表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
108/161

108.想定外

 振動は船全体を包み込む。ぐらんぐらんと、まるで嵐の大波に突入してしまったかのような揺れ。ここは砂漠で波一つ立たないというのに、踏ん張らなければ立っているのも危ういほどに激しく揺れる。

 ガタガタガタンッと船長室の扉が音を立てて震えると、モニカはサッと身を引いた。

 扉と壁の間から僅かに瘴気が漏れてくる。どす黒くねっとりとしたその気配に覚えのあった俺は、背中を駆け上がる悪寒を感じていた。

 美桜の部屋と一緒だ。

 咄嗟に思った。

 あのときは確か、ゲートが広がりすぎて美桜の部屋を侵食したのだと。繋がっているのはレグルノーラに違いない、だから魔物が這い出すのだと、そう思っていた。

 じゃ、今は?

 船長室は何と繋がっている?


 ――バンと扉が開いた。


 突風と共に、黒くねっとりとしたなまこ(・・・)のような物体が次々に飛び出してくる。

 シールド魔法!

 魔法陣など錬成している暇はない。イメージ先行で魔法を発動させる。見えない傘があちこちに広がり、黒い何かをはじき返す。

 ねちょ、ねちょっと、耳障りな音があちこちで聞こえて、更に背筋が凍った。

 視線を下に落とすと、タールのような黒い塊が甲板を埋め尽くさんばかりに広がっている。しかも、うねうねと動いている。

 気持ち悪い。

 けど、そんな感情を口に出す余裕はない。

 正面を向く。

 船長室から何かが出ようとしている。

 身体が大きすぎるのか入り口に引っかかって全身が出ず、プルプルと震えているように見える。ぶよぶよとしたテカリのある身体。無数の目がギラギラとこちらを覗く。狭さに苦しみすぼめた口からは、ギッシリと牙が並んでいるのが見えた。

 何だ、何の化け物だ。


「ダ、ダメだ」


 後方でテラの声。


「すまないが凌、身体を貸してくれ」


「ハァ?」


「こういう、ねちゃねちゃしているモノはちょっと……」


 顔が青い。そういえば竜は不定形生物が苦手だった。強面のクセに何を怖がってんだか。


「わかったよ。けど、ちゃんと働いて貰うぜ」


 こんな化け物、どのみち同化しなければ勝てそうにない。

 テラの気配がフッと消え、身体の中にストンと何かが入り込んでくるのがわかった。そうだ、この感覚。最初は気持ち悪くて仕方なかったけど、同化していた時間が長かったせいか、妙にしっくりくる。まるで自分の中の足りないパーツがキッチリ揃ったような変な感覚だ。全身に力が湧く。毛細血管の隅々まで竜の力が広がっていく。

 竜石のお陰なのか、全然身体には変化がない。人間のまんま。今まで同化する度に竜化していたのは、やはり俺の中にテラの力が収まりきれていなかったからってことらしい。

 ベリベリベリッと、ドアの付近が急に軋み始めた。黒い化け物の身体に押されて、壁全体に亀裂が入る。


「出るぞ」


「わかってるって」


 ノエルをチラ見。既に召喚の魔法陣を途中まで描き終えている。

 俺も手の中に両手剣を出現させ、炎を纏わせ構えて待つ。


「来ます!」


 モニカの甲高い声。

 船長室を破壊し、解放された魔物が全身を現す――。


 ギシャァと魔物は激しく鳴いた。


 デカい。

 それこそ大型トラック並みのドデカい怪物。ぬめっとした巨体には何対もの足。眼ン玉が前方に幾つもくっつき、ぱっくりと開けた口は全てを呑み込まんばかりの大きさで。尾も長い。足の付いたナマズのような、サンショウウオのような、だけどこんな気持ち悪い生き物、見たことも聞いたことも。

 ドスンと甲板の上に乗っかったその化け物は、広い甲板をあっという間に狭くした。メリメリッと床板の折れる音。

 あちこちに隠れて様子を見ていた乗組員の男たちは、それぞれに悲鳴を上げて逃げ惑う。船内への階段へ向かい、バタバタと走っていく男たちを見ながら、俺は逃げてくれと素直に思った。頼む。お願いだから逃げてくれ。その方がいい。その方が戦う方にとっても都合良い。

 意を決して駆け出す。走る度にねちゃねちゃと足に粘着質が絡み、上手くスピードが出ない。


「畜生ッ!」


 足に力を集中させ飛び上がり、次は剣を振るう上半身に力を――込める!

 炎を絡めた剣が勢いよく魔物に当たった。が、手応えがないどころか、弾かれた俺の身体は甲板のヘドロの中へ叩き付けられる。身体中に纏わり付くヘドロ、魚の腐ったような生臭さ。


「リョウ!」


「救世主様!」


 ノエルとモニカの声が響く。


「直接攻撃はダメ、作戦変更!」


 発動途中の魔法陣をかき消して、通常の攻撃魔法へと切り替えようと別の魔法陣を描き始めるノエル。

 起き上がり、体勢を戻して剣をぶん投げ、俺も魔法陣。何が効く? ノエルは炎。じゃ、俺は(いかずち)で。


――“(いかずち)よ、敵本体に降り注げ”


 金色に光る魔法陣、ノエルの炎の魔法が放たれた直後に天から激しい稲妻が降り注いでいく。魔法の炎がヘドロの塊の上を走るようにして広がるが、直後にかき消される。(いかずち)さえ、吸い込まれるように消えていく。

 効かない。

 物理攻撃も魔法攻撃もまるで効かない。

 何だ。

 何だコイツ。


「う……、嘘だろ」


 ノエルが呟く。


「これが嘘ならどれだけ楽か」


 もう既に汗だくだ。変な汗。勝てる見込みがないから、全身が拒絶反応を起こしている。

 いっそのこと、この化け物ごと船から降りてしまえば。とは思いつつ、高速で進む帆船を止めるには、まず(おさ)に話を付けなきゃならないだろうし、その(おさ)がいるはずの船長室からは変な魔物が出てくるし。一体何がどうなって。


『来澄……』


 ふと、名前を呼ばれた気がした。

 俺は耳をそばだてて、必死に周囲を伺う。


『どうした? 凌』


 頭の中でテラが聞く。


「今、声がした。俺のことを『来澄』って」


『凌、ではなく?』


「そう呼ぶのはシバだけだ。てことは……?」


 甲板には既に人影はなかった。あまりのおぞましさに、乗組員たちは皆、船内へと逃げ込んだ。俺とモニカ、ノエル、そして化け物だけ。当然船長室にいるものだと思っていた(おさ)の姿さえないというのに、何故かその(おさ)・シバの声が聞こえた気がした。


『来澄が死ぬ気で戦っているのに、私は逃げるのか……?』


「ほら、また聞こえた!」


 同意を求めて振り向くが、モニカもノエルも頭を左右に振る。


『嫌だ。逃げたくはない。かの竜の影の真下まで進まなくてはならない。そして、この世界の謎を解明する。そうすることで、何故二つの世界は繋がっていて、かの竜が化けたというあの男が何故私に砂漠の果てを目指すよう仕向けたのか、その理由がわかるはずだ。来澄には来澄の使命がある。私には私の使命がある。逃げてはダメだ。ここで逃げてしまったら、全てが無駄になってしまう』


 間違いない。

 この声はシバ。帆船の(おさ)、シバの声。

 芝山とは似ても似つかないが、妙に責任感が強くて、理屈っぽくて、頑固で人の話なんか聞いてるんだか聞いてないんだか。だけど仲間意識はものすごく強い。大事なモノは命懸けで守る綺麗な男。

 シバが、どこかにいる。どこかで必死に戦っている声だ。


「聞こ……えません。ノエルは?」


「いや。全く」


『私は聞こえている』とテラ。


『恐らく凌の身体に直接語りかけているか、もしくはこの身体が直接感じ取っているか。君はシバと親しい。だから聞こえるのでは』


 なるほどね。

 ちょっと常識的には考えられないけど、この世界ではあり得る。


「俺にしか聞こえない。ってことはつまり……?」


「シバ様は何者かに自由を拘束されている……? ちょっと待ってくださいね」


 魔物が天を向きブルブルッと身震いしている間に、モニカがサッと魔法陣を描く。


――“自由を奪われし者の姿を我らに示せ”


 緑色の光が甲板全体に広がり、俺たちは目を凝らしてシバを探す。

 マストの陰に人。けど違う、シバじゃない。逃げ遅れたのは……いや、隠れているのは。


「ザイル! 逃げろ馬鹿!」


 俺が声をかけると、ばつが悪そうにそろりそろりと荷物の裏を通って船室へ逃げ込んでいくのが見えた。いい年したおっさんなのに世話が焼ける。

 じゃなくて。

 シバは。


「お、おい! リョウ! アレじゃないのか!」


 ノエルが指差した先。

 ぐったりと力が抜けたように宙に浮く人型。

 その場所に、俺は言葉を失った。

 モニカは短い悲鳴を上げた。

 ヤバい。

 それ以上の言葉が浮かばない。

 嘘だろ。

 嘘だって言って。

 目が潤む。歯が軋む。全身の震えが止まらない。変な汗どころじゃない、身体中からどんどん水分が抜けていく。体温が急激に奪われ、感覚という感覚が鈍っていく。


「この魔物が、シバ様そのものだと言うのですか……?」


 モニカ。止めて。それ以上言ったら。


「魔物の腹の中に居るのじゃない。頭の辺りにいる。ってことは、喰われてしまったというわけじゃなくて、(おさ)がそのまんま魔物になってしまったってのが妥当。つまり、この魔物を倒せば帆船は止まる。なら、やることはわかってるじゃないか」


 ノエル。違う。そうじゃない。

 そんなことをしたら芝山は。芝山は二度と。

 俺は咄嗟に魔物の前に進み出て、二人の前で両手を広げた。


「ダメだ」


 自分の声がくぐもって聞こえる。


「この魔物を倒すのはダメだ」


「ハァ? 馬鹿かお前。倒さずどうやって船を止めるって言うんだ」


 ノエルが毒づく。

 わかってる。ノエルの言い分はものすごくわかる。けど。


「シバは傷つけないで、どうにか魔物と引き剥がす。何か理由があるはずだ。こうなってしまった理由が。船長室にでも入れば、それがわかるかもしれない。あそこには大量の本があった。変な魔法陣でも描いてしまったのかもしれない。シバは独学で魔法を取得していたし、綴りを間違って魔法陣に書き込んでしまったのかもしれない。あいつ自身が魔物になるってのはそもそも、よっぽどのうっかりミスがなければあり得ない。きっと理由がある。原因がわかってからでも遅くは」


「それでは船は止まりませんよ、救世主様」とモニカ。


「おっしゃる意味はわかります。しかし、この船の速さでは、あっという間に砂漠の果てまで到達してしまうかもしれません。そもそも、砂漠の果てまでどのくらい時間がかかるのか、誰も知らないのですから。今は航行を止めさせるのが先決。そのためには、魔法の供給元であるシバ様を止めなければなりません。お話が通じる状態であれば、当然倒さずに済むかもしれませんが、私の経験から言いましても、この状態では分離どころか人語を理解させることすら難しいでしょう。竜と同化して戦う救世主様とは全く違うのですよ。互いの意識が独立して共存し合うのではないのです。魔物になってしまうと、身も心も全て人間ではなくなってしまいます。今シバ様の姿が見えているのは、まだ魔物になって日が浅いだけのこと。いずれは完全な魔物となっていきます。つまり、倒す、息の根を止める以外の方法はないということです」


 モニカの目は嘘を吐かない。

 視線に幾分の揺らぎもない。

 彼女の言葉が胸に刺さる。それが本当だとして。つまり俺は、シバを。芝山を。


「帆船には多数の乗組員が乗っています。このまま力のない彼らを危険な砂漠の果てまで連れて行くおつもりですか。それとも、この状態で帆船ごと森の側まで魔法で移動させるおつもりですか。この妙な魔物が消えなければ、何も解決はしません。救世主様のおっしゃるように、原因を探ることも大切です。けれどそれは、目の前の敵を倒してからでも十分間に合うのではありませんか」


 嫌だ。

 嫌だそんなの。

 視界がどんどん悪くなる。目から涙が止めどなく出るせいだ。

 首を左右に必死に振った。

 モニカの言葉を理解したくなかった。

 倒すってことは、芝山を殺すってこと。

 “表”じゃ、いけ好かないキノコ頭のガリ勉眼鏡だけど、大切な仲間を。親友を。殺すってこと。

 嫌だ。

 嫌だそんなの。

 俺が、俺が初めて友達だと感じた芝山を。俺の手で殺すなんて。絶対に。


『凌、君はわかっているはずだ。半竜人となった古賀という男が元に戻らなかったように、シバも恐らく元には戻らない。変化(へんげ)してしまったのであれば尚更、元に戻すのは難しい。諦めろ。諦めて私と一緒に倒すのだ』


 古賀と……おんなじ?

 違う。

 古賀はリザードマンに身体を乗っ取られた。あんなのと一緒だなんて、俺は信じない。

 振り向いて、魔物の顔を見上げる。無数の眼ン玉がギョロリと俺を覗く。その奥に、確かにシバの姿がぼんやりと緑に光って浮いて見えた。

 シバは、芝山は生きてる。

 さっきしっかりと声が聞こえた。

 なのに。なのにどうして倒せだなんて。


「芝山ァ――――!!」


 俺はありったけの声で叫んだ。


「聞こえてるんだろ、芝山! さっき、逃げたくないって言ったよな! 逃げるのか? 逃げて魔物に成り下がるつもりか!」


 ピクリとシバの身体が動いた気がした。

 あと少し。


「それともアレか。お前はいつまでもチビでガリ勉眼鏡のまんまなのかよ!」


『チビ……』


 どこからともなく声が聞こえた。

 やったか。


『チビって言ったな……』


 間違いない。シバの声だ。

 魔物の頭部で、シバがカッと目を見開いている。


「ああ、言ってやった。いつまでもチビでガリ勉眼鏡のまんまなのかって。そのガリ勉メガネのチビキノコは、帆船の(おさ)なんて格好付けても、中身までは変わりきれてないってわけだよな。だから魔物に成り下がった」


 俺が魔物に向かって声を張り上げていると、後ろでモニカが不審そうに、


「何をなさっているのですか」


 と聞く。

 俺は咄嗟に後ろを向いて、


「いいから黙って」


 と人差し指を立て、もう一度魔物に向き直った。


「砂漠に行く前に俺に倒されるか、それとも俺たちと一緒にかの竜を倒すのか。二つに一つだ。戻れるならさっさと人間の姿に戻れよ。でなきゃ、俺たちはお前を倒さなくちゃいけなくなる」


 最終目的はドレグ・ルゴラを倒すこと。

 それはわかっているはず。

 こんな所で魔物認定されたら、きっとシバはカチンとくる。

 そしたらきっと、ヤツは。


『私は使命を果たさなければならない。かの竜の影の真下まで進まなくてはならない。かの竜を倒すのが来澄の使命ならば、私の使命はこの世界の果てに何があるのか見定めること。私を倒す……? 結構なことだ。互いに別々の道を歩んできたのだ。その終着点がこの船なのだとしたら、それはそれで興味深い』


 ア、アレ……?

 思っていたのと展開が。


「いや、そうじゃなくて。おっかしいな」


「おかしいのはお前だと思うぞ。何魔物相手にぶつくさと」


 ノエルが疑問に思うのも無理ない。けど、アレ。なんでこう、思った方向に会話が。


『私の思いが膨れあがり、この姿を形作ったのだとしたら、それは本望だ。お前は私の使命を阻止するためにこの船へと乗り込んできた。ならばお前は私の敵。私は力をもってお前を倒さねばならない』


 魔物の口がカパッと開く。中から赤黒く長い舌がべろんと覗く。


『作戦失敗だな、凌』


 と、今度はテラ。


『君が変な挑発をしたせいで、全力で倒すしかなくなってしまったぞ。それとも、これは作戦の内か?』


 まさか。作戦な訳がない。

 目を覚まさせて、俺たちと一緒にかの竜を倒すよう仕向けるつもりが完全に失敗しただけのこと。


「モニカは物理攻撃も魔法攻撃も効きにくい敵を倒す方法、知ってる?」


 俺は顔を引きつらせたまま、モニカに聞いた。

 彼女は神妙な顔で首を横に振る。


「表皮は硬くても、内臓への攻撃は案外効いたりもしますけどね」


 へぇと返事をしてはみたものの、どうにも良い方法が浮かばない。


「何、ようやく倒す気になったとか?」


 ノエルが馬鹿にしたように言ってくるので、俺も俺で、吐き出すように言い返した。


「んなわけないだろ。諦められるか。親友の命がかかってるんだ。絶対に殺さず、ヤツを止めてみせる」


『また君は、何の根拠もないのに』


 テラまであきれかえる始末。

 けど。

 本当に諦めてしまったら、何もかもお終い。

 それだけは避けたい。


「大丈夫、きっと何とかなるさ」


 魔物の目がギラギラと光っている。

 俺は自分の発言の無責任さに打ち震えながら、必死に魔物を睨み付けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏のレグルノーラ~災厄の神の子と復活の破壊竜~
↑もっとレグルノーラの世界に浸りたい方へ↑
「レグルノーラの悪魔」から20年後のお話です。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ