48.形勢逆転
側にいるだけで強いと感じる。ディアナは正に、そういう存在だ。静かに佇んでいるだけでも、俺には絶対勝ち目がないと思うし、この世界を統べるだけの力があると全身で訴えてくる。
だが、こんな怒りを纏った彼女は初めてだった。
打ち付けてくる雨をものともせず、ディアナは三角帽子を目深に被って、じっと五人衆の方、とりわけサイモンに向かって睨みをきかせた。杖の先を向け、直ぐにでも魔法を発動させてもいいのだと威嚇しながら。
「ジークが戻って来た。明らかに様子がおかしかったんでね。まさかと思ったが、森の奥に妙な力の波動も感じた。急いで飛んで来たら、こうか。五人衆の肩書きがあれば、全て許されるとでも思ったか」
ディアナの声は、いつになく低かった。聞いているだけで、震えを感じるほどに。
火の滾る蔓の籠をチラッと見やると、ディアナは一層顔を歪ませた。
「……貴様ら、美桜を焼き殺そうとしたな」
ディアナは杖の先をこちらに向け、サッと振って魔法を放った。白色の光を放つ魔法陣が現れたと思った瞬間、火の付いていた巨大な蔓の籠は跡形もなく散り散りに砕け落ちる。
す……凄い。蔓がまるで紙吹雪のように砕けていく。火を消そうと躍起になって雨を大量に降らせるだけになってしまった俺と、全然違う。消し炭になった蔓の残骸が草地に円形をかたどって残るだけで、火の気さえなくなってしまった。
俺とロッド、ラースの間を隔てていたものはすっかりなくなった。
当然、彼らがそれを面白く思うはずなどなかった。
「邪魔が入らなければ、上手くいくはずだった。ディアナ、君の送って寄越した刺客は、案外しぶとかった」
皮肉たっぷりにサイモンが言う。
その刺客というのは、俺のことか。こっちを睨み、ディアナに向き直っている。
「危険因子は早急に排除すべきだ。この世界を守るためにも。我々はそのために動いているに過ぎない。君こそ、直々にこんな所にやってきて、何をするつもりだ。塔の魔女が持ち場を離れるなんて、前代未聞だと思うが」
「非常事態、なのでね」
ディアナは再び杖の先をサイモンに向けた。
「『危険因子は早急に排除すべき』と言うお前の考えには賛同するよ。早急に排除すべきだ。確かにね。放っておいた私が悪いのさ。五人衆の面々がここまで偏った考えに支配されていたとは考えもしなかった。私の責任だ。私自身が、全てを終わらせなければ」
魔法が発動する。魔法陣が現れたか現れないかのうちに、金色のリングが五人の身体をそれぞれ束縛した。
両腕の自由がきかなくなったロッドとラースを横目に、俺は今がチャンスと美桜を抱えて小屋に走った。チッと舌打ちしたのが聞こえたが、気にしている場合ではない。これ以上、美桜を雨に晒したら、低体温で生死をさまよってしまう。
外階段を駆け上がり、開けっ放しの玄関から中に入って、床に小さな美桜を横たえる。毛布でもあれば。暖かな毛布でもあれば包んであげられると、毛足の長い毛布をイメージした途端、手元に感触が。上手くいったらしい。急いで毛布の上に美桜を置き直し、包んでやる。
ついでに暖炉に火が付けば。濡れたままじゃ可哀想だ。ふと暖炉に目をやると、少しだが、火種が残っていた。あれ、さっきまで使ってたか。それとも今暖炉の火をイメージしたことで、着火したのか。わからないが、とにかく早く暖めてやらないと。
毛布でくるんだままの美桜を暖炉の側まで移動し、良しこれでと立ち上がると、
「凌、あとは私が」
深紅の姿になったテラが、美幸を抱きかかえて小屋へ入ってきたところだった。
美幸は意識を失っているようだ。
もう一枚、毛布を。イメージして取り出したそれを、美幸の身体にフワッとかけてやる。心許ないが、少しでも暖まってくれれば。
「黒竜の子は」
「大丈夫、軒下に運んだ」
「了解、あとは頼む」
短い会話を交わし、俺は外へと急いだ。
爆風が周囲の木々を揺らす。小降りになった雨の中に、多数の人影。五人衆とディアナの他に、十人近い能力者の影がある。ディアナの味方らしい。五人衆に向けて様々な魔法を放ったり、肉弾戦を交わしたりしているのが見える。
「凌! 加勢しろ!」
ディアナの声。
サイモンとの一騎打ちか。よりによって一番遠い――が、向かうしかない。
外階段を駆け下りて、びちゃびちゃに濡れた草地を走る。
水を含んだ衣類が重い。鉄の鎧も邪魔だ。いつも通りの、ラフな格好が一番動きやすいに決まってる。美幸に変えて貰った市民服も悪くなかったけど、やっぱりTシャツにジーンズぐらいが性に合ってる。足元だって、こんなブーツじゃなくて、スニーカーの方が軽いし、速く走れる。
いつもの服装を考えているうちに、ふと身体が軽くなった。――できてる。案外簡単に着替えが完了してる。よし、これなら。
思い切り、足を踏み込んだ。
身体が宙に浮く。もう一回、空中で踏み込む。更に高く、跳ね上がる。
眼下で戦う人の群れを確認し、一気に飛び越えていく。
ようやっと、ディアナとその竜の側。ここで急降下、着地。濡れた草に足を取られそうになるが、何とか立ち上がる。
「美幸と美桜は」
「テラが……、じゃなかった。深紅が見てる。大丈夫」
「なら安心だ」
ディアナはニッと小さく笑った。しかし、その笑顔には一分の余裕も感じられなかった。
サイモンの放つ光弾をディアナは真っ正面から受け止める。高速回転した魔法陣が弾をはじき飛ばしたのも束の間、サイモンが長剣を取り出し迫る。ディアナの竜が目を光らせ口から炎を吐くと、サイモンは一瞬怯み、立ち止まった。その隙に、ディアナが次の魔法の準備をする。
「凌、剣を出せ。頼むぞ」
魔法で補助はしてくれそうだ。無言で頷き、扱いやすそうな両手剣をイメージする。装飾のない、シンプルなものがいい。重すぎず軽すぎず、切れ味のいいやつ。
柄の感触、両手で握り、サイモンめがけて駆け出した。
「邪魔するな!」
サイモンの剣が頭上に落ちる。サッと剣で受け止め、払う。正直、剣は苦手だが、今は戦うしか。次々に迫る刃を防ぎながら、隙を狙う。が、そこは流石のサイモン、素人の剣に負けるような動きはしない。
「凌、受け取れ!」
何のことだと一瞬止まる。と、剣が黄色に光っている。俺は魔法なんて使う余裕ないし――ディアナか。つまりは魔法剣に変えてやったと。
「アイアイマム!」
剣を振る、サイモンの剣に当たる。刃先から雷が走り、電流が雨に濡れたサイモンの身体を痺れさせる。ウッと、サイモンはよろめき、次の攻撃が来るまで若干の余裕が生まれた。
炎ならやったことはあるけど、これは。考えたな、ディアナ。
有効とわかれば遠慮する必要はない。剣を振りまくり、少しずつ、サイモンにダメージを与えていく。
限界の体力で、必死に剣を振る。持て、もう少し持ってくれ、俺の身体。
息切れ、動きが遅くなる。これじゃ、意味がない。
サイモンの剣が、頭を掠めた。ヤバイ。サッとかわすが、肩がやられた。左の肩から出血。しまった。防具を外したのがあだとなったか。畜生。
と、身体全体が桃色の光で満たされる。傷が癒やされ、体力の回復していくのがわかる。
回復魔法か。
「サンクス、ディアナ!」
「礼はいい、さっさと続きを!」
「わかってるって」
雷の魔法が切れた。
馬鹿の一つ覚えだが、何度もやった炎の魔法剣。魔法陣をスライドさせて剣を炎で包む。
剣を大きく振って、炎を浴びせると、サイモンはフッと口角を上げた。
「『それなりに強い』か。なるほど。思ったよりも楽しませてくれるじゃないか」
言ってサイモンはギュッと手に力を込めた。
黒い魔法陣が、サイモンの剣の柄から刃先へスライドしていく。
「これでは、どうかな」
根元から徐々に姿を変えていく剣。生き物のようにうねり、ぱっくり口を開けた、鋭い牙を持つ魔獣の剣がそこにあった。おぞましい姿をしたそいつは、まぶたのない目をギョロギョロと動かして、こっちを見た。
来る。
サイモンが剣を振ると、そいつは奇声を上げて俺に牙を向けた。剣先をかわしても、追撃は止まない。剣が黒い炎を吐いてくるのを、間一髪かわす。
なんだこれ。見たときのない武器。ダークサイドというか、なんというか。
「逃げるなよ。リョウと言ったか、お前の血肉を捧げろ」
最悪だ。サイモンの様子が、明らかにおかしい。
身体全体から噴き出す黒いもや。これは、“向こう”で見たのに似ている。
正気を失った北河が纏っていたそれ、教室で見たそれに、ものすごく、似ている。
悪意が形になって現れて来ているとしか思えない。何が彼を、聡明そうな彼をここまで堕としてしまったんだ。
攻撃を受け止めたその剣が、魔獣剣に喰われた。手を離れ、魔獣剣の牙によって粉々に砕かれていく。
ヤバイ。あんなものに斬られでもしたら、一溜まりもない。
背筋が凍る。
ディアナは……、ディアナは何を。
助けを呼ぼうと、振り向く。
「待たせたね。準備はできた」
杖を構え、大きな魔法陣を宙に描いたディアナが、不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「ちょいと時間のかかる魔法でね。どうにかこうにか隙を作って貰わないとならなかった。凌のお陰さ。未来の私が寄越しただけのことはある」
直径2メートル以上ありそうな、大きな魔法陣だった。紫色の光を宿したそれには、びっしりと幾何学模様とレグルの文字が書き込んであった。今まで見たどの魔法陣よりも繊細で、美しい。それはまるで、ディアナの人となりを表しているかのようだ。
「凌、退け」
ディアナに言われ、慌てて後退する。
サイモンは魔獣剣を振り、まだだと歩み寄ってくる。
「これで終わりだ、サイモン。貴様ら、五人衆も」
魔法陣が一層光を帯びた。力強く輝き、草地を照らす。
ドッ……と、地鳴りが響いた。かと思うと、一人、また一人と、五人衆の面々が地に伏していく。散々手こずったバド、最年長のタイラー、それからロッドとラースのコンビも、動きを止め、地面に張り付き、苦しそうにもがいている。サイモンさえ――、魔獣剣を支えにして、必死に堪えてはいるが、一歩も動けず、顔すら上げることはできなくなってしまった。
「重力魔法だ。お前たち五人は、もう動けない。降参しろ」
それまで必死に戦っていた多数の能力者たちは、一斉に手を止めた。
自分たちの力はもう必要ないだろうと、ゆっくりと後退り、五人衆から離れていく。やがて全ての能力者が場を離れ、地に打ち付けられ身動きの取れない彼らを遠くから見守った。
「愚かな行為を反省し、市民のためにまた働く気はあるか。……などと、無粋な質問か。貴様らは私が気に入らないのだったな。黒い肌の女が世界の頂点にいる、それだけでも気に障るのだと聞いたことがある。美幸と美桜のことだってそうだ。竜に見初められた、竜の血を引いた、それが気にくわないのだ。気にくわなければ排除すればいいという考えには反対だね。気にくわないのと危険因子なのとは全然違う。そこを、完全にはき違え、おかしな感情を抱いてしまった貴様らに、今後生きていくことなど許されない」
魔法は更に強まった。五人の身体が、どんどん地面に沈んでいく。サイモンだけが、必死に抵抗し、まだ剣を支えに上半身を支えている。
「わざ……、災いは、かなら、ず、おと、ずれ……る」
声を出すのもやっとだろうに、サイモンはまだ、そんなことを。
「だから、何だというのだ。我々人間に、何ができるというのだ。かの竜の意思は変わらないだろう。それどころか、今回の件で、更に怒りを買うのは必至だ。貴様らの愚行が、レグルノーラを更なる危機へ導いたのだぞ。その責任は、誰が取るというのだ」
ディアナは杖を軽く振った。
雨雲の向こうから、火の付いた大きな石つぶてがいくつも降り注いでくる。それらは地に伏した五人めがけて、集中的に降り注いだ。魔法のつぶては落ちては消え、落ちては消え。凄まじい勢いに為す術もなく、次々に息絶えていく。
それでもサイモンはまだ、生きていた。くたばってたまるかと獣のような目でディアナを睨み付けていた。
「これで……と、思うな、よ。これで、終わったと、思うなよ……!」
最後の力を振り絞ったように叫ぶと、サイモンの力が抜けた。剣の柄がグラッと揺れ、そのまま地面に突っ伏した。
手を離れ、自由になった魔獣剣がギョロリと目玉を回す。ニヤッと嬉しそうに笑った剣が大きな口を開け、サイモンの頭を――。
とても見てはいられなかった。目を伏せ、耳を塞ぐ。
「愚かな。自業自得だ」
ディアナがそう言うのだけは、しっかりと耳にこびり付いた。