4.強硬手段
芳野曰く、レグルノーラというのは想像力がモノを言う世界らしい。
それを知っていたら、あのとき俺はもっと彼女を拒んでいた。まさか彼女も俺が使い物にならない体たらくだとは思いもしなかったからこそ、声をかけたのだろうし。これはお互い不幸だったとしか言いようがない。
毎日芳野と待ち合わせるようになって十日ほど経過したが、彼女は放課後以外は俺を無視しまくった。というよりは、今までと同じように扱った。後ろの席にいる無愛想君程度の扱い。それくらいが、俺も気が楽だった。
芳野は毎日、放課後になると一度教室から出て、それから何食わぬ顔で戻ってくる。どこでどんな用事を足しているのかわからないが、とにかくそういうスタイルだった。彼女が戻ってくる時間を見計らって俺も教室に戻り、誰も居ないのを確認してから“レグルノーラ”に飛ぶ。
絶対に、誰にも見つかってはいけないというのが、暗黙のルール。
もし誰かに見つかったら、面倒どころでは済まされないはずだ。
今日も放課後の教室に芳野が顔を出した。少しだけ待ちぼうけを食らったが、どうせ予定もない。
「行くわよ」
芳野はそう言って自分の席に荷物を置くと、椅子の向きをひっくり返して俺の机に向けて座る。
「手、出して」
何となく、自分から出すのは気恥ずかしくて、彼女が指示してから手をさし出すようにしてる。指が絡まる。芳野の手は今日も柔らかい。
「変なこと考えてるでしょう」
「い、いいや」
芳野がニヤッと笑うので、俺はそっと目線を逸らした。
今日は天気が悪い。曇り空。まるでレグルノーラみたいな、どこまでも続く曇天だ。
西日が差すどころか、薄暗い。こんな日は、本当は早く帰りたいのだが。
「目をつむって」
芳野の指示通り、俺は目をつむる。
「いつものように、力を抜いて。いち……にぃ……」
………‥‥‥・・・・・━━━━━□■
いつもの小路に辿り着くと、芳野はフゥとため息を吐いた。
「ちょっと、場所を変えたいの。時間がないから急いでくれる?」
俺の了承を得ないまま、芳野は走り出した。小路を抜け、大通りへ出る。そこから右に曲がってしばらく行きまた右へ。グルッと回り込む形で、小路の真裏へと連れて行かれる。
「この付近にね、魔物が出るらしくて。市民部隊が見回りして殲滅しているらしいんだけど、単体なら私たち二人でも倒せるかなって」
彼女はサラッと恐ろしい言葉を口にした。
「へ?」
「魔物。モンスター」
ちょっと何が言いたいのかよく分からない。俺は立ち止まって、両手を挙げた。
「無理、無理無理無理無理。あのさ、普通の高校生がだよ。突然魔物と遭遇して何ができるっていうんだよ。頭おかしいの」
最後の言葉に反応し、芳野も足を止める。
「随分な言い方じゃない。あなた、そんな強そうな顔をしておきながら、相当臆病なのね」
……強そうな顔。
強そうなのではなく、目つきが悪いとか、人相悪いとか。オブラートに包んだようだが、大体言いたいことはわかる。要するに、喧嘩っ早そうに見えるわけだ。
顔のことを言われると、どうもカチンとくる。売り言葉に買い言葉ではないが、言っていい言葉と悪い言葉というものがこの世には存在することを、彼女は知らないらしい。
「臆病とは心外だな。どんなものが現れるのか想像も付かないが、どうせ冒険の初めはあれだろ、スライム程度」
ハハンと鼻で笑うと、芳野は俺を完全に見下した。
「不定形生物って結構強いのよ。知らないの? どうせゲームや漫画の知識だろうけど、そんな風に構えてたら、きっと痛い目に遭うわよ」
国民的RPGを揶揄された気もしたが、彼女が言ったことに反論する術はない。スライムというのは単なる喩えであって、つまりは最初から倒せないような強い魔物なんて出てくるわけないよなという、ファンタジーのお約束くらいこの世界にもあるのではあるまいかという希望的観測なのであって。
「前にも言ったけど、武器は自分で“具現化”させるのよ。その場にピッタリ合った武器が何か瞬時に判断して攻撃できるようでなきゃ意味がないんだから。お店で売ってるのを買えばいいなんて思わないでね。レグルノーラには武器屋もなければ防具屋もない。当然、部隊や能力者向けに販路を持つ業者は居るけれど、お金も持たない駆け出しの“干渉者”と取引してくれる人なんかどこにも居ないんだから」
「ってことは、つまり……、丸腰のまま?」
「勘が良くなってきたようね。そう、丸腰で飛び込んで、必要なものをその都度“具現化”させていく。それが“干渉者”の戦闘スタイル」
芳野は不敵に笑った。
サラッと言ってのけたが、それって結構大変なんじゃ……なんて、俺の心配を気にかけることもなく、彼女はまた走って行く。
追いかけないという選択肢もあったかもしれない。けど、こんな所に一人取り残されるのはゴメンだ。本当に魔物なんてモノが存在して、それが突如目の前に現れでもしたら。考えただけで身震いする。ここは、場慣れしている芳野に付いていく方が得策だろう。
それにしても、魔物が出そうな気配など微塵もない。
街には人や車が往来しているし、街道の店にも活気がある。仮にこんな所で魔物が出現したならば相当な被害が出ただろうに、それを警戒する様子も全くないのだが。
――ふいに奇声が上がった。
前方からだ。
「凌、こっち!」
芳野の声が響く。
行かなきゃ。思っていたのに、心臓の鼓動が激しくなって上手く呼吸できず、なかなか前に進めない。
躊躇している間にも、前方から波が引くように人々が押し寄せた。青白い顔、恐怖で引きつった顔、泣きじゃくる顔。魔物の存在がより明瞭になっていく。
こんな中、行くのか。
何の力もないのに、ただ“裏の世界”に来られるようになっただけの俺が、魔物を倒しに?
大勢の人が、ただ立ち尽くすだけの俺の両脇をすり抜けていった。大人も子供も男も女も関係なしに、目の前の恐怖から必死に逃れていた。
足が震える。息が苦しい。
人垣が完全に消えた。俺の視界に芳野と魔物の姿が入ってくる。
芳野の手には、剣。
その奥に、緑色の何か。
「何してるの、凌!」
芳野が叫ぶ。俺はハッとし行こうとしたが、足が……動かない。
うねうねと波打つ緑色の生き物――牛や馬ぐらいの大きさのそれは、交差点の真ん中で、長く伸ばした蔓のような触手を四方に伸ばしていた。ビルの外壁や周囲の車、信号機などに絡みつき道を塞いでいる。本体の前方には目のようなものが光って見えるが、これは一体何という魔物なのか。あまりのおぞましさに俺は完全に打ちのめされてしまっていた。
触手が伸び、芳野を襲う。彼女はそれを、一つずつ丁寧に切り落としていく。
無駄のない動き。華麗に舞う剣先。
しかし、彼女一人では倒しきれないほど、触手は次々に伸びてくる。
「何突っ立ってるの! 剣出して!」
戦いながら、彼女は俺に無茶を言った。
「で、でも」
急にそんなこと。
「でもじゃない。早く!」
早くと言われて早くできたらどれだけ楽か。
右手を見る。この手の中に、剣を、出現させなければ。
どうすればいい? イメージを思い描く? どうやって?
鉛筆すらまともに出せなかったのに?
「凌、避けて!」
顔を上げる。触手が俺に向かって伸びてきている。
足が、動かない。
ダメだ。
咄嗟に左腕で顔を庇う。それがいけなかった。
左腕に触手が絡みつき、俺は勢いよく巻き取られた。身体が宙に浮き、そのまま本体に引き寄せられていく。
「ちょ……、馬鹿凌!」
芳野が叫ぶ。
けど、馬鹿なんて言われたところで、突然現れた敵に俺はどう対処すればよかった。
左腕と胴体がぐるんぐるんに捲かれていた。消防用のホースみたいな太さの頑丈な触手は、とても簡単にほどけそうにない。
「ば、馬鹿って言うな!」
けど、言いたい気持ちはわからないではない。丸腰で突っ立ってりゃ、確かに敵の思うつぼ。捕らえてくださいと言わんばかりの愚かな行為だった。
足が浮く。ジタバタ動いても、触手はびくとも言わない。それどころか、次から次へと触手を伸ばし、更に俺を捕まえようとする。
「剣を出してなぎ払って!」
剣か。結局、剣か。
芳野のより長めの、片手でも扱えそうな細い剣。
唯一解放されていた右手を強く握りしめる。
足元を見ると、魔物の目がギロンとこちらを向いているのがわかった。光る点が二つ、全身を覆う緑色の体毛の隙間から覗いている。目の下には大きい亀裂。三日月型に開いた亀裂の中から、赤いものがチラ見する。べろりんと桃色の細長いものがはみ出して、俺はそれがヤツの口なのだと認識した。
喰われる。
このままだと確実に喰われる。
早く、早くここから逃れなきゃ。
焦りが募る。焦れば焦るほど、集中できなくなっていく。
「“ここ”で死んだら“向こう”でも死ぬ。助かりたいなら本気になって!」
追い打ちをかける芳野。
死ぬ、だなんて。
そんなの、絶対嫌に決まってるだろ――!
――カチリ。
握りしめていたはずの拳に、違和感があった。
金属の擦れるような音がして、俺は恐る恐る、右手に目をやった。
何か……、ある。
細く長い剣。ロングソードとかいう……。
何だこれ。まさか。本当に俺が?
「感傷に浸ってないで、さっさと動く!」
無慈悲な芳野に、俺は自分の置かれた立場を思い出した。
そうだ、俺は今、緑の化け物に喰われそうに。
触手を斬らなきゃ。どうにかしてここから逃れないと。
震える右手。武器なんて持ったことない、重くて、冷たくて。けど、やらなきゃやられる。やるしかない。
無我夢中で剣を振るった。触手を掠める剣。なかなか命中しないのは、足元がフラフラするからか。先に身体に巻き付いた触手を斬ろう。そうすれば、身体が自由になる。
左手に絡みついた触手に目標を定め、思いっきり剣を振り下ろす。ビシッと亀裂が入り、こころなしか締め付けが弱まるように感じる。これなら。同じ箇所を何度も攻撃、徐々に亀裂が広がっていく。
「凌、何してるの?! それじゃ……」
「へ?」
芳野の声に我に返る。同時に、スルリと身体が触手の間をすり抜けていく。
しまった。空中だ。
これじゃ魔物の口の中に真っ逆さま。
「世話が焼ける……!」
芳野が攻撃を止めて武器を放り投げ、両手を突き出したのが見えた。
フッと身体が一度浮き上がるような感覚、そのまま突風が吹き、俺は芳野とは逆の方向へとはじき飛ばされていた。
目をつむる。受け身をとって着地、地面に転がる俺。
かと思うと、まばゆい光が辺りを包み込んでいくのがまぶたの裏から感じられた。次いで、何か大きな音。熱を感じる。何かが燃えさかっている。
頭を抱えて丸まっていた俺は、恐る恐る顔を上げ、辺りを見まわした。
魔物が、燃えている。
触手を辿り、炎が広がっていく。
悶え苦しみ叫び声を上げる魔物と、その奥に見える芳野のシルエット。
一瞬の出来事過ぎて、何が、何だか。
………‥‥‥・・・・・━━━━━■□
目を開ける。芳野の顔が目の前にある。
天気が悪いからか、直ぐにまぶたを開けたとしても目がチカチカすることはなかった。
「出せたじゃない、武器」
薄暗い教室。
芳野はニヤリと笑い、少しだけ首を傾げた。
「何が……、あった?」
足が、震えている。まだ空中にいるみたいに身体が浮いているような感覚がある。
「あなたが食べられそうになったから、魔法を使ったのよ」
「魔法……?」
「そう、魔法。慣れてくれば、あなたにだって魔法くらい簡単に使えるようになるわ」
また芳野は簡単に、根も葉もないことを言う。
あんなにバタバタと動き回り魔法まで使ってたというのに、芳野は息も切らしていなければ、疲れた様子もない。俺とは大違いだ。
「魔女……なの?」
俺は思わず、そんなどうしようもない質問を投げかけていた。
「残念。“干渉者”よ」
芳野はまた、ニヤリと笑った。