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106.終わりの始まり

 グロリア・グレイは洞穴から出ることはなかった。

 テラの言うように、節操ない色魔だからかけられた呪いなのか、何か別の理由があるのか知らないが、彼女は永遠に洞穴から出ることを許されぬ存在らしい。虹色にほのかに光る竜石の宮殿で、彼女はまた孤独と生きる。

 これを哀れだとか惨めだとか、そういうくくりで捉えるのはあまりにも軽率だ。

 彼女には竜の卵と石を守るという使命が課せられていて、彼女自身、それを誇りに思っている。外界との交流を極端に遮断されるのと引き替えに、彼女はこの世界で必要とされるパーツの一部となった。全てを失って塔の魔女となったディアナとどこか被って、俺は彼女のことを少し愛おしいと感じてしまっていた。


「身体に異常はないか」


 洞穴の出口に向かう道で、テラはボソッと呟いた。


「なんだよそれ」


 台車を押すアッシュとエルクを先頭にモニカとノエルが後尾を守る形で、俺たちは歩いていた。

 大きな声を出すと洞穴中に響き渡る。なるべく前後のヤツらに聞こえないよう、俺もボソッと呟き返した。


「グレイがただ色欲のためだけに君と接吻を交わしたのだとは思えない。狡猾だからな。何かあれば直ぐに教えるんだ」


「わかってるよ」


 あまりにもキスが上手すぎて、あのままだと本当にヤバかった。身体がとろけそうだというのはああいうことを言うのだろう。頭がボーッとして身体中の血液が沸騰しそうだった。力を注いだという最初のキスも、さっきの唐突なキスも、俺にとっては刺激的過ぎたのだ。

 洞穴の入り口に近づくにつれ、徐々に周囲が明るくなっていった。

 どうやら今は昼間らしい。外は白く、近くにある木々のシルエットがぼんやりと浮かび上がっていた。

 白い光の中にアッシュとエルクが消え、俺とテラもそれに続く。

 分厚い雲で覆われている世界さえ、洞穴の中よりはずっと眩しい。何度も目をしばたたかせ、目を慣らしていく。

 木々の奥の林道に、竜石の積まれた車両が見えた。アッシュたちが最後の竜石を荷台に積んでいる。何往復となく向かい、次第に山になっていったのを思い出すと感慨深いものがある。積み終われば最後に幌をかける。この作業も何度となく繰り返した。

 台車にモニカが魔法をかけてくれたお陰で、竜石を運ぶのにはさほど苦労しなかったのは幸いした。

 工具の使いすぎで腕が痺れたり、肩が変に凝ったりもした。単純な作業の繰り返し。だが、やって良かったと思える成果がそこにあった。

 積み込み作業を終えたアッシュたちが戻って来た。

 出発前と同じ場所で、俺たちは互いの顔を見つめ合った。


「お疲れ様。竜石は責任持って、塔で保管しよう」


 そう言ったのは、年長のアッシュだった。


「君たちのことは忘れない。竜石が必要になったらいつでも駆けつけるよ」


 柔らかい表情でエルクが言った。

 俺は深々と二人に向かって頭を下げた。


「ありがとう。正直、無茶なことをお願いしてしまったと思って、何度も後悔した。最後まで付き合ってくれて本当に嬉しかった」


「そういう礼は」


 アッシュは俺の身体を無理やり起こし、


「かの竜を倒してから言ってくれ。まだ終わりじゃない。寧ろこれからが本番だ」


 ありきたりの会話が胸に染みる。


「約束する。ここまで来たんだ。最後まで、やり遂げる」


 そこまで言ったところで俺は、自分の頭上に魔法陣が現れたのに気が付いた。深い緑色の光が注いでくる。


――“救世主よ、我が召喚に応え給え”


 久々の召喚魔法。


「ディアナ様だ」


 特徴的な文様の魔法陣に、ノエルがいち早く反応した。

 モニカも間違いないと首を縦に振っている。

 俺はゆっくりと右手を掲げ、魔法陣に当てた。魔法陣の色が徐々に緑から黄色へと変わっていく。


「また、会おう」


 俺は短くそう言って、アッシュとエルクに別れを告げた。


「待て凌。私も連れて行け」


 テラが俺の左腕を掴む。


「ノエル、私たちも」


 モニカが足元に移動魔法用の魔法陣を描いていく。

 魔法陣の光に全身が包まれる。

 視界が真っ白になる。





■━■━■━■━■━■━■━■





 目を開けるより少しだけ早いタイミングで、ディアナの声が聞こえた。


「よくもあの頑固な竜を説得したものだね」


 褒め言葉だろうか。皮肉にも聞こえる。

 俺たちは塔の魔女の部屋にいた。だだっ広い謁見の間で、ディアナは腕組みしながら俺たちを見ていた。


「だが、時間がかかりすぎだ」


 ディアナはご機嫌斜めだった。

 程なくして移動魔法で現れたモニカとノエルも、ディアナの方を見てビクッと身体を震わせたほどだ。


「もう少しスマートに動ければ物事が上手く回転する。が、タイミングを逃すと面倒なことになる。洞穴に潜っている間はこちらの魔法が全く効かなかった。連絡手段もない。竜石のことは塔でどうにかすべきだったのだ。時間がかかろうがどうなろうが、その方が断然良かったはずなのに、私は目の前で市民が倒れるのを見過ごすわけにはいかず、判断を見誤った」


 広い室内を腕組みしたまま行ったり来たりしながら、ディアナはぼやいた。

 明らかにいつもとは様子が違う。


「どう……、なさったのですか」


 ローブのフードを脱ぎながらモニカが言うと、ディアナは一旦歩くのを止めてゆっくりとこちらに向き直った。


「ドレグ・ルゴラが動き出した」


 俺たちは言葉を失った。

 ディアナの表情は硬い。


「お前たちが洞穴に潜って程なく、動きがあった。市民部隊からの報告だ。キャンプにほど近い砂漠との境で、地平線の辺りにうごめく白い巨大な竜の影を見たというのだ。望遠鏡でなければ見えぬほど遠い場所だったそうだが、間違いなくそれは竜の形をしていたらしい」


 一気に緊張が走る。

 砂漠と聞いて、俺はものすごく嫌な予感が心の奥底からわき上がっていくのを感じていた。


「帆船……」


 口からポロリとこぼれ落ちた言葉に、ディアナは深くうなずいた。


「白い竜の側に、砂漠の帆船が見えたそうだ」


 ――血が、引いていく。

 帆船。

 砂漠で倒れていた俺を助けた船。屈強な船員たち。そして、帆船の(おさ)・シバ。……芝山哲弥。


「や……、やられた、のか……?」


「いや、まだ。帆船はかの竜に近づいてはいるが、辿り着いては居ないようだ。私は警告を発したんだがね。(おさ)は応じなかった。『かの竜の影の真下まで進むつもりだ』と。『凌が死ぬ気で戦っているのに、逃げるのは嫌だ』そうだよ。一体どういう関係だ」


 そういえば、二人は面識がなかった。ディアナは帆船の存在は知っているようだったが、その(おさ)がまさかドレグ・ルゴラの差し金で砂漠の果てへ向かうこととなった異世界の少年だとは思うまい。


(おさ)は友人です。彼も干渉者。俺は止めろと言った。砂漠の果てへと向かうのは危険だと。けど……、止められなかった」


 公民館の会議室で変な資料を眺めていたあの日。俺はもっと強く、芝山を止めるべきだった。古賀の一件で有耶無耶になり、次のチャンスもあったのに、あのときは俺の身体がテラに乗っ取られていて話にならなかった。

 せめてジークにもっとしっかり頼んでおけば結果は違っていたかもしれない。帆船が砂漠の果てに向かう危険性を認識していながら、彼はそれを無理に止めようとはしなかった。芝山の意思を尊重して。ジークならそう言うだろう。尊重なんかしなくても良い、本当に危険なのだから力尽くでも止めさせるべきだったのだ。


「俺の責任だ。……止めます。どうにかして止めます。砂漠の果て、ドレグ・ルゴラの元へ行っても、ただ消されるだけだと説き伏せるしかない」


「しかし、砂漠へ向かうのは危険を伴う」


 とテラ。


「時空の歪みも重なって、まともに帆船までたどり着けるかどうか。たどり着いたところで、無事に帰ってこれるかどうか」


 テラの言う通りだ。

 森と砂漠の周辺に渦巻く時空嵐に、俺たちは巻き込まれた。幸運にも戻ってこられたが、あのときはうっかりミスでタイムスリップしてしまった。

 それだけじゃない。砂漠は時間の流れは都市部とは全く違う。望遠レンズ越しに見えた帆船が、果たしてリアルタイムのものなのかさえ怪しいのだ。帆船の上ならば――魔法で守られているからか、多少タイムラインが修正されているようだったが、それでも、時空嵐に巻き込まれた男たちがそれぞれ自分の居た時間軸に戻れないのだから、万全ではない。

 砂漠で唯一、一続きの時間の流れに生きているのは(おさ)のシバだけ。独学で得た魔法の力を持って帆船と“表”を自在に行き来しているヤツの元へ直接飛べば、或いは。


「準備でき次第、砂漠へ飛びます」


 意を決して言うと、ノエルが間髪入れず声を上げた。


「ちょ……、オイ! 何考えてんだ凌! ついさっき洞穴から出たばっかりだってのに」


 重労働が続き、身体が限界を訴えているのはよくわかる。しかもノエルは身体が未熟で、俺たちよりずっと体力を消耗しているはずだ。

 だけど。ここで立ち止まるわけにはいかない。

 俺の前に出て全力で拒否しようとするノエルの肩をそっと叩く。


「準備でき次第って言った。機械じゃないんだから、休まないと続かない。帆船がかの竜のところに着くまでまだ時間はあるんだろう。だったら、一旦館に戻ってしっかり体勢を整えよう」


 ノエルは納得できかねると言わんばかりに舌を鳴らした。


「仕方ないですね」


 とモニカは長く息を吐き、


「事情が事情ですし、本来ならば休む間もなく向かいたいところですが、疲れ切った状態で行っても意味がないでしょう。第一、この装備では砂漠へ行ったところでまともに動けません」


 寒い洞穴のための冬装備。これから向かうのは灼熱の砂漠だ。モニカは自分たちの装備を順番に見ながら、ローブを摘まんで納得の顔を見せた。

 俺たちが互いに目で了承の合図を送っているのに反し、ノエルはツンとそっぽを向いた。


「ディアナ様に話をいただいたときは、こんなに滅茶苦茶なヤツだなんて聞いてなかった。最悪だ。ただ単に、救世主のお守りだけしてれば良いって話だと思ってたのに」


「まぁ、そう言うでない、ノエル。お前の力が必要だったからこそ、声をかけたのだ。凌は年の頃も近い。兄が欲しいと言っていたではないか。それともアレか。歳が何十も離れた能力者たちの中にまた戻りたいと思っているのか? 窮屈で困る、あんな爺臭いところに居たくないと直談判してきたのはお前ではないか」


 幼子を諭すようなディアナ。恥ずかしそうに顔を赤らめるノエル。

 なかなか自分のことを話そうとしないノエルだったが、やはり彼には彼なりの事情があるらしい。

 それにしても、“兄”な。初めて聞いた。もう少し、優しくしてやった方が良いのだろうか。


「すまないね。私が(おさ)を止められれば良かったのだが」


「いや。ディアナのせいじゃ。あいつがやたら頑固なだけで」


 ディアナの呼びかけを突っぱねたシバの顔が目に浮かぶ。

 あいつが素直に話を聞いてくれたら、面倒なことにはならなかっただろうに。美桜が言っていた『人が変わったみたいに戦いにのめり込んでしまった』というのも気に掛かる。やはり、一度芝山とは接触しなければならないようだ。


「街はどうにかして市民部隊と塔で守る。砂漠の件が片付くまで、救世主の召喚は行わないよう周知する。ところで……、洞穴の竜から話は聞いたか」


 ディアナに言われ、俺はふと、さっきのキスを思い出した。絡む舌、勢いで掴んでしまった胸の感触、そして金色の瞳のことを。

 途端に耳まで赤くなり、テラとモニカ、ノエルは白い目で俺を見た。アレは本当に不可抗力で俺に汚点はなかったはずなのに、なんで俺が後ろめたい気持ちに。


「あ……、ああ。聞いた」


 何故かしら口が引きつった。


「グロリアはなんて?」


 何も知らないディアナは、周囲の反応をいぶかしく思ったか、眉をひそめた。


「救世主にはならないだろうと思って卵を預けたと言われた。グロリア・グレイはテラが人間と同化して戦うのを良くは思っていないようだった。けど……、言うほど人間のことが嫌いというわけではなさそうだった。本当に嫌いだったら、半竜の姿になんかならないんだろうし」


「そうか……。ならば、安心した」


 ディアナは力が抜けたように小さく笑う。


「彼女が全てを知っていて、私に嘘を吐いているのかと思って冷や冷やしていた。私と彼女は同じなのだと思っていたが、もし違っていたらどうなのかと」


 塔の魔女になるために全てを失ったとディアナは言った。誰にも言えない秘密を抱えたまま生きる彼女は、洞穴の竜とまるで同じ。


「偶に、会いに行ってあげたらどうかな」


 俺は何の気なしにそう言った。

 ディアナはハッとしたように顔を上げ、俺の目を見た。


「会いに行ったらいいと思う。遠慮なんかせず自分をさらけ出して話したら、案外もっと深い仲になれるかもしれないよ」


 それ以上の意味は含んではいなかった。けど、ディアナは俺の言葉に何か感じたらしく、目に涙を浮かべていた。


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黄昏のレグルノーラ~災厄の神の子と復活の破壊竜~
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「レグルノーラの悪魔」から20年後のお話です。
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