らしているうちに、ふと手の中に、柄の感触が。倒したい――、こんな危険な竜、放置していたら大変なことになると、心のどこかで思っていた、それが形になって現れたのだ。

 剣を握り、構える。

 倒せるなんて思っちゃいないけど、抵抗しなければ呑まれてしまう。本能が、そう言っている。


「刃向かう気か」


 ドレグ・ルゴラは肩で笑いだし、そのまま両腕を胸の前で組んで前のめりになった。


「もっと頭のいい男だと思っていたが、残念だ」


 言うやいなや。

 バリバリと布地の裂ける音。

 ドレグ・ルゴラの背から、巨大な白いコウモリ羽が広がった。身体が膨れ、黒い服は跡形もなく千切れ、黒い髪は白く染まり、口は裂け、目は大きく開き――。


 闇夜が、白く染まっていく。


 視界いっぱいに広がる、白。

 木々はなぎ倒され、松明は倒れ、炎が広がる。

 剣なんて構えている場合じゃなくて。

 逃げなきゃいけないのに、俺の足はすっかりすくんでしまって動けなくなって。


「――馬鹿凌! 逃げろ! 聞いてるのか!」


 誰かの声。

 確かに俺は馬鹿だ。

 何に喧嘩を売ったんだ。何を怒らせたんだ。

 誰かが走ってくる。そして伸ばした手で、俺の身体を思いっきり後ろに引っ張って。


「テラ!」


 人間の姿をしたテラが、必死の形相で腕を握っていた。


「過去から戻って、その後どうなったか気がかりだったんだ。やっと(あるじ)の気配を感じて来てみれば、これだ。よりによってドレグ・ルゴラに手を出したか。この大馬鹿者が!」


 竜は更に巨大化していった。空を埋め尽くすのではないかと、そんな錯覚さえしてしまいそうな、おぞましい白がどんどん広がっていく。


「走れ! もっと早く!」


 言われても。足がもつれる。

 屋外の異変に気付いた避難民たちが、次々にテントから這い出してくる。

 あちこちから立ち上る炎。こんな所で騒ぎが起きればどうなるかなんてわかってたはずなのに。もう、防ぎようがない。

 白い巨大な竜に変化(へんげ)したドレグ・ルゴラは、その大きな口をガバッと開けて咆哮した。

 地が震え、テントが軋む。

 転びそうな足を必死に前に進めて、やっとさっきの大きなテントの前に。

 既に大テントの前には能力者たちが集結していて、魔法陣を描き始めていた。何とかしてこのキャンプを守ろうとしているのか。

 テントの屋根屋根の向こうに、巨大な白い竜が鎮座して居るのが見えた。

 俺を……見てる。確実に俺のことを睨み付けている。こんな所に立ってたら、キャンプ自体が消滅してしまう……!


「テラ、同化だ! 早く!」


 とっさに叫ぶ。


「ここでか?」


 チッと舌を鳴らして、だけどテラは直ぐに反応した。

 背中に羽の感触、勢い付けて、飛び上がる。バサバサッと音がして、周囲に風が巻き起こる。少しでも地上から離れて、目標をずらさなければ。

 10メートルほど飛び上がって地面を見ると、人々が目を丸くしてこちらを見ていた。背中の羽が奇妙に映ったに違いない。が、そんなこと、どうだっていい。今はただ、ドレグ・ルゴラの目を、キャンプから逸らすことだけに集中するんだ。

 能力者たちの魔法陣が、次々に発動し、キャンプを守る巨大な結界を作り出す。それが有効かどうかは図りかねるが、少しでも被害が押さえられるなら、それに越したことはないはず。援護すべきか。それとも。

 悩んでいる間に、ドレグ・ルゴラは再び、大きく口を開く。その中心に、火の玉――。徐々に膨らみ、力を蓄えている。あれが、キャンプの中に落ちたら。


『受け止めたら死ぬぞ』


 頭の中でテラが言う。


「わかってるよ。上手く、はじき飛ばす」


 できるものなら、だけど。


『弾く方向を間違えば、街が焼き尽くされる。上空か、それとも砂漠か』


「砂漠には、(おさ)たちが居る」


『なら、答えは出てる。全力で行くぞ』


「勿論」


 握りっぱなしだった剣に、魔法をかける。何の魔法……そうだ、風だ。一振りで火の玉の進路を変えてしまうような、風の魔法を。

 魔法陣をスライドさせる。


 ――“剣よ、炎をかき消す嵐を纏え”


 ドレグ・ルゴラから炎が放たれる。巨大な火の玉が、結界の上を滑るようにして一直線に向かってくる。

 デカい。こんなのを食らったら、確実に死ぬ。

 こんなところで――、こんな所で俺は死ぬわけにはいかない。美桜を守ると、そう約束した。この世界を守ると。救ってみせると。

 足が地に着かない分、腰に力が入らないが。この状況では何を言っても言い訳になる。

 生きなきゃ。

 勝たなきゃ。

 左下から上へ――思いっきり腰を捻りながら剣を振る。途端に激しい嵐が巻き起こる。高速回転して火の玉を弾けばあるいは……と、止まらない。


『魔法剣じゃ弱い。次を』


 頭を切り替えるしかない。

 使えない剣はさっさと消して、魔法ではじき飛ばすしか。

 そんなこと、できるのか。


『シールド魔法を分厚くかけて、反射させろ』


「ラジャ」


 シールド魔法なら何度もやった。確か十年前に飛んだときも、咄嗟にこれで炎を弾いたんだ。あれのもっと強力なヤツを出せば。

 大きめの魔法陣を宙に描く。火の玉が迫る。後は、時間との勝負。


 ――“魔法の盾よ、炎の魔法を弾き、天へ導け”


「これで……、どうだ……ッ!!」


 巨大な魔法の盾。火の玉の直進方向から上に斜め30度程傾け、防ぐ。

 迫り来る炎がシールドの周囲から脇に漏れ、熱風が吹き付けてくる。

 堪えろ、盾。

 魔法を更に注ぎ、シールドをどんどん重ねていく。何重にもなったシールドは、その表面に当たる部分から炎を受けてどんどん壊れていくが、次から次へと現れる新しい表面が必死に魔法を受け、滑らせるようにして炎の玉を何とか上空へと送り出した。

 真っ暗い雲に吸い込まれて消えていく炎。ゴオッと雲に炎が伝い、赤く燃えると、恐怖のあまり人々は叫び声を上げた。


「また、会おうぞ。異界の干渉者、リョウ……」


 言うなり、巨大な白い竜は青白い光に包まれた。

 二度と会うかと、言ってやろうかとも思ったが、そんな言葉出るよりも先に竜は光の粒になって消え去ってしまった。

 地上ではあちこちのテントから出火するのを止めようと、スタッフが必死に駆け回っているのが見える。シールド魔法でキャンプを守っていた能力者たちも、ドレグ・ルゴラの白い竜が消え去ると、消火活動の方に向かっていった。


『完全に、目を付けられたな』


 と、頭の中でテラが言う。


「目を付けられたどころの騒ぎじゃない。いずれ、消される」


 自分で言っておきながら、何と虚しいことか。

 地上に降りて同化を解くと、上空での出来事を必死に見守っていた市民たちがやたらと寄ってきた。ありがとう助かったという声や、君が居なかったらと賞賛する声に混じって、お前がかの竜を導いたのかと罵倒する声もあった。

 だが、俺にはそんな声、まともに耳に入らなかった。

 結局のところ、彼は何故俺に美桜の援助を頼んだのか、真意はわからないまま。

 ただ言えることは、この先“向こう”でも確実に戦いに巻き込まれる可能性が高くなっていくということ。

 これから先、どうなっていくのか。

 考えれば考えるほど、不安が募っていった。


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