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13.どうすれば

 誰かを信頼するってことは、かなり勇気の要ることだ。

 あの鉄仮面の芳野美桜が、俺のことを『信頼している』と言った。それは決して愛の告白ではないのだけれど、俺は心底びっくりして、ただただ呆然と美桜の真っ直ぐな瞳を見ていた。

 下心半分で“裏の世界”に付き合っていたんじゃないのかと言われたら、反論できない。常に、もしかしたら美桜は自分のことを好きなのではとか、恋愛対象として見ているのではとか、ありもしない妄想を続けていた自分が恥ずかしい。


「こ、根拠は?」


 眉をひそめ、テーブルの向こうに座った美桜を見た。


「俺のどこが信頼できるんだよ。こんな……」


「――もし、凌が」


 美桜は続ける。


「凌が酷い人間だったとしたら、伯父と同じように、私が“裏の世界”に干渉していると知っただけで私を軽蔑していたでしょう。いくら自分が同じ力を持っていたとしても、それを信じることなんてなかったはず。私を軽蔑し、“裏の世界レグルノーラ”を否定し――。いいえ、そんなことよりも、まず」


 それから彼女はしばらく無言で、俺から目を逸らしてうつむいた。


「私と二人きりになっても、私との距離を崩さないのが、嬉しかった」


 ――な、なんだそれ。

 どういう意味なんだ。

 喜んでいいのか悪いのか。距離を崩そうとしないのは美桜の方じゃないのか。もっと噛み砕いてくれないとわからない。

 美桜は大切なことを直接的には言わないのだ。複雑な生い立ちから察するに、それは彼女なりの処世術なのだろうが……。言われた方からすれば迷惑な話だ。彼女の曖昧な言葉から、真意を推測しなきゃならないんだから。

 静かな時間が続いた。

 風のそよぐ音と鳥のさえずりが、やたらと耳に入ってきた。

 手のひらににじんだ汗を誤魔化そうとして、膝の上で手を握ったり開いたりを繰り返してみたり、飲み干した紅茶の隣で早く食べてと主張しているケーキを見つめたりしたが、彼女は何も言わず動かず、ずっとそのままだった。

 時計の針がカチカチと時を刻む音まで気になってくる。

 俺は観念し、いい加減この話題から離れた方がいいと考えた。追求するのは、彼女にとっても俺にとってもプラスにはならない気がする。

 頭を二、三回ボリボリと掻き、それからさてどうしようかと顔を上げた。


「――で、その……、俺に言いたいことがあったんだろう。二人きりでないと話せない何か……大事なことが。まさか、今のが大事な話だったなんてことは」


 ハッと美桜は思い出したように顔を上げ、


「ごめんなさい、本題に入るわ」


 と返事する。


「“ダークアイ”のことで気になることがあって」


 よかった。いつもの美桜に戻っている。

 彼女は空になっていたティーカップになみなみと紅茶を注ぎながら、


「色々考えたんだけど」


 と前置きして話し出した。


「もしかしたら、私が原因かもしれない。“ダークアイ”は、私が引き寄せたのかも」


「――え?」


「私が原因かも、と、言ったのよ」


 二度も言わなくったって、聞こえていた。

 美桜は一度紅茶をすすってから、大きくため息をつく。


「はっきりとはわからないけど、あの“小路のゲート”が狙われているとライルに言われたときから嫌な予感がしていたの。“日中時間帯”にも引っかかる。“こちら”と“あちら”はリンクしているから、時間帯もほぼ一緒なのは、凌もわかっているわよね。“あちら”で“日中”に出没するってことは、“こちら”でも“日中時間帯”に、誰かが魔物を送り込んでいると考えるのが自然。もしかしたら、私たちがあの“ゲート”を利用することも、私たちが“干渉者”だってことも、相手には筒抜けなのかも」


「ば、馬鹿なこと言うなよ。“レグルノーラ”や“干渉者”のことを、他にも知ってる人がいるってのか」


「いないとは限らないわ」


「そ……そりゃ、そうかもしれないけど」


 だからって言って、そんなのは美桜が自分のせいかもと思う理由にはならないだろう。

 困惑する俺に、美桜はまた淡々と話を続ける。


「“ダークアイ”が出るようになったのは、私が凌と交際してるって認めた直後からよ」


「え?」


「『放課後に会うのをやめましょう』と言った後は、まだ、あんな魔物は存在しなかった。芝山君が変な誤解をして騒ぎを大きくしたから、私はあの場を収拾するつもりであんなことを言ってしまったのだけど、それがいけなかったのね」


 しゅ……収拾するつもりでって、明らかに火に油注いでたようにしか見えなかったのだが。やはり美桜の感覚は、どこか凡人とズレている。

 自分がどういう目で他人から見られているかなんて、彼女は考えたことがないんだろう。スタイルもいい、顔もいい、頭もいい、クールでみんなの憧れの的みたいな存在だというのにまるでわかっちゃいない。

 あの後、嫉妬の目があっちからこっちから俺に向けられているということさえ、彼女にとっては些細なことなのだろう。

 ――ん? 嫉妬?


「嫉妬の、“目”、じゃないのか。“ダークアイ”の正体って。美桜と俺に向けられてる、嫉妬の“目”」


「でしょうね。嫉妬だったり、嫌悪だったり、冷やかしだったり。そういうマイナスの感情があの魔物を生み出したというのは、間違ってないと思うわ」


「そうなると、魔物を送り込んでるのは学校関係者ってことになる。でもそれって、無理があるような気が」


「あり得ない話じゃないわ。それに、意図的ではなく、無意識的に送り込んでいる可能性もある。自分の“干渉能力”に気付かぬうちに、悪意をもって“レグルノーラ”に干渉することだってあるでしょうよ。あなたが、夢を介して“レグルノーラ”に現れたように」


 そうだった。

 俺も、知らず知らずのうちに“レグルノーラ”に行ってたんだった。

 厄介だ……。“こっちの世界”だけのことだったり、“あっちの世界”だけのことだったりするなら解決方法も探りやすいだろうに、なにせ正体不明の“悪魔”、悪意の出所を探るなんて雲を掴むような難しさだ。

 それでも、“こっち”で“悪魔”を捕らえないと、“あっち”の魔物は消えない。これなら、“あっち”で魔物をぶった斬ってたほうが楽だな。

 そう考えると、何だかとても複雑なことに巻き込まれているような気がする。俺はブルッと肩をふるわせ、ゴクリと大きく唾を飲み込んだ。


「それにしても、あんなことくらいで嫉妬するなんて馬鹿みたい。私のような女があなたと付き合ってるのがいくら不合理だからって、魔物を発生させるほど嫉妬するのは異常だと思うわ」


「ハァ?」


 な……何かが、おかしい。

 美桜は何か、大きな勘違いをしている。

 嫉妬されているのは俺で、美桜みたいな美少女と何の取り柄もないパッとしないブサメンが付き合ってるなんてあり得ないって陰口叩かれてるのも俺で、美桜は嫉妬の標的になってるわけじゃないと思っていたんだが。

 あのときだって、俺のことを酷く言う声があっちこっちで聞こえていたというのに。


「嫉妬の対象は、私よ。凌じゃない。それは間違いない」


 美桜はまだ、そんなことを言う。


「逆だろ。『来澄凌なんていうキモい男が、芳野美桜っていう美少女と付き合う理由がわからない』って、俺にはそういう声が聞こえてたけど?」


 口調を強めた俺に、美桜は大きく首を横に振った。


「私には別の声が聞こえていたわ。『最低な女ね』『公衆の面前であんなことまでやるなんて、本当はかなりの男好きなんじゃない』『芝山君可哀想、あんな女に惚れてたなんて』『普段はツンツンしてるのに、実は淫乱なんだ』『ついに本性を現したわね』『人間として最低』『自分がモテると思って、あんなことをしてるんじゃないの』『だから友達がいないのよ』……悪意の塊がうずいていた。私は気丈に振る舞うのが精一杯だったというのに、やっぱり凌の耳にはそんな声、微塵も聞こえてなかったってわけね。“自分に都合の悪いことが優先して聞こえてくる”って、聞いたことあるもの。互いに、自分に対しての悪口ばかり聞こえていたということなのかしら」


 眉間にシワを寄せ、ギリリと奥歯を噛む美桜の様子から察するに、彼女の話は本当で、それによって彼女はかなり傷つけられているということか。

 俺は……、俺は何を言われても今更感があるが、美桜には耐えられなかったかもしれない。もしかしたら、内面はものすごく繊細なのだろうか。


「ちなみに……言ってたのって、やっぱり女子……、なのか」


「どっちってわけじゃないわ。男も女も関係なしに、酷い言葉を浴びせていたもの。――ところで、凌は最近、誰かに付けられているような気がしない?」


「付けられてるって……」


「誰かに、ストーキングされてる気がしないかって、聞いてるの」


「ハァ?」


 思わず大きな声が出た。

 ストーキングって、また物騒な。


「誰かが、私たちの後を付けてるみたいなの。二人で一緒にいるとき、特に視線を感じるのよね。放課後に会うのをやめようって言ったときも、屋上でレグルノーラに飛んだ後も、気持ち悪いくらいねっとりした視線を浴びせてたわ。学校では二人きりになれる場所を探しても無理。だから今日ウチに呼んだの」


「あ……ああ、それで」


 納得した。

 突然女が男を自宅に招くなんて、ああいうことやこういうことになってもOKだよって意味だと勝手に思い込んで、ついでに実行してしまうところだった。美桜に限ってそれはないだろうと踏んでいたが、そういうことか。

 本当に聞かれてはマズい話……、敵に関しての情報共有をしたかった、と。


「さっきも、公園に誰かいたでしょう」


「え?」


 さっき?

 ツツジ公園で、誰かが俺たちを見張っていた……のか?

 何の警戒感もなく美桜の私服を想像し、今日何が起こるのか想像し、デレデレと変な顔しながらスマホいじってた俺が、第三者の視線なんかに気付くわけない。美桜が肩を叩くまで、後ろから彼女が歩いてきたことすら気が付かなかったというのに。


「やっぱり……、凌は気付いてなかったのね。ここ最近、ずっと誰かが私たちの後ろを追ってるのよ。屋上で今日のことを約束したじゃない。それも全部立ち聞きされていたみたい。人影が見えたもの」


 サーッと、血の気が引いた。

 まさか。二人っきりで見つめ合って意識を飛ばしている間のことはわかりようがないけど、それさえも見られていたとしたら。俺たちが飛んだのを確認して、相手も“レグルノーラ”へ悪意をもって“干渉”していたとしたら。


「決していい状況じゃないわ。相手が誰かわからないけど、私たちの行動を把握することができる人物でしょうね。つまり、学校の中の誰か。生徒かもしれない、先生かもしれない。更に、もし無意識的に“干渉”しているなら、最悪」


「なんで?」


「無意識的な場合は、本人の深層意識の中で“干渉”している場合が多いからよ。本人は“裏の世界”の存在は知らないし、“干渉”しているつもりもない。表面的にはマイナスの感情を全く見せない代わりに、心の中では煮えくりかえるほどの悪意を持っている。そんなの、どうやって見つけ出したらいいと思うの」


 厳しい目が向けられる。

 俺には何も言い返すことができない。

 飯田さんの作ってくれたケーキを、フォークでそっと崩した。大ぶりのイチゴがのったショートケーキ。相当気合いを入れて作ってくれたらしく、まるでお店で売っているような美しさがある。口に含むと、イチゴと一緒に隠し味のレモンの匂いが広がった。甘酸っぱい。だが、繊細で優しい味。

 美桜は、本当に困っているのだ。だから俺を呼んだ。

 今まではどうしていたんだろう。俺をスカウトする前、一人で“干渉”していたとき、何か問題に直面したら、彼女は“この世界”で誰を頼っていたんだろう。

 飯田さんに全部話しているとは到底思えない。いくら美桜の母親が“干渉者”だったからって、飯田さんにどこまで理解できていただろうか。

 気丈に振る舞っていても、その細い肩はどこか頼りない。誰かが支えてやらなければ砕けてしまいそうだ。

 例え彼女が俺のことを表面上でしか彼氏扱いしてくれないとしても、俺は彼女を守っていくべきだ。誰のことも信頼できない、誰にも自分のことを話すことができない彼女が、生い立ちや自分の置かれている立場まで話してくれているんだから。

 フォークを皿に一旦置いて、紅茶をすする。それから両膝に手を置いて、深く息を吐いた。


「どうればいい。さしあたって、俺たちはどうすればいい」


 俺にしては珍しく能動的な発言だった。

 今までは、ずっと美桜の指示通りに動いていただけだったが、彼女と“レグルノーラ”を守っていくために俺が動かなければならないという思いで、そう切り出した。


「どうにかして、“悪魔”を見つけ出すことね。“干渉者”特有の“臭い”に気が付けば一番だけど、そんなものアテにならないわ。まずは周囲に気を配ること。怪しい人物をピックアップして、一人一人虱潰しに当たってみるしかないでしょうね」


「む……難しいな……」


「ええ。ものすごく難しいことだと思うわ。第一、見当すらついていないんだもの。凌は男子と、男の先生を探って。私は女子と、女の先生を探る。連絡は常にレグルノーラで取り合う。相手に情報が筒抜けるのを防ぐためよ」


「つまり、授業中に飛ぶのを習慣づけろってこと?」


「そう」


 結局、そこに行き着くのか。

 俺は頭を抱え、大きくため息をついた。

 苦手なんだ。授業中の短い時間に飛ぶなんて、できそうにない。


「強くならなきゃ勝てないわよ」


 組んだ腕をテーブルに載せ、前屈みになって美桜は言った。


「今の凌は“レグルノーラ”でイメージを“具現化”させる力が、圧倒的に弱すぎる。想像力を高める訓練が必要ね。そしてこの間も言ったけど、いつでも“レグルノーラ”に飛べるようにならなきゃ、意味がない」


 それは、前にも聞いた気がする。


「急激に強くなる方法……って、あるのか。短期間で強くなる、効率的な方法とか」


「残念だけど」

 姿勢を戻しながら美桜は、短く息をつく。


「そんなもの存在しない。ただ言えるのは、“レグルノーラ”では“心の力”が強く影響する。強くなるためには、“精神力”と“想像力”を高めていくしかないと思うわ」


 結局、振り出しに戻った。

 そりゃそうか。ゲームじゃあるまいし、簡単に強くなれるアイテムや方法なんて存在するわけない。努力と訓練だけが道を開くってヤツか。


「でも……、全く、方法がないってこともないわね」


「えっ?」


 ガバッと顔を上げて、美桜を見た。

 彼女はにたりと不敵な笑みを浮かべ、


「でも、できるかしら。確か凌って、芸術選択は美術だけど、センスも成績も最低だった覚えがあるわ。それに、この間はっきりしたけど、あなたの想像力はあまりにも貧困すぎて。残念ながら普通の干渉者と比べても“具現化能力”が著しく欠如してるわけだし、これが功を奏するかどうか、やってみないとわからないけど」


 ……痛いところを突く。


「悪かったな。どうせ俺は干渉者には向いてないよ」


「それでも“力”はあるんだもの。やってみる価値はあると思うの。ものの形を覚える訓練、頭の中でものの構造を映像化する訓練を、日常生活でも行うようにすれば……、あるいは効率的に“具現化能力”を高めることができるかもしれない」


「つまり、どういう」


「武器や兵器の知識、戦闘における身のこなしの知識を、よりはっきり“イメージ”として脳内に浮かび上がらせるための訓練をするのよ。よりはっきりした“イメージ”を“具現化”できれば、“干渉者”としてのランクがグッと上がるんじゃないかしら」


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黄昏のレグルノーラ~災厄の神の子と復活の破壊竜~
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「レグルノーラの悪魔」から20年後のお話です。
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