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121.白い竜

 運命は残酷だ。

 例えどんなに足掻いたとしても、最初から決まっていたことを覆すのは難しい。

 生まれてきた性別を簡単に変えることができないように。

 育ってきた場所から旅立つまで時間がかかるように。

 親を選ぶことができないように。

 芳野美桜が白い竜ドレグ・ルゴラの血を引いていると知ったあの日から、俺はどこかでこんなことになるのを予感していた。頭の隅にずっと引っかけながら、知らないフリをしていた。

 二つの世界を行き来していた美桜の母、美幸が恋心を抱いた相手が、よりによって、かの竜の化身だったこと。美幸は何も知らずに彼に身を委ねてしまったこと。“表”に居場所のなかった彼女が、やはり“裏”に居場所のなかったかの竜の目にとまってしまったこと。様々な不幸が重なって、一つの運命を形作ってしまった。


 半分人間で、半分竜で。

 半分“表”で、半分“裏”。


 曖昧な世界の境界に立つ彼女が、ずっと普通の人間としていられるわけがないのだと、俺はずっと前から知っていたのだ。

 力尽くで須川たちを払いのけ、どうにか美桜の様子を見ようとした。彼女らは美桜を隠し、視界を塞ぐため代わる代わる俺の前に立ち塞がった。


「シバ! 止めろ!」


 薄暗い部室に、ふいにノエルの叫び声が響いた。

 直後、後ろから強い衝撃。

 後頭部に激痛が走り、俺は思わず両手で頭を抱えて前方に倒れ込んだ。


「来澄……、ゴメン、来澄……。ダメなんだよ。絶対に」


 頭の上で激しい吐息が聞こえる。

 半泣きの芝山の声。

 ゆっくりと頭を動かして確認すると、折り畳みのパイプ椅子を両手に持った芝山が、苦しそうな顔で俺を見下ろしていた。


「こんなの、どうすればいいんだ。なぁ、来澄。どうしてこんなことに」


 力の抜けた芝山の手からパイプ椅子がするりと落ちて、床に転げた。


「お願いだ。見ないでくれ。ここから立ち去ってくれ。彼女を見たら、君はきっと」


『きっと』――に続く言葉を、芝山は出そうとはしない。

 言葉にしてしまえば、本当になってしまうかもしれないとでも?

 悪い冗談だ。

 予想は付いてる。

 頭を抑えつつ、俺はのっそりと立ち上がった。流石にフラッとする。まさか芝山が俺のことを殴るなんて。半端に竜化した俺のことを、また“悪魔”だと。いや、芝山に限ってそんなことはないだろうが、美桜のことを何も知らなかった彼にしたら、突然戻って来た俺は敵以外の何にも見えなかったんだろう。


「みんなが思ってるようなことはしない。ただ、彼女の様子が見たいだけ。……退()いてくれないか」


 なるべく感情を抑えて言ったつもりだった。

 しかしそれがどう伝わってしまったのか、皆顔を真っ青にして数歩後退った。

 ようやく、美桜の全身が目に入る。


 白い、鱗。

 随所に散らばるように浮かび上がった鱗と、竜化した手足。頬から首にかけて皮膚が白くなっている。牙が生え、耳の形が変形し、ブラウスの背中は破れ、背びれや折り畳んだ小さな羽のようなのような突起が出現している。スカートの下からは、彼女の太ももと同じくらいの太さの長い尾が、彼女の身体に沿うようにして伸びていた。


 竜化しかかっている。


 彼女の中の竜の血が、目を覚ましてしまったのだ。


「私たちは誰も、気付くことができませんでした。かの竜がまさか、美桜様の身体の中に入り込んでいたなんて。そんな気配は全く」


 顔を覆ってモニカが弁明する。

 違う、と俺は首を振る。


「完全に竜化してしまう前に――……てしまえば、なんて。言わないよな、来澄」


 芝山が後ろで力なく言った。

 また俺は首を振る。


「わからないぜ。目的を果たすためには何だってするようなヤツだ。感情が抑えきれずに暴走気味になったことも何度もある。今だって、何を考えてるんだか」


 ノエルが部室の隅で全てを俯瞰するように言った。

 そうか。

 そういう解釈か。

 けど、残念。そうじゃない。問題はもっと奥深い。


「ディアナはこのことを?」


 尋ねると、


「はい。先ほど、一旦戻って報告を」


 とケイト。


「ディアナは何て?」


「はい。竜石を使ってみよと……、救世主様方がお採りになった石を私に」


 こぶし大の赤い石を、彼女はそっと俺に見せる。

 竜の力を閉じ込めるという石には、既にかなりの力が吸い込まれていた。赤々と燃えるように光っているのがその証。普通の竜の力を吸い取るだけなら、十分すぎる大きさではあるが。

 気休めだ。

 当然ディアナも知っていて、わざと竜石を預けたのだ。


「同化解除の魔法も試しました。姿を戻す魔法も。しかし、全く効果はなく」


「――だろうな」


 口が、引きつった。


「そんな小手先の魔法じゃ効果は出ない。俺みたいに竜が身体に入り込んでいるのならどうにかなるのもしれないが、美桜にはそんなもの通用しない。無理なんだよ。こうなってしまったら、戻す方法なんて存在しない。つまりは俺が、どうにかするしかないってことだ。ヤツはそれを望んだ。全部、ヤツの思惑通り。気付いていながらどうにもできなかった。救いなんて、どこにもなかったというわけだ」


「どういう意味?」


 須川が真っ赤に腫れた目を向けてくる。


「来澄は何か知ってるのか?」


 芝山も聞く。


「まさか救世主様、私たちに隠しごとを?」


 モニカは不安そうな顔をするが、ノエルはひとり平然と椅子に腰掛けたまま、アゴを突き上げて俺を睨んできた。


「モニカはコイツが隠しごとだらけなの、知らなかったのかよ。リョウは本当に知らせたくないことは一言も喋らない。常に何かを隠しながらオレたちと共に戦ってきたわけだ。それがどういう内容の秘密なのかは知らなかったけど、そうか。“裏”でも特別視されているミオの正体を、リョウは知ってたってわけか」


「しょ……、正体? 何それ。ただの干渉者じゃないの?」


 半笑いの須川。美桜と俺を見比べて、何度も首を傾げている。


「ただの干渉者なら、ディアナ様が気にかけるはずがない。変だと思ってたんだ。いくら小さい頃から行き来してたとはいえ、他の干渉者とはまるで扱いが違うこと。普通の干渉者とは違い、塔にも協会にも出入り自由。市民部隊だって、彼女を特別に扱う。どれだけの人間が秘密を共有していたのかは知らないけど、確実にリョウは知っていた。知ってて、全部隠してた。それがとうとう緩んだってことは、つまり、ミオの秘密を知ってるってことだろ。――当たった?」


 聞かれて俺は、ノエルを直視できなかった。

 何一つ間違っていなかったから。

 そう。俺はそういう男だ。

 平気で隠しごとをする。誰にも喋らないと固く誓う。それが例え、誰かを傷つけることになったとしても、それで平穏に過ごせるならと。

 外では雷鳴が響き始めていた。

 時空の狭間から立ち上る黒いもやに空が覆われ、太陽の光はすっかりと遮られていた。

 空気は淀み、生温く、生臭い。

 グラウンドにぽっかりと空いた大穴によって“時空の狭間”と一続きになってしまった空間は、“表”でありがながら“表”ではない異空間になりつつあった。

 窓の外から魔法を打つ音が聞こえる。

 陣はその後どうしただろうか。

 俺が全てを話してしまうことに同意してくれるだろうか。


『私は反対だ』


 テラは言う。


『言葉には力がある。今ここで全てを話してしまえば、きっともっと悪い方向に転がっていく。今はじっと堪えろ。無理ならば、私が』


 言わない方が、いい……?


『自分の秘密を、自分の知らないところで知らされたらどう思う? 美桜は自分のことを何も知らない。君が話せば彼女は深く傷つくだろう』


 それは……嫌だ。

 彼女を悲しませるわけにはいかない。

 俺は迷いを断ち切るように、強く頭を左右に振ってから、ノエルに顔を向けた。


「当たっていたとしても、俺は何も言わない。ノエルが言うように、隠していることはいくつかある。けれど、それを暴露すれば全てが解決するとは思わない。隠すべきだから隠している。そう思って差し支えない」


 言うと、ノエルは酷く不快な顔をした。

 申し訳ないが、これ以上の回答は出せないと、心の中で謝っておく。

 それからゆっくりと倒れたままの美桜の側まで歩み寄り、俺は側で膝を折った。

 白い鱗で覆われた肌は、彼女のきめ細かく柔らかな腕を、すっかりと硬くしてしまっていた。

 呼吸は荒く、未だ熱っぽい。

 俺がテラを中に取り込んで身体を変化させるのとは違って、美桜の場合は身体の細胞が徐々に竜に置き換わっていると表現するのが妥当に違いない。様子がおかしいのは、彼女の身体が戦っているからだ。

 もどかしさというものはある。

 俺がどうにかできれば。

 俺がどうにかすれば。

 けれど、救世主だなんて肩書きだけで、俺には何一つしてやれることができない。

 背中を擦ると、尚更ゴツゴツした感触がハッキリとした。

 彼女はこのまま竜になってしまうのだろうか。しかも、世界を震撼させる白い竜に。

 ディアナがケイトから話を聞いて、何もしないわけはない。きっと何か対策を練っているはずだ。ここからじゃ遠すぎてわからないのが心細いところではあるけれど。


「凌……」


 うわごとのように美桜が俺の名を呼んだ。

 俺は咄嗟に口元に耳を寄せる。


「言っても、いいよ」


 吐息が熱い。

 振り絞るような美桜の声に、胸が痛くなる。


「言ってもいいって、何が?」


 俺は恐る恐る、彼女の顔を覗き込んだ。

 瞳の色が変わっている。茶色に青を少し足したような独特の色が、オレンジに赤を足したような色に変わっている。

 横に割け、牙がむき出しになった彼女の唇が、恐ろしい言葉を紡いだ。


「私が、白い竜だってこと」


 耳を、疑う。

 美桜。君は何を。


「誰かが、私の中で言った。『君こそが世界を滅ぼす白い竜だ』って。『君が“悪魔”を呼び寄せた』とも。そう……なんでしょ。凌は知ってて、私を庇っていた。学校にゲートがたくさんできるのも、マンションに大穴が空いたのも、私が白い竜だから。私がただの干渉者じゃなくて、白い竜だから、おかしなことがたくさん起きる。凌は優しすぎる。全部隠して、私のことを庇って。凌のせいでもシンのせいでもない。私が、私の存在が全部悪い」


 半端に竜化した身体をおもむろに起こしながら、美桜は自分を諭すようにそう話した。

 白い鱗に覆われた部分は肥大化し、制服はところどころが破れていた。上半身は特にボロボロで、服を着ていると言うよりは、一部貼り付いているという程度。乳房さえ、硬い皮膚に覆われて見る影もない。

 美しさに定評のある美桜の面影が消えていく。

 俺も人のことを言えた義理じゃないが、美桜の姿はまるで、白い、悪魔。

 芝山も須川も、モニカもノエルもケイトも、一様に恐怖している。

 美桜の目が、周囲をグルッと見まわした。自分を恐れる仲間たちに、彼女は何を思っているだろう。

 竜化は止まらない。

 徐々に徐々に、美桜を完全なる白い竜へと変化(へんげ)させていく。


「殺せば……いいんじゃないかな。私のこと、殺してしまえばいいんじゃないかな」


 美桜にあるまじき言葉が、彼女の口から突いて出た。


「ダメだ。そんなこと。絶対」


 俺は首を左右に大きく振った。


「君を殺すなんて、絶対に」


 ――絶対に?


 ドンと激しく胸が鳴って、俺の呼吸は一瞬止まった。

 発作というのだろうか。それまで何の前兆もなかったのに、俺の身体は急に悲鳴を上げ始めた。

 心臓が、痛い。

 直接心臓を握られて、押し潰されているような感覚。



『誓いを忘れるなと、私は言った』



 遠くでディアナの声がする。



『今後どんなことがあろうとも、“裏の世界・レグルノーラ”を救うことを絶対に放棄しないと誓ったはずだ。私たちレグルノーラの人間に対し、命をかけろと。例外などない。わかっていたのだろう』



 声は直接頭に響いた。

 ディアナ自身はまだレグルノーラに居るはずなのに、俺の動きをしっかりと見ていたらしい。流石は塔の魔女。ほんの少しの迷いさえ見逃さないらしい。



『白い竜が目の前に現れた。つまりそれは敵だ。いいか、最終警告だ。お前はレグルノーラを救わねばならない。白い竜は世界を滅ぼす。完全に竜となってしまえば、恐らく勝ち目はない。美桜はもう、愛しい姿には戻れない。殺すなら今しかない。覚悟を決めろ。感情は押し殺せ。お前以外に白い竜に立ち向かえる人間はいないのだということを思い出すのだ』



 本当に、殺すしかないのか。


 俺が、美桜を?


 ディアナはつまり、死にたくないなら美桜を殺せと。


 幼い頃から気にかけていた不幸な少女を、ディアナはいとも簡単に殺せと言う。


 彼女は好きで白い竜になるのじゃない。

 自分の生い立ちも知らず、孤独に生きてきただけの可哀想な少女だ。


 悪いのはドレグ・ルゴラであって、美桜じゃない。

 真に倒すべきはあの邪悪な白い竜。

 それなのに、ディアナは。



「――来澄! 正気に戻れ!」


 芝山の叫び声で我に返る。

 足元がぐらぐらと揺れ、部室の天井がひび割れ、崩れてきていた。

 目の前には大きな白い竜。小さな部室に納まりきれないほど肥大化した竜は、天井を突き破り、壁を壊し、窓ガラスを破壊していく。

 既に廊下に逃れた須川たちが、逃げ遅れた俺の名前を何度も呼んでいた。

 最後に残ったのは俺と芝山。部室の入り口で、必死に逃げろと訴えている。


「潰されるぞ!」


 言われて気が付く。

 部室の容積の殆どを白い竜の身体が占めて、俺はだんだん身動きが取れなくなってきていた。唯一逃げ道があるとしたら、窓。窓をぶっ壊して外に出るしか方法がない。


「死ぬなよ!」


 芝山の声には妙に励まされる。

 そう、死ぬわけにはいかない。こんなところで……!

 白い竜が長い尾を動かすと、壁という壁にどんどん穴が空いた。あんなものにぶつかったら。

 俺は慌てて窓枠に手をかけ、開いている窓から外に飛び出した。羽を広げ、高度を調節しながらグラウンドに降り立つ。その様子を見ていたギャラリーから妙な歓声が上がるが、そんなこと気にしている場合ではない。

 校舎がどんどん崩れていく。激しい音と共に外壁が崩れ、床が落ち、天井が砕かれていく。

 白い竜は肥大化を止めない。

 最早それは芳野美桜ではなかった。

 心を無くした白い悪魔でしかなかった。

 グラウンドの大穴から這い出す骸骨兵と戦っていた裏の干渉者たちも、白い竜に気が付いて手を止めた。

 言葉など、出なかった。

 白い竜が完全体となっていくのを、呆然と見つめることしかできなかった。


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黄昏のレグルノーラ~災厄の神の子と復活の破壊竜~
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「レグルノーラの悪魔」から20年後のお話です。
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