14.クローゼットの中身
もっともらしそうなことを言って、美桜は不敵な笑みを浮かべた。
つまりはどういうことだよ。アクション映画や技術本でも眺めて勉強しろとでも言うのか。
一通り話し終えると、不機嫌な俺のことなど見る間もなく美桜はすっくと立ち上がり、
「こっちに来て」
と俺を奥に案内した。短い廊下の先に、その部屋はあった。
「飯田さんには、私の部屋には入らないでとお願いしてあるの」
わざわざそんなことを言ってから、彼女はポケットから鍵を取り出しドアを開けた。自室に鍵なんか掛けたことのない……というより、自室に鍵自体がない俺からすれば、何とも妙な光景だった。
それにしても今のはどういう意味なんだろう。
長年よくしてくれている家政婦さんにも入らせたことのないところに俺を通すんだと、強調しているようにも聞こえたが。
「どうぞ入って」
彼女に勧められるがまま一歩中に入ると、そこはまるで花畑のようだった。
室内はおとぎ話に出てくるお姫様の部屋のような花柄尽くし。カーテンからベッドカバーからタンス、カーペット、果ては小さな小物まで、ピンクや赤、橙や薄黄色の花柄で覆われている。大ぶりな花模様ではなく、小さな細かい花柄が好きなようだ。
女子の部屋、か。
俺はゴクリと生唾を飲んだ。
いい匂いがする。花の香りに似た、気持ちの良い優しい匂い。
――危ない危ない、変なことを考えてしまうところだった。
あくまで俺と美桜は、“干渉者仲間”。それ以上にもそれ以下にもなり得ない。
彼女も望んでいないし、俺も望むべきじゃない。二人の関係を継続させるにはそれが一番いいんだと、納得しかかっていたところだったのに。
理性を保ってないと本当に襲いかかってしまうかもしれないほど、素顔の美桜は可愛い。変なモノさえ背負ってなければ、普通の女の子なんだろうと思うと胸が痛くなる。
キョロキョロと部屋の中を見まわしていると、彼女は部屋の隅にあるクローゼットの前で俺においでおいでしてきた。花模様だらけの清潔な室内を俺の靴下の臭いで汚さないようどうやって進めば良いかなどと、どうでもいいことに悩みながら彼女の側まで行くと、
「凌に、コレを見て貰おうと思って」
美桜は言いながら、クローゼットのドアを開けた。
ドキッと胸が高鳴ったが、次の瞬間、俺は当初の予定とは別のところで更に心臓を激しく鼓動させてしまう。
フリルのついたワンピースやスカートとともに、下の方に物騒な黒い塊が見えたのだ。
「お……おい、コレって……」
カゴやケースに丁寧にしまってあったのは、大小様々な銃。本物そっくりに黒光りしている……モデルガンなのか。パッと見ただけで三十以上ある。
それに、角に立てかけてあるのは模造刀……だろうか。西洋剣から日本刀まで様々な種類。こちらも十以上ある。
趣味にしては色々と物騒過ぎやしないか。
「イメージするのが苦手だったら、まずこういうのから入るしかないでしょ。貸してあげようか?」
美桜は言って、短銃を一つ無造作に取り出し、俺の手に持たせた。ズシッと重量を感じる。
なんだ? この違和感。まるで本物を握っているような気持ち悪さ。嗅いだことのない、とても嫌な臭いがする。
「大丈夫。弾丸は抜いてあるから」
えっと顔を上げると、美桜はニヤニヤしながら自分でも別の銃を手に取り感覚を確かめている。そっちのは俺のよりちょっと大きめでもっと重そうだ。
「まさか、ほ……本物じゃ、ないよな」
恐る恐る確かめる。
引きつった俺の顔を見て、美桜はまたにやりと笑った。
「秘密」
おいおい、銃刀法違反――!
まさかと思うけどそこにある剣も。
俺はチラチラと美桜の表情をうかがいながら、クローゼットの奥に立てかけてあった日本刀に手を伸ばした。美桜は何も言わず、自由に触ればといいとばかりにうなずいている。
カチリと音がして、やはりずっしりと手に重さがかかった。
鞘を抜いてもいいのかと目配せしたが、やはり美桜はいいわよと目で笑うばかり。
柄を握り、すぅっと慎重に鞘から抜いた。震える俺の手の中で、見たこともないほどギラギラとした刃が顔を出した。
「やたらと振り回しちゃダメよ。切れるから」
――本物?
俺は慌てて途中まで抜いた鞘を元に戻す。
美桜はただ楽しそうに笑っている。俺のことをからかってたのか?
「レグルノーラから持ってきたの。ジークが“こっち”からパソコン持ってったのと同じ要領で。そうじゃないのも若干混じってるけど。びっくりした?」
ど、どう反応すればいい。
つまりは、やっぱりコレは本物ってことじゃないのか。
俺はただ口をパクパクさせ、美桜を睨み付けていた。
「怖い顔しないで。コレが私の“現実”なの」
現……実……?
親身になって世話をしてくれている飯田さんを部屋に入れようとしない理由がコレか? こんなものを隠し持つなんて、明らかに常軌を逸している。こんなのが“現実”だと?
「何を……、考えてるんだよ」
深いため息と共に美桜を睨み付けた。
「何って? それはどうすれば“向こう”でもっと効率的に戦えるかっていう――」
「そういう問題じゃない。馬鹿なのか? “あっち”と“こっち”じゃ、まるで世界が違う。“こっち”じゃ所有してるだけでも塀の向こう行きだ。美桜、お前どうにかしてる」
持っていた日本刀を美桜にグイと押しつけ、俺は語気を強めた。
だが美桜は、だからどうしたのと鼻で笑う。
「私はずっと“二つの世界”の“狭間”にいるのよ。私にとってはどちらも“現実”。あなたのように、夢の合間に“レグルノーラ”へ飛んでいた単なる“干渉者”とはわけが違うの。あなたにとって“レグルノーラ”は“もう一つの世界”に過ぎないかもしれないけど、私にとって“レグルノーラ”は“もう一つの大切な場所”なのよ」
わかる? と彼女は首を傾げた。
わからない。
わかるわけがない。
わかりたくもない。
母親も“干渉者”だとか伯父から軽蔑されてるだとか。自分が如何に守られるべき存在かこれでもかと訴えておいて、その直後に武器庫を見せられても反応のしようがない。
俺には、美桜が言い訳をしているようにしか思えなかった。“もう一つの大切な場所”である“レグルノーラ”が、“悪魔”による“干渉”で危機に陥ってるから、それを救うために武装しなきゃならないんだと。“こっち”でも常に“あっち”にいるときと同じような危機感を抱いていられるように、“あっち”から武器を持ってきても構わないのだ、と。
危険思想だ。
今まで誰一人、彼女にそれを指摘する人間が居なかったからって、こんな非常識なこと。
何かが起きてからでは遅すぎることを、彼女はもっと知るべきだ。
「……飯田さんにこんなモノ見られたら、一体どうするつもりなんだよ」
ふと突いて出た言葉に、美桜は一瞬顔を強張らせた。
「どうするつもりなんだよ」
日本刀を受け取り、抱えていた銃と一緒にクローゼットの中に片付けると、美桜は肩を落としてゆっくりとドアを閉めた。
「わからない。考えたことなんて、ないもの」
肩にかかった長い髪を両手でいじり、美桜はトンとクローゼットの扉に額を付けた。
「私にはコレしかないのよ。他人に言っても理解してもらえるとは思っていなかったけど。……残念。同じ“干渉者”なら、私のことをもっと理解してくれると思っていたのに」
そしてそのまま、美桜は俺に背を向けた。
「馬鹿……みたい。私、あなたのことを『見つけた』ときに、自分のことを初めて本当に理解してくれる人に出会ったと勘違いしてしまっていた。何を……、何を期待してたのかしら……」
少しだけ隙間の空いた窓から柔らかい風が吹き、花柄のカーテンがそよいだ。
美桜の背中が小刻みに震えている。
初夏の日が真っ直ぐに射して、彼女の輪郭をぼやけさせた。
「ひとつ、確認してもいいかな」
俺は、美桜の背に向かって言った。
「何」
美桜も、背中越しに答える。
「俺って……、美桜の、なんなの」
都合良く目の前に現れた同じ能力を持つ男、なのか。
信頼すべきパートナー、なのか。
単なる道具に過ぎないのか。
美桜はしばらくの間、俺に背を向けたまま考え込んでいた。
即答できないということは、やっぱり二人の関係を保ち続けるには、都合の悪い答えしか手元にないということなのだろうか。
「何て……、答えて欲しいの。凌は」
ようやく出た言葉は、俺の問いに対する答えじゃない。
ずるい。
そんな言い方じゃ、まるで俺が美桜のことをものすごく責めてしまったみたいじゃないか。
俺はただ、美桜のことが知りたかった。推測するのには限界を感じていた。
だからなるべく感情を込めずに、静かな声で尋ねたつもりだった。
「何かを期待してるわけじゃなくてさ。俺と美桜は、今後どういう関係であるべきか。美桜の考えが知りたい。成り行きとはいえ交際をあっさりと認めたり、自宅に招いたり、俺に生い立ちを話たり……。そういうのってどう受け取るべきだった? どう受け取って欲しくて美桜は俺に接してきたの? “信頼”って――、どういう意味で使ったんだよ」
美桜は、一向に俺の方を見ようとしない。
顔を合わせたくない、本当は一緒の空間にいるのさえ辛いとばかりに。
言葉は……、難しい。
どうやったら本当の気持ちが伝わるのか、全然わからない。
美桜も同じように悩んでいるのかもしれない。ああいう性格だからこそ、本当のことが言えなくて。どうしたらいいのか全然わからなくて。
長く細い息をついて、美桜はゆっくりとクローゼットに預けていた身をはがした。それからぐるっと俺の方に向き直って、
「私には“レグルノーラ”しかないって、言ったじゃない」
彼女は決して、目を合わせようとはしなかった。
「“この世界”には私の居場所はない。少なくとも私はそう感じている。私は私で居続けるために“レグルノーラ”に“干渉”する。凌のことは――、何度も言うけど、信頼すべき“干渉者仲間”だと思ってる。でも……、今はごめんなさい。それ以上にも、それ以下にもならない」
青みがかった黒い瞳が、悲しそうに潤んでいた。
もしかしたら美桜には、俺の気持ちが半分くらいは伝わっているのかもしれない。
一人の女性として魅力的だと――ずっと前から思っていて、彼女と接する度にどこかしら下心がチラ見えしてしまう不自然さを、彼女はずっと感じていたのかも。『不純なことは考えない』と警告を発するのも、彼女自身が今は俺の要求に応えられる状態にないのだと――そう訴えていたのかもしれない。
このまま彼女を抱きしめていいのなら、そうしたかった。
だがそんなこと、彼女は望んじゃいない。
やっぱり、この微妙な関係が俺たち二人には一番いいらしい。
「変なこと言って……悪かった。だったら……、“信頼”してるんだったら、俺の忠告も聞いて欲しい」
「うん……」
美桜はいつになく素直にうなずく。視線はずっと落としたままで、俺の方を見てはくれなかったが。
「ここにある武器、“レグルノーラ”に戻せよ。せめて“こっち”にいる間は、“普通の女の子”でいろよな。思い詰めて暴走するようなことになったら、飯田さんに迷惑がかかるだろ」
「暴走なんかしないわよ」
「未来のことなんて誰にも断言できないだろ。――とにかく、この状況はダメだ。どうやって持ってきたのかわからないけど、今からでもレグルノーラに戻そう。市民部隊の連中からでも拝借してきたのか? あの……ライルとかいう隊長に頼めば穏便に受け取ってくれそうだけど」
ライルの名前を出すと、ようやく美桜は顔を上げて俺を見た。
「ライルには知られたくない。こんなことくらいで迷惑かけたくないもの。でも……、凌の言うことも一理あるわね。忠告は――、されるうちに聞いておいた方がいいって聞いたことがあるし。この件に関しては、あなたの言葉通りにする。凌も手伝ってくれる?」
美桜は珍しく素直だ。普段との違いが激しすぎるが、これはこれで悪い気がしない。
「わかった。手伝うよ。で、どこにどうやって運べばいいんだ」
「――本当はあまり教えたくない場所だけど……、あそこくらいしか、なさそうだから」
言って彼女は、もう一度クローゼットを開く。名残惜しそうにじっと中を見つめている美桜を見ると、何だかとても複雑な気分になってくるが、事情を知りながらこのまま放っておくわけにはいかない。
「で?」
催促する俺の左手に、美桜は久方ぶりに指を絡めてきた。柔らかく少し冷たい小さな手。
身体が密着し、美桜の優しい香りがふわっと鼻の奥まで届く。
「いつもの小路じゃなくて、別の場所に飛ぶから。私の意識に付いて来て」
美桜はそう言って、左手で俺の顔をなぞるように撫で、目をそうっと伏せさせた。
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掃除機に吸い込まれるような勢いで、ぐいぐいと引っ張られていく。
いつもとは違う彼女らしくない揺らぎを、俺はどこかで感じていた。
それは何なのか。説明しようにも難しいが、いつもは透き通った青だとしたら、今は濁った雨水の色。灰色や茶色を混ぜたようなはっきりしない色。
美桜は自分のことを話してしまったことを幾分か後悔しているのではと、俺はふとそんなことを考えていた。