105.竜石
滅茶苦茶なやり方が功を奏したのか、グロリア・グレイがあっさり採掘を認めたのは意外だった。もしかしたら数日に跨がるかもしれないとアッシュたちの言葉から臆測していただけに、願ってもいない幸運に恵まれた。後先考えずに行動することは決して良いことではないのだが、稀にこういう事態に遭遇する。
テラに言えば頭ごなしに『もっと慎重に行動しろ』と言われそうだが、そのテラはなかなか起き上がろうとしない。揺さぶっても叩いても、本当に気を失っているのか微動だにしなかった。
「置いていけ。いずれ目覚める」
グロリア・グレイはテラを一瞥すると、スタスタと宮殿の入り口に向かって歩き始める。
けれど、そういうわけにもいかないだろうと、俺は必死になってテラに呼びかけた。
「参ったな。こんなんじゃ、引っ張ってくこともできないし」
小型とはいえ、竜の姿では人間の数倍。持ち上げることすらできそうにない。
困っていると、モニカがサッと前に出て、テラの前に屈み込んだ。
「弱っているようです。少し、お待ちいただけますか」
杖の先をテラの身体に向け、モニカはゆっくりと魔法陣を描いた。淡い桃色の光が優しくテラを包み込んでいく。
「かなり……、弱っているようですね。もう少し、もう少しだけ」
じっくりと時間をかけ、彼女は力を注いだ。
ピクリと羽が動き、やっと意識を取り戻したところで光は消える。
「もう大丈夫ですよ、テラ様」
優しいモニカのかけ声に、テラは『ありがとう』と返事し、身体をゆっくりと起こした。首をもたげ周囲を見まわしたあと、ブルブルッと身体を震わせると、その勢いでモニカとノエルは吹き飛ばされそうになる。
『おっと、すまない。コレでは大きすぎるな』
全身を光らせ、テラは人間の姿へと変化していく。そしていつもの銀髪赤目の極悪人に戻ったテラを見て、俺は何だかとても懐かしい、ほっこりとした気持ちになっていた。
「久しぶりだな、凌。こうして顔を合わせるのは」
低音の声が洞穴に響く。
「ああ。それこそ、古賀の一件以来か」
頭の中では聞こえていたし、存在は常に感じていた。それでも、すっかり身体に溶け込み分離不能と言われて以来、乗っ取られたり乗っ取ったりとわけのわからない状況が続き……、まともに会話したのがものすごく久しぶりのような気がした。
「ま……さか、あなたがテラ様……?」
「リョウより更に極悪人だな、オイ」
モニカとノエルがコソコソと失礼なことを言っているのに気が付き、ハッとした。
そういえば、二人は人間の姿に変化したテラを見るのは初めてだった。彼らにテラがどう映っているのか、まぁ、反応を見れば聞かなくても丸わかりだが。
「言っておくが、竜の性格は主に依存するのだ。私の前の主は清楚な女性で、そのときはもっと私も落ち着いていた。言うなれば、彼が原因なのだ」
聞かれる間もなく、テラが弁明する。
どうやら見た目で誤解されるのが嫌らしい。
「以前、救世主様の身体を借りてお話しなさっていた方ですよね? 私はもっと、硬派な方をイメージしていたものですから。思っていたより、なんて言うか」
モニカは慌ててフォローしようとするが、
「悪そうに見える」
ノエルは思ったまま正直に呟いた。
「そういう言い方は良くないですよ、ノエル。もっと他にも言い様が。えっと……、強そう? 迫力がある?」
どうやら語彙に詰まるほど、テラの見た目は衝撃的だったようだ。
「何をしている。早くせぬか」
グロリア・グレイの声に、俺たちは慌てて歩き出した。
石畳を進んでいると、戦闘によって崩れた壁や天井から落ちてきた竜石の欠片がカタカタ音を出しているのに気が付いた。それらは徐々に宙に浮き、逆再生するかのように元の場所へと収まっていく。
「この空間そのものに復元魔法がかけてあるのですよ。こんな凄い魔法を操るなんて、私たちは相手にすらならなかったでしょうね」
モニカが言うように、グロリア・グレイは強すぎた。
竜の姿では、傷を付けるどころかまともに戦えるとは思えないほど強かったし、半竜の姿になってもその強さは衰えなかった。
俺たちが必死に息をあげて戦っていても、向こうは呼吸を乱すことなく軽くあしらっているようにすら感じられた。モニカがいわゆる地味な魔法で徐々にグロリア・グレイの防御力を奪っていたからこそ、どうにかなったわけで、そうでなかったら最後の一撃だって当たったかどうか。
文字通りの化け物だ。
巨人やキマイラを具現化させて戦ったノエルも、それはひしひしと感じているようだった。口では必死に抵抗しようとしているが、頭では敵わない相手だとわかっていて、グロリア・グレイの背中を難しそうな顔で睨んでいる。
「オレ、ああいうタイプ苦手だ」
ノエルがボソッと言う。
「リョウ、お前は気に入られてるようだから、お前が相手しろよな」
「はいはい」
変な場面を見られただけに言い返すこともできない。
「何だ? 気に入られてるって」
とテラ。
「知らないよ。向こうが勝手に……っと、何でもない。それがわかったら困ってないってぇの」
にしても、何でグロリア・グレイはあんな変な行動に出たのか。妙な意図がなければ良いのだが。
通路を抜け、宮殿の入り口に辿り着いて振り向くと、空洞の中はほぼ元通りになっていた。淡く光る壁や天井は元の美しさを取り戻し、通路脇に立てられた柱の上には魔法の炎がゆらめき、空間を淡く照らしていた。
グロリア・グレイはこれを難なくやってのける。魔法陣も詠唱もなし。空間そのものにかけた魔法が自動で発動する。こんなの、絶対に敵いっこないわけだ。
宮殿の門扉の前で一旦止まる。グロリア・グレイがいぶかしげにこちらを見ている。
「一、二、三……四。汝は誰ぞ」
目を細めるグロリア・グレイに、
「さぁ、誰だろう。名乗るほどの者でも」
テラは両手を挙げ、そっぽを向いてシラを切ろうとするが、
「……ゴルドンだな。なんと、随分見ぬ間に、また妙な身なりに変化するようになったものだ」
やはりグロリア・グレイにも今のテラの格好は不評なようだ。
テラはあからさまに機嫌を悪くした。
「君好みの美青年でなくてこっちは良かったと思っているくらいだ。人間が嫌いだという割に、君は人間に興味津々過ぎる。半竜に変化して、どれだけ人間をたぶらかしていたか、私は知って居るぞ。それこそ、それが原因で君はここに幽閉されたのではないか」
「はて。どうだったかの。昔のこと過ぎてさっぱり覚えておらんわ」
どうやらこの二人、あまりよろしくない関係らしい。
俺とモニカ、ノエルは顔を見合わせ、これ以上面倒な話にならないことだけを祈った。
門扉を潜り、中へ案内される。
建物は殆どが竜石で作られていて、明かりがなくても淡く光り続けていた。壁や柱、床材も、見事に加工された竜石でできていた。
「どこかの職人を雇ったのか? 相当な年月を要しただろうな」
と尋ねると、
「我が戯れに作ったのだ。ここから出ることを許されなかったのでな」
とグロリア・グレイは静かに笑った。
「長い月日、我の相手は言葉を失った卵と竜石だけであった」
彼女は宮殿の中を奥へ奥へと進みながら、ゆっくりと語り出した。
「洞穴には人間も魔物も殆ど寄りつかず、ただ孤独な日々だけが過ぎていった。卵を愛で、石を愛で、我は時間の過ぎるのをただ待ち続けた。我には呪いがかけられていた。この場から離れることを許されない呪い。ただじっと、暗い洞穴の中に潜み続けるしかなかった。そんな我に近づいてきたのは、一人の人間の女であった。女は自らも呪われている身だと言い、我に同情し、我と語らった」
広間や廊下を抜け、しばらくすると二つ並んだ大きな扉に突き当たった。右には卵の絵。左には石の結晶の絵が描かれている。
グロリア・グレイは結晶の絵に手のひらを当て、ゆっくりと魔法を浴びせた。
扉はほのかに光り出し、ゆっくりと内側へと開いていった。
「この先が採掘場。足場が悪くなる。気をつけよ」
一歩足を踏み入れると、そこはまるで異空間だった。綺麗に切り出された竜石の宮殿とは打って変わって、ひんやりと冷たい空気が充満した真っ暗な岩窟だった。虹色にほの明るく光っていた扉がどんどん遠くなり、とうとう見えなくなってきたところで、グロリア・グレイは杖の先に炎を灯した。真っ暗な岩窟に炎の光が当たり、チラチラと輝き始めたところで、俺たちは息を飲んだ。
「墓……場……?」
竜の骨が見えた。地面や壁のあちこちからいろんな骨が突き出ている。頭の骨、胸の骨。羽や尾の骨もある。それも一体分じゃない。細長く広がる洞穴のあちこちに、無数の骨がむき出しになって現れていた。
骨の周りには、硬い原石のようなものがくっついている。黒ずんだ石、くすんだ石。その一部が削れ、中から様々な色の光がほんのり漏れているのもある。
「竜石って、もしかして」
ノエルはそこまで言って黙りこくった。
「もしかしなくても」
モニカの声は震えている。
「竜石は、竜の死体が長い年月をかけて溶けてできたもの。この洞穴は、かつて無数の竜が死に場所として選んだところ。気高い竜は死体を獣に喰われるのを恐れ、洞穴の奥でひっそりと死んだのだ。竜石はすなわち、竜の欠片。そんな大切なものを、何故易々と人間などにくれてやれようか。数百年前、ゴルドンがやはり一人の青年を連れてこの地を訪れたときも、私は同じ話をしたのだぞ。その様子では、全く覚えてはおらんようだがの」
グロリア・グレイの重い言葉が、洞穴に反射して良く響いた。
「竜はこの世界に縛られている。あの人間の女は、塔の呪いにかけられていると言った。世界を守るために全てを捨て、命を捧げる呪いだという。誰が呪いをかけたのだと聞くと、世界が呪いをかけているのだと。この世界を包む大いなる意思が、様々なものを縛り付け、様々なものに呪いをかけているのだと。妙な話ではないか。世界に意思など存在しない。だが、女はこうも言った。竜でさえ呪いにかけられている。竜は人間と契約することで呪いにかけられる。竜として気高く生きることを失った罰として、卵に還る。我は、この哀れな竜たちの守番なのだ」
生と死。
この洞穴が寒々しいのは、竜たちが眠っているからなのか。
「塔の魔女を名乗ったあの女は、大いなる意思などとのたまったが、我はドレグ・ルゴラがその一因ではないかとふんでいる。我々竜が卵に還るようになったのも、塔の魔女などという人柱が存在するようになったのも、さほど昔ではない。嫉妬深い白き竜が世界そのものに呪いをかけたのだとしても、何らおかしい話ではない。汝らが我々竜をこの呪いから解放できるとしたら、我は喜んで石を差し出そう」
ここですぐにわかったと言えられれば良いのだが。
上手く力も発揮しきれずにグロリア・グレイに勝ってしまったことで、結果として自分の首を絞めることになったような気がして、俺は胸の辺りがもやもやしていた。
彼女にも勝てなかったのに、かの竜に勝てるのかどうか。正直なところ、不安しかない。
「どうした。採掘せんのか」
グロリア・グレイは首を傾げた。
俺は軽く息を吐いて、
「いや、その。勿論努力はする。けど、かの竜を倒せるかどうかは」
「人間ごときに完璧を求めているわけではない。人間など元から信用してはおらん。一つの可能性として、期待しているだけのこと。汝は人間にしては面白い。あの愚かな金色竜と自ら同化したり、勝てぬとわかって様々な攻撃を試したり。汝は面白い味がした。この金色竜と懇意でなければ、もっと愛でたいところだがの」
長い舌をぺろりと出して、グロリア・グレイは俺の方をイタズラっぽい目で見ていた。
味見、されていたのか。どういう意味で喰おうとしていたのか、あまり聞き返したくはない。
「君は相変わらずだな……、グレイ。その様子では、呪いが解けたら色々と面倒なことばかりが起きそうだが。この世界のためにも、洞穴で命が尽きるのを待った方が良いのではないか」
テラが俺の前にサッと割って入り、グロリア・グレイを牽制する。
「簡単に死ねるのであれば既に死んでおるわ。それより汝はその態度、どうにかならぬのか。視界に入るだけでイライラする」
「と……、とりあえず、ありがとう。採掘、させて貰うよ」
俺は再度テラの前に出て、グロリア・グレイに一応の礼を言った。
■━■━■━■━■━■━■━■
モニカとノエルに合図し、荷物から道具を取り出した。
原石をツルハシやハンマーで砕いていく。大きめの原石を中心に採掘しようと試みたが、非常に硬く思ったようにひびが入らない。アナログ作業だけでは1kg程度の塊を掘るのに一時間近くかかり、途方もない作業をしなくてはならないことを思い知らされた。
電動式のドリルも用意していたが、一度の充電で動かせる時間に限りがあり、モニカが魔法で発電機を取り寄せ、そちらも併用した。
アッシュとエルクも合流し、交替で掘っていく。
掘り進めるチーム、外に運び出すチームに分かれ、適度に休みながら掘り続ける。
面倒くさいとぼやきながら、テラも手伝ってくれる。本当は嫌に違いない。自分と同じ竜からできた石を、延々と掘るのだから。
小型の台車に掘った石を積み込み運ぶだけでも、かなりの時間が必要だった。魔除けの呪文が途中で切れ、洞窟コウモリや大蜘蛛に襲われてみたり、台車が壊れて修理しながら運んだりと、トラブル続きだった。
何故か上機嫌のグロリア・グレイは、モニカを引き連れ宮殿で飯を振る舞ってくれた。食材はモニカが魔法で取り寄せたものだったが、まさか洞穴の中で温かい飯を食えるとは思っていなかった俺たちにとっては願ったり叶ったりだった。
ときにテラとグロリア・グレイが二人きりで難しい顔をしてにらみ合っている場面もあった。二人は多くを語らなかった。
作業は数日に及んだ。正確な時間はわからなかったが、相当な時間を割いて、俺たちは竜石を掘り続けた。
やがて、洞穴の外に置いた車両の荷台が竜石で満杯になる。
最後の石を台車に積んで、俺たちはグロリア・グレイの居る宮殿へと戻っていった。
宮殿の中を抜けると、最初に出会った通路の真ん中で、彼女は待っていた。
「終わったのか」
彼女は振り向き、凜とした顔で俺たちの顔をひとしきり見ていた。
「ありがとう。お陰様で、無事終わった。必要な分だけ貰っていく。大事な石だ、しっかり使わせて貰う」
俺が言うと、グロリア・グレイは眉毛をハの字に曲げてため息を吐いた。
「寂しくなる」
それはまるで、卵と石を守る竜には似つかわしくない言葉だった。
「我はまた、無言の番をせねばならぬ。汝らのような無茶苦茶な人間どもがまた迷い込んで来やしないか、待たねばならぬ」
「呪いなど気にせず洞穴から出れば良いだろう」
今までタブーを犯し続けてきたテラらしい言葉。
けど、グロリア・グレイは首を横に振る。
「我は、命が惜しい。死んでしまえば、汝らのような人間とも会えなくなる」
目に涙が溜まっている。
凶悪な竜だなんて、テラが勝手に言ってただけなんじゃないだろうか。殺されかけたことも忘れて、俺はそんな風に思っていた。
孤独な竜。
また、闇の中でじっと卵や石と過ごすだけの日々が始まる。
「グロリア・グレイ」
俺は初めて、彼女の名を呼んだ。
「ありがとう。今度は是非、穏やかに会いたい」
スッと、右手を差し出した。彼女は俺に手を差し出し――、そのままグンと俺の身体を自分の胸へと引き寄せた。
「グレイ!」
テラが叫んだ。
モニカとノエルが悲鳴を上げた。
気が付くと、俺の唇はまた、彼女の唇に重なっていた。
両手を背中に回され、雁字搦めにされて、舌を入れられ、舐め回される。
人前だ。
テラも、モニカも、ノエルも見てる。アッシュもエルクも、みんなみんな、俺たちの方を見てるってのに。
俺とグロリア・グレイを引き剥がそうと、テラが必死に俺の身体を引っ張るが、一向に離れない。それどころか、彼女の行為は更にエスカレートし、背中から頭から、腰から腹から、更に股間まで、ありとあらゆるところを触ってくる。
ちょ、ちょっと待って。抵抗はできないし、恥ずかしいしで、俺は一体どうしたら。
「やめろ! グレイ! この色魔め!」
テラが耳を引っ張ったところで、ようやくグロリア・グレイは俺から唇を離した。
「何をする! 別離の接吻ぞ」
「嘘を吐くな! このまま押し倒してやるところまでやろうと思っていたくせに!『誰かの前だと更に興奮する』と押し倒されたことを、私は忘れていないからな!」
「あの頃の汝はもっと美しかった。やたらと逃げなければもっと可愛がっていたものを」
「うるさい! とにかくもう、凌には手を出すな! わかったかこの変態女!」
二人の間にはあまり聞きたくない関係があったようで。
どうにも、凶悪の意味がちょっと違ったらしい。
緊張の糸が切れた俺たちは、力なくただ笑うしかないのだった……。