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122/161

122.喝

 絶望というのは突然現れるものではない。

 音もなく徐々に忍び寄り、頃合いを見計らったかのように姿を現すものらしい。

 彼女は誰にも言わなかった。

 苦しいだとか、助けてだとか。そういう心の弱い部分を、ずっと隠していた。

 溜め込んでいた悲しみが暴発してしまったかのように、彼女の身体は白い竜となって膨れあがった。

 大地震でも起きたかのような――グラウンドには大穴が飽き、校舎は崩れ、生徒は逃げ惑う、これは恐ろしい光景に違いない。けれど、俺の感覚はもう完全に麻痺していて、骸骨兵に囚われた生徒や大穴に呑み込まれる生徒を見ても、可哀想だなんてことは考えられなくなってしまっていた。

 ただただ、この事態を止めることができたのではないかと自問自答を繰り返す。

 力を持っていながら、上手く操れないばっかりにこんな事態を招いてしまった。彼女の側に居て、昨晩だって長い時間触れあったというのに。

 とすれば、やはり俺が一番悪い。

 決して、彼女ではないはずだ。


 大切なモノがなくなっていくのは一瞬だ。

 そして、そういった場面に直面したときには大抵、手も足も出せないのだ。


 白い竜はなおも肥大化を続ける。

 一人の少女だったその身体は、いつの間にか、ただの魔物になってしまっていた。部室をぶち破り、校舎を崩し、その重みで校舎の二階の天井も踏み抜いた。身体をくねらせ長い尾をバタンバタンと動かす度に、校舎の壁がどんどんどんどん壊れていく。天に向かって咆哮すると、空気全体が悲しいほど激しく揺れた。


『凌、諦めろ。アレはもう、美桜じゃない』


 テラは俺を気遣った。

 俺の中に居て、テラはテラなりに何か感じていたのだ。

 ヒューズが飛んだように感情を抑えられなくなり、何度も力を暴走させてしまった俺を哀れに思っていたのかもしれない。昨日の今日で彼女が彼女でなくなってしまったことを、俺はきっと受け入れられないだろうと思っていたのかもしれない。シバを殺したと勘違いし、黒い湖の底で芝山を殺そうとした俺を思い出していたのかもしれないし、自分の身体がかの竜に狙われているのだと知って自暴自棄になってしまったらどうしようだとか、そういうことも考えてくれたのかもしれない。

 けれど実際は、そういう感情とは別次元のところで、もう俺は自分の存在を信じてはいけないんだと、自分の大切なモノなんてこの世界には存在してはいけないんだと示されたような気がして。


 なんだろう、空っぽってのは、こういうことを言うんだ。


 自分が自分でなくなるというか、自分とは何のための存在なのかとか。


 力なんて、何のために手に入れたんだろう。

 俺じゃなきゃダメだったのだろうか。


 精神不安定でマイナス思考で、誰かのために動こうだとか誰かのために生きようだとか、追い詰められて初めて考え始めたくらいの人間なのに。

 期待されて、応えようと必死になって、初めて誰かのために頑張ろうと。

 孤独から解放されて、ようやく仲間とか友情とか愛とか、そういうモノに触れることができたばっかりだったのに。


 どうしてだろう。

 涙が。

 涙が止まらない。

 身体が震えて寒気がして。

 恐怖? 絶望?

 よく……わからない。

 頭の中が真っ白になっていく。

 思考回路が途切れて、自分の身体から意識がどんどん離れて行ってしまう。

 俺は俺であって俺ではなくて、自分の中にある力が(うつわ)からどんどん出ていくような気がして。


 立っている?

 立ち尽くしている?

 見上げている?

 呆然としている?


 こうなる運命だった?

 どこで歯車が噛み合わなくなった?


 最初から、全部全部決まっていて、俺たちはただ弄ばれていただけだった?


『意識をしっかり保て、凌!』


 保つ? 何を?

 テラは何を感じてる?


『君が絶望したら、全てが終わりだと言っている。このままでは、かの竜の思うがまま。目を覚ませ!』


 目は覚めてる。

 美桜が巨大な白い竜になって全てを破壊していく様をただ眺めている。

 彼女が大切にしていた日常を、彼女自身が壊すのをしっかりと目に焼き付けている。

 魔法は様々な物理法則を無視する。簡単に遺伝子情報を書き換え、簡単に質量保存の法則を無視する。彼女の中に眠っていた力を変換し、巨大な竜へと変えていく。あの青の混じった幻想的な瞳も、明るい茶色の髪の毛も、透明な肌も、柔らかかった唇も、何もかも。


 巨大な大穴を介して、本来あり得なかった事象が当然のように起こっている。

 二つの世界は融合していく。

 どちらが“表”でどちらが“裏”か。

 そもそも“表”では魔法なんて概念は存在しないはずなのに。


 自分はどこに居るのか。

 自分の感覚がおかしいのか。

 どんどんどんどんわからなくなっていく。


 崩壊していく校舎を呆然と眺めているだけの俺に、誰かが殴りかかった。身長が足りず、頬をぶつつもりが少し外れてアゴに当たったらしく、変なところがキンと痛んだ。


「クソ救世主! 馬鹿か! 何呆けてるんだよ!」


 ノエルだった。

 ふらついた身体を元に戻しながらアゴをさすると、益々ノエルは機嫌を悪くした。


「大事なことを隠しておいて、バレたからってそういう態度に出るわけか。最低最悪もいいところだな。責任取れよ。“力”があるんだろう」


 どうやらモニカとケイトの魔法で無事校舎から逃れたらしい面々も、いつの間にか俺の前に立っていた。

 皆悲壮な表情をしていたが、少なくとも俺よりは正気に見えた。


「望んで手に入れた力じゃない」


 俺は顔を左右に振って、ボソリと答える。


「そういうのがな……、更にムカムカするんだ。どんなに手に入れたくても、どうしても手に入らないヤツはたくさん居る。それを、だ。『望んでない』? 知るか! 望んでなければ放置してもいいってわけか? 『二つの世界を救う』って意気込みは、結局口先だけだったってわけだ。オレたちは踊らされてた。こんなクズに! 最悪もいいところだ。他に頼りどころのないオレたちを、お前はそうやって放置して、逃げるのかよ!」


 ノエルは足りない背で俺の胸ぐらを掴んだ。生意気な目に、大粒の涙が光っている。顔を真っ赤にして必死の形相で。


「ノエル、お前に何が」


「――わからないとでも思った? 残念。力のせいで全てを失ったのが自分だけだって勘違いしてないか? オレだってモニカだって、大事なモノは全部置いてきた。他の人と違う何かができるってことが特別だなんて思ってなくても、結局自分にしかできないと知らされたら、諦めなきゃいけないことだってあるだろう。誰が好きで大人と同じことをしてたと思う? 力のレベル? 知らねぇよ! お前にしか? だからなんだ。オレだって子どもだった、親にだって甘えたかった、自分の好きなことは一切できなかった。同じくらいの子どもと遊ぶ権利くらいあったはずだって何度も訴えた。けどさ、ダメなんだよ。『お前にしかできない』大人は簡単に言う。それがどれだけ人を傷つけるかなんて言ったヤツにはわからない。けどさ。やっぱりそうやって言われて、考えて考えて、やっぱり自分しか居ないって思ったら、腹くくるよな? 逃げたら負けだ。逃げて終わったら、全部終わる。リョウ、お前、自分で何度も言ってただろ。なのに何で今になって逃げようとするんだよ! オレたちは何のためにこんな所まで来たっていうんだよ!」


 ノエルの顔は、涙でぐちょぐちょだった。

 気丈に振る舞っていたのが嘘のように、鼻先を真っ赤に腫らして、歯を食いしばって。

 ほんの数ヶ月だ。俺にとって、苦しかったのはほんの数ヶ月。けれどノエルは? モニカは? ディアナは? レグルノーラに暮らす連中にとって、苦しみはどれだけ続いていた?

 重圧に押し潰されていただけと言われたら、確かにそうだ。

 俺は自分の力をありがたいなんて思ったことはないし、まして、それによって自分の地位が高まったなんて思ったことも一度もない。

 けれど、周囲は俺を救世主ともてはやし、俺に(ひざまず)き、俺に頼る。

 自分のまま居ればいいと表面では思っていながら、どこかで自分は特別なのかもしれないと思い始め、それが行動や態度に表れてしまっていたことは否めない。ディアナが俺を救世主だと断定した辺りから、確かに俺はおかしかった。ノエルとモニカが従者として宛がわれてから先、力が強くなっていたことも相まって、俺は図に乗っていた。

 だからこそ、次々にかの竜が仕掛けてくる罠に嵌まる度、俺はどんどん打ちのめされた。

 肩書きと実際の俺の不釣り合いを感じながら、できる限りの力を振り絞って堪えてきたつもりだった。

 孤独な戦いだ。

 周囲に誰かが居るとか居ないとか、そういう問題じゃなくて。

 自分という存在をどうにか維持していくための、精神的な戦い。

 まるでこの世に自分しか存在しないのではないかと思ってしまうような激しい孤独感との戦い。

 レグルノーラでは、何かを得るためには何かを失わなければならない慣習があるらしい。――つまり、俺だけじゃなくて、いろんな誰かが同じ境遇で居ることを俺はもっと知るべきで。


「ありがとう、ノエル」


 俺が両肩をポンと叩くと、ノエルはきょとんとした。


「言ってもらってスッキリした。危うく自分を見失うところだった」


 そうだ。俺がここで迷ってたら、何もかもお終いだ。

 不安そうに見ていたモニカたちも、俺の表情が変わったことに気付いたのか、ホッとした顔をしている。


「悪かった。追い詰められすぎて、おかしくなってた。もう大丈夫。あの白い竜は、絶対に俺が何とかする」


 天を仰ぐ。

 崩れた校舎の上に乗っかった白い竜が、更に別棟の屋上も足をかけている。竜は足元を見ることもなく、ただ天を見据えていた。大きな羽を広げて天を仰ぎ、何かと言葉を交わしているようにも見える。

 ドレグ・ルゴラほど大きくはないが、立派な成竜だ。およそ“表の世界・リアレイト”には似つかわしくない巨大な竜。

 敷地の向こうから消防や救急車、パトカーのサイレンが交互に聞こえ、徐々に近くなってくるのがわかった。黒いもやで覆われ異空間と繋がっているとはいえ、ここは間違いなく“表の世界”。この学校の外にも世界は広がっていて、様々な人が生きている。

 望んだわけじゃない。

 選んだんだ。

 平凡な生活と能力の解放を並べられ、俺は後者を選んだ。強くなりたいと願い、それは達せられた。

 今ではもう、何故そちらを選んでしまったかもわからない。

 ただひとつ変わらないのは、美桜を好きだという気持ち。彼女のためにも、白い竜となった彼女をあのままにしておくわけにはいかないのだ。


「モニカ、ケイト、須川。校舎とグラウンドに取り残された生徒を頼む。無事に学校の敷地から出してくれ。芝山とノエルは裏の干渉者たちの援護を」


「凌は? 凌はどうするの?」


 不安そうに須川が言った。


「俺は……、この学校の敷地を囲う結界を張る。外部から一般人が入り込めば更に大変な事態に陥ってしまう。被害をより最小限に留めるためにも、結界で囲ってしまうしかない」


「――そういうのは、僕が得意だ。凌、手助けしよう」


 手を上げたのは陣。骸骨兵との戦いから距離を置いて戻って来ていた。俺と同様、美桜とは親しかっただけにかなり憔悴しきっている。

 俺は頼むぜと陣に合図、陣も任せろと口角を上げ、キザったらしく親指を立てて見せた。

 ぐるっと仲間を見渡す。

 最初はいけ好かないクラス委員程度にしか思ってなかった芝山。帆船はぶっ壊れてしまったが、間違いなく立派な(おさ)だ。キノコ眼鏡じゃ格好も付かないが、それでも必死に戦ってくれる、無二の親友。

 陣。イケメン優男で美桜の幼馴染みで、俺は最初、彼のことが凄く苦手だった。だけど、美桜に対する気持ちの真剣さや、本気で世界を救おうと駆けずり回る様子に、次第に心打たれるようになった。尊敬する干渉者の一人。

 須川。俺のことを好きだと言ってくれた貴重な女子。妙な力を手に入れて暴走しまくったときは本気でヤバいと思ったが、フタを開けてみればなんとも可愛げのある子で。どうして俺なんかを好いたのか未だ納得はできないが、俺を信じてくれる、それだけでとても勇気が出る。

 モニカ。塔の魔女の候補生だった彼女は俺の一番の信者だ。補助魔法、回復魔法は恐らく右に出る者がいないくらいの使い手で、優しくて、強くて。彼女がいなかったら、きっと更に道を踏み外していた。重圧で干渉能力が消えなければ、恐らくディアナの跡を継いでいただろう逸材。必死に頑張る彼女に励まされる。

 ノエル。背伸びした悪ガキにしか見えない彼だが、見た目よりしっかりしていて、何より強い。反抗期真っ盛りで打ち解けるまでに時間はかかったが、お互いそうしなければ会話すらできなかった。まるで少し前の自分を見ているような彼に、俺は何度も救われた。彼がいなかったら、俺は未だ迷っていた。

 それに、レオ、ルーク、ジョー、ケイト。初めて出会ったばかりだってのに、しっかりと自分の役目を果たしてくれる。流石ディアナの寄越した凄腕干渉者。この危機に彼らがいなかったら何もできなかったに違いない。

 誰か一人が欠けてもここまで辿り着かなかった。

 とんでもないことになってしまった事実に違いはないが、言い方を変えれば、それだけかの竜を追い詰めたということだ。


「ここは“裏の世界・レグルノーラ”じゃない。けれど、大穴が空いてその影響をかなり激しく受けつつある。つまり、イメージ力が全てを左右する可能性があるってことだ。どんなに敵が卑劣な手を使おうと、しっかりと前を向いていれば道は開けるはず。ここで一緒になったのも何かの縁。最後まで戦おう。かの竜を倒し、二つの世界に平穏を取り戻すまで」


 意を決して言うと、陣が最初に肩を震わせた。


「何だよ、その“救世主様らしい言葉”は。似合わない」


 しかし、その言い方に俺は嫌味を感じなかった。


「何一つ救ってないのに“救世主”だなんて呼ばれる筋合いはない。美桜が言っていた昔話じゃないが、それに合致する条件の人間は俺しかいないんだから、もう覚悟するしかないんだよ。笑いたいなら笑え。失うモノが何もなくなった今、俺にはそれしか生きる意味がない。だとしたら、どうにかして使命を全うした方がいいかなって、ふと思ったまでだ」


 それが心からの言葉なのか、その場を繕うための言葉だったのか、俺自身にもわからない。けれど、その場に居た何人かには何かが伝わったらしく、涙を浮かべるヤツまで居る。

 不都合な現実を隠しながらも、俺はどうにか現状を打破していかなければならない。

 そのためには恐らく、アレしか方法がないわけで。


「とりあえず、そんなわけで。頼むぜ、みんな!」


 力強く皆が頷き、各々動き出したのを確認して、俺は宙に魔法陣を描き始めた。大きめの二重円に書くのは日本語――……、いや、レグルの文字が良い。一般人に読まれたら色々面倒だ。


「お、文字覚えた?」


 陣がサッと寄ってきて、小声で言った。


「竜石のお陰ってヤツ。砕けたら多分わからなくなる」


「ま、どっちでも使いやすい方でいいとは思うけど、僕はこっちの方が力を注ぎやすいかな。デザイン的に」


 レグル文字は魔法陣に向いている。どの角度からでも美しく見え、バランスが良い。勿論、術者のデザインセンスが一番重要ではあるのだけれど。


「相当強固な結界じゃないと、竜に破られる。わかるな?」


 陣はそう言って、チラリと俺の顔を見た。


「わかってるよ。全力でやる」


 俺はニヤリと笑い返してやった。


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黄昏のレグルノーラ~災厄の神の子と復活の破壊竜~
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「レグルノーラの悪魔」から20年後のお話です。
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