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151.決別の誓い

 長い孤独がゼンを黒く染めたなら、俺がその孤独を埋めてやればいいのではないか。

 俺の考える強引な解決策に面食らったのだろう。長い長い沈黙が続いた。

 ゼンは直ぐに意味を飲み込めない様子で、訝しげに俺を見ている。赤い瞳は透き通っていて、どこかテラに似ている。


「人間と竜の寿命の差ぐらい、俺だって知ってる。それを埋める方法がひとつだけあることも知ってる。それが、竜と人間の同化だ」


 ようやくゼンが反応する。

 大きな身体を少しずつ起こし、白い床の上にしっかりと座り直した。


「お前が入り込んだキースの肉体は、老いてなかった。同化していれば肉体の老化は止まる。この方法なら、少なくとも普通の人間の寿命以上生きることができる。俺もお前と同化して、同じ時を過ごす。いつまでも話相手になって、いつまでも側に居てやることができるようになる」


 拳を握り必死に訴えかけるが、ゼンは話の途中で口元を緩め、鼻で笑いだした。


「……私がそれを望むとでも?」


 誇り高い竜は、簡単に俺の考えを受け入れようとしない。


「私と同化し続けるということは、お前が私となり、私がお前となるということ。お前は約束されているだろう救世主としての未来を失うことになる。私と同化しても、待っているのは破滅の道だ。白い竜を見ただけで、ヤツらは敵だと認識する。確かに私は好き放題暴れまわった。しかし、そうなる以前から、私はずっと理解されなかった。私の鱗の色は、私自身ではどうにもならない。生まれ持ったものを否定され、どれだけの絶望の中で生きてきたのか、お前も私の記憶を見てよく知っているはずだ。例えお前と同化したとしても、私は迫害され、命を狙われ、苦しみ、恨み、また世界を混沌へ導こうとするだろう。それでも、構わないのだな」


 ――ゼンは、驚いたことに俺を気遣っていた。

 何かが変わった。

 自分のことばかりで周囲に目を向けることが一切なかった竜に、何かが起きた。

 俺はブルッと打ち震え、思わず頬と口元を緩ませた。


「ゼン、お前」


「何だ」


 ……名前を、受け入れている。

 もう、大丈夫だ。

 ゼンはもう、ドレグ・ルゴラなんて呼ばれた悪竜じゃない。

 俺は自分の中で何度もうなずいて、喜びを噛みしめた。


「契約しよう。意識を身体に戻して、皆の前で堂々と契約する。反対されるのはわかってる。けれど、そんなことを恐れても、何も始まらない。俺はお前を救いたいと思った。苦しみから解放してやりたいと思った。その気持ちが嘘じゃないことを、しっかりと証明する……!」






 ――パンッと俺は勢いよく両手を合わせた。






 急速に色と音が戻ってきた。

 同時に肌を裂くような冷たさと、全身の倦怠感と痛みまで。

 ずぶ濡れの身体に冷たい風が当たって、熱をどんどん奪っていく。周囲に人の気配がするが、目が未だ開かなくて、何が起きているのか即座にはわからない。

 ただ、いろんな声が耳元で俺の名を呼んでいることだけはよく分かった。

 まだ身体の中には、ゼンの意識がある。俺たちは同化したまま浄化され、一度湖の中に沈んだのか。それを皆が引き上げた。なんとなく、状況は把握できた。

 寒さで震えが止まらない。唇がガタガタと震えていて、手足の感触が殆どない。

 誰かの手が、俺の胸に触れた。ほの温かい。魔法……?


「――生きては、いるようだけどね」


 ディアナの低い声。


「いるようだけど? 何ですか?」


 直ぐ側でローラが尋ねる。


「凌の他に、別の意識が入り込んでいる。かの竜とも違う、金色竜でもない。コレは何だ……?」


 唸るディアナの後方で、今度は美桜の声。


「早く! 早く助けて! 凌が死んじゃう!」


 取り乱す彼女をジークとレオが制止している。


「落ち着いて、美桜。彼なら大丈夫だから。もし彼に何かがあれば、彼と契約した君が卵に戻っているはず。大丈夫、未だ生きてる。今はただ、ちょっと確認が必要なだけで」


「……確かに、邪悪ではないのですが、不思議な力を感じます。これまでの救世主様とはどこか違うような」


 と、この声はモニカ。

 ノエルの相づちも一緒に耳に入る。


「来澄じゃないとしたら、何だ。この期に及んで、偽物だとか言うんじゃないだろうな」


 突っかかるようなシバの声。

 ――ああ、戻って来たんだ。

 あの白い世界から、俺はまた湖へ。

 うっすらと目を開くと、青空があった。雲ひとつない空だ。銀の粒が、未だ幾つか空を浮遊している。

 俺は全身傷だらけで、息をしているのがやっとだった。

 視界の端っこにディアナの赤い服が見えた。相変わらず情熱的な女性だ。俺の、憧れの人。


「……本物」


 俺がボソリと呟くと、一斉に皆が俺の視界に入ってきた。


「本物だよ。正真正銘の来澄凌」


 まともに相手に聞こえたのかどうか。ろれつが回っている自信がなくて、俺は言葉を付け足した。


「……お前は“表”でそう嘘を吐いて、私たちに取り入った。にわかに信じられるはずがない」


 そういえば、そうだった。

 俺の意識が飛んでいる間に、ヤツはディアナたちを騙して。

 疑心暗鬼になるのはどうしようもない。

 俺が痛みと寒さに耐えながらゆっくり身体を起こすと、皆警戒して数歩遠のいた。視界に入った自分の手は人間のものだったし、擦った頭に突起物はなかった。ただ、着ていたのは真っ黒い服。ヤツが船上に現れたときのそれだった。

 これが原因か。

 けど、今はそんなのどうだっていい。

 震える身体でどうにか踏ん張り、ゆっくりと立ち上がる。立ちくらみ、一瞬視界が暗くなる。頭を振って目を凝らすと、不安そうな仲間たちの顔が見えた。


「ゼン、一度同化を解くぞ」


 腹の底にギュッと力を入れ、身体の中からゼンを追い出す。身体がフッと軽くなり、俺の身体とゼンの身体が分離した。ゼンは、俺の直ぐ後ろに立ち、長い首を俺の前まで出して、人間たちの様子をつぶさに観察し始めていた。


「し……、白い竜!」


「かの竜か!」


「ドレグ……」


 正常な反応だ。

 今まで起きてきたことを考えれば、何の矛盾もない。

 俺は白い竜の首に手を回し、ゆっくりと下顎を撫でた。それを見て、益々皆ざわついてしまう。……只一人、美桜を除いては。


「凌、その竜はまさか」


 恐怖とはまた違う、別の感情を抱いたような彼女の顔は、何とも印象的だった。

 俺は強くうなずき、


「そのまさか、だよ。小さくはなったけど、あの竜に違いない。君の母・美幸が愛した白い竜。君の父親。かつて破壊竜と呼ばれた、あの」


「――かつて、ではない。ヤツは間違いなく、今もそう呼ばれている。名前を呼ぶのも恐ろしい、ドレグ・ルゴラを、何故お前は従えているのだ……!」


 一番最初に反応したのは、やはりディアナだった。

 右手に構えた杖の先に、既に魔法陣を展開していた。聖なる光の魔法陣には、“破壊竜を葬れ“と走り書きされている。彼女の魔法は素早い。かき消すか、弾くか。いや、この魔法はしっかり受け止めなければならない。

 俺の考えを感じ取ったのか、ゼンは微動だにせずディアナを直視し、迫り来る魔法を直接浴びた。銀色の光が白い身体を突き抜けるが、予想に反して何の反応もない。要するに、全く効かなかった。


「ど、どういうことだ……?」


 誰もが目を白黒させ、互いに顔を見合っている。

 つまり、そういうこと。


「破壊竜はもう、存在しない」


 ザワッと声が上がる。

 まるで意味がわからない。そういう顔で溢れている。


「魔法で浄化する前、湖の水はタールみたいな黒い液体だった。それは二つの世界から溢れた黒い感情が徐々に蓄積されたもの。誰かを恨んだり、憎んだり、罵ったり、傷つけたりして黒くなった水が、孤独で満たされた白い竜を破壊竜に変えてしまった。つまり、二つの世界の黒い感情が破壊竜を作り上げた。元々は、こんなにも美しい白い竜だった。黒の呪縛から解放されたこの竜はもう、“ドレグ・ルゴラ”じゃない。そんな悪の称号めいたものはもう、必要としていない」


「しかし」


 と、誰かが言った。

 彼らには、あの白い空間での俺とゼンの話なんか理解できるわけがない。長い同化によって培われた例えようのない感情を説明しても、素直に受け止めてもらえるか自信もない。考えの違う人間はごまんといる。けど、それはそれできちんと受け止めなければならない。俺に彼らを否定する権利はない。

 だからこそ、こうしたことを切り出すのには勇気が要る。

 拒まれる前提で、俺は言う。



「彼は“ゼン”。これから俺の竜になる」



 氷と水の空間に、俺の声はやけに響いた。

 時間が全部止まったみたいに、皆が俺とゼンを見ていた。絶望を湛えたような、驚愕で頭を白くさせたような。顔を手で覆い、武器を落とし、口を開け、頭を抱え。


「狂っ……た……」


 シバがこの世の終わりのような顔で俺を見ていた。


「来澄、お前とうとう狂って」


 そう思うのが妥当だ。

 これまでの経緯を考えれば、こんな結論には至らないだろうから。

 だけど。


「残念ながら、狂ってない。正常だ。要するに、殺すべきだと。それも分かってる。ここで残酷な事実を言うなら、俺は、俺たち人類は、恐らくこの白い竜を倒すことができない。魔法もまともに通じない、武器兵器も魔法で跳ね返す。何より賢く、(したた)かだ。倒すことができないのだとしたら、三百年前と同じように封印するか? そしたらまた同じ結果になる。膨れ上がった黒い感情がまたゼンを破壊竜に変える。その頃に俺はもう居ない。じゃあ、次に誰がゼンを止める? また救世主たる干渉者が現れるのを待つのか? そんなの、問題を先送りするだけだ。そんなことをするくらいなら、俺が今、全部の苦しみを引き受けた方がマシだ……!」


 俺が思いの丈を喋ってる最中にもかかわらず、シバは氷の上をずんずん歩いて向かって来た。セリフの最後に到達する頃には眼前に居て、端正な顔を歪ませて拳を握りしめていた。音もないまま、シバの拳が頰に当たる。俺の身体がよろけると、シバはそのまま俺を氷上に叩きつけた。


「来澄、貴様、自分が何を言っているのかわかって……!」


 胸倉を掴み、俺の腹に馬乗りになって、シバは叫んだ。


「泣いてる……?」


 ボソッと呟くと、シバは顔を真っ赤にして、また殴ってくる。けど、力なんて入ってない。震えた拳はやがて殴るのをやめ、そのままシバの身体が俺の上に崩れた。


「戻らない、つもりか……」


 シバはしゃくり上げながら、小さく言った。


「戻る場所なんかもう、何処にもない」


 胸倉を掴む手が、離れた。


「美桜はどうする気だ。契約、したんじゃないのか」


「契約件数に上限があるなんて話は聞かないな」


「美桜も、その竜も、全部自分がどうにかするって? 事前に相談は? なんで勝手に全部決める? 私たちが信用ならないとでも? 私たちは、お前を追い詰めるために戦って来たわけじゃない。なのに、なんで」


 シバの身体をゆっくりと起こし、俺も一緒に起き上がって、彼の肩をさする。よく見ると、マントは千切れ、服もあちこち破れていた。切り傷や擦り傷があちこちにできていて、長い金髪はボサボサだった。


「頼みがある」


 俺はシバにだけ聞こえるように、小さく言った。


「もし、ゼンがまた黒く染まりそうになったり、俺がゼンを制御できなくなったりしたら、遠慮なく俺を殺してくれ」


「――え?」


「俺が死ねば、俺と契約した竜は卵に還る。半竜の美桜についてはわからないが、それが恐らく、ヤツを封じる唯一の手段」


「来澄、お前……」


「だから言ったろ? 狂ってない」


「じゃ、その竜はこのことを?」


「賢い竜だ。卵に還ることは理解してる。契約の条件は、俺との同化だ。常態的な同化で、俺の肉体の老化を遅らせる。ゼンには話し相手が要る。俺が、生涯をかけて全うする。それに、竜は人間と契約すれば、性格を(あるじ)に依存する。以前の俺だったらどうかわからないけど、今の俺なら、ゼンの性格が少しは穏やかになるような気が、しないか……?」


 会話を進めれば進める程、シバは涙を流した。

 俺の決意が上辺だけじゃなくて、本物だと、ようやく信じてくれたらしい。


「須川さんには、なんで言えばいい? “表”で飯田さんと私の本体を守りながら待ってくれている」


 何故か俺のことを好いてくれて、一緒にいるために戦うことを選んだ彼女にも、確かに知る権利がある。彼女は俺の気持ちが自分には向かないことをわかっていて、それでもついて来てくれた。大切な人のひとり。


「これから俺がどうなるのか、契約してみないとわからない。もし俺が、自分の力で何も伝えることができない状況なら、ありのままを、お前の口から伝えてくれよな」


 最後に一回、トンとシバの背中を叩いて、俺はすっくと立ち上がった。

 項垂れるシバを尻目に、俺はディアナやローラたちのいる方に目をやった。レグルノーラを支える、支えてきた塔の魔女たちは、複雑な顔で俺を見つめている。

 会話を聞いていたのかもしれない。だから泣きそうな顔をしているのかも。


「ゴメン」


 俺は頭を深々と下げ、精一杯の気持ちを伝える。

 ゆっくり顔を上げると、不安から悲しみに表情を変えた仲間たちが、揃って俺の方を向いていた。


「止めても、無駄なんだろ?」


 何かを悟ったように、物悲しく話すノエル。

 俺は、無言でうなずく。


「救世主様がお決めになったことですもの。大丈夫、全ては上手くいく。そう、信じます」


 モニカは気丈な言葉を口にしながらも、顔は涙でグチャグチャだった。


「君が全てを受け止める必要はない。それは皆も思ってる。それでも……、君は、決めたんだな」


 ジークはそう言って、目を細めた。


「命を懸けてまで、二つの世界を守ろうとする。その強さは、どこから来るんだ」


 そう首を傾げたのはレオだった。ルークとジョー、ケイト、エリーも、レオの言葉に同調し、何度もうなずいている。


「それはさ」


 俺は一呼吸置いて、噛みしめるように次の言葉を紡いだ。



「信じてくれる、人がいるからだ」



 頬が緩み、目頭が熱くなる。

 涙が出そうになるのを必死に堪えながら、俺は言葉を続ける。


「誰も信じることのできなかった俺を、支えてくれる仲間がいて。絶対に力を秘めていると必死に引き出そうとしてくれた人がいて。どんなに苦しくても励ましてくれる人がいて。信じる力が強さになる、そういう世界だったからこそ、俺は自分を信じることができるようになった。それは同時に、誰かを信じ、誰かを愛し、誰かを救いたいという気持ちに繋がっていった。俺は、この世界に救われたんだ。だからこそ、命を懸けてこの世界を守りたいと思った。……ディアナ、俺にかけた呪いは、解けてないよな?」


「呪い?」


 とディアナは何かを忘れているような顔をする。


「ホラ、例の。レグルノーラを裏切るようなことがあれば死ぬってアレ」


「……ああ、アレか。ああ、解いてない。だから、お前の気持ちが揺るぎないことはちゃんとわかっていた。けれど、お前はそれでいいのか。美桜はどうなる。お前と契約した美桜は」


「美桜は……」


 目をやると、半竜の彼女は放心状態で、焦点定まらぬまま立ち尽くしている。


「勿論、忘れているわけじゃない。美桜も、ゼンも、俺の大切な竜だ。何かを得るために何かを失うなんて、ナンセンスだろ。俺は、全部守る」


 そう言って、無理やり口角を上げると、ディアナは、


「救いようのない」


 と小さく言った。


「お前はそう言いながら、大きなモノを失っていることから目を背けている。わかるか? お前は自分の平穏な日常を、これから長く続くだろう静かな日々を、全部失おうとしているのだ」


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黄昏のレグルノーラ~災厄の神の子と復活の破壊竜~
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「レグルノーラの悪魔」から20年後のお話です。
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