142.船出
遙か砂漠の果ての空はどす黒い雲で覆われ、砂漠から立ち上る白い砂煙が揺らいでいた。いつだったか、その砂煙が白い竜の姿に見えたことがあった。まるで挑発するかのようなその幻影にまんまと踊らされ、俺たちは長い長い苦しみの時を過ごした。
白亜の竜ドレグ・ルゴラとは何者なのか。
未だ答えは出ない。
どうやら気の遠くなるほど昔から生きていて、全てを恨み、苦しみ、世界を弄ぶ存在だということくらいしかわからない。
自然界には存在しないという白い鱗の竜は、その出自さえ不明瞭で、彼自身、己とは何かをずっと問い続けていたのではないかと、記憶に触れて感じた程度。生まれてこの方、誰かと心を交わしたことはなく、誰かを愛したこともない。幸福という言葉の欠片すら感じたことのない孤独な竜だ。だがそれを理由に破壊行為に走るのを、このまま許しておくわけにはいかないのだ。
竜玉を使って増幅されたローラの転移魔法により、船は光を帯びた。甲板の上でローラは俺の額を指で触れ、位置情報を探っていく。頭の中から脳みそが引っ張られるような妙な感覚に堪えていると、彼女は「あった」と小さく呟いた。
「転移を開始します」
彼女の声と共に辺りが白み、色を失っていく。
甲板に出ていた何人かの乗組員は口々に驚きの声を上げるが、その声さえ粉々に砕けて聞こえなくなっていった。
一晩眠り、全回復した魔力。竜石の増幅を考えたとしても、その正確さや技術力の高さまでには効果は及ばないだろう。要するに、ローラの一見無謀にも思える作戦を再現させてしまう能力というのは、やはり塔の魔女に任ぜられるべきだったと言える。
彼女は俺がそんなことを思ってるのを知ってか知らずか、溶けていく景色の中で誇らしげに口角を上げていた。
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生温く、生臭い風。
肌に絡みつくような居心地悪い空気。
胃から朝飯が逆流してきそうな不快な臭いにやられて、一瞬気が遠くなる。
船縁に寄りかかり、体勢を整えて船外に目を向けると、足元から吹き上がる風に細かい砂が巻き上げられ、空へ空へと上っていくのが見えた。白い地平線がふと途絶え、砂が真っ黒な空間に滝のように零れ落ちている。
地の果て。
文字通り、そこは大地の途切れ。
レグルノーラという平面世界の終わり。
激しい風に煽られ、船はグラングランと揺れた。まるで安い遊園地の壊れたアトラクションのような変な揺れ方だ。
「船は動かした方が?」
声の方を向くと、甲板の上でシバとローラが話し合っていた。
「もう少し待ってくださるかしら。あと一つ、魔法を使うから」
揺れる船体に気分を悪くしている俺と違って、二人は全く動じる気配すら見せない。ルークも涼しい顔で俺の直ぐ側に立っている。
よく酔わないよな。胸を擦ってどうにか落ち着こうとして、ふと、もしかして昨晩舐めた酒が未だ身体に残っているからではないかと頭に浮かぶ。シバに比べれば大した量は飲んでいなかったはずだが、アルコール濃度は高かった。酒なんて飲んだことがなかったから、身体がびっくりしたのかもしれない。……なんて、一人だけ船の揺れに堪えられない理由にはならないか。
甲板の上に濃い緑色の魔法陣が描き出される。ローラの描く美しい魔法陣の文様に見とれていると、強い光の中にシルエットが幾つも浮かび上がってきた。
召喚魔法。
彼女の求めに応じた能力者たちが、次々に姿を現していく。年も性別も格好もバラバラな大人たち。その中には、見覚えのある顔も――。
「レオ……! ジョー。それに、ケイトも……!」
彼らはルークと共に学校で戦ってくれた仲間だ。
まともに礼も言えないまま、俺は竜化して大穴に飛び込み、そのまま会うこともないと思っていた。
「救世主様、私も一緒に戦わせてください」
そう言って一団の中から歩み出たのは第二部隊の生き残り、エリーだった。少し恥ずかしそうにはにかむ顔に、俺の胸はじわじわと熱くなっていく。
他にも見慣れた顔がある。確か彼は塔で何度か接触している。彼女は協会の鑑定士。市民部隊で何度か会った彼。名前は知らないが、レグルノーラで世話になったいろんな人たちが、この窮地に力を貸してくれる。これって、なんて、なんて素晴らしい……!
「全部で十名。結構集まったわね。ありがとう、私の急な呼びかけに応えてくださった皆さんに、まずは感謝申し上げますわ」
スカートの裾を摘まみ、ローラが軽く挨拶する。
「正直、人数なんて集まらないと思っていました。砂漠の果てだなんて恐ろしい場所に招集されるんですもの、私だったら断るわって。でも、こうして集まってくれた皆さんと……リョウの顔を見て思ったの。皆、リョウに惹かれたのね」
彼女の言葉に応え、招集された能力者たちが相づちを打つ。
彼らの、眼差しが温かい。
俺は今までただ必死に突っ走ってきただけなのに。
『惹かれた』って何だ。そんな恥ずかしい言葉、よくも真顔で。
「あら……、リョウ、泣いていますの?」
言われてハッとする。耳が熱い。目には涙が浮かんでいる。
「ち、違っ! 砂が目に」
慌てて涙を拭うが、これじゃまるで明らかに誤魔化してるってバレバレで。
多分、鼻も目も赤い。
俺は気恥ずかしいのを我慢して、ゆっくりと顔を上げた。
甲板には招集された十人の他にも、帆船の乗組員が数人居る。生憎、人の名前を覚えるのが苦手で、全員の名前が分からないのが申し訳ないけれど、その誰もが、大切な大切な仲間なのだ。
「……ありがとう。最悪の現場だけど、最高の気分だ。今まで、どんなに必死に頑張ってもできなかったことが、今日ならできる気がする。手を貸して欲しい」
「勿論」
一際大きな声でレオが言った。
「いちいちそういう宣言は要らない。さっさと始めよう」
赤毛のジョーが言うと、ローラはうんうんと頷いて、自分に集中するよう、皆に手で合図した。
「これからのことですけれど」
ローラは皆に目配せし、ゆっくりと全体を見回した。
透き通るような彼女の声に、一同はじっくりと耳を傾ける。
「今から、大地の縁に向けて船を動かしていただきます」
「――大地の縁に? 船を落とす気か!」
慌てたのはシバと乗組員たち。シバに至っては、ローラの直ぐ隣で、握りこぶしを作っている。
「長、話は最後まで聞いてください。大地の縁まで行きましたら、そのまま船を宙に浮かせて走らせ、その下にあるという黒い湖に着水させていただきますわ。その後、湖上で浄化魔法を発動させます。船は大きいですし、宙に浮かせるのは私一人ではとても難しいことです。ですが、竜玉と皆さんの力を使えば、恐らく容易いのではと」
ローラはあくまでも淡々と語る。
この内容が、どれだけ無謀でどれだけ恐ろしいことなのか、察せられないようにだろうか。
ブルブルッと身震いしたあと、俺は右手を半分だけ挙げて、
「ちょっといいかな」
と口を挟んだ。
「着水するということは、黒い湖の中に飛び込むのと同じ。危険すぎないか」
「危険が及ぶ前に魔法を発動させれば良いだけのこと。私が魔法の精度を調整します。皆さんは、竜玉に力を注いでくださればそれで。大丈夫です。できると信じたら、できるのですよ」
ニッコリと屈託ない笑顔を見せるローラ。この自信はどこからくるのだろう。けれど、不思議と嫌味は感じない。それが彼女の愛される由縁なのだろうか。
「何ごともやってみなければわからない。確かにその通りだ」とシバ。
「船は元々水面を走るモノ。このシチュエーションで断る方が不自然だ。わかった。船を出そう。――準備にかかれ!」
「オオォー!」
低い声が遠くからして、バタバタと乗組員の男たちが動き始めた。碇を上げ、帆をピンと張り、マストに上って周囲を見渡す。頭上から合図を受けると、シバは一人船長室へ向かった。船を動かす魔法を発動させるためだ。
最初にガタンと大きめの音。それから、ズズズズと砂と砂が擦れるような音がして、船体が少しずつ前に進み始めた。この船の原動力はシバの魔法。乗組員はあくまでその補助をしているに過ぎない。
船は少しずつスピードを上げた。
ローラは船首へ向かう。俺たちも彼女に続いて移動する。船縁から外を覗くと、徐々に地面の途切れが迫っているのがハッキリと見えた。あの先には本当に何もない。真っ二つに折れて崩れ落ちた帆船を目の当たりにしていた俺は、思わずブルッと身体を震わせる。
船首に辿り着いたローラは、クルッとこちらに向き直り、
「合図をしたら、竜玉に力を注いでいただきます」
と皆に声をかけた。
俺は彼女の元まで歩み寄って、道具袋から竜玉を取り出し、そっと手渡した。ありがとうと受け取るローラ。透明なガラス玉は、彼女に渉った途端、淡い光を放ち始める。
甲板の上に、ローラは魔法陣が描いていった。細かな文様を一緒に収めたその中に、文字が刻まれていく。
――“砂漠を走る帆船よ、宙を駆け、広大なる湖へと身を委ねよ”
詩のような文字列が緑色の光を帯びると、ローラはその中心部へと竜玉を手にしたまま進んでいった。両手に抱えた竜石を高く掲げ、
「今です、力を!」
彼女の言葉を合図に、それぞれがそれぞれの方法で力を注いでいく。
魔力は光の筋となり、魔法陣の中心へと集まっていった。補助魔法の柔らかな緑色の光が竜玉を最大限に光らせると、そこから四方八方に光が拡散し、帆船全体を包みこんだ。
「地平線が途切れる!」
マストの上から声がして、俺たちは覚悟を決めた。
「大丈夫です。船はこのまま進み続けます」
ローラは強気だ。
再び船首へと戻り、左手に竜玉を抱えたまま右手を高く掲げる。
「飛んで!」
一瞬、グラリと大きく前方に船が大きく傾いた。樽やロープ、木箱が雪崩のように船尾からずり落ちて、何人かの身体に激突する。けれど今はそんなのに構っている場合じゃなくて、振り落とされないように船縁やマストに掴まっておく。
グランと、今度は船尾が下がった。固定されていない樽たちは、再び大きく甲板の上を動いて、元の位置の手前まで戻っていく。
「――浮いてる!」
叫んだのはジョーだ。勇敢にも船縁から身を乗り出していた。
「高度を下げます。皆さん、しっかり掴まっていてくださいね!」
再びローラの声が響く。
船は宙を進みながら、徐々に徐々に高度を下げた。
ローラのコントロールのお陰か、船はきちんと水平を保ったまま、ゆっくりと宙を進んだ。高度が下がり、ある程度心も落ち着いたところで船尾に目を向けると、崖から砂が滝のように落ちていくのが見えた。白い何本もの筋が大地の縁に沿ってできている。
以前ここを訪れたときは、シバを殺してしまった罪悪感で景色なんてまるで頭に入らなかった。しかも俺とモニカ、ノエルがそれぞれバラバラにエアバイクで船を脱出した。
結局、こうやってじっくり眺めても、この“レグルノーラ”という世界が何故こんな形状をしているのか、未だ理解が追いつかない。一つ言えるのは、確実に存在はしているが、俺たちの住んでいる地球なんかとは、全然違う法則の上に成り立っているのだということだけ。魔法が使えて、船が砂漠を走って、竜が居て。こんな非常識すら、気付けば俺の日常の一部になっていた。
不思議だ。
俺はこの非日常をいつの間にかすんなりと受け入れていた。
人間の脳は錯覚するという。おかしなこと、あり得ないことも、連続して遭遇すれば、いずれ当たり前になっていく。
レグルノーラの大地は驚くほど分厚い層になっていて、少しずつ離れて行くにつれ、それが一層ハッキリしていく。視界に入りきれないくらい巨大な大地は、よく見ると水面から離れて宙に浮いていた。大地全体に魔法でもかかっているのだろうか。
音もなく砂が黒い水面に吸い込まれていくのを遠目に見ながら、帆船は更に進んだ。
船の底が水面に当たり、少し飛沫が上がる。驚くほど慎重に船は着水し、足元の不安定さが際立っていく。
黒い湖とその水面の粘着性を初めて見た面々は、あまりにも衝撃的な光景に皆目を丸くしていた。自然界にはあるまじき漆黒に包まれるというのは、あまり喜ばしいことではない。生臭さが強くなり、風の温さが増し、顔色を悪くする人が自然と出てくる。口元を押さえ必死に堪える様子には同情するが、俺も気を抜くと、直ぐに気分を悪くしそうだった。
船全体がしっかりと水面に浮くと、ローラは一旦力を抜いた。
どうにか第一関門突破。けど、ここからがまた。
振り返り、
「再び、力を貸してください。合図したら、全ての力を出し切るつもりで竜石に注いでくださいね」
強張った顔で一人一人の顔を確かめている。
今度は銀色の魔法陣を宙に描き始めた。塔の魔女ローラの腕の見せ所。黒い水を浄化する聖なる光の魔法。
二重円、文様、そして文字列。
慎重に丁寧に、彼女の心をそのまま写し出すように美しい魔法陣を描いていく。
――“聖なる光よ、黒く汚れた湖の水を全て浄化させよ”
無謀にも思えるこの魔法を発動させるためには、一点の曇りもなく綺麗な心で力を注がなければならない。緊張が走る。ローラが合図すると同時に力を注げるように、各々が身構える。
と、そのとき。
船体を取り囲むように、何本もの黒い水柱が立ち上った。船は揺れ、俺たちは再び振り落とされそうになる。
水柱は水面から切り離され、そこに手足が生え、尾が生え、無数の目が開く。ガバッと開けた口からは無数の牙。俺たちを排除しようというのか、数十体の黒い魔物が船の周囲をあっという間に取り囲んだ。
「チッ……! こんなときに……!」
剣を具現化させ立ち向かおうとする俺に、ローラが叫ぶ。
「ダメです、今はこちらが優先!」
「けれど」
文字列が全て刻まれ、魔法陣全体が銀色に光り始める。
「まとめて浄化すれば良いのです。さあ、力を!」
「……クソッ!」
確かに一体一体倒すよりは。目の前に敵が居ながら生殺し状態の俺は、思わず毒づいた。けれど、だからって力を抜くわけにはいかない。
できる限りたくさんの力を竜玉に注ぐ。
ローラの掲げた竜玉は、見る見る間に目映い光を帯びた。
目も開けられぬくらいの強い光は、魔法陣に吸い込まれ、どんどん拡散していく。船を取り囲んだ黒い魔物たちは、光に溶かされるように消えていった。水面に光が到達すると、そこから少しずつ黒が失われていくのが見えた。
船は進む。進みながら、少しずつ湖を浄化していく。
まるで化学反応を起こすかのように、船の周囲だけ黒い水が消えていく。けれどこの調子じゃ、とてもじゃない、いつ全ての浄化が終わるかなんて想像が。
「力が、足りません。もっと力を……!」
流石のローラにも焦りが見える。
作戦は間違ってなかった。けど、湖の規模があまりにも大きくて、魔法が追いつかないのだ。
こんな、表面だけ浄化しても意味がない。もっともっと深いところまで水は続いている。それも全部全部浄化できなければ、結局直ぐに元の真っ黒いだけの湖に戻ってしまうかもしれない。
無尽蔵な力が必要だ。
一般の能力者が何人集まっても、それは敵わない。その証拠に、力を出し切った能力者たちは、次々に息を上げ、注がれる力が徐々に少なくなってきている。
こうなったら。
俺は意を決して、魔法陣の中へと歩を進めた。突然の出来事にローラは反応できず、目を丸くしている。
「ちょっと貸して」
と彼女が掲げた竜玉を拝借する。
竜玉の光は眩しすぎて目が潰れそうだったが、そこに書かれている魔法陣の文字を確認したかった。クルクルと玉を転がすと、一角に“満遍なく力を吸い取り魔法陣へ注ぎ込め”と書き込まれていた。
これではダメだ。満遍なくなんて。
彼女は優しい。協力してくれる能力者たちを潰してまで力を欲することはしない。
俺は手のひらで擦り、その魔法陣を消した。
竜玉の光が弱まり、ローラは異変を察知する。
「何を、しているの? リョウ」
代わりの魔法陣を書き込んでいる間に、ローラが服の裾を引っ張ってくる。
「浄化魔法に集中して」
俺が言っても、彼女は動揺してなかなか集中してくれない。
とうとう、彼女は俺から竜玉を奪った。そして、そこに俺が書いた魔法陣の文字を読み、固まってしまった。
「俺は浄化魔法は使えない。けれど、力ならたんまりある」
「だ、だけど、これじゃ……!」
「いいから。気にするな。ここまで来たんだ。やれることは全部やらなきゃ」
彼女の手から、俺は竜玉を奪い返した。
「大丈夫」
俺はそう言って、彼女に満面の笑みを贈る。
「最低ね……! 自分の立場を分かってるの?」
半泣き状態の彼女に、俺はこう言う。
「当たり前だろ。俺を、誰だと思ってるんだ」
――“来澄凌の全ての力を根こそぎ吸い取り、魔法陣に注ぎ込め”
竜玉に書いた文字を確かめる。
大丈夫。
力は無尽蔵。
体力も魔力も、何故だか直ぐに回復するようにできてる。
力をどれだけ失おうが、今までもどうにかなってきた。心配なんか要らない。信じる力が魔法に変わるのだとしたら、何も。
両手でがっちり竜玉を包み込み、魔力を注ぎ始める。力は直ぐに竜石に吸い込まれた。
それまで力を注いでくれていた能力者たちは、自分たちの力が吸われなくなったのに気づき、何が起きているのかと顔を見合わせ始める。
ローラは何も言わない。目をつむり、両手を魔法陣にかざして一心不乱に力を注ぎ続けている。
宙に描かれた魔法陣の光は、再び強くなり始めた。
俺は竜玉を胸に押し当てる。
吸引器の如く身体中から力という力が吸い取られていくのがわかる。
直ぐに胸が苦しくなった。頭が痛くなった。指先まで力が入りづらくなった。魔法陣の真ん中で崩れ、四つん這いになる。意識体を具現化したに過ぎない俺の身体は、何度も消えそうになった。それでもどうにか意識を保ち、消えまいとイメージし続けた。
「大丈夫か、救世主殿!」
レオが声をかけてくれる。
「何言ってんだ。大丈夫だ」
と思いっ切り笑ってみせる。
光は拡散した。
さっきとは比べものにならないくらい、遠くまで拡散した。
何だ。最初からこうすればよかったんだ。
遠慮などせずに、力のあるところから根こそぎ奪っていけば、簡単に解決できた。
ジョーとルークが駆け寄ってきて、身体を擦ってきた。偶に透けてしまって、上手く身体を触ることができないでいる。
「ま、マズいんじゃないか」
「ローラ様、このままでは」
けれど俺は引き下がる気など毛頭ない。
更に力を竜石に注いでいく。
歯を食いしばる。
黒い気配が小さくなっていくのがわかる。頭の中で湖の水が黒から透明へとどんどん浄化されていくのをイメージする。
……元は、美しい湖であったらしい。
悲しみや苦しみがどんどん溢れ、水自体が意思を持ってしまっただけだ。それを、浄化させるのだ。
黒い水はドレグ・ルゴラに力を与える。ヤツの身体は黒い水に冒されている。
まずはこの湖の水を、透明にする。
それが、あの捻くれた竜を倒すための一歩。
力を振り絞った。
これ以上ないくらいに竜玉は光り、力は銀の魔法となって空へと上っていった。そして――弾ける!
音もなく広がった銀の粒は、雪のように黒い湖面に降り注いだ。その一つ一つが湖面に触れる度に、黒い水をどんどん浄化していく。溶けることなく沈んでいく銀の粒は、その周囲を浄化しながら湖底に沈んだ。そうしてたくさんの粒たちが、湖の水という水を透明に変えていくのだ。
「――魔法を、書き換えたの?」
ローラがそう呟くのを、意識の片隅で感じる。
「どうやったらそんなことが? 私のイメージじゃない。これは、リョウの魔法よね?」
俺は魔法陣の上に、大の字で転がっていた。
黒く分厚い雲の下に、チラチラと銀色の粒が舞っている。
「さぁね」
と、俺は半笑いで返す。
銀の粒は宙を漂い、なおも広がっていった。
浄化には時間がかかった。
が、気が付くと生臭さも生温さも、まるで感じなくなっていた。
気怠さとは引き換えに、心地の良い風が肌を掠める。
胸の上からすっかりガラス玉になってしまった竜石が転げていく。それをすかさずローラが拾い上げ、そっと俺の道具袋にしまってくれる。
「どこに、あんな力が?」
「わからない。けれど」
「けれど?」
「力があるってことは、それ相応の代償を背負わなければならないってこと。少し休ませて。回復には時間が」
そこまで言って、意識が途切れた。
頬に、柔らかいモノが優しく触れたような気がした。