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100.悲しき運命

 心に抱えていたことを全部吐き出してしまった。

 何の確証もない何の根拠もないことを、ディアナにぶつけてしまった。

 ディアナはしばらく目を見開き、俺のことを怯えたように見ていた。しかしその表情は徐々に崩れ、悲痛さをにじませていく。


「それが……、お前の出した結論か」


 弱々しい声でディアナが呟く。


「己を殺してまで導き出した結論が、それなのか」


 額を抑え、肩をすぼめて彼女は震えた。その目元に涙が浮かんでいるのが見え、俺はゾクッと背中を振るわした。

 もしかして、俺はとんでもないことを。


「流されてはいけないのだ。どんなに辛い運命だとしても、流されてしまってはお終いだ。受け入れた上で、自分の中で噛み砕き、そこに置かれた意味を考えなければならない。……言うのは簡単だ。私はお前ではない。“表”の人間でもない。私はお前のことを理解しているつもりで、何もわかってやれなかったのだ。本当に、申し訳ないことをした。しかし、お前は許してはくれないのだろうね」


 塔の魔女が謝っている。

 違う。俺が求めていたのは、そんなことじゃなくて。

 いつもと違うディアナに動揺する俺を余所に、彼女は大粒の涙をこぼして俺を見ていた。


「少し……場所を変えようか。ここでは誰かに聞かれてしまう」


 俺とディアナを囲うようにして二重円が足元に現れる。

 転移魔法。

 ソファの下、ローテーブルの下を通って文字が刻まれていく。

 途中の文字が見えない。“故郷”……?





■━■━■━■━■━■━■━■





 座っていたはずのソファが消え、代わりに堅い木の感触が尻に伝わった。

 ディアナの好きな香の匂いではなく、埃とカビの混じった臭いが鼻に届く。

 薄暗い室内。隙間だらけの窓枠、剥がれた壁、散らかった家財道具。

 数年間放置された――ではない、もっと長い間人が寄りつかなかったであろう廃屋だ。


「悪いね、変な場所に連れてきて」


 ディアナの声に反応して顔を向けると、その出で立ちが変わっていることに驚く。

 さっきまでの真っ赤なドレスとはまるで印象の違う――くたびれたシャツに汚れたズボン、ゴツゴツしたブーツ姿で、彼女は立っていた。ウェーブのかかった髪は後ろで一括りにされ、首にはタオルまで引っかけて。まるでどっかの農家の嫁さん……。


「私はここで育った」


 彼女はそう言って、グルッと周囲を見まわした。


「森の手前には小さな農地があってね。そこで野菜や家畜を育てていた。両親と兄、妹の三人姉妹で、兄には嫁が来たばかりだった」


 ディアナは言いながら、ギシギシと軋む床板の音を楽しむように、ゆっくりと室内を歩き始めた。


「兄嫁は安定期を過ぎたばかりだった。もうすぐ自分に甥っ子か姪っ子ができるのだと思うと、とても嬉しくてね。あとどれくらいで生まれるのだろうと、指折り数えた。とても優しい人だった。私と妹は兄嫁を本当の姉のように慕っていた。とてもとても静かな、柔らかい時間だった」


 半開きになった窓の隙間から、荒れ地が見えた。その奥に森が広がっている。

 野生の鳥と風に揺れる木の葉の音が耳を撫でる。


「幼いころから自分には妙な力があるとは思っていたんだがね、気に留めることもなく育った。それがどんな力なのか知ることもない、知る必要もない暮らしを十五年続けていた。私は普通の少女だった。学友と遊び、家業を手伝い、好きな人と結婚して子どもを産み、その子どもが育つのを側で見守る。そんな普通の人生を歩むものだとばかり思っていた。だがね、運命とは皮肉なもので、私のそんな些細な願いなど叶うものではなかったのだ」


 彼女がそっと手のひらを上に向けると、小さな光の玉が浮かび上がった。薄暗い室内を柔らかく照らすその玉は、すっかりとヒューズの飛んだ豆電球に光を灯した。

 そこで改めて室内を見渡した俺は、思わず椅子から飛び上がった。

 何だこの色は。黒くくすんではいるが、これは。まるで液体があちこち飛び散ったような。床一面、壁も、家具の端にも。


「先代の塔の魔女が、私を見つけてしまったのだ。彼女はもう、寿命でね。塔の魔女の座を空けるわけにはいかない、急がねばならなかった。今のように、塔の魔女の候補を育てていればいずれ該当する者が現れるだろうなんて、悠長なことをしている場合ではなかった。私は抵抗した。私の家族も抵抗した。塔の魔女になるってことは、もう二度と普通の人生を歩めないということ。塔の魔女は世界の(いしずえ)。全てをレグルノーラに捧げなければならない。古いしきたりで、塔の魔女は全てを失わなければならなかった。帰る場所も、頼るべき家族も、全て失わなければならなかった。塔の魔女は唯一無二の存在なのだと、私は先代から教わった。だから全てを捨てなければならないと。……勿論、おかしいと反抗した。なぜ私の家族が命を奪われなければならないのかと。しかし、聞き入れてはもらえなかった。塔の力は強大で、私には何の選択肢も与えられなかった。大人たちは私の目の前で私の家族を殺した。両親も、兄も、年端のいかない妹さえも。そして、その死を弔う間もなく、私は塔へと連れて行かれてしまった」


 壁に染みついた血の跡を、ディアナは愛おしそうにゆっくりと撫でた。


「唯一の救いは、兄嫁が難を逃れたことだった。検診のため街の病院へ行っていたことで、被害を免れたのだ。しかし……、姪を産んだあと、彼女も気が触れてしまった。首をくくっていたそうだ。兄嫁の両親は姪を引き取り、隠して育てた。三年ほど経って再会したが、やんちゃに育っていたよ。何を考えていたんだか、兄嫁の両親はその子に『お前の母は塔の魔女だ』と言い聞かせていたらしい。全てを失った私に対して、そして苦しみながら亡くなっていった娘に対して、何か思うことでもあったのだろうね。お前も知っているだろう、サーシャは私の娘ではなく、本当は姪っ子なのだ」


 ディアナはそう言って、にこやかに微笑んで見せた。今まで見たことのない、頼りない笑顔だった。


「私に血縁者が居ると知っただけで、塔の上層部は激怒した。既に先代の魔女はこの世になく、しきたりにこだわっているのは旧時代の人間だけだと、私は彼らを更迭した。それが反発を招いた。五人衆が現れたのも、まさしくそのタイミングだった。私はこの世界を変えたかった。古いものに縛られて、本当に大切なモノを見失うような世界など要らないと思った。だけど、私の考えはなかなか受け入れてもらえない。今だってそうだ。難しい。何十年かかっても、人間という生き物はしがらみから解放されないのだ」


 強い人間だと、俺は彼女のことを買い被っていたのだろうか。

 いつも凜としていて、隙がなく、強くて美しい。一種の憧れを抱いていたというのに。

 目の前に居る彼女は、悲しみに堪え必死に立っているだけの一人のか弱い女性だった。


「私がお前を見つけたのは、偶然だ」


 ディアナは言った。


「本当に偶然だった。私の中ではね。全部が繋がって、振り返ってみたら、確かに私が手を引いているように見えたのだろう。残念だがそれは違う。私とて、この世界を構成する歯車の一つ。私には何の権限もない。力はある。それだけ。私は自分の職務を全うする。それだけ。私だって塔の魔女になんぞなりたくなかった。けど、私にはそれしか生きる術がない。ならば、そこで必死に生きなければならない。お前とて同じだろう。“救世主”だなんていう肩書きは要らないと、何度も思ったはずだ。お前が“救世主”になったのは死ぬためじゃない。生きるためだ。しきたりや言い伝えにばかり囚われてはいけない。悲しみの連鎖だけを招くような悪しき風習や伝承は私たちが払拭していかなければならない。何かを成し遂げるために全てを失う必要なんてないってことを、私たちは証明していかなければならない。だからお願いだ、凌。変な覚悟などしないでおくれ。私はお前に、生きて欲しいのだ」


 唇を噛みしめ、彼女の目からは堰を切ったように涙が止めどなくこぼれ落ちた。

 決して人前では見せないであろう涙。そこには塔の魔女の威厳などない。あるのは、辛い運命を背負わされた一人の女性の悲しみ。

 自分だけが不幸だなんて思っていたわけじゃないし、自分以外の人間に物語など存在しないと否定していたわけでもない。

 けど、俺はどこかで忘れていたのだろうか。

 ディアナの涙が床に落ちると、長い間染みついていた血液が床材の上で溶け、赤い色を浮かび上がらせた。いくつも、いくつもの涙が床に落ちた。その度に、赤が鮮明になっていった。

 彼女はこの荒れ果てた家を“故郷”だと魔法陣に刻んでいた。ボロボロになり、朽ちかけた廃屋は、彼女にとってどんなに大切な場所だったろうか。突きつけられた運命に逆らうことも許されず、全てを失っても尚生きることを選んだ彼女を、一体誰が責められようか。


「お前にはまだ、戻るべき場所がある。私とお前、一番の違いはそこだ」


 指で涙を拭いながら、ディアナは言った。


「魔法で存在を消されたなら、魔法で取り戻せる可能性もある。全部終わらせたなら、帰ることだってできるかもしれないではないか」


 フンッと俺は思わず鼻で笑う。


「額に石を埋め込んだ上、どうにもできない状況まで追い込んでおいて、よくも」


「石は、役目を果たせば砕ける」


 ディアナの鼻がほんのり赤い。


「もし全てが終わったら、お前の額の石など消えてなくなってしまうはずだ。気に病むことはない」


「そういう問題じゃ」


「――さっき、お前は私に言ったね。『最初から決まっていた』と」


 話をはぐらかすディアナに、俺はムッとした。


「言った」


 ひと言だけ返すと、彼女は思い当たる節でもあるのか、虚空を眺めてはブツブツと何かを呟いた。


「洞穴の奥にいる竜なら、答えてくれるかもしれない」


「何を」


「要するに、『最初から決まっていた』のかどうか。私は偶然だと思った。しかし、本当は違うかもしれない。とすると、真実を知っているのはあの竜だけ。竜石を探しながらあの竜まで辿り着けば、もしかしたら教えてくれるかもしれない」


 突拍子もない答えに唖然としていると、ディアナはいつもの調子で俺を見てにたりと笑った。


「竜の卵の番をしている竜が、『次はこれを持っていきなさい』と私に一つの卵くれたのだ。それが、あの卵。私はそれをお前に託しただけ。あの卵を選んだのには、何かしらの意味があるはずだ。私には教えてくれなかったが、お前には……どうだろうか。言ってみないことにはわからないが――っと、マズい。向こうに戻らねば」


 ディアナは何かを感じ、腕で涙を拭い取った。


「いまの話は秘密だぞ? ここに来たことも誰にも言うな。また私がここを訪れていると知れれば、今度はこの場所さえ失ってしまうからね」


 何がどうしたって?

 聞き返す前に、パチンとディアナの指が鳴った。





■━■━■━■━■━■━■━■





 ソファの感触が戻って来たのとほぼ同時に、ドアをノックする音が響いた。

 ガチャリとドアが開き、モニカがノエルと共に少しの資料を手に持って帰ってきた。


「お待たせしました。こちらはどうにか手配できそうです。急いでいただけに、予定より荷台の小さな車になってしまいましたが」


 モニカは膝を付き、俺とディアナの間に置かれたローテーブルに一枚ずつ資料を広げてくれた。そこには、洞穴までの地図も添えてあった。


「少し前に洞穴に向かった能力者たちにも協力してもらえることになりましたから、ご心配なく。出発は明日の朝。支度は今日のうちに済ませます。携帯食などはこちらで揃えるのが難しいため、塔の非常食を流用させていただくことになりました。洞穴内の地図も彼らが持っているようですので、持参するようにお願いをしてあります」


 短い間だったというのに、どうにかしてモニカたちは話を付けてきてくれた。流石と言うべきか、本当に彼女は素晴らしいサポート役だ。


「なるほどねぇ。いいのではないか。洞穴に潜れば、数日間戻っては来られないだろうし。私も洞穴には何度も潜ったが、竜石の方は全く見たことがないのでね。埋蔵量など見当も付かぬからな。十分な準備をしておくのが無難だろう」


 広げられた紙を眺めながら、ディアナはうんうんとうなずいた。

 そこに、あの哀しげな女性の顔はなかった。

 いつもの真っ赤なドレス。艶やかな唇。キリッとした目。

 俺が見た廃墟の女は、本当にディアナだったのだろうか。


「石を採ることに竜は反対するだろうが、根気よく話してやればきっと通じるはず。根は良い竜なのだ。……お前の竜と同じでな」


 チラリと、ディアナは俺を見た。

 根は良い。わかってる。そうでなければ。


「そうでなければ、お前の中でじっと息を潜めていられるわけがない。お前がその竜の(あるじ)となり、身体に受け入れたことにはきっと意味があるはず。もう少し、信じてやってもいいのではないか? その竜はお前のことを、お前が思う以上に大切に思っているのだから」


 テラは何も言わない。

 俺が死を覚悟して以降、じっとなりを潜めている。

 ディアナの話を聞いたときも、テラは姿を現さなかった。

 それは、テラなりの俺に対する優しさなのかもしれなかった。


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黄昏のレグルノーラ~災厄の神の子と復活の破壊竜~
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「レグルノーラの悪魔」から20年後のお話です。
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