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27.歪みと違和感

 七月も、もうすぐ半ば。

 昏睡するにもほどがある。なにが『眠ったように数日過ごす可能性もある』だ。半月以上眠り続けたじゃないか。

 それだけ俺の抵抗力、体力が弱かったってことなのだと今は諦めざるを得ない。だが、まさかそんなに長い時間を棒に振るとは思ってもいなかった。


 母によると、俺が倒れて以降、美桜は毎日のように見舞いに来ていたらしい。


「凌君とは、良いお付き合いをさせていただいています」


 週明け学校に一報を入れると、その日の夕方に美桜はウチを訪れ、俺の両親にそう告げたのだという。

 突然の申し出に困惑しつつも、唯一俺のスマホに残されていた連絡先が彼女だったこともあり、中で少し話でもと、父と母はゆっくり茶を飲みながら美桜と言葉を交わした。俺がまさかあんな美少女と付き合ってることになってるなんて思ってもいなかっただろう両親が、事実を飲み込むまで時間を要したのは言うまでもない。

 入院中見舞いに訪れたのは、彼女だけだったそうだ。

 俺のことを心配してくれるような人間が他にはいなかったってことが、いやしくも証明されてしまった。同時に、美桜の存在は俺の家族の中で大きなものになっていた。

 献身的な美桜の態度に、両親は心を許して付き添いを頼んだ。

 まさか美桜がそんなふうにしているとも知らずに、俺はずっと、ベッドの上で寝息を立てていたことになる。


 あの日、レグルノーラのカフェで機嫌を損ねた美桜と別れてから、いろんなことがあり過ぎた。

 過度な期待を寄せるレグルノーラの連中は、俺のことを救世主だと本気で信じている。

 術をかけられた程度で長い間昏睡するようなヤツに、何を背負わせようとしているのか。あの世界を救いたい気持ちがないわけじゃないが、出鼻をくじく形での“能力解放”に、俺はすっかり打ちのめされそうになっていた。


 目が覚めてもしばらくは体調がかんばしくなく、検査も兼ねて数日間入院を続け、その週末にようやく退院する。

 その間も、美桜は時折姿を見せては差し入れを持ってきたり、着替えを運んでくれたりした。

 いつもよりも少しだけ優しく声をかけ、またねと愛想なく帰っていく。それでも、幾分か心は和らいだ。

 二人の間に“レグルノーラ”というものがなければ、恐らく完全に、恋人同士の会話であり、触れあいであったはずなのに。そう思うと、虚しいような、苦しいような、妙な感覚に襲われる。

 美桜は美桜で、俺のことを気遣ってか、レグルノーラの話は一切しない。ただ、


「体調は」


「どこか痛むの」


 と、それだけ。

 それがまたチクチクと心を刺した。

 どうしても身体と頭が重たいのは、最後まで変わることはなかった。

 徐々に身体を動かし、慣れさせていくしかないのだと担当医は言った。





□━□━□━□━□━□━□━□





 そうして翌週の月曜に久々に登校すると、普段は俺の存在など気に留めないような連中も、俺を見かけるなりザワザワと声を上げた。


「来澄、もう大丈夫なのかよ」


 最初に声をかけてきたのは、峰岸健太だった。


「入院が長引いたから、みんな心配してたんだよ。何はともあれ、退院できて良かったな。無理すんなよ」


「あ……、うん、ありがとな」


 偶に一緒に帰るだけの仲なのに、一応形だけでも心配してくれるのは少し嬉しい。

 以前は良く一緒にいた峰岸も、美桜との騒動があって以来、ほとんど口をきいていなかった。面と向かって話してくれたのは久しぶりだった。

 俺は小さく笑みをこぼして彼に応えると、教室の自分の席に向かった。

 前の席には既に、美桜が座っていた。


「おはよう。いいの? 学校に出てきたりして」


 眼鏡の美桜は予習の手を休め、いつものツンとした表情で、チラッと上目遣いにこちらを確認する。

 病院で泣きじゃくっていた彼女の顔を思い出すと、まるで別人だ。


「まだ少し(だる)いけど、家にいても仕方ないし。出席日数確保しとかないとさ」


 美桜と違って成績に不安がある俺は、恐らく夏休みも補習で拘束される。わかっているからこそ、無理してでも学校に出てくる必要があった。


「無理そうなら、言ってね。後でノートも貸すから」


「お……、おぅ……」


 ツンツンした中にもほんの少し気遣いが見えるのは、俺が倒れていたからだろう。

 態度が普段と違うだけでドキッとする。渇いた喉に思い切り唾を流し込んで、俺はゆっくり自分の席に着いた。





□━□━□━□━□━□━□━□





 久しぶりの学校は、どことなく(よど)んで見えた。

 校舎の中が変なマーブル色だったり、景色が歪んでいたりする。教室では頭痛がするし、怠さとともに襲ってくる吐き気と戦う必要もあった。

 授業中に何度か頭を伏し、


「大丈夫か」


 と教科担任に保健室行きを促されることも。

 だが、肝心の保健室にたどり着けるほどの体力がないときもあり、


「大丈夫です」


 と震えた声で応答して、席に着いたまま眠ってしまったこともあった。

 体重は前より数キロ落ちていたし、目の下のくまも一向に取れない。食欲もなかなか回復しなかったし、どんどん上昇していた真夏の気温にも対応しきれないくらい弱っているのが、自分にもよくわかった。

 退院できただけで、まだまだ身体の調子はおかしいまま。

 以前はできていた“レグルノーラ”への往復も、今は難しい。

 意識を飛ばすどころか、“こっち”で日常生活を送るだけで精一杯。

 これが“能力の解放”をした結果なのだとしたら、俺はあとどのくらいこの苦しみに耐えれば良いのだろう。





□━□━□━□━□━□━□━□





 その日の帰り、頭を抱えながらフラフラと立ち上がった俺の肩を、美桜がそっと叩いた。


「今日、ちょっとウチに寄らない?」


 あれだけ人目を気にしていた美桜が、まだ生徒の残る教室で突然そんなことを口走ったので、俺は思わず耳を疑ってしまった。

 ザワッと遠くで声が上がったが、そんなこと気にも留めない様子で美桜は続ける。


「無理にとは言わないけど、体調も良くないみたいだし、少しウチで休んでいったらどうかなって」


 セリフの中身はさておき、彼女の表情は相変わらず硬い。

 第一、俺の家と美桜のマンションは方向的に学校からは真逆で、“寄る”という表現には似つかわしくない場所だ。それに、とても甘い雰囲気にはなりそうもないことは、何となく察しが付いた。


「いい、けど……」


「けど?」


「いや、その」


 チクチクと周囲の視線が刺さる。

 一番強烈な視線を浴びせていたのは、クラス委員の芝山だ。俺と美桜の妙な噂を信じて騒ぎ立てた彼は、俺たち二人のことを未だ良く思っていないらしかった。教室の入り口近くで丸い眼鏡の縁をクイと上げ、ジットリこっちを睨んでいる。


「何よ。はっきり言ってくれないと、わからないわ」


 美桜には、彼女の背後から浴びせられてくる芝山の視線がわからない。首を傾げ、眉間にシワを寄せて俺を睨む。


「行きましょ? 飯田さんにケーキ頼んであるの」


 場の雰囲気をモノともせず、美桜はぐいっと、俺の手を引いた。


 ――途端に、視界が暗くなる。

 ねっとりした黒いもやが、教室全体に広がっている。


 俺は掴まれた手を引っ込め、目をぱちくりさせながら辺りを見回した。

 何だ? 何が起きた?

 自分の目が、感覚が、おかしいのか? 

 美桜は、


「どうしたの」


 といぶかしげに俺を見ている。

 彼女にも見えない黒いモノが、俺の目にははっきり映っているのだが、コレをどう説明したら良いのか。

 レグルノーラにいたとき、ダークアイの周辺で感じたような黒い気配。

 北河が怒り狂ったときに見えた、黒いもや。

 見えてはいけないモノが見えている。そんな気がして、ブルッと背筋が震えた。

 どこが、発信源だ。

 誰が、俺たちに“悪意”を向けているんだ。

 芝山? 美桜を狙っていた男ども? 帰り支度をしていた女子の群れ?

 いや違う。

 アレは、誰だ。名前……、わからない。思い出せない。

 クラスでも殆ど目立たない、存在感のない、窓際の……。


須川(すかわ)さんが、どうかした?」


 須川。そうだ、須川怜依奈(れいな)。“ぼっち”の俺よりもっと“ぼっち”を極めたような、“ぼっち”の代名詞のような女子。芝山のように直接的な悪意を乗せた視線じゃないが、静かにじっと、こちらを見つめている。

 黒いもやの発信源は、彼……女……? あれ……。

 美桜の顔を一瞬見た後に須川の席に目を向けると、もう既に彼女の姿はそこになかった。それどころか、黒いもやもすっかり晴れていて、いつもの教室の風景に戻っている。


「大丈夫? 顔が青いけど。やっぱり、休んでいった方がいいんじゃないの」


「あ、ああ……。そうするよ……」


 ぽつりとそう答え、俺は彼女に引っ張られるまま、教室を後にした。





□━□━□━□━□━□━□━□





「つまり凌は、須川怜依奈に何かあると?」


 サクッとフォークでケーキを刺しながら、美桜は言った。

 この季節にはピッタリの冷たいレアチーズケーキは、ほんの少し甘酸っぱいレモンの味がした。家政婦の飯田さんは、本当に料理が上手い。アイスティーと一緒にいただきながら、俺はこくりと小さくうなずいた。


「臆測、だけど」


 無理に引っ張ってこられた美桜の部屋は、以前とは違って少し、夏色に模様替えしてあった。

 薄水色のカーテンや、小さな観賞魚のいる水槽など、彼女自身の趣味なのか、飯田さんの趣味なのか、女性らしさをさりげなく演出している。ダイニングテーブルの上にも小さなサボテンが追加されていて、可愛らしい緑の小人が、美味そうにケーキを食う俺たち二人をうらやましそうに眺めているようにも見えた。


「須川さんのことは、確かに私も気になっていたけど、彼女、何を考えているのか全然わからないし、クラスの中に親しそうな人もいないみたいなのよね。私もあまり社交的じゃないから人のことを言えた立場じゃないんだけど、彼女が何かしら秘密を持っていたとしても、私たちがそれに気付かなかったのは、偶然じゃないと思うわ」


 変な気配を感じたと、美桜に言ってみたものの、彼女に同性ならではのネットワークがあるわけでもなく。もっとこう、はっきりした返事を聞けるモノだと思っていたが、期待通りの答えは得られない。


「臭い、しないのか。“干渉者”特有の」


「しないから、反応に困っているのよ」


「そうか……」


 フゥとため息を吐き、俺は一旦フォークを置いて、ゆっくりとアイスティーを喉に流し込んだ。カラカラと氷が心地よく鳴る。


「ところで、体調、どうなの。まだおかしい?」


 空になったグラスにおかわりを注ぎながら、美桜は俺に尋ねた。


「重い夏バテが、ずっと続いてる感じかな。辛さに、慣れてきた。悲しいくらいに」


 ディアナにはあらかじめ、『目覚めた後も、しばらくは自分の身体が自分のモノではない錯覚に陥る可能性がある』と聞かされていた。仕方ないとある程度諦めてはいたのだが、そろそろ限界も近い。


「『黒いモノが見えた』って言ったわね。北河君たちに絡まれたときも、同じことを」


「ああ」


「……他に、なにか変わったことは? 変な色が、他で見えたとか。視覚的な異常を感じたとか」


 美桜は顔を曇らせ、首を傾げて詰め寄ってくる。


「学校で……。そういえば、確かに景色が変な色をしているときはあった。でも、あれは俺の体調がおかしいからで」


「違うと思うわ」


「へ?」


「あの学校には、いくつかの“ゲート”がある。あなた、“ゲート”に近づいたときに、異常を感じてない? 教室で黒いモノを見たってのも、あそこが“ゲート”であることに何か関係があるのかも。――私が、“臭い”で“干渉者”や“悪魔”の気配を感じてるのと同じように、あなたは“色”や“歪み”で気配を感じているんじゃないかしら」


 語気を強める美桜。

 言われてみれば、そんな気もする。美桜の言う通りかもしれない。

 “覚醒”の結果として、“表”でも変なものを見られるようになったのだとしたら。黒いもやは、恐らく“悪意”の一部が形として見えたってことで間違いないだろう。

 美桜のような美少女と付き合っている、それだけで男どもの悪意の標的になるのは理解できるが。

 須川は?

 彼女から立ち上っていたもやの正体は?

 あいにく、彼女に絡んだような記憶は、一切、ないのだが……。


「美桜は?」


「なに?」


「美桜は、須川さんとの間に、なにかトラブル、あった?」


 芝山や北河みたいに、はっきりと言ってくるようなタイプじゃないだけに、何であんな黒いものが出るくらい悪意を持っているのか、はっきりとはわからない。それが、俺と美桜、どちらに向けられていたのかも、現段階じゃさっぱり見当が付かない。


「トラブルもなにも、絡んだことすらないけど? そういう凌こそ、彼女になにかしたんじゃないの」


 カラカラとコップを傾け、氷を鳴らしながら、ジトッと上目遣いに美桜が睨む。


「名前すら思い出せなかったような相手に、俺がなにかするとでも?」


 お返しに俺も眉間にシワ寄せて睨んでやるが、美桜はハァと長く細いため息を吐いて、カクッと肩を落としていた。


「凌は、自分のこと、なにもわかってないのね」


「なんだよ、そういう美桜こそ人のこと言えるのかよ」


 すると美桜は、ワザと目を逸らし、キッチン横の水槽に目をやった。同じように視線を移すと、プクプクと泡の出る浄化装置の周りを、鮮やかな魚たちが優雅に泳いでいるのが見えた。


「あなた、自分が他人からどう思われているのか、考えたこと、あるの」


 なにを言い出すかと思えば、そんなこと。

 考えたことがあるどころか、毎日のように人の顔色を見ながら行動している俺に、なんて質問を。


「あるに決まってんだろ」


 ぶっきらぼうに答える。


「嘘。本当は、なんにも知らないくせに」


 襟元のリボンをくねくねと指でいじり、美桜はまた切なそうに息を吐く。


「前にも言ったじゃない。『嫉妬の対象は私』だって。私があなたと交際してるだなんて、その場しのぎに言ったところから、どんどん状況は悪くなってる。でも、言ったことを後悔しているわけじゃないわ。問題は、私があなたを選んだということ。それが表沙汰になったことで、“裏の世界”を危険に晒してしまったのだということ」


「なにが言いたいんだよ」


 相変わらず、美桜は本題を先に言わない。

 俺が、そんな言い方でわかるわけないってのに。


「言わないとわからないなんて、最低」


「どうせ、最低の人間だよ。だから嫌われてるし、陰口も叩かれる。誰も近づいてこない。美桜だって、俺が“干渉者”じゃなかったら、近づきもしなかったろうに」


「そうやって自分の価値を下げる必要、あるの? 正当に評価される機会がなかっただけで、自分のことを『最低』って決めつけるなんて、単に未熟なだけじゃない。まさか、今でも自分が不要な人間だなんて、思ってやしないわよね? 私やディアナやジークを、あれほど期待させておいて」


 ――遠回しすぎる。イライラする。

 ダンッと、俺は思わず食卓を叩いていた。グラスが揺れて、飛沫が散る。食べ終わったケーキ皿の上で、フォークもカシャンとか弱く鳴った。


「期待……するのは勝手だけど、それに答えられるような(うつわ)かどうかは保障できないし、するだけ無駄かもしれないって、常々。そもそも、俺なんかに期待してどうするんだよ。お前と違って俺には何もない。何の魅力もない、ただのブ男だぞ?」


 震える声で、ずっと我慢していた本音を吐き出した。

 行き場のない怒りと憤り。それから、ズンズン激しくなってくる頭痛。さらに、せっかく胃に入れたばかりのチーズケーキが逆流しそうで、俺は何のためにここに呼ばれたのか、だんだんわからなくなってきていた。

 美桜が俺のことを気遣っていたのは知っている。余計な心配をかけないように、遠回しに遠回しに話してるってこともわかってる。

 だけれど、なんだろう。

 やっぱりこの部屋も“ゲート”に近いからだろうか。

 感情のコントロールがだんだんできなくなって、いつもならなんてことない一つ一つの言葉が、やたらと突き刺さってくる。


「凌、あなた、やっぱり少し、おかしいわよ」


 おかしい?

 なにがどうおかしいのか。


「……もう、この話は止めにしましょう。冷静に話せるようになるまで、凌はレグルノーラに行かない方がいいと思うわ」


 息が苦しい。

 脈も速くなってきている。

 綺麗に見えていた美桜の部屋が、どこか暗く沈んで見えた。

 もやがかっていたりはしないのだが、少し、部屋全体が歪んで見えるのは、頭痛のせいなのだろうか。


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黄昏のレグルノーラ~災厄の神の子と復活の破壊竜~
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「レグルノーラの悪魔」から20年後のお話です。
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