表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
120/161

120.穴

 ――白い竜。


 美桜の口は、確かにそう動いた。

 唐突な言葉に俺は目を見開き、もう一度彼女の口元に注目するが、彼女は既に熱にうなされていて、それ以上言葉らしい物を吐き出さなかった。


「白い、竜」


 俺は自分の中で反芻するように彼女と同じ言葉を呟いた。


「ドレグ・ルゴラ……?」


 ――パァンと何かが弾けた。


 窓がガタガタと揺れ、突然に辺りが暗くなる。たくさんの悲鳴が耳に飛び込んで、俺の思考は途切れた。

 頭上げながら、俺は恐る恐る当たりを確認する。

 窓ガラスが全部割れていた。飛散防止フィルムのお陰で飛び散ることはなかったが、窓という窓には全部亀裂が入り、外の景色を消してしまっていた。


「な、何が起きたの……?」


 須川が両耳を塞ぎながら震えている。


「わ、からない。けど、地震? 突風? 外で何かが」


 ズレた眼鏡を直しながら、芝山が首を傾げている。

 裏の干渉者たちは各々に立ち上がり、武器を構えていた。敵襲と思ったに違いない。

 何年か前に起きた大地震後に学校中に貼ったというフィルムの威力を確認しつつ、一体外で何が起きているのか、俺たちは確認しなければならなかった。

 陣がそろりそろりと窓際に寄り、施錠していた窓を開ける。部室という結界の中に生温い風がわっと吹き込み、俺たちは慌てて顔を背けた。

 温い上に、吐き気がしそうな程生臭い風だった。

 その臭い風の中に悲鳴が溶け込み、耳の奥にまでガンガン響いた。多く叫び声と泣き声が混じり合った異様な音は、辺り一面に広がっていた。


「な……んだ、アレは」


 割れた窓から外を覗き、陣が言う。

 俺は皆の顔を確認しながら立ち上がり、大きく唾を飲み込んでから窓を開け、おもむろに外を覗き込んだ。



 穴だ。



 穴が空いている。



 グラウンドの真ん中に、底なしの穴が空いている。



 地割れではない。完全なる穴。

 巨大すぎる穴の縁で泣き叫ぶ生徒。消えてしまった誰かを助けようと穴に向かって手を伸ばす生徒。混乱し、頭を抱えたまま右往左往する教諭。

 目の前で起きているこれが現実なのかどうか、呑み込むには時間がかかる。第一ここは“表”であって“裏”ではない。……はずなのだ。

 また悪い夢を見させられているのか?


『夢じゃない、現実だ』


 テラの言葉を、俺はどうにか理解しようとする。


『あれだけ穴が大きいとなると、塞ぐことは難しい』


 塞ぐとか塞がないとか。

 そういう問題じゃないのは見ればわかる。

 俺たちの恐れていた大穴が、ぽっかりと空いているのだ。しかも、じわじわと広がっているように見えなくもない。


『凌、行くぞ』


 行く……? 美桜を見捨てて?

 振り向くと、モニカとケイトが美桜に駆け寄り、回復魔法をかけたり介抱したりしている。


「行ってください、救世主様。ここは私たちが」


「邪悪な気配を感じます。お急ぎください」


 断腸の思いで前を向く。

 わかってる。今、やらなければいけないことは。

 窓の(さん)に足をかける。三階の部室から階段使ってまともにグラウンドに向かえば時間がかかりすぎる。緊急事態だ。これしか方法がない。


 ――“飛べる”


 心の中で念じ、思い切って宙に身体を放り投げた。

 飛び降りるんじゃない。飛んで着地する。テラと同化した身体なら、竜化せずとも造作もないはず。自分に言い聞かせ、空を飛ぶ。校舎脇に植えられた木々を飛び越え、バタバタとシャツの中に風が入り煽られそうになるのを堪えながら、グラウンドの景色を俯瞰する。

 穴の底は見えない。真っ暗闇。あの向こうは恐らく“黒い湖”。穴から強い風がどんどんと吹きだし、黒いもやが少しずつグラウンドを侵食、そこに居る人々を呑み込んでいくのが見える。


「人が飛び降りたぞ!」


 誰かが言って、それが俺だとわかる頃に着地する。

 注目が集まり、


「誰だよ」


「ヤバい、三階だぞ」


 口々に言うのが聞こえてくる。

 ゆっくりと姿勢を直し、グラウンドに散らばる人影を見回していたとき、その中の一人が笑みを浮かべながらこちらに歩いてくるのが見えた。


「現実とは時に残酷だ」


 そいつは鋭い眼光を俺に向け、ケタケタと笑った。


「何も知らない人間にとって、唐突に起こる予測外の出来事ほど恐ろしいものはない。自然災害も、事故も、予測ができないからこそ恐ろしいのであって、それを予測できていた、または予告されていた人間からしたら、何故防げなかったのだろうという慚愧の念がそれを上回る。つまりな、来澄。俺は予告した。お前らは防げなかった。今、心の中にある感情は、とても綺麗なものではないだろう。恨むなら、自分の仲間と不甲斐ない自分を恨め」


「古賀……、明」


 俺が名を呼ぶと、古賀はまたケタケタと声を出して笑った。

 黒く日に焼けた顔が、白い歯をやたらと引き立たせていた。


「額に変な石くっつけて、“裏”からお供まで従えて、救世主気取りか? あのまま戻ってこなければ良かったものを。わざわざ自分から地獄を見に来るとは。本当に愚かなヤツだ」


 ザザッと後方で足音が幾つか聞こえる。レオたち裏の干渉者三人が、姿を消すでもなくそこに立っていた。


「救世主殿、其奴は」


 レオが小さい声で聞く。


「半竜人。かの竜の使い」


 俺は要点だけ答える。


「半竜人……? まさか」


 ルークとジョーが驚いている。


「例え“裏”きっての能力者たちを集めたとしても、これだけ大きく空いた穴を塞ぐのはまず不可能だろうな。大きく開いた穴の中からは何が出てくる……? お前らはどうやって(しの)ぐつもりだ?」


 挑発とも取れる古賀の言葉にカチンときたジョーが、一歩前に出て魔法陣を描こうとするのを、俺はサッと制止した。何故と凄まれたが、理由を話している場合ではないのだ。


「他のゲートは“(おとり)”か」


 俺の言葉に、古賀はまたケケケと笑う。


「そう。良い時間稼ぎだった。学校の広い敷地にこれだけ大きな穴が空いたらどうなると思う? 他の小さな穴も釣られて大きくなる。今まで大勢で何とか塞いでいた穴も、塞ぐことすら難しくなる。穴は大きくしなければならない。大きければ大きいほど面白い。見えるか? 黒いもやが立ちこめるのを。黒い感情の詰まったもやを吸い込めば、どんな人間も黒く染まる。黒く染まった後に――何が起こるのか。考えるだけで面白いとは思わないか」


 どんな人間も。

 黒く。

 それってつまり。


 ハッとして周囲を見渡す。

 グラウンドには数十人。いろんな部活の人間が、いろんなユニフォームを着て立っている。

 教室にもたくさんの人間がいる。補習中のヤツらだ。

 怪我をしてる人間もいるだろう。気を失ってるヤツ、手当てしてるヤツ、警察や消防に連絡してるヤツ、グラウンドから離れたところに居て全然気付いてないヤツ。

 日常の風景が一変して頭の中で整理しきれていない一般人が、もしこの真っ黒なもやに呑み込まれたら。

 須川を思い出す。

 突然手に入れた力で彼女は狂った。自分の感情を押し殺すことなく、むき出しにして襲ってきた。

 黒い感情は誰にでもある。それをどれだけコントロールして生きているか。

 コントロールを失ったら。

 感情の赴くままに動いてしまったら。


 考えなくても。

 どうなるかってことくらい。


「――……ちっくしょぉぉおおぉおおおお!!!!」


 叫びながら俺は、自分の手の中に両手剣を出現させ、握りしめたまま走っていた。

 許せない。

 古賀。いや、コイツの中に入り込んだリザードマンが。

 人間の形をしただけの魔物だ。

 罪のない人間を。何のためにこんな。こんなことに。


「フハハハッ!! 残念だが、お前の相手は俺じゃない」


 両手のひらをこちらに向けて、おどけたように古賀は言った。


「コイツらだ」


 剣を振り上げようとした瞬間に、古賀の姿が黒いもやと化してフッと消えた。

 ――愕然とした。

 穴からは無数の骸骨兵。骸骨の騎馬兵や骸骨の魔法使い。不死系の魔物が団体で穴から這い出してくる。穴の周囲のどこからでもヤツらは現れ、次々に生徒を襲い始めている。逃げ惑う人々。泣き叫び、助けを求め、そして捕まる。

 こんな同時多発的に現れたんじゃ、攻撃のしようもない。

 両手剣を構え直しては見るものの、通常攻撃は通用しないことを思い出した。倒れても倒れても、ヤツらは立ち上がるのだ。

 日の光を嫌うアンデッドが昼前から学校に現れる。巨大な穴がそうさせているのか。

 違う。

 曇天だ。

 しかも、普通の曇天じゃない。レグルノーラと同じ、黒い雲。

 黒い湖から蒸発した黒い蒸気が空を覆い尽くし、日の光を遮っていた――それと同じことが、“表”で起きている。

 薄暗くなった“表”で、アンデッドの群れは勢いを成してしまった。

 今までいろんな敵と戦ってきたが、これは……、これほどの絶望は……。


『いよいよ始まったのかもしれない』


 テラは言った。


『恐れていたことが現実になってしまった。全て、間に合わなかったのだ』


 それって、いつか言っていた『“表”と“裏”の区別が付かなくなる』とかいう……。


『そう。かの竜だけは「混沌を見てみたい」と。興味の赴くままに全てを滅茶苦茶にするつもりなのかもしれない。ヤバいぞ。“表”で戦える人数が少なすぎる。“裏”ならば市民部隊も居る、竜も居る。が、この状況では……』


 けど。

 やるしか、ない。


「聖なる光が必要だ」


 ギリリと歯を鳴らし、俺は三階の部室を見上げた。陣と芝山の姿が見える。


「陣! 力を貸せ!」


 大声で叫ぶと、陣が気付いて半身を乗り出した。


「ちょ、ちょっと待って。それどころじゃ」  


 陣は室内とこちらを何度か見比べ、それから、


「わかった、行く!」


 と大声で返してきた。

 俺と同じように窓から飛び出し、グラウンドに降りると、陣は酷く焦ったような顔で駆けつけた。


「聖なる光。ヤツらを砕くにはそれしかない。陣、頼むぜ」


 美桜の部屋で骸骨兵と戦ったとき、聖なる光を宿した斧で骨を砕きまくったことを思い出したのだ。あの魔法は、残念ながら俺には操れない。一部の人間にしか操ることのできない神秘的な力らしい。邪念があれば使いこなせない難しい力。今はそれに頼るしかない。


「……わかった。得意じゃない魔法を必要にされるのは微妙だが、モニカは頼れないし、確かにこの状況ではそれしかできなさそうだ」


 陣は渋々魔法陣を描きだした。

 それに気付いたルークが、自分もと同じ銀色の魔法陣を描いていく。


「私も、少々操れます。しかし、モニカほどではありませんが」


 レグル文字を並べた几帳面な魔法陣が二つ、宙に描かれる。俺の両手剣、レオの長剣、ジョーの銃が、キラキラと銀色に光り出した。


「サンクス!」


 聖なる光の魔法を帯びた両手剣は、振るえば振るうほど骸骨兵を砕いていく。

 骸骨に腕を掴まれ泣き叫ぶ女子を見つけては、骸骨の腕を断ち解放し、骸骨に囲まれて逃げ場を失った男子数人を見つけては彼らの前で骸骨兵をたたき割った。レオはスマートにザクザクと敵をなぎ倒し、ジョーは抜群のコントロールで骸骨兵の頭蓋骨を射貫いていく。魔法が途切れそうになる度に、陣とルークが交替で魔法を注ぎ、俺たちはその力が消えぬウチにとまた剣を振るう。

 しかし、キリがない。

 俺たちの体力が持つのか、それとも陣とルークの魔力が持つのか。どちらかが尽きてしまえば全てが終わってしまうという危うさの中で戦い続けた。

 少しずつ、陣の魔法が途切れ始める。ルークが三人分の魔法をかけるようになってきて、俺はようやく陣の異変に気が付いた。やたらと三階の部室を気にしている。何度も部室を見上げてはぼんやりと魔法陣の前に突っ立っている。

 そういえば、陣が何かを言おうとしていた。モニカは頼れない、そう言った後で何か付け加えようとしてグッと堪えていた。

 俺は一旦手を止めて、陣に側に駆け寄った。


「おい。大丈夫か。何を気にしてる」


 陣はビクッと身体を揺らし、二、三歩後退った。


「りょ、凌か。びっくりした。な、何でもない。集中力が続かなくて」


 明らかに陣は動揺していた。意識は部室の方に向いているらしく、そちらの方にやたら眼球を動かしている。


「美桜に何かあったのか」


 顔を覗き込むと、陣はあからさまに視線を逸らした。


「も、モニカとケイトが居る。僕たちは戦いに集中を」


 その顔は、いつもと違いすぎた。

 陣が、ジークがこんなに動揺するってことは、何か言葉にできないことが起きてるってこと。


「言えないなら、見に行くしかない」


 俺はギリリと奥歯を噛んだ。

 三階からグラウンドに降りてくるときは造作なかったが、戻るとなると一苦労。飛び上がるにはやはり、一部竜化して羽を生やすしかなさそうだ。

 背中に力を入れ、竜の羽をイメージする。めきめきと音を出して羽を生やし、大きく開いたところで思いっ切り地面を蹴っ飛ばす。グンと身体が大きく浮遊して、木々を越え、三階の窓まで辿り着く。

 バサバサと何度か羽ばたいて高度を調整し、窓枠に手をかけると、俺の影に気が付いた芝山がいち早く反応した。


「来澄!」


 羽を畳んで窓枠から中に入る。

 モニカとケイト、須川の三人が、わざとらしく俺の視界から美桜を隠した。


「だ……、ダメだ。来澄。君は来ちゃダメだ」


 芝山が体当たりし、俺を無理やり窓の外へ押し出そうとする。小さな芝山の身体が当たったところで、俺の身体はびくともしない。それなのに芝山は、必死に俺を追い出そうとぶつかり続けた。


「お願いだ。ここから出てくれ。敵は外に居る。戦うべきはそっちの」


 モニカたちの様子もおかしい。

 美桜の身体を覆うようにして、何かを隠している。


「何を隠してる」


 俺はあくまで冷静に尋ねたつもりだった。

 だのに彼女らは、やたらと俺を怖がった。

 青ざめた顔をして、俺に怯え、俺から必死に美桜を隠し続けた。


「美桜に何かあったのか?」


 彼女らは一様に、この世が終わったような顔をして首を横に振る。


「きゅ、救世主様。ここは私が何とかしますから。お願いです。お戻りください」


 従順なはずのモニカが、俺を拒んでいる。


「お願い、お願いだから見ないで……!」


 須川が泣きじゃくっている。


「外では救世主様の力を必要としているはず。この場はどうか私たちにお任せを」


 ケイトの顔も青い。

 全員が全員、怪しすぎる。

 何故そこまでして美桜を、俺の視界から遠ざけなければいけない?

 理由があるとしたら、彼女は熱を出して、その後――……、どうなったかだ。


「まさか、容態が急変して死――」


「いいえ。大丈夫。彼女は未だ生きています」


 首を振るモニカ。


「で、ですが、お見せできるような状態ではなくて」


「……どういう意味?」


 合点がいかなかった。

 俺は芝山をはね除け、ズンズンと前に進んだ。

 モニカたちは益々俺から美桜を隠そうとする。身体に覆い被さり、大事なモノを守るようにして俺から遠ざけようとする。

 一番手前に居るモニカの腕を、俺は鷲掴みにした。抵抗していたのに、無理やり立たせて引き剥がして。

 室内は暗かった。

 電気を消していたのもあったが、ガラスがひび割れて、まるで曇りガラスのようになって光を遮断していたのも一因のようだった。

 曇天模様の空も、光を遮っていた。

 本来あるべき光という光が弱まって、美桜の身体を隠しているようにしか思えなかった。

 モニカは俺にぶん投げられたにもかかわらず、また美桜の元へ駆け寄った。ケイトも、須川も、なかなか俺に美桜の姿を見せようとしない。

 おかしい。

 俺は二つの世界を救うはずなのに、何故だろう。悪者になってしまったような、変な感覚だ。

 どうして俺から美桜を隠さねばならない?

 どうして怯えた目で俺を見る?


「ダメなのです。見てはいけません。見てしまったらきっと――……」


 ふと、床に目を落とした。

 三人が必死に隠している美桜の輪郭を、ゆっくりと目で辿る。

 彼女たちが必死に隠しているのは何だ。彼女の身体事態に何かしら変化があったということなのだろうか。

 長い髪の毛が床に広がっている。桃色縁の眼鏡が床に転げている。夏スカートのヒダ、転がる上履き。肝心の本体は見えない。

 けれど一つだけ、気になる物が目に入った。

 何かの装飾品だろうか。こんなもの、あっただろうか。

 そっと手を差し伸べ触ろうとすると、須川が目一杯叫んだ。


「ダメ! 凌! それは芳野さんの――!」


 長く白い尾のような物が、ピクリと波打った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏のレグルノーラ~災厄の神の子と復活の破壊竜~
↑もっとレグルノーラの世界に浸りたい方へ↑
「レグルノーラの悪魔」から20年後のお話です。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ