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レグルノーラの悪魔〜滅びゆく裏の世界と不遇の救世主〜  作者: 天崎 剣
【28】全てを終わらせるために

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130/161

130.敗北

「どう思う」


 魔法にかかり身動きできないのを良いことに、キースは俺の身体にべったりと食いつき、俺の右耳に向かって直に話しかけた。首に絡みつく腕がひんやりして気持ち悪い。吐息や鼓動、体温まで全部伝わってくる。


「君の親友は今にも壊れそうだ」


 言われて俺は顔をキースに向けた。睨み付けた俺の顔を、彼はさも楽しそうにニヤニヤしながら見ている。


「大穴を閉じたところで何も変わらない。リアレイトは徐々に黒い空気で満たされる。この湖の黒も、殆どがリアレイトから零れたもの。リアレイトは黒く汚れている。人間の黒い感情と黒い思想が充満している。それが“力”となって具現化されるかどうか。それだけの差」


 黒い湖面の映像に目を落とす。

 美桜だけじゃない、芝山からも、陣からも、徐々に黒いもやが染み出ている。空気中に放たれた黒が彼らを取り囲むよう渦になっていく。


「こ……、これが現実だっていう証拠は」


 絞り出すよう言葉にしたが、口が引きつってまともに音が出ていたかどうか。

 キースはクククと喉を鳴らし、


「こんな結末はお気に召さないようだな、“救世主殿”」


 俺の神経を逆なでするようにわざと言った。


「では、これは?」


 湖面から映像が消え、真っ黒になったかと思うと、今度はまた別の映像が浮かび上がる。

 宙に浮かされたまま、俺はまた強制的にその映像を見せつけられる。

 そこでは争いは起きてはいなかった。代わりに、血だらけの美桜が一人、暗がりに立っていた。目を凝らすと、最初の認識が間違っていたことに直ぐに気が付いた。争いは起きていなかったのではなく、既に終わっていたのだと。

 美桜は半竜の姿をしていた。長い髪の毛や顔の肌色はそのままに、身体が殆ど白い鱗で覆われ、まるで俺が半端に竜化した時みたいに、両手両足や胴回りは竜で、背中に羽を生やし、長い尾をくねらせていた。

 肩で息をしながら、美桜は何かを睨み付けている。

 光の筋が時折画面を横切って、暗がりに隠れたものを写し出した。

 死体だ。何人もの死体がグラウンドに転げている。見覚えのある背中や手足を中に見つけ、俺は思わず吐き気を催した。

 赤色が地面を支配し、その中に亡霊のように白い半竜が浮かんでいた。

 軍用車や戦車が当たりを取り囲み、たくさんの兵士が彼女に銃口を向けている。彼女は死んだような表情を変えることなく、ただじっと佇んでいるように見えた。

 美桜がゆっくりと右手を挙げる、その瞬間に銃声が鳴り響く。

 彼女の身体には間違いなく銃弾が当たるのだが、彼女の周囲に張り巡らされた見えない何かがそれを全部吸い取ってしまう。おののきながらも攻撃を続ける兵士。が、彼女は全く動じない。

 それどころか、彼女は手の中に大きな光の球体を作り出し、兵士達を威嚇し始めた。激しい稲光を有した球はどんどん膨れあがった。彼女の身体よりも大きく、戦車よりも大きく……。

 美桜の口が何かを呟いた。声は聞こえない。けれど、呪文的な何か。

 光が全てを包み込む。

 溶けていく。景色が、人が、戦車が、どんどんどんどん溶けて――。



『惑わされるな』



 テラの声が頭に響いた。

 俺はハッとして息を飲む。

 湖面に倒れたままの金色竜が、首を上げてこちらを見ている。


『ドレグ・ルゴラが何を見せているのか、私には見えない。が、それはきっと真実じゃない。君は意識をしっかり持たなければならない』


 気付けば俺は汗だくだった。手のひらも、足の裏も、嫌な汗でぐっしょり濡れている。引っ付いて離れようとしないキースだけが原因じゃない。この場の醸し出す妙な雰囲気と、湖を抜けるとき大量に体内に取り込んでしまった黒い水、そして中途半端に放り投げて来てしまったことに対する罪悪感が全部混ざって俺を不安にさせるのだ。

 息が上がる。戦った直後でもないのに。

 視界が霞む。いつの間にか身体が震えて、目には涙を浮かべていた。

 テラの言うように、意識をしっかり保たなければ。ドレグ・ルゴラは今にもキースの身体を捨て、俺の身体に入り込もうとする。それだけは避けなければ。俺は俺として、どうにかこうにかこの逆境からドレグ・ルゴラを倒さなければならないのに。


『凌から離れろ。卑劣な竜め……』


 重い身体を持ち上げながら、湖上からテラは力を振り絞って叫んだ。

 どうやら竜同士では言葉が聞こえるらしい。キースはあからさまにご機嫌を斜めにしてチッと大きく舌を打った。


「私としたことが。うっかり、邪魔者が未だ生きていたのを忘れていた」


 言った直後、キースの右腕がふいに俺の身体から離れてたのに気が付く。

 白く巨大なものがスルリと自分の横を通り過ぎた。

 何だ。

 確認するよりも先に、テラの悲痛なわめき声が響いた。グシャッと何かが潰れる音――。



 ダメだ。






 そんなこと。






 頭の中が空っぽになる。






『凌、私のことは……。気を、しっかり』






 待って。

 どうして身体が動かない。

 どうして湖面に赤が広がる。



 巨大な白い手の中で握りつぶされる金色竜。羽が折れ、手足が妙な方向に曲がっている。






『君が、世界を』






 白い竜の手がゆっくりと開いた。

 身体を潰された小さな竜が、真っ赤に染まっているのが見えた。



 声をかける余裕もない。



 白い竜はもう一度手を握る。そうして、手の中の金色竜を思いっ切り――。






「あ……、あぁ……っ」


 息が、息ができない。

 何だこれ。

 シバが魔物になったときより、美桜が白い竜になってしまったときより、強い衝撃を受けている。



 視界がぼやけるとか霞むとか。

 そういう次元では全然なくて。

 自分の存在が消えるとか消えないとか、この世界が壊れるとか壊れないとか。

 何だろう。

 ダメだ、ダメなんだ。

 絶対になくなっちゃダメなもの、最後までずっと一緒だと思っていたものがなくなる時って、どうしてこんなにも心が、心が、心が。






 多分俺は、相当酷い顔をしている。

 俺が絶対になくしたくなかった最後の一つを簡単に奪ったかの竜を、心の底から憎んでいる。

 制御?

 自尊心?

 何だそれ。馬鹿げてる。

 どんなに頑張ったところで何も報われない。

 救いたいと思っていたものが全部壊れていく。

 こんな世界を救うだぁ? 冗談も大概にしろ。

 せめてドレグ・ルゴラと相打ちすればなんて思ってたこともあったが、ざまぁない。相打ちどころか傷の一つも与えないうちに、かの竜は俺の最大の急所を突いた。






 そう、テラだよ。






 相棒として魔法の使い方もろくにできなかった頃から付き合ってくれた大切な竜。

 戦い方、距離の取り方、力の使い方、何もかもテラが居たからこそ、どうにかなったのであって、俺一人じゃ何もできなかった。

 伝説の竜だなんてわかっても、別に態度を極端に変えることもしなかったし、テラの考えはいつも一貫してた。だからこそ信頼したし、好きになった。

 人相悪くて誰とも仲良くできずに居た俺に、テラはズケズケとモノを言った。ムカッとしたけれど、それはテラなりの愛情だったし、そういうの、ちゃんとわかったから俺もちゃんと話を聞いた。

 隣に居ても、遠くに居ても、俺の中に入っていても、テラは距離をちゃんと取った。

 俺が悲しんでいるときには黙っていてくれたし、辛いときには声をかけた。困っていたら的確にアドバイスくれたし、美桜とのことだって、ホントは言いたいことが沢山あっただろうに黙っててくれた。






 失う?

 こんなにも簡単に?

 確かに戦闘は苦手だって。

 一匹じゃ何もできない小さな竜だからって。






 こんな……、こんなにも簡単に。






 力の限り、叫んでいた。

 黒い湖の果てに届くほどデカイ声で、俺は叫びまくっていた。

 言葉にならない感情をただ吐き出したくて、そうしなければ自分というものがなくなってしまうんじゃないかと言うくらいデカイ声で叫び続けていた。


 押し殺していた力が徐々に暴走し、自分の声がデカくなるのと同じように身体の中から溢れていくのがわかった。自分の身体を中心にして激しく風がうねっている。

 力という力を出し切れば気が済むのじゃないかと、そう思っていたのかもしれない。

 キースは俺から離れて、遠くから俺を見ている。いつの間にか彼の姿は元に戻っていて、けれど右手には確かに血が付いていた。

 湖を覆っていた分厚い透明な板が割れて、ボゴボゴ音を立て沈んでいく。

 テラの亡骸が湖に落ち、黒い水に呑まれていくのを視界のどこかでぼんやり捉える。



 力があろうがなかろうが、結末は同じなのだとしたら。

 俺は何のために力を得たのだ。



 失うために何かを得ていたのだと。

 出会いと別れは対なのだから、それが単に今訪れただけなのだと。



 そういうことならば、俺は力なんて欲しくなかった。



 美桜があの日教室で『見つけた』だなんて言わなくても、多分きっとこうなっていた。

 どういうわけか干渉能力を持って生まれた俺が誤って用水路に落ちたあの日から、きっと全ては決まっていた。

 いや。もしかしたらもっと前。

 ドレグ・ルゴラは俺の中の何かを察知して、最初からこうする予定で。





















 ――そこから直ぐに意識が飛んだ。





















 つまり俺は、負けたのだ。

 ガチな魔法戦でもなく、血で血を洗う肉弾戦でもない。


 心理戦に負けた。



 負けて、自分の身体を明け渡した。





















「ク……、クククッ。フハッハハハハハハ……ッ」


 俺の身体が肩を震わせ笑っている。


「遂に――、遂に手に入れた。最強の人間の身体を。私を倒そうとやって来た救世主の身体を、私は遂に手に入れた」


 俺の中に入り込んだドレグ・ルゴラが俺の声で叫んでいる。

 黒い湖を眼下に、俺は人間の姿のままで宙に浮いていた。キースは消え、代わりに、俺の中におぞましいものが入り込んだ。

 テラに身体を乗っ取られていたときとは全然違う。対等な同化ではないというのが直ぐにわかった。


「あの下劣な金色竜と違って、ある程度の(うつわ)がないと、私の場合受け入れてもらえないのでね。流石救世主と呼ばれるだけのことはある。こんなにもすんなりと私の身体が入り込めた。上手いこと湖の水を大量に取り込んでくれたこともあってか、私の身体は君の身体によく馴染む」


 ヤツは俺の身体のあちこちをまじまじと見つめ、満足げに口角を上げた。

 やはり湖の水には何かあったらしい。もしかしたら、やたらと変な映像が見えたのもそのせいなのだろうか。


「潜在能力はキースよりも格段に高い。が、操りきれていないのは実に惜しかった。しかし、私ならば存分に発揮させることができる。全てを破壊する力に変えて」


 ドレグ・ルゴラはそう言って、俺の顔でにんまりと笑った。

 腕を鳴らし、


「さて」


 と前置きすると、ドレグ・ルゴラはグルッと周囲を見渡した。

 黒い水平線がどこまでも続く閉鎖空間。レグルノーラの大地の端っこが遠くに見えている。

 ドレグ・ルゴラは一旦目をつむり、それからパッと目を開いた。

 同時に俺の衣装が真っ黒に変わっていることに気付く。市民服基調の戦闘服が消え、上から下まで真っ黒い軍服のような格好に。このむさ苦しいほど蒸した空気を無視して、黒いブーツに黒革の手袋まで付けている。


「正義感の強そうな服は嫌いだ。やはり私はこうでなくては」


 かの竜は満足げに頷いて、それから一つ、足元に魔法陣を描きだした。


――“レグルノーラの中心部へ”


 魔法陣が光り、身体を照らす。


「人間どもがどんな反応するのか、実に楽しみだ」


 ドレグ・ルゴラは俺の声でそう言って、不敵に笑った。


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黄昏のレグルノーラ~災厄の神の子と復活の破壊竜~
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「レグルノーラの悪魔」から20年後のお話です。
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