137.暗中模索
ローラの顔は、竜石の淡い光でほんのり火照って見えた。
彼女の言う意味がわからずしばらく考え込んだが、否定するのも野暮ったい。素直に受け止めればいいのだろうか、とりあえず、
「こちらこそ、お会いできて光栄です。新たな塔の魔女ローラ」
と胸に手を当てて敬礼する。
彼女がはにかむのがなんとも可愛げで、胸が騒いだ。
どうやらローラの方が幾つか年上。大人になりたてか、ギリギリ未成年かというところ。きめの細かい白い肌、柔らかな縦ロールのかかった長い髪の毛、そして嫌味のない柔らかな色使いのドレスとローブは、今まで出会ったことのないタイプの魔女だ。
「立ち話も何だ。座れば良かろう」
グロリア・グレイに促され、ローラの隣に座らせて貰う。竜石でできたソファの上に、柔らかなクッションが置かれているのだが、低反発性なのだろうか、見た目よりもしっかりと身体の重みを吸収してくれて座り心地は悪くない。
ローラは俺から少し距離を置いて座り直した。
「それほど間は開いておらぬはずだが、久方ぶりだな、リョウ」
相変わらず妖艶な胸をしっかりと覗かせながら、グロリア・グレイは金色の目で俺を見た。彼女の目は嘘を一切見逃さないほどの鋭さを保っている。
「せっかくアドバイスいただいたのに、未だ身体を取り戻せず、申し訳ないと思っています。でもよかった。グロリア・グレイ、俺はあなたとどうしても話がしたかった。唯一俺の存在をしっかりと感じ取ってくれたことに感謝しています」
深く頭を下げると、グロリア・グレイはフフッと笑って、
「どれだけの時間を生きてきたと思っておるのだ。と、そんなことはどうでも良い。一番の問題は汝の本体が彼奴に奪われたということ。取り戻す隙は本当になかったのか」
今度は額にしわ寄せ、厳しい顔で聞いてくる。
俺は苦虫を噛み潰したように、
「そうです」
と答えるしかない。
「自分の身体の中に入り込むスペースがどんどん狭くなって、まるで遠くで映画でも観ているようになっていった。どう動くのかという意思決定権が完全に奪われて、しがみつくのがやっとだった。ヤツは俺の身体の中でどんどん膨れあがった。自在に竜化したり人化したり、はたまた、もやとなって消えてみたり。レグルノーラにいたときと同じか、それ以上の動きをしている。何らかの方法を使って弱らせないと、入り込むことすら難しくなってきてる。このままだと、俺は意識の行き場所を失って本当に死んでしまうかもしれない」
「……厄介ですのね」
口に手を当て、ローラは考え込んでいる。
そりゃそうだ。誰だってこんな事態、信じられないに違いない。
「内側からだけじゃ限界がある。どうにか外側からヤツを弱らせることができないかと」
「ええ、だからこそ、こうして竜石の採掘を命じているのです」
ローラはそう言って、鋭い目を向けてきた。
「竜石は竜の力を封じることができる。かの竜の娘であるミオという名の白い竜が“表”で暴れたそうじゃありませんか。彼女の力を竜石は吸い取った。つまり、有効であることが確認されました。かの竜を封じるとすれば、竜石の絶対量が不足しています。私たちにできるのは、まず竜石を採掘し、“表”へと送ること。ディアナ様もいらっしゃいますし、あとは“向こう”でどうにかしていただくしかありません。貴方のお仲間の力も貸していただかなければ成功しないでしょう。彼らへの情報伝達手段も考えないと」
「勿論、それは当然」
うんうんと頷きながら話を聞く俺。
「それから」
と次の話題へ進もうとするローラ。
その両方を、「待て」とグロリア・グレイが艶めいた低い声で遮った。
「汝らはドレグ・ルゴラを恨んでおるのか」
俺とローラは互いに、
「え?」
と声を上げ、顔を見合う。
「恨む?」
「とおっしゃいますと?」
首を傾げ、グロリア・グレイの言葉の意味を考えるが、咄嗟には浮かんでこない。そりゃ、憎たらしいと思ったことは無きにしも非ずだが、恨むというとまた話が違うような気がして、素直にハイとは言い切れないのだ。
そんなおどおどしている俺たちを見て、グロリア・グレイはフンッと鼻を鳴らして笑った。
「負の感情を持ちながら立ち向かうのであれば、彼奴の力は増大するのみ。僅かな隙を彼奴は狙う。先へ進む前に確認をさせて欲しい。汝らにとって、ドレグ・ルゴラは憎むべき相手かどうか」
長い黒髪を後ろにすきながら、グロリア・グレイは俺たちの顔を代わる代わる見つめてくる。試しているのだろうか。少し空気が威圧的だ。
ローラは、「そうですね」と前置きし、
「恐らく、憎むべき相手なのでしょう。市民がたくさん殺され、世界はメチャクチャに壊されました。どうやって再建すべきか途方に暮れている私たちレグル人にとって、かの竜ほど憎たらしい存在は居ないはず。ですが、私個人は……何とも。恨んだところで何も生みませんもの。まずはどうにかしなければと、そればかりです」
「俺も同感」
ローラの話を聞きながら、俺は何度もうなずいた。
「恨めば解決するなら、そうしてる。今必要なのは、ヤツを止める手段を知ること。俺の身体を使ってやりたい放題しているのは気に食わないが、今更恨むとか殺したいとか。――そうだな、解放してやりたい」
「解放?」
グロリア・グレイの眉がピクリと動いた。
「解放。そういう言葉が妥当かわからないけど」
俺は二人の顔を交互に見ながら、自分の考えを少しずつ言葉にする。
「ヤツを駆り立てるものが何なのか、答えは今のところ出ていない。けど、何か引っかかるものはある。例えば、“何かを手に入れるために何かを犠牲にしなければならない”というこの世界の掟のように、ヤツは自分の望みを叶えるために行動しているのかもしれない。何も手に入れることのなかったヤツは、誰よりも貪欲で、誰よりも真っ直ぐなだけなのだとしたら。……何度も記憶を見せられた。同じ竜からさえ見向きもされず、ヤツはどんどん腐っていった。ヤツの目線だから、それが全てではなかったとは思う。全てのものを拒絶していたヤツの耳には、優しい言葉は入ってこなかったんだろう。疑心暗鬼って言葉がある。一度疑えば、どこまでも疑ってしまう。誰もそんな気持ちじゃないのに、誰もが自分を苦しめる原因に見えてしまうんだ。ヤツがどれだけ長い間苦しんできたかはわからない。黒い感情で満たされた湖に沈められ、ヤツの黒い心は益々黒くなってしまった。解放できるとしたら……、俺しか居ない。俺もずっと黒い感情に惑わされてきた一人だから。それを払拭したのは美桜だった。つまり、ヤツの娘。誰も信じたくない、誰とも関わりたくないと思っていた俺は、彼女に助けられた。どうにか……、できないか方法を色々考えている。けど、どれが一番いいか、どうすれば丸く収まるのか、全く見えてこない。ぶっ殺して終わりってのが、恐らく手っ取り早い。けど、あの強さだ。正攻法じゃなくてもいい、ヤツを苦しみから解放して、丸く収める方法が、どこかにあるはずだ」
畳みかけるように一方的に喋ってしまった。
本当はもう少し話したかった気もするが、べらべらと喋る俺に二人が目を点にしているような気がして、話を切った。
「要するに、……救いたいと」
グロリア・グレイに言われて、俺はハッとした。
『救いたい』? 言い方を変えれば確かに。
「そうかもしれない。……わからない。けど、とにかく解放してあげなきゃと」
「意外……ですわ。辛い目に遭ってらっしゃるのに、かの竜に対してそのような感情を抱くなど」
あっけにとられたローラに、俺は自分の考え自体が普通ではないのだと気付かされる。
「恨まなきゃ、おかしい?」
「いえ。そうではありませんが。その……、わかりますわ。グロリア・グレイが認めたのも、モニカが貴方に仕えるのも。私も……、初めてお会いしたというのに、どうしてかしら、貴方に物凄く惹かれてしまう」
言いながらローラは耳まで赤くして、目を潤ませている。
何がどうなっているのかちんぷんかんぷんの俺に、仕切り直すぞとばかりに咳払いするグロリア・グレイ。
「で、救ってどうしようというのだ。彼奴の心は蝕まれている。自由にさせればさせるほど、周囲を破壊し続ける」
「理想は――、世界が全て元通りになること。時間は不可逆だから限界はあるのかもしれないが、かの竜が二度と“表”へ侵攻しないよう万全な対策と共に封じ込めるか、息の根を止めるか。あらゆる手段を使って、今はヤツを止めることを最優先に」
「……そうなるであろうな。救うと言っても所詮は理想。こちらの思惑とかの竜の望みが合致するとは到底思えん」
「だけど、それができなきゃ、また同じことの繰り返しになる。今はとにかくヤツを弱らせることが先決。弱らせて、俺が身体に戻る隙ができれば」
「その……、一つ、いいかしら」
ローラがふと割って入った。
「かの竜は、あの巨体を“表”でどう維持しているのですか?」
ピタリと、空気が止まった。
何かおかしいことでも言ったかしらと戸惑うローラ。
「……人間、を食ってるのは知っている」
恐る恐る口にすると、ローラは口にしなければ良かったと耳を塞いだ。
「けれど、人間の肉だけではあの巨体は支えられまい。日々何百人も何千人も食い続けているなら別だが」
グロリア・グレイは冷静だ。
「我々竜は空気中に漂う魔力も餌にする。確か“表”には魔法の概念がない。つまり、餌となる魔力も乏しいはず。それを何で補っているか。人間の肉だけではもたぬはずだ。何かしら彼奴が自分の巨体を支えるために採り続けている物があるのかどうか」
「――黒い、水だ」
俺はふと、そう零した。
「黒い水?」
「ああ。時空の狭間に、真っ黒い湖がある。レグルノーラとリアレイト、二つの世界からこぼれ落ちた黒い感情が溶け込んだ、ねっとりとした水だ。ダークアイと呼ばれていた不定形生物も、二つの世界で稀に見える黒いもやも、この水からできている。レグルノーラの空を覆う黒い雲さえ、真っ黒な水が蒸発してできたもの。あの水には力があった。心を惑わせる力だ。ヤツは黒い水を自在に操った。時空の狭間から黒い水を呼び出して、そこから魔物を作り出すこともあった。ヤツの心を真っ黒く染めたのも、あの湖だった。黒い水を大量に飲み込んで、ヤツはどんどん狂っていった。俺自身、黒い水の中を何度も行ったり来たりして、身体中に黒い水を取り込んだことでおかしくなった。恐らくアレが、ヤツの力の源」
ほぅと、グロリア・グレイは感心したように頷いた。
「そこまでわかっているならば、その黒い水を何とかすれば」
「けど、湖は広大で、とてもじゃないがどうにかできるようなものじゃ」
「――その黒い湖の話は、私も耳にしましたわ」
とローラ。
「リョウの話が確かならば、黒い湖には聖なる光の魔法が有効なはず。浄化……してみたらどうかしら」
「浄化?」
「ええ。真っ黒な湖の水を全部浄化してしまうの。魔力を失えば、かの竜への力の供給も断てる。かの竜が封じ込められていたというからには、聖なる領域だったのかもと思ったのだけれど、逆ね。邪悪なものを閉じ込めるには、それ以上の邪悪なものということだったのかしら。それとも偶然、そこへ辿り着いたのか。いずれにせよ、その黒い水が力となっているのだとしたなら、浄化するか、干上がらせるか。今の話を聞くまで、私の考えが合っているのか自信がなかったけれど、やはりかの竜の力と深く関わっているのね。ならば丁度いいわ。実は既に手を打ってあるの」
やっと言えたとばかりに、ローラは勝ち誇ったような顔をした。
どういうことだ? 俺が首を傾げていると、彼女は、
「もうそろそろだと思うのだけど」
と、周囲を見まわす。
どうやら何かを待っているらしい。そわそわと柱の陰や壁の向こうを気にしている。
「まだ塔には仲間が少ないから、私は私のやりたいようにはできない。けど、私以外の人を動かすのは自由だと思わない? 自分の意思で、私の考えに賛同して動いてくれるなら一番いい。塔の連中より皆動きが速いの。変な伝統に固執してる場合ではないっていうのに、色々と面倒で。こうしてグロリア・グレイの元へ来るのだって、いくつかの儀式だとか手続きだとか、やたらと段階を踏みたがって大変だったのよ。就任挨拶という大義名分がなければ、この場所だってまともに教えてもらえたかどうか。……来たようね、流石ディアナ様、何も言わずともわかっていらっしゃる」
応接間の入り口付近が、急に光り出した。
床にうっすらと見覚えのある文様の魔法陣が見える。
「まさかここで救世主リョウに出会えるとは思わなかったのだけれど、お陰で役者が揃ったわ。黒い湖の話を聞いて、真っ先にお呼びしなければならないと思っていた彼が到着したんだもの」
徐々に光が消え、人物のシルエットが浮かび上がってくる。
長身の男。長めの金髪、丈の短いマントが印象的な彼は。
「シバ!」
俺は思わず声を出して立ち上がった。
ディアナにレグルノーラ行きを懇願していた芝山を、少し前に見たんだった。ローラが呼んでいたと、確かそんなことを。
鳥肌が立った。
これまで見てきたものは夢じゃない。俺の意識は間違いなく、二つの世界を行ったり来たりして、いろんなものを見ていたのだという証拠。
ヤツに強制的に見せられた映像はやはり幻だったわけで。
「……来澄」
光が消え、シバの懐かしい声が耳に届く。
「お前、生きていたのか」
力の抜けたような声を出し、目に涙まで浮かべて。
らしくない。
「失礼だな。生きてたよ」
俺まで力が抜ける。
最後にシバの姿をした芝山と会ったのはいつだったろう。俺がテラに乗っ取られて以降、まともに同じ時間を過ごしていない。同じところを目指していたはずだったのに、ずっとすれ違ったままだった。
シバはズンズンと前に進んで、俺のところまで来ると、スッと右手を出してきた。
「来てやったぞ。私が居なければ、世界を救えないとそこの美しいお嬢様に懇願されたのだ。まさかここで再会できるとは」
「ああ、全くだ」
俺も手を差し出した。
互いにパンと高い位置で手を打ち合った。俺の手のひらに間違いなくしっかりと、シバの手が当たるを感じた。