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レグルノーラの悪魔〜滅びゆく裏の世界と不遇の救世主〜  作者: 天崎 剣
【11】地の果て

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33.帆船

 気を失い、どれくらい経ったのか――。

 意識と意識の繋ぎ目でしばらく漂っていた。

 夢と現実の間、と言えばいいか。自宅の冷たい床の感触を肌に感じたと思った次の瞬間には、細かい土と砂が口に入り込み、ウッと唾を吐き出したくなり。かと思えば、自宅の前を通り過ぎる車の音が耳に入り、現実に戻ったのかと安堵した瞬間に、自分の身体が誰とも知らぬ複数の人間に持ち上げられたような感覚に襲われる。

 意識を失っても現実には戻れない、戻りきれない。

 ディアナの言うとおり、試練は続いている。

 どうにかして砂漠を抜けなければ、永遠に“向こう”の世界には戻れないらしい。

 とことん、追い詰められる。

 そこまでして俺の力が必要なのか? こんなに非力で、役立たずで、不安定な力なのに。


 帰りたい――……。


 いくらつまらない現実でも。

 後ろ向きな思考で覆われている現実でも。

 そう心から思ってしまうほど、“この世界”は辛く、厳しい。


 “レグルノーラ”とは一体何なんだ。

 どこかの星か。並行世界か。あるいは魔界のような、非現実的異空間なのか。


 苦しみ、足掻いても、どうにもならない。

 ぼんやりした意識の中、俺は自分の置かれた立場にうなされ続けた。





















・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・




















 ゆったりとした振動を背中に感じる。

 車か、電車か。いや。それとも違う、もっと大きな乗り物だ。

 滑らかで大きな揺れは、巨大な揺り籠のようにも思える。

 皮の擦れるような足音がして、続いて人の声。


「オイ、気が付いたようだぞ」


 更に数人の足音。

 じめっとまとわりつく空気に、変な臭い。汗臭い、男臭い、放課後の運動部の部室みたいな、嫌な臭い。

 顔をしかめ、ううっと喉を鳴らす。

 とりあえず、生きてる。生きてるのは間違いない。

 明らかなる生活臭に、妙な実感を得る。

 問題は、目を開けてそこに何があるか、であって――。


(おさ)を呼んで。それから水」


 太い男の声だ。


「兄貴、食い物はどうします」


「バカヤロウ、目覚めにいきなりものを喰わせてどうする。まずはゆっくり体力の回復を待ってからに決まってんだろう。本人が何か喰いたいって言えば、やぁらかいものから胃に流し込んでやらなきゃ、身体がびっくりしちまうだろうが」


「へ、へい」


 兄貴分と子分の軽快なやりとり。

 本当に、ここは、どこだ。

 うっすら目を開けると、無数の人影。なんだこれ。映画? 海賊のような、山賊のような格好の、むさ苦しい男たちが俺の周りを囲っている。茶色を基調とした、麻のような布服。腰に巻いた布ベルトには道具袋と剣の鞘。ターバン頭に生やし放題の濃いヒゲを蓄えた、清潔感のない身なりの連中。


「おお、気が付いたか。大丈夫か」


 兄貴と呼ばれた男が、俺に向かって話しかけてくる。

 真上に覆い被さるようにして、とても綺麗とは言えない脂ぎった顔を向けてくる。分厚い唇からびしゃびしゃと唾が噴き出し、俺は思わず顔を背けた。

 全然、いい目覚めじゃない。

 どうせなら、可愛い女の子か綺麗なお姉さんがよかった。

 まばたきして周囲を見渡す。

 どうやら、どこかの室内だ。木の梁がむき出しの天井。そこにぼろきれがいくつも引っかけてある。壁には布袋が垂れ下がり、長いロープがグルグル巻かれて飾られている。その先っちょには金属のとがったもの。あれは、なんといったか。


(おさ)、早く早く」


 子分が手招きすると、そこに居た人の群れがさっと両脇に引いた。


「こっちです。さっき目覚めたんです」


 背を屈めた子分に案内され、奥から一人の男がゆっくりと近づいてくる。

 汚らしい布をまとった周囲の男共とは一線を画す、綺麗な男。シャンとしたシャツと、長い金髪を後ろにきちっと結わえた頭は、山賊や海賊とはちょっと違う。どこかの騎士のような風格がある。肩に引っかけた丈の短いマントをひらりと払って、男は床に横たわる俺の前で片膝を付いた。


「目が覚めたか」


 男は言いながら、ニヤッと薄ら笑いを向けた。


「砂漠狼どもが血の臭いを嗅ぎつけ、お前の周りを囲っていた。あと少し助け出すのが遅かったら、完全に命を失っていただろうな」


 感謝しろよと言わんばかりに、彼は俺を見下ろしている。

 年の頃、二十代後半から三十前半。周囲のごろつき共よりもずっと若い。どういう経緯で“(おさ)”などと呼ばれるようになったのか気になるくらい、この場にはそぐわない様に思えた。


「ここは?」


 ありがとうと言えばよかった。思いつつ、口から出たのは少しの単語。

 口は思ったよりもずっとカラカラで、声を出すのもやっとだ。


「砂漠の帆船、とでも言えばわかるか? 砂蟲どもがやたら暴れていたからな。もしやと思って舵を切ってみれば、……なるほど。誤って砂漠に迷い込んだのか? それとも、追放されたのか? どちらにせよ、あんなところに一人でいるなんて、餌にしてくれと自分から叫んでいるようなものだ」


 違う、そのどちらでも。ディアナが修行名目で無理やり――なんて、彼らに言ったところで、どうにかなるわけではないだろう。


(おさ)、水持ってきやした」


 さっきの子分が細口の瓶を抱え、走ってくる。

 小汚い、瓶。きちんと洗ってあるのか不安になるような、陶器の瓶。


「身体を起こして」


 (おさ)は腕を俺の首の後ろに回し、ゆっくりと半身を起こさせた。力の入らない身体を(おさ)の腕にゆだね何とか上体を起こすと、(おさ)は2リットルペットボトル大の瓶の口を、俺の顔に寄せた。


「一人で飲めるか」


 俺は無言でうなずき、瓶を手に取る。

 重たい。

 力が入らず零しそうになるのを、(おさ)と兄貴が下から支える。

 意を決して瓶を口につけ、液体を流し込む――。水が口を通って喉へ。喉から食道、それから胃まで、順当に流れていく。

 冷たい。そして、心地いい。


「生き返った、気がしたか?」


 こくり、うなずく。


「それはよかった。しばらく休め。体調が戻ったら、船内は自由に動き回っていい。……にしても、まさかこんな所で“異界の干渉者”に会うとは思ってもみなかった。街がとんでもないことになってきている最中(さなか)こんな所にいるってことは、余程の訳ありか」


「てことは、コイツは“こっち”の住人じゃないってことですかぃ」


 と兄貴。


「まぁ、そうだろうな。恐らくは“遙か天空の彼方”、もしくは“砂漠の外”と呼ばれる世界から、何らかの手段を使って現れるという、“異界の者”。魔法戦の跡があったことを考えると、それなりに術を使いこなしているんだろう。塔の魔女ディアナの手の者か。それとも、“美桜”の……?」


 (おさ)の言葉に、俺は耳を疑った。

 今、確かに、『美桜』と。

 聞き違いか……? 

 目を向けると、彼はまた、ニヤリと不敵な笑みを浮かべている。


「――話がある。船長室で待っている」


 そこまで言うと(おさ)は立ち上がり、クルッときびすを返した。そして、何ごともなかったかのようにざわめく人垣の向こうへ去って行った。





■━■━■━■━■━■━■━■





「にしても、変な名前だな。キスミリョウ……? 女とも男とも付かぬ、妙ちくりんな名だ」


 兄貴分のザイルは首を傾げながら、俺を奥の食堂まで案内する。無骨な背中を追いかけつつ、俺はじっくりと船内を観察していた。

 帆船だと言われて、背中で感じていた揺れの原因に納得した。どういう原理で動いているのかはわからないが、どうやら海原を進むのと同じように、この船は砂の中を進んでいるらしい。砂を掻き分けるサラサラという音が、耳心地良く響いている。

 海賊船のような雰囲気だのに、潮の匂いは全くない。土埃のようなカビのような臭いが、湿気た空気と共に漂っている。


「“来澄”は名字です。ファミリーネーム。下の名は“凌”なので。そう呼んでいただければ」


「そうかい。で、リョウとやら。お前さん、その格好はなんとかならんのかぃ。何とものっぺりとしたその装備で、よくもまぁ、砂漠のど真ん中まで進めたもんだ」


 ザイルの苦笑に、俺も釣られて「ですよね」と呟く。

 外見をコントロールできるようになるには訓練が必要だと美桜に言われてから結構経つ。能力の解放を果たしているハズなんだから、やろうと思えば出来るんだろう。が、そんな余裕、俺にはなかった。


「“干渉者”故の余裕なのかどうか知らんが、俺らの常識から考えたらあり得ないことだね。砂漠は陸竜か、帆船かで移動すると相場が決まってる。でなきゃ、砂蟲やら砂漠狼やらにあっという間にやられちまうからだ。いくら“能力”があるからって、無防備にもほどがある。助かったのは奇跡以外のなにものでもねぇだろうな」


「ですよね」と、俺は深くため息を吐いた。

 助かったのはありがたいが、また妙なことに巻き込まれてしまった。

 居心地は最悪だ。まして船から脱出なんて、出来そうにない。珍客扱いだとしても、しばらくこのまま居座り続けるしかないだろう。

 さっきまで一緒だったテラの気配もない。偉そうな口を叩きながら、アイツ一匹、砂漠から脱出してしまったのだろうか。

 とはいえ、狭い船内、あんな大きな竜が一緒にいられるはずもないわけなのだが。


「ま、腹が減っては何とやらだ。腹ごしらえは大事だ。丁度俺らも飯の時間だしな。コックに何か美味いもんでも作って貰って、その()きっ腹埋めた方がいい」


 ザイルはいわゆる頼れる兄貴ってポジションのようだ。聞いてもないこと、相談しても居ないことにまで細かく配慮してくれる。それが心地いいかどうかは別として、体力をすっかり消耗し、口を開く気力もない自分としてはありがたい。

 通路の奥から、ふわっといい匂いが漂ってくる。

 食堂はどうやらこの先、船の先っぽにあるらしい。

 “こっちの世界”の食べ物は何回か口にした。サーシャと作ったパンやポトフ、カフェのリゾットも、名前は覚えられなかったが、“向こう”とかなり似通っていた。

 そういうこともあって、警戒感はないつもりでいたの、だが……。


「よっ! 今日のオススメは何だぃ」


 食堂の入り口を抜け、ザイルがコックに片手を上げる。

 既に席の半分を、むさ苦しい男どもが占拠していた。とても上品とは言いがたい食い散らかし方で、俺は思わず彼らから目を逸らした。

 森のロッヂを思わせるような木造の机と椅子。ゴツゴツしく、如何にも男の世界的な荒っぽさがどこかしこに表れている。木の板が張り巡らされた壁には大型動物の剥製、毛皮のタペストリー、それから、翼竜を描いた豪快な絵画が飾ってある。動物か魔物の骨がオブジェとしてショーケースに飾られていて、飯を喰おうという雰囲気ではない。

 汚れた白い布を頭に巻いたコックの男は、調理場からカウンターに顔を覗かせ、軽快に答えた。


「今日はサソリの唐揚げ、狼肉のステーキとスープだ。肉は歯ごたえもあって、味もバッチリだぜ。どうする?」


 サソリ……と聞いて、俺は思わず身をすくめた。

 ついさっき、巨大サソリと戦ったばかり。思い出すだけで吐き気がする。

 ザイルはそんな俺の気持ちを知ってか、 


「俺はステーキで構わんが、コイツには腹に優しい粥かスープでも作ってくれないか」


 こっちに親指の先を向けて、クイクイと合図する。


「ん? なんだそいつぁ」


「アレだよ、例の。砂漠で拾った」


「あぁ。どおりで変な格好してるわけだ」


 学校の制服を彼らは一様に変だと言う。こっちからしてみればそっちの方が。


「じゃぁ、緩いの作ってやるよ。暖かいのでいいかぃ、兄ちゃん」


「は……ハァ……」


「良かったな。普段は忙しいからなかなか融通きかんのだぞ、ここのコックは」


 ガハハと下品に笑い、ザイルは空いている席へ俺を引っ張った。本当は端っこの席が良かったのだが、よりによって、食堂のど真ん中だ。

 視線が痛い。希有なものでも見るような……実際そうなのかもしれないが……ジロジロと品定めするような視線に、俺は堪えられず、目を伏せた。


「で、リョウは干渉者ランク的にはどの部類なんだ? A? B?」


 ザイルの妙な質問に、俺はふと顔を上げる。


「なんですか、ランクって」


「なんだ、ランクも知らんのか」


 なんてヤツだと、ザイルは分厚い唇で小さく呟いた。


「すみません。疎くて」


 頭を少し下げると、


「いいんだいいんだ。ランクなんて、あって無いようなもの。戦闘になればランクなんかアテにならないからな。ランクってのは、熟練度、どのくらい凄いことができるのかってことさ。自在に世界を行き来できるか、魔法が使えるか、竜を従えているか。いろいろある。レグルノーラの塔に住むディアナという魔女は、相手の潜在能力を見抜き力を引き出すことの出来るSSランク。大層お美しいと聞いたことがあるが、リョウは会ったことがあるのか」


 ディアナ、と聞いて、身震いする。


「え、ええ。まぁ」


「やっぱり、いい女か」


「だ、だと思いますよ。俺にはよくわかりませんが」


 目を逸らし、ため息を吐いた。

 砂漠を抜けるには、自力か、帆船に助けて貰うかどっちかだと言われたのを思い出していた。砂漠の中では時間の流れが違うという話だったが、本当かどうか。こんなにも長い間“向こう”に戻れないのは初めてだ。“あっち”の自分は今頃どうなっているのか、考えただけでも寒気がする。


「羨ましいねぇ。なにせ、船の中には女がいねぇ。時にものすごく恋しくなるわけよ。女の柔らかい胸と尻が」


 ザイルの言葉に反応して、周囲がどっと湧く。むさい男どもは、そうだそうだと口々に盛り上がり始める。


「最後に女を見てから、どれだけ経つ? 数えてみてもわからんな。なにせ、砂漠じゃ時計の針はまともに動かない。時間なんてあってないようなもの。“時空の狭間”だと(おさ)は言うが、全くその通りなんだからな。俺の女房も子供も、生きているんだか死んでいるんだか知れないし、元の場所に戻ったとしても、その時間の流れに上手く乗り付けられるかどうかわからない。砂漠に入ったら砂漠で死ぬ。そういう覚悟がなくっちゃ、生きてはいけねぇわけだからなぁ」


「――え? ちょ、ちょっと待ってください」


 ざわめきをかき消す勢いで、俺は向かいのザイルに訴えた。


「今、何かおかしいこと、言いませんでしたか。この船に乗れば、砂漠を脱出することが出来るって、そうディアナに」


「へぇ。塔の魔女がそう言ったのか。そいつはびっくりだ。確かに、砂漠を抜けることは可能だが、希望通りの時間軸に戻れるかどうかはわからんなぁ。ここは“表と裏の中間点”。砂漠の出口には時々、時空嵐が現れる。そいつに遭遇すりゃあ、砂漠を抜けた先がどちらなのか、どこに戻れるのか分からない――常に運任せだ」


「は、話が違う」


「そんなこと、こっちに言われたってどうにもならんよ。魔女に言うんだな」


 ガハハッと、ザイルは笑い飛ばした。それが、無性に気に障った。

 愕然とした俺は、相当酷い顔をしていたのだろう。


「ま、砂漠に迷い込んだが最後。帆船に乗っただけでも勝ち組さ。船に乗っていれば、魔物は来ない。結界が張ってあるからな。まずは生きることが先決。目的はいずれ達成できる。この砂漠の先に、本当は何があるのか。それを探しながら、俺たちは自分の家に帰れる日をずっと待ってるんだ。リョウだって、いつか、戻れるさ。きっとな」


 トーンを落とし、ザイルは俺の肩をポンポンと軽く叩いてくる。

 最悪だ――……。

 砂漠に落とされた時点で、俺は自分の帰り道を失っていた。

 いつか、戻れる? 本当なのか。


「気を落とすな。――ホラ、食い物が届いたぞ」


 ザイルの後ろから、コックの手が伸びる。その手には丸い深めの器。湯気の立ったスープの中に、小さな肉切れと、緑の野菜が気持ちよさそうに浮いている。


「狼肉のスープだ。肉はミンチにして丸めてあるから、柔らかいぞ。ダシも出て、最高だ。ホレ、食ってみろ」


 不器用な男たちの優しさが、辛い。

 最初からこの人たちは、俺の行き場所がどこにもないことを知っていたんだ。そして彼ら自身も――どこからともなく砂漠へ迷い込み、どこにも行けずにいる。

 希望の船?

 いや、ここは。

 行き場を失った者たちの集う、迷い子の船だったのだ。

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黄昏のレグルノーラ~災厄の神の子と復活の破壊竜~
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「レグルノーラの悪魔」から20年後のお話です。
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