127.一つの解決策として
黒雲が空を覆っていた。
真っ昼間とは思えないほど外は暗く、ディアナの放つ魔法の光が眩しすぎるほどだった。
大穴から這い出そうとする骸骨兵たちは、聖なる光が溢れるグラウンドに這い上がることもできず、穴へと落ちていく。流石は塔の魔女。屈強の能力者たちが何人束になっても為す術がなかった状態を、あっという間に解決してしまう。
ようやく気を抜くことを許されたレオたちが、ディアナの側に駆け寄っているのが見えた。
芝山もサーベルの刃先を地面に落として、肩で息をしている。
「ディアナ様……、リョウの様子が」
聞いたのはノエル。
彼女は声の調子を変えずに、
「わかっている」
と静かに言った。
「私は白い竜を殺せと言ったのだがね。凌はどうしても助けると言って聞かなかった。竜石を使って、白い竜の力を封じ込める作戦らしい。竜石のところまで白い竜をおびき出すために、自分を竜に変えようとしている。人間の姿のままでは竜に太刀打ちできないからね。全く、ふざけたヤツだ」
「な……! あンの、馬鹿救世主……!」
ノエルが怒るのも無理はない。散々偉そうなことを言っておきながら、結局はこんな方法しか選べないのだから。
視界の外で濃い緑色の光が放たれた。ノエルの魔法。力を魔物の姿に変えて具現化させるのだ。光を帯びながら俺と白い竜の間に出現する人型の影。やがてそれが石の巨人、ゴーレムであることがわかると、白い竜は瓦礫の上で首をもたげ、前のめりになった。
潰れた校舎から半身はみ出すほど大きなゴーレムが、俺に背を向け立ち塞がるようにして大きく両手を広げた。
「リョウ! オレがやる! お前は引っ込んでろ!」
足元で必死に叫ぶノエル。その声は、いつもよりずっと感情的だった。
「オレの巨人が竜をおびき出す。お前は何もせず、さっさと元に戻れ!」
何度も俺の危険な戦い方を目にしてきたノエルには、俺の無謀さがよく分かるのだろう。声の限り叫ぶ姿に胸が痛む。
悪いな、ノエル。俺は本気だ。
言おうとしたが、既に俺の口は言葉を失って、低い唸り声だけしか発することができなくなっていた。
「戻るつもりはないだろうよ」
ディアナはまた冷徹に言った。
「あいつは全てを懸けて美桜を元に戻そうとする。私と一緒だ。何かと引き換えでも良い、とにかく自分のできる全てをやらなくちゃと、そればっかりなのさ。やらせてやりな。そして、あの単純で真っ直ぐな生き方しかできない愚か者の望みを、どうか叶えてやっておくれ」
その言葉がまた、胸に刺さった。
額に埋め込んだ石が、ミシミシと音を立て始めていた。竜化が進み、竜人よりももっと竜に近づいているというのが感覚でわかった。コントロールしきれない竜の力を封じておくための石は、もうすぐ役目を終えようとしている。
――“竜石よ、砕けよ。力を解放し、我を竜に変えよ”
パリンと石が砕け散った。
俺は竜になる。かつての救世主がそうしたように、自分の身体を溢れる力に任せて竜に変えていく。
細胞の一つ一つ、身体の組織の一つ一つを変化させ、人間とは異なる生物になっていく。
みるみるうちに俺は、自分の知らない大きさにまで身体が膨れていることに気が付いた。竜人の姿になったときより、テラの中に入り込んでしまったときよりもずっと大きい。白い竜には及ばないが――人間を小さいと感じてしまうほどの大きさにまで巨大化していた。
足元で逃げ惑う仲間たちの姿があった。突如現れたもう一匹の竜に恐怖しているようにも見える。
校舎のガラス窓に金色の竜の一部が映っていた。そこに見える竜はテラではなかった。頭部が長く、羽と前足が一体化したプテラノドン型のテラとは全く違う、別の竜だ。
『後先考えずに竜になったところで、ドレグ・ルゴラの魔手から逃れられるわけではないのだぞ』
わかってる。テラの警告は本当に、身に染みるほどわかってる。
けれど、俺は本当に不器用で、目の前にある事象の一つずつにしか対処できない。
今はただ、美桜を救いたくて。
『いずれ……こうなるのはわかっていた。キースのときもそうだった。同化の時間が長ければ長いほど、竜の力は身体に馴染んでいく。そうして混じり合って、最後には人間であったことさえ忘れてしまう。それでも、彼はドレグ・ルゴラを倒すことに執着した。君と同じ。大切なモノを失った悲しみや怒りが、全てを超越してしまったのだ。君は……まだ、心を残している。けれど、目の前の白い竜が美桜の心を残しているとは限らないのだぞ。君はそこまでして彼女を』
――そう。
馬鹿げたことだって、みんな嗤うだろう。けど、俺は至って真剣に。
ドンッと大きな音がした。ゴーレムがその大きな右手を、白い竜の首めがけて突き出していた。白い竜は身体を仰け反らせ、羽を大きく開いてかわす。怯まず崩れた校舎の壁をよじ登るゴーレム、剥き出しになった鉄筋などに構わず、白い竜を追う。
白い竜は一度立ち止まり、体勢を整えて大きく息を吸い込む。ヤバい。思ったのも束の間、ガバッと口を開いた白い竜は、俺とゴーレムめがけて勢いよく火を吐いた。
ゴーレムの足元が揺らぎ、炎が俺の顔面へ。硬い皮膚が炎を振り払い、俺はホッと胸を撫で下ろす。
白い竜との距離が離れる。俺はゴーレムを飛び越えて白い竜に迫った。ぐるんと長い尾を振り回し、彼女は俺を払おうとする。更に体当たり、地面まで突き飛ばされ、大穴の寸前で止まる。間一髪で誰かが難を逃れているのを横目に、俺は再び飛び上がった。中庭に足を突っ込んで白い竜を殴りつけるゴーレム、それを嘲笑うかのように攻撃をかわし続ける白い竜。時に炎を吐き、時に大きく羽ばたいて埃を巻き上げ、殴り、尾で払う。竜となった俺よりも、ノエルの出したゴーレムよりもずっと大きな白い竜に、俺たちは苦戦した。
攻撃を受ける度に凄まじい衝撃が身体中に走り、竜となっても互角ではないことを思い知らされる。
強い。強すぎる。
俺の体当たりなどではびくともしない。
それは、ゴーレムを操っているノエルも感じているに違いなかった。召喚の傾向から言うに、ノエルは恐らくこれ以上大きな魔法生物を具現化できない。しかも、ゴーレムは術者のノエルからどんどん遠のき、そのコントロールすらままならなくなってきている。
白い竜でさえこうなのだ。ということは、ドレグ・ルゴラは。考えると身震いする。ダメだ。今は目の前のことだけを。
と、ゴーレムの身体が結界に打ち付けられた。
それまでひびが入る程度で持っていた結界が、とうとう破れだした。穴の空いた結界の向こう側には、坂の上の高級住宅地が見えていた。住宅の窓から、庭から、不安そうにこちらを見つめる人々がいる。
結界を直さなくちゃ。結界の穴を正面にして両腕を突き出した途端、外から悲鳴が聞こえてきた。しまった。俺、竜に。
「凌! 私がやる!」
どこかでディアナが叫んだ。
光と共に結界の穴がどんどん塞がれ元に戻る。早い。
「悪いけど、さっさと片付けてくれないか? “表”で多くの魔法を同時に使い続けるのは辛い」
辛いと言っておきながら、ディアナの力は全く弱まる気配を見せなかった。流石は塔の魔女。無尽蔵な力を持っているというのはあながち嘘じゃないらしい。
穴が完全に塞がり、俺は安心して白い竜に身体を向けた。
石製のゴーレムが炎を振り切り白い竜を追っている。校舎をどんどん崩しながら、白い竜に何度も手を伸ばす。その度に白い竜は攻撃をかわし、どんどん高度を上げていた。
やがて完全に校舎から足が離れ、白い竜は空に浮く。
この時を、待っていた。
――“白い竜の動きを封じよ”
俺は魔法陣を展開させた。大丈夫、まだ魔法が使える。赤黒く光る巨大なリングが五つ、白い竜の身体を取り囲むようにして出現する。何が起きているのか、白い竜が事態を把握する前に、リングで巨体を――拘束した。自由を失い、羽さえリングに挟まれた白い竜は、急激に高度を下げた。
今だ。
頼む、陣!
「アシストって、こういうこと?!」
困惑した陣が、竜石を積んだ車両の運転席に乗り込んだ。エンジンをかけ、落ちてくる白い竜の真下へ車体を滑り込ませる。
当たり!
流石、俺の言いたいことちゃんとわかってる!
追加の魔法。
――“竜石よ、白い竜から力を全て奪い取れ!”
山盛りの竜石の真上に、俺は大きな魔法陣を描いた。
竜石が赤く光る。皓々と光る。
その光が落ちてくる白い竜の身体を下から照らし、包み込んでいく。
時が……、止まった。
白い竜の身体は空中で静止し、赤く照らされ、徐々に分解されていった。
光の粒となった細胞が数多の筋となって、竜石に向かい吸い込まれていく。
膨れるだけ膨れて、それでも尚まだ肥大化を続けていた身体は、少しずつ輪郭を小さくした。
小さな欠片でさえ十分に竜の力を吸い取るのだ、この量ならば存分に白い竜の力を吸い取れるに違いない。
車両に積まれた石という石が光った。
陣が運転席から飛び降り、頭を上げた。
表情が明るい。両手を天に向けて差し出し、陣は何かを受け止めようとしている。
白い竜は、急激に身体を小さくした。竜から竜人へ。徐々に、人間のシルエットが浮かび上がってくる。
「美桜!」
陣が叫んだ。
一糸纏わぬ美桜が居た。
背中の羽と、長い尾、それから手足に鱗は少し残っていたけれど、確かにそれは美桜だった。
時間が動き出す。
美桜の身体を両手でしかと受け止めた陣が、彼女をそっと抱きかかえる。
グッタリとしてはいるが、血の気はありそうだ。
茶色の髪、白く柔らかな肌が戻って来ている。
それぞれが戦いを止め、美桜の元に駆け寄った。芝山は武器を放り投げ、ノエルはゴーレムを光に戻した。裏の干渉者たちはホッとしたようにグラウンドにへたり込んだ。隠れて戦闘を見守っていたらしいモニカとケイト、須川も建物の影から飛び出してきて、一気に場が盛り上がっていた。
半竜人よりも少しだけ人間に近い状態にまで元に戻った美桜が、ゆっくりと目を開けている。
彼女の目に、俺はどのように映っているのだろうか。
知らない竜が居ると、そう見えただろうか。
彼女の心は戻っているのだろうか。
自分のしたことを知っているのだろうか。
彼女の力は消えたのだろうか。
竜石はどの程度まで彼女の力を消したのだろうか。
わからない。
聞く術もない。
もう、言葉すら話せなくなってしまった。
黒い雲を透かして、ほんのりと日の光が差し込んでくる。けど、雲は晴れない。聖なる光の魔法で骸骨兵こそ這い上がることはなくなったが、大きく開いた穴の中からは黒い蒸気が絶え間なく立ち上っている。
地面に降りて、仲間と喜び合うことなどできない。
ただ遠目に、彼女が無事だとわかれば、それで。
俺はゆっくりと向きを変え、グラウンドに空いた大きな穴の真上まで進んだ。
気が付いたのはディアナだけだった。彼女は人の輪を抜け、穴の縁に立っていた。
『いいのか?』
とテラ。
何を今更。俺は頭の中で問いかけてくる相棒に言う。
ディアナは俺の顔を見上げ、いつでも良いよと声に出さずにそう言った。
意を決し、穴へ飛び込む。
「――凌!」
誰かが叫んだ。
「ディアナ様! どうして凌を!」
ディアナは何も答えない。
彼女の放った魔法の光が凄まじい勢いで穴を塞いでいく。開きすぎてもう不可能だと思われたことを、やはり彼女はいとも簡単にこなしてしまうのだ。
やがて俺の身体は全部穴に沈んだ。
頭の上で穴は完全に閉じた。
よかった。
これでリアレイトに、これ以上黒い力が広まることもない。