32.息つく間もなく
魔法陣の真ん中からブワッと光が噴き出し、続いてラグビーボールを平たく潰したような光弾が次々に排出されていく。
なんだこれ。刃こそほとんどないが、俺が思ったよりもずっと光弾が大きい。
放たれた光弾がらせん状の軌道を描き、回転しながらどんどんサソリにぶつかっては弾けていく。
で、できてる。できてるじゃないか。
俺は呆けたように上空から見ていた。
『集中力を切らすな。相手はまだ生きてる』
ハッとして、ブルブルッと首を振る。
そうだった。今は戦闘の真っ最中。
もう一度手に力を込める。光弾を切れ目なく撃ち込んでいく。
突き刺さり貫通していく弾もあるが、ぶつかって周囲の岩に飛んでいく弾も結構ある。目標から外れたら、どんな威力の弾だって意味がない。とにかくサソリめがけ、どんどん撃たないと。
『これだけじゃダメだ。イメージ力が弱くて、装甲を削れるほど光弾に威力がない』
「は?」
『仕方ない。一気に距離を縮めて、剣で斬るぞ』
言ったが早いか動いたが早いか。
背中の羽の動きが急に変わって、滞空から滑空へ。ギュッと凄まじい速さで山肌に突撃していく。
「え、ちょ、待っ……!」
気が付くと地面は直ぐそこに迫っていた。着地のタイミングを見誤った。足がもつれ、ぐるんぐるんとすっ転ぶ。
『体勢を立て直せ』
わかってる。
受け身をとって丸くなった身体を、屈んだ姿勢にもっていく。
いつの間にか、魔法陣は消えていた。
『次は剣。ホラ、相手はこっちの動きを見てる』
顔を上げると、サソリが尾とハサミを振り上げてこちらを睨んでいた。光弾で幾分か傷ついたらしく、黒光りしていた装甲が所々ボロボロとはげ落ち、ハサミは赤黒く変色している。それでもまだまだ体力がありそうだ。あの様子じゃ、もうちょっとどころか結構時間をかけて削らないと……。
『また余計なことを考えてるな。早く剣を出せと言ったのが聞こえなかったか』
そうだった。
手の中に剣をイメージする。アレを倒すには、多分ギザギザの刃の付いた太い剣が。
刃先を想像し、じっと動かないでいると、
『遅い。あっちはもう動いてる』
ガサガサッと、サソリが距離を縮めてきた。ヒュッとハサミが伸びてきて、俺は思わず後ろにのけ反った。
『避けるんじゃなくて、攻撃しろ。装甲と装甲の間に刃を入れ、一気に断つ。それがコイツらの弱点』
装甲の間ってことはつまり、身体の裏側から攻撃しろってことか。弱ったのを見計らい懐に入って突けと、そういうことらしい。最後の最後はやっぱり力仕事、か。
重くなりすぎないような素材でできた剣がいい。でないと、サソリの懐で振り回すのは難しい。思いながら、剣の感覚をイメージする。右手の中に柄の感触。来た。
「てやっ!」
腰を屈め、サソリの間合いに入っていく。ハサミが右から左から振り下ろされるのを避けるも、ビリッとシャツの袖を千切られる。危な……、これが、身体だったら。
それより、今は。
サソリの攻撃をかわし、左へ。狙うのは尾の裏側。
「ここか!」
ノコギリ刃の剣が刺さる。ザクッと音がする。装甲と装甲の間、外殻のつなぎ目は、少しだけ脆い。ブシュッと体液が噴き出し、思わずサッと避ける。
確かサソリは甲殻類っぽいけど、クモの仲間。エビやカニよりも外殻は柔らかく、鳥や動物の餌にもなっていたはずだ。どこぞの国じゃ、唐揚げにして食うんだとか。……“あっち”では。目の前のコイツも、同じだといいんだけど。
突然の攻撃に、サソリはバランスを崩して急旋回した。また正面。高く掲げた尾を振り下ろし、先端の毒針が向かってくる。
『魔法を併用しろ』
そうだった。確かサンドワームのときも、同じように魔法と剣を。
右手に力を込め、燃えさかる炎をイメージする。ノコギリ刃に炎の魔法をまとわせて、そのままぶった斬るんだ。
『剣の根元から先に向け、魔法陣を走らせろ。そこにまた一つずつ、文字を刻む』
また文字か。
――“そこに滾る炎を宿し、敵をぶった斬れ”
安直だが、考え込む余裕はない。
迫る毒針を避けながら、俺は必死に文字を刻んだ。赤く光った魔法陣が根元から刃を撫でるようにスライドし、ついに剣を炎で包むと、竜に変えられたままの右手がにわかに熱くなった。
よし、このまま。
助走を付け、岩を踏み台にして、高く飛び上がる。狙うはサソリの真裏、反り返った尾っぽの付け根。そこさえ斬ってしまえば。
『体重をかけ、一気に』
剣を両手で持ち直し、――振り下ろす。
肉が裂けるような音と、身体中に響くような、はっきりした手応え。
右上から左下に振り下ろした剣の動きと一緒に、サソリの尾が体液を飛ばしながらずり落ちた。
「決まった……!」
歓喜のあまり口に出た言葉を、
『まだハサミがある。油断するな』
テラはピシャッと遮った。
よろめきながらもサソリは体勢を立て直し、ぐるんと正面に向き直った。サソリの奥まった口が、カシャカシャカシャと激しく鳴る。鋭いハサミを地面にこするようにしてブルブル震わせ、そのままズザザと寄ってくる。
『飛べ!』
ハッとして飛び上がる。そのままサソリの背に――、乗れなかった。足を滑らせ転がり落ちる。ヤバイ。受け身をとってクルッと回り、立ち上がろうとしたところに、ハサミがグワッと刃を広げた。
一瞬だった。
気が付いたらもう、ギザギザにとがったハサミで鷲掴みにされ、足をぶらんぶらんさせていた。ハサミが腕と胴体に食い込み、血が大量に噴き出してくる。
右手にあったはずの剣が、ない。
羽になって背中にくっついていたテラの気配も、ない。
嘘だ。
切り落としたはずの尾が再生している。毒針がこっちを向いて光っている。
ハサミで掴んだ獲物を、今まさに神経毒で動けなくさせようと――。
『正気に戻れ! 幻だ!』
声が出ず、呆然とする俺を、テラがどこかで怒鳴った。
――幻?
フッと意識が戻る。
サソリまで距離がある。受け身をとって立ち上がろうとした、その位置だ。
いつの間に幻覚なんて見せられていた? わからない。とにかく、今攻撃しないと、本当にあの幻通りに。
手にはちゃんと、柄の感触があった。
『正面にサソリの鋏角が見えるだろう。その奥を、魔法を込めて目一杯突け』
「きょうかく?」
『口だ、口。そこから内臓に向かって思いっきり剣をぶっ刺してやれ』
「ラジャー」
幻覚のように、ハサミで捕らえられたらシャレにならない。やられる前に、やるしか。
地面を蹴り、サソリの懐に入っていく。小石が擦れ、砂煙が舞う。
右手で強く握った剣に、もう一度魔法を込める。ギュンと刃先が鳴り、炎に包まれる。
腰を落とせ。重心を左に倒し、勢い付けて右手をぐんと伸ばせ。
大丈夫、できる。
イメージを強く持て。
剣を柄ごと全部、サソリの口の中にぶっ込んで、炎を噴射させてやるんだ。身体の中から焼き尽くし、完全に息の根を、――止める。
「焼けろおおぉぉぉ――――!!」
ぶっ込んだ後は、更に魔法陣。今度は左手から。
サソリの顔の真ん前に円陣を描き、文字を書き込んでいく。
――“炎の渦で、敵を焼き尽くせ”
相手がひるんでいるウチに。
左手を突く。魔法陣かららせん状に炎が渦巻いて噴き出していく。そう、コレだ。大体イメージ通りの。
バチバチッと、激しく燃えさかる音。
そして、爆風。
ドンと大きく炎が弾け、サソリが粉々に砕け散った。焼け焦げた肉片がヂリッと砂の上に落ち、こんがりと美味そうな匂いが立ちこめる。
終わった……、何とか、倒した、ぞ。
そう思った瞬間に、ぐぅとお腹が鳴った。
そういえば、何も食べてなかった。
水さえ飲んでなかった。
美桜のマンションで食べたレアチーズケーキと、氷の入ったアイスティー。あれが、最後だ。
あれからどれだけ経ったのか。
頭痛は酷くなる一方で、身体の節々は痛くなるし。
精神力も使い果たすわ、腹は減るわ、喉は渇くわ。
どうしたらいいのか俺にはさっぱり。
止めどなく汗が出て。
息が荒くて。
目の前が歪んで見えて。
あれ、眠気。
意識が。
――『集中力が途切れて一旦“表”に戻る……なんて、砂漠の中じゃできないからね』
じゃあ、このまま、どうなって。
――『“二つの世界”で、命は繋がっている』
――『蟲に喰われ、命を落とすなんて無様な最後、迎えたくはないだろう』
ディアナの声が頭の中に響く。
クラクラする。
熱にやられたのか。
東京の夏より暑くもないのに?
動き回ったからったって、あんまりにも体力なさすぎじゃね?
ぼんやりと遠くを見て、そのままあお向けにドサッと倒れた。
『限界か。まぁ、良くやった方だとは思うが』
テラの声が、空の方から聞こえてきた。
ああ、そうか。戦いが終わったから、俺の身体から離れたんだ。
山肌に寝転がったまま、クイッと首を横にした。
地平線の先で、何かが動いている。四角いはこをいくつも積み上げたようなもの。それが少しずつ大きくなって、近づいてくるのを、俺はただぼうっと見つめていた。