31.初・魔法陣
――重力に任せていた身体が、落下を止めた。
背中で羽ばたく何かを感じる。肩甲骨の辺りに何かある。何かはっきりとはわからないが、胴体と一体化した――。
『私にばっかり頼っていないで、少しは自分で飛ぶことも考えろ。ホラ、鳥が飛ぶイメージだ。自由に木から木へ飛び移るように。そしたら君の体も軽くなって、サソリの攻撃を自在にかわせる』
「ハァ?」
『間の抜けた声を出すな。急がないと、ハサミだけじゃなく、尾っぽの針飛ばして攻撃してくるぞ。アレで刺されりゃ、竜だって一撃だ。わかったら直ぐに動け!』
いきなり、何て難しい注文を。
美桜も相当酷かったが、テラの鬼畜さもかなりのものだ。
飛べって言われても、縦横高さ考えて移動するのは結構大変なんだが。
口で言うだけなら誰だって。
『考えてる間に高度が下がってるぞ。動きを強くイメージするだけでいい。後はこっちでその通り動けるように……って、もしかして君、イメージ能力が極端に欠乏しているのか……? 基本中の基本だぞ。“この世界”で“干渉者”が自在に動き回るため、なくてはならない能力。――まさか、そっちも鍛えつつ、実戦で力を引き出せるようにってことか? ディアナのヤツ、本当に酷い丸投げをしてくれたもんだ……!』
全部、聞こえてるんだけど。
「じゃ、じゃあ、どうしたらいいんだよ!」
言われてることはわかるけど、今の俺には、自分で考えて飛ぶなんて無理。
だがこのままじゃ、負けてしまうのは目に見えている。
『歩くときに手足の動きを考えながら歩く馬鹿はいないだろう? つまりそういうことだ。君は進みたい方向をイメージすれば。……そうだな、それしか方法がない。進みたい方向と、サソリを倒すときの立ち位置だけを考えろ。さっきも言ったが、距離さえとって戦えばなんてことはない』
「ってことは、飛び道具? エネルギー弾みたいのでも撃ち込みゃいいのか?」
『スカスカの弾を撃ち込んだって意味がない。切れ味の鋭い回転刃を大量に投げ込むくらいでないと、恐らくあの装甲は削れないぞ』
「わかった。――サンクス」
ここまで言わないとダメかと、テラは心の中で思っているんだろう。
悪い。でも本当に、イメージするのが苦手なんだ。
美桜にも言われた。
――『今の凌は、“レグルノーラ”でイメージを“具現化”させる力が、圧倒的に弱すぎる』
――『武器や兵器の知識、戦闘における身のこなしの知識を、よりはっきり“イメージ”として脳内に浮かび上がらせるための訓練をするのよ』
どうにかして目の前のサソリを倒すしかない。それこそ訓練だと思って、必死にやってみるしか。
サソリから距離をとろう。少しでも効率よくエネルギー弾を作るためだ。
どのくらい離れたらいい?
この岩山のてっぺんより、少し高いくらいまで上がれるか?
クイッと首を上げると、ふわりと身体がゆっくり浮いた。
ん? つまりそういうことか。
深く考えずに、動きたい場所を具体的にイメージすれば、テラがアシストしてそこまで移動できると。
『よし……。少しぎこちないが、やればできるじゃないか』
一応、褒めてくれたらしい。
距離が開いたからだろうか、サソリはそれまでガチャガチャさせていたハサミを、静かに畳んだ。
「あのさ。このまま倒さずに逃げるってのも、アリ、じゃ、ないか……な?」
しかし、気弱な発言にテラが同意するはずもなく。
『相手は間合いをとっているだけかもしれない。それに、残念ながら逃げたところでまた襲われるだけだ。さっきも言った通り、魔物は一度餌を見つけたら、死ぬまで逃すことはない。君の臭いを覚えていて、砂漠にいる間ずっとつけ回される。その方がいいのなら止めはしないが』
「わ……わかったよ」
要するに、今倒せと。
ディアナはこうなるのを知ってて、俺を砂漠に置いてったわけか。
強制的に俺を追い込んで、とにかく無理やりにでも力を使いこなせるようになるように。
確かに、確かに、だ。ここまで追い込まれれば、億劫でやる気のない俺だって、生き延びるために何とかしようと思うようになる。
心も体も全然休めていないのに、本当にディアナもテラも、全然容赦ない。なさ過ぎる。
岩山を眼下に見る。サソリはどうやら、ゴツゴツした大岩の影から這い出たらしい。辺りにはたくさんの岩、岩、岩。正直、サソリがこの一匹だけなのかどうかも疑わしい。
砂蟲に岩蠍、それから砂漠狼だったか。
この分じゃ、それ以外にもいろんな魔物が生息していそうだ。
砂漠の蟲や獣ってのは、小中学生のときにハマってたRPGだと、いとも簡単に魔法やら剣やらでノックアウトできた言わば雑魚キャラ扱いの魔物だってのに。実物はこんなにデカくてメチャクチャ強い。
知らず知らずに歯が鳴った。
『考えている時間が長い。頭の中で戦うのじゃなく、身体を使え、身体を』
思えば、砂漠に飛ばされてからというもの、トラブル続きで全然水分が摂れなかった。だのに、汗はお構いなしにダラダラと噴き出してくる。手も、足も、変な汗でぐっちょりだ。
「わかってるって……。今、集中してるから」
刃の付いた円盤……、回転刃付きのエネルギー弾……。
イメージしろ、イメージしろ。
目を閉じ、じっと考える。自分の理想の攻撃を。
『“能力解放”済みなら、以前ほど考え込まずとも“力”が発動できるはずだ。さっき砂蟲を倒したときだって、そうだったろう。まずは自分を信じること。その上で、魔法の弾を思い描け』
自分を、信じる、か。
これも苦手で、何度か美桜に叱られた。
自分の力なんて、信じるだけ無駄だと常々思っていた。いろいろありすぎて、確かに信じるしかないような状態になってはきているけど。
……信じなければ力は発動しないと言われたら、頑張るしかない。
砂漠から出ずに死ぬのは、絶対に嫌だからな。何が何でも、生き残らないと。
考えれば考えるほど、明らかに高度が下がっているのが、俺にもわかるようになってきた。早く、早く何とかしなくては。
額に左手をやって、目を閉じ、右の手のひらに力を集中させる。
円盤、丸い光、トゲトゲの刃。
右手の人差し指をツンと上げたら、光の円盤は宙に浮く。勢いよく回転を始め、クルッと手首を捻ったのを合図に――飛んでいく!
シュッと何かが勢いよく動いた音がし、目を開ける。小さな光の弾がカツッとサソリを掠め、地面の小石をいくつか砕いた。
『……今のは、何だ』
テラの、呆れたような声。
考えただけで弾が出たのは、ある意味自分の中では上出来な方だと思うんだが。
「えっとー。多分、攻撃」
ハハッと薄ら笑いして誤魔化した。
ところが困ったことに、今の一撃でサソリは完全に尾を立ててしまった。火に……油を注ぐってのはこういうこと、か……。
集中しようにも、足が地面に着いてないとどうも上手くいかず……だなんて、こんな言いわけテラには通用しそうにない。
『失望って言葉しか出てこない。何と、言ったらいいのか。接近戦の方が緊迫感もあるし、実力が発揮できそうな気もする。降りるか?』
「い、いや! 大丈夫、できる! できます!!」
慌てて否定しようと、声の聞こえる背中を振り向いた途端、シュッと黒い棒状のものが顔の直ぐそばを横切った。
『毒針だ』
まさか。サソリの毒針が飛ぶなんて、反則だろ。アレは突き刺して敵を仕留めるのに使うんじゃ。
太い尾の先から、また黒い針。シュシュッと、数発ずつ、狙いを付けて撃ってくる。
冗談じゃない。こんなものに刺されてたまるか。
右に左に身体を捻って必死に避けた。
つまりアレか。魔法に集中してる間に、高度が下がり、サソリの射程圏内に入ったってことか。
迂闊だった。
『逃げろ、馬鹿!』
「わかってるよ!」
攻撃の隙間を縫って空を見上げ、グッと背伸びする。すーっと身体が高く上がり、ようやくその圏内から脱出すると、サソリはゆっくり臨戦態勢を解除した。
『どうだ、わかったろう。相手は単にこちらの様子を覗っているだけだ。わかったら真面目にやるんだな』
「ああ……、そうする……」
肩で息をして、ダラダラと流れる汗を腕で拭う。
ふと、さっきテラが『刺されれば、竜だって一撃』だと言っていたのを思い出し、身震いした。あんな太いものを際限なく飛ばすだなんて、強敵もいいところ。
『いいか。光弾は連続で撃て。あんなへなちょこ撃つくらいなら、体当たりした方がマシだ』
た、体当たりて。
背中で見えない羽らしき物になっているテラが、俺の意思とは無関係にサソリに突っ込む可能性もある。
『――魔法陣の使い方を、聞いたことは?』
「え?」
やぶから棒に、変なことを。
『初級干渉者なら、普通、魔法陣錬成方法から学ぶものだ。……が、あの“美桜”が指導したからか、君はどうやら魔法陣錬成を覚える課程を省略してしまったようだな。もしかしたら、不安定な力を上手く引き出すには、魔法陣が有効かもしれない』
「魔法……陣?」
今さっき、テラも使っていた、あの円陣のことか。
そういえば、美桜の部屋から武器を転送するとき、彼女も同じようなものを描いていた。
「見たことは……、ある。一応、美桜と一緒に、“向こう”から転送するのをやったけど。あれ、レグルの文字で書いてあっただろ。俺には難しすぎるよ」
何も、切羽詰まった場でやることじゃない。
文字の勉強なら座学が必要だ。操れるようになるのは、恐らくもう少し先――。
『そんな悠長なことを言っていられる状況じゃないと、さっき教えたばかりだ。君は、自分の力の底を見てみたいとは思わないのか』
テラとの会話に気をとられているうちに、また高度が下がった。
サソリがハサミを上げ、小さくステップを踏むように、細かく動いて見える。
慌てて意識的に高度を上げ、フゥと深く息を吐いた。
『魔法陣を錬成し、その中心から光弾を撃ち込めば、命中率も威力も格段に増すはずだ。魔法陣を作りたいところに右手を突き出せ』
み、右手。
こう……か?
手のひらを、サソリに向けて開き、腕を伸ばす。
『方法は至って単純だ。魔法陣の中に書き込む言葉を、何でもいい、頭の中で具体的に唱える。手のひらからその言葉を文字にして引きずり出し、魔法陣に焼き付けていくイメージをする。“こっち”の文字で書き込まなければ反応しない、なんてことはない。要は発動しやすいよう、自分で工夫すればいいのだ。君らの世界の文字でも何ら問題ない。見てくれ云々より、要は発動すればいいのだから』
「わ……わかったような、わからないような。例えば、こう……、決まった呪文とかないの。炎系とか光系とか水系とか……。やったことのあるゲームだと、大抵そういうテンプレがあって、覚えりゃ魔法が発動する仕組みだったんだけど」
『ない。それぞれの“干渉者”や“術者”が、各々のやり方で魔法を使っている。ある者は師匠からの受け売りだったり、ある者は物語から一節を取ったりと、実に様々だ。残念ながら“ここ”は、君の常識とはかけ離れた世界だと思ってくれていい。言うなれば、“自由”なのだ』
「や、やり辛いな」
『いいから動け。君はそうやって、頭で考えてばかりで動かないから埒があかない』
できる……のか、そんなこと。
頭の中でイメージするだけでいいなんて、簡単そうに言うけど。
――ダメだ。また悪いクセが。できるのか、じゃなくて、やってみる、だ。
右腕をそっと左手で支え、意識を集中させる。
背中で羽らしきものが始終動いていて、身体全体が揺れているせいもあり、こうでもしないと力が入りそうにないのだ。
ところで、言葉だ。魔法陣に書き込む言葉。
光の……弾、光の弾を連射しろ。光の弾で、敵を貫け。ギザギザのついた光の弾、光弾で。刃の付いた光弾。刃の光弾、光弾の刃。光弾の刃で、敵を。光弾の刃を連射して、敵を貫け。
「“光弾の刃を連射して、敵を貫け”とか、……アリ?」
『なんでもいい。決まったやり方はない。君の思う通りに』
じゃ……、それだ。
けど、こんなことで本当に、魔法陣が発動、なんて。いいや。考えてばかりじゃなくて、実戦しなくちゃ、何の意味も。
「“光弾の刃を連射して、敵を、貫け”!」
グッと、右手のひらに力を込める。
文字が、今の言葉が文字になって魔法陣に。魔法……あ、アレ?
「テラ、魔法陣、出ない!」
『“力”の入れ方がおかしいんだ。ちょっと貸してみろ』
……貸して?
――ぞわぞわと悪寒が走り、肩から右腕を通り、右手のひらまで、何かが伝っていく。
鱗だ。
金色の竜の鱗が腕に沿って走り、手の甲まで覆っていた。それはそのまま右手を覆って、俺の手を大きな竜の鉤爪に変えてしまった。
あまりの衝撃に言葉を失い、魔法のことなど吹っ飛んでしまう。
『“力”は、血液と一緒に手のひらまで送っていく。手のひらに描いた魔法陣が傘のように広がったら、そこから魔法を撃つ。魔法を出現させるときに力を入れるのは、――ここ』
と、今度は額の真ん中に激痛。
『精神を集中させ、邪念を飛ばす。そしたらどうだ。空っぽの魔法陣が出現しただろう。そこに、さっきの言葉を書き込んでいく』
自分の力なのかどうか。テラの言う通り、呪文の書き込まれていない魔法陣が宙に現れた。まだ色もなく、輝きもない。
さっきの言葉、もう一度。
――“光弾の刃を連射して、敵を、貫け”
頭の中で強く念じる。
『文字を出現させるやり方は、“こっち”じゃ基本だと思え。“能力”を持っている者ならば、さほど造作もなくできるはず。一文字一文字、ゆっくりと頭に思い浮かべ、手のひらから魔法陣に時計回りに書き込んでいく。難しい作業じゃない』
――“光” “弾” “の”
心なしか、身体の奥底から風が吹き出しているような感覚に囚われる。これが“力”なのか。
一つずつ、金色に光る文字が現れては、魔法陣に書き込まれていく。
レグルの文字だったらもう少し格好いいんだろうけど、あいにく、俺にわかるのは日本語くらい。せめて英語だったら、もうちょっと格好が付くのだろうが、多分、普段から使い慣れている言語が一番いいってことなんだろう。
――“刃” “を” “連” “射” “し” “て”
テラの手ほどきがいいのか、彼の言う通り、魔法陣の周囲が文字で埋まっていく。
――“敵” “を”
そうして、どんどん隙間がなくなっていくと、今度は魔法陣そのものが光を帯び始める。金色に光り、どんよりと曇った砂漠を照らす。
魔力が、増幅してきた。
サソリもそれに気付いたのか、ザザザと数歩後ろに下がる。
――“貫” “け”
『目標を見定め、そのまま一気に力を込める。魔法陣の中心から、魔法を放て』
「了解」
押し出すつもりで右手をグッと、少し前に突いた。