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metamorphosis  作者: シ閏
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お腹いたい

 家の留守を酒癖の悪いあの女に任せてしまって良かっただろうか。瀬女は生まれてこの方ああいうタイプの女に幸運にもめぐり合わなかったから、今、家で二人がどういう状況に陥っているか皆目見当も……いや、大体どうなるかは分かるな。

 阿呆な女と強情な娘。どちらかが一方的に物を言って、どちらかが負けじと言い返して、そうかと思えばそこらへんに服を脱ぎっぱなしにする女に愛想尽かして、叱責をかまして友達の家に転がり込んで。

 家に帰るたびに増えている缶ビールと、部屋に充満したアルコール臭に唖然として立ち尽くす我が娘の顔が容易に想像できてしまう。あぁおぞましい。あの空間に男の入る余地なんざありゃしない。流石にハウスキーパーにあの女を選んだのはマズかったか。しっかり断っておくべきだったか。でも、まぁ、相手は彼のミスアヅマだ。得るものも、まぁ、空き缶の数よりかは多いだろうし……良いインパクトをもらってくれていればいいのだが。

 「獄介くん?どしたの?」

 「…ん、いや」

 「運転中はよそ見してたらダメなんだよ?運転に集中しないとだよ?」

 「あぁ、そうだよな。気をつけるよ」

 「もしかして悩み事…とか?」

 「ん、なんでもない」

 「私だったら話聞くよ?」

 「いや、ほんと大丈夫だって」

 「ほら!そうやって隠して!この前みたいなのは無しだよ」

 「ああくそ、おせっかいなんだよ。運転に集中しろつったのお前だろ、集中させろ!」

 島部 千賀、31歳。独身。IRO本部勤務。うるさい。しつこい。ばか。いい加減。癪に障る。足遅い。ニンニク大好き。何か大切なものが欠落している。ばか。しつこい。この女について言い出したらキリがない。

 「頼むから、お前もいい加減相手見つけて幸せになって俺の目の前から消えてくれ」

 「なんでそういうこと言うの!そんなケチなこと言わず私をもらって!!!!」

 「だーまーれ!俺はもう結婚してるの!浮気はしねーの!」

 声をわざとらしく荒げて、二つの指輪がはめられている左手を彼女の目の前におしあてる 。

 「そうやって過去のこと引きずってないで早く私を抱け!このくそったれ!」

 そう言って、躊躇うことなくハンドルを握る獄介にしがみつく。ハンドルが左に傾き、車体もそれにつれて揺れ動く。左側は山の斜面が続いている。そこに乗り上げでもしたら横転待ったなし。

 「ちょっ、こッ…あっぶねえなおい!!つかシートベルトしろっての!!」

 肝を冷やしながらコントロールを取り戻し、左肩にしがみつく千賀のデコを掴んで弾き飛ばす。

 あぁ死ぬかと思った。この女と仕事をするときはいつもこれだ。いつもちょっかいをかけてきて、仕事も娯楽も何もかもを邪魔してくる。この女もあの飲んだくれ女同様顔は悪くない。性格をどうにかすりゃ引く手数多のモテ女なのにどうしてこうもいい女はひねくれが過ぎるのか。

 「け、喧嘩はよしましょうよ!ほら!収容所見えてきましたよ!」

 エンジンの音に混ざって、後部座席から中性的でどこか情けない声が聞こえてくる。南方 ミナ子。訳の分からない格好をした訳分からない女。何故かいつも獄介とミナ子セットで変な目で見られる。今一番の悩みは…助手席に座っているこいつだが、二番目はそれだ。

 「ふふ~、ミナ子ちゃん帽子変えたでしょ~」

 そういいながら島部が助手席から身を乗り出し、後部座席に座るミナ子へ話しかける。

 「あ、わかるっすか!そうなんすよ!”この前までつけてた奴”とはまた”違ったカワイサ”があるっすよね!」

 「あ~?何も違わねーだろーがよ」

 「うっわー......だからセンパイモテないんすよ」

 「うるっせい、モテなくて結構だわ」

 「大丈夫!獄介君には私がいるもんね~」

 「だからお節介だって!」

 2対1。勝ち目はない。おそらくこのまま目的地までおちょくられ続けるのだろう。こういう時に限って頼れる相棒の結城は現地にいる。

 長谷部 結城は同じ部署で、俺の部下だ。そのくせ年下ながらにその秀逸さと有能さは本部でも噂されるほど。獄介にはもったいないほどの人材だ。

 そんな万能にも思える結城には、仕事をめんどくさがり他人任せにしてしまうという非常に重大な欠陥がある。さぼると決めたら何が起ころうとさぼる。それが、長谷部という男だ。

 先々月くらいに担当した事件でもそうだった。

 とある部落の村で起こった凄惨な事件。家庭菜園が趣味で元IROの研究員でもあった夫、三つ星レストランで料理を振るった経験もある妻、そして運動が大好きな一人娘の近所でも有名な仲睦まじい三人家族……土砂降りのある日、その一人娘の子が学校に来ず、両親とも連絡が取れないことを不審に思った教員が家を訪ねて事件が発覚した。玄関の戸を開けてすぐ、頭から血とそれ以外を垂れ流して倒れ伏す男。その奥には背中に複数の弾痕が残された状態で倒れ伏す女。娘はと言うと、埃の被った屋根裏で丸一日、うずくまっていたらしい。曰く、「ママに、良いって言われるまでは、ここに居なさいって」と言われて、最後まで守り通したのだそうだ。

 犯人は未だ逃走中。こんな胸糞悪い事件でも、あいつときたら友人の親戚の葬儀に参列するから鹿児島へ行くとか何とか言って有休をとり、そうかと思えば翌日には生八つ橋をもって出勤してくる。

 そんな彼が今回の件では一足先に現場に赴き検証を行っている。珍しいこともあるものだ。もしや、今回の件に違和感でも覚えたのか。彼はその才能ゆえに感も鋭い。いやな予感がする。

 不可解な焦燥を覚えつつ外の景色に目を向ける。

 窓の外はそれは何もない、所々が紅く色づいた山と谷と崖と、人がいるのかいないのか今後一生分かることの無さそうな民家が数件。この道の先にある猿谷ダムの隣に、人の世になじめなかった血族動物を収容している施設がある。

 「おい、そろそろ着くから、しゃんと身だしなみ整えとけよ。所長に会うんだし」

 「はいはい。あ、そんなことより瀬女ちゃん彼氏できた?あんな可愛いならモッテモテなんだろうな~」

 「あ?!ふざけんな、瀬女に釣り合う男なんざいるか!」

 「あれぇ、センパイはぁ、瀬女ちゃんが持ってかれるのこわいんすか―?」

 「ち、ちがうわ!つかシートベルトしろ!!」

 こいつらときたら。

 早く収容所まで行って結城と合流しよう。

 そう勢いづいてアクセルを思い切り踏み込んだ。


 長谷部 結城


 思い当たる節がある。今回の脱走者の中には例の反政府主義組織『ワン・セーブ・ワイルド・カンパニー』通称カンパニーの元組員がいる。名をレメリオン、IQ130越えのコモドドラゴンの血族動物で、カンパニーに入る前はIROの科学者だった。かなり重役を任されたこともあったという。そんな彼が突然姿を消して行方知れずに。その数か月後には、政府が監視しているカンパニーの支部に出入りしていることが確認され、IROの機密情報漏洩の容疑で逮捕、この「血族動物特殊更生施設 奈良支部」へ送られた。

 この施設は、血族動物のみを収容する、要するに刑務所だ。中身や仕様を見ればそのほとんどが監獄であり牢獄であるのにも関わらず、留置所でなく更生施設と名乗るのは結局のところ聞こえが良いからの一言に尽きる。犯罪を犯した優れた身体能力を持った獣たちが閉じ込められている留置場。その穢れたイメージを払拭するための稚拙なアイデアがこの施設の名前にふんだんに盛り込まれている。

 当然更生施設と名乗るだけあって受刑者には社会復帰に向けた取り組みが行われているものの、その実人とのコミュニケーションは安全や衛生上の観点からほとんど行われない。月に数回来るアドバイザーの講習や精神科医のカウンセリングをモニター越しに受けて、それで終了。施設がこんな山奥にあるのも人里から隔離するため。人間の奥底に眠る血族動物への疑心と偏見がそうさせた。

 胸糞悪い施設だ。もうこの世に性善説なんて存在しないのか。

 それにしても、この施設はつい最近改修工事が終わったばかりと聞いた。内装も一新されて構造も少しばかり変わったとか。そんないかにも不利な状況でどうやって彼らは逃げおおせることができたのか。施設関係者に共犯者がいたとは聞いているが、果たしてそれだけでどうにかなる問題だろうか。

 「……腹減ったなぁ」

 施設のその外壁を眺めながめてそうぼやく。

 一見すると、片田舎なんかで目にする個人経営のオフィスと見紛う程に質素な外観をしている。グレーの外壁に横に広い窓と、その左右にはカーテンが括られているのが見える。その窓からは施設内部の白い天井と細長い白熱灯、職員であろう人の頭部なんかも時折うかがえる。しかし、これじゃあまるで町工場の事務所か、はたまた喉かな田舎にある公民館のようにも見えてしまって仕方ない。これが更生施設もとい罪を犯した血族動物の留置場だと言われて納得するほうが難しい。それほどまでになじみがある。

 「くっそ腹減ったなぁ……」

 仮に、現状として、血族動物に対する法整備がうまく為されているか、と問われたら、返す言葉は確実にノーである。それはこの国に限ったことではない。血族動物に人同等の扱いを、血族動物に参政権を、血族動物が差別されない平和な国づくりを。カンパニーが設立されてからそんな言葉が頻繁に飛び交うようになった。彼ら血族動物にも”思想や宗教、発言の自由など”はあるが、それは人で言う”多様性(LGBTQ etc)を認めましょう”というそれぞれの意思の元にどうこうするものと何ら変わらない。是正するものもいれば否定し侮辱するものもいる。そしてその是非を決めるのは彼ら血族動物では決してない。

 いつまで経っても人は所詮人なのだ。

 相手がノーマンだからバカにしていいコケにしていいと、同じ人間であるはずなのに争い合う。そんな”人”が無論、血族動物などという得体のしれないケモノたちに理解を示すはずがない。それがきっかけで血族動物が結託して各地で暴動を起こし、結果このような収容施設が人里離れたこんな感じの山奥に次から次に建ちだした。そんな人間至上主義いや、血族至上主義を堕するべくして『ワン・セーブ・ワイルド・カンパニー』はできた。できるべくしてできた組織だ。そんな悲劇の組織が先々月から怪しい動きをとっている。各地に散らばるカンパニーの支部のもの共がどこか1つ所に集まり集会を開いているらしい。おそらく今回の件もそのことに関係があるだろう。

 と、推察はするけれど、あくまで推察であってそれ以上の域を出ないのでこれ以上は何も考えず、とりあえずは今日のお昼ご飯の事についてでも考えよう。

 えーと、炒飯餃子ラーメン沢庵寿司はらこの軍艦巻き茶わん蒸しすき家の牛丼カレーメシ麻婆丼ファミチキから揚げ定食ざるそばシチューお吸い物温玉ぶっかけうどん抹茶チョココーヒーゼリーからあげくんMIX味ねこまんまくさやカレードリアパストラミビーフ丼担仔面パンプキンパイミートパイホームパイ…

 「うぉーい!結城くーん!ひっさしぶりー!」

 「……ん?」

 この声は…あの見慣れた黒のワゴンから身を乗り出してこちらに手を振っているあのお姉さんは……本部の車で本部の千賀さんだ。隣の運転席に座ってすごくクシャッとした顔でハンドルを握りしめているのが獄介さんで、後部座席の小柄な影は…ミナ子ちゃんか。思ったより来るのが早かった。感心だ、あのメンバーでこの早さ、どこかで事故でも起こすものだと思っていたが、奇跡かなにかだ。

 収容所の駐車場へ丁寧に引かれた白線を完璧に無視する形で駐車されたワゴン車から真っ先に獄介が飛び出てくる。まるで長年閉じ込められていた檻から脱獄でも図ったかのように。

 「おめぇ先行くなら連絡入れろよな。こいつらのおもりとか聞いてねぇって」

 「すいません、何か気難しそうな顔をしてらしたのでそっとしておこうかなと」

 「何言ってんだ、めんどくさかっただけだろうが」

 呆れた表情の獄介の背後から島部が顔をのぞかせる。

 「ふふー、獄介ちゃんは自分の愛娘が男にとられるんじゃないかって心配してるのさ」

 「だっから、ちげえって!ふざけんなこら!」

 どうしてこの二人はいつもこう喧嘩ばかりするのだろう。その二人の後ろで相変わらずおろおろしているミナ子がかわいそうになってくる。

 「あの、島部さん。実は島部さんも現地来るとか思ってなくて、3人分の装備しか用意してないんです。なんで、一番近い大阪支部まで帰ってもらってそこから追跡とかなんとかで手を貸して欲しいんですけど、それじゃだめですかね」

 と、根も葉もないことを言って見せると島部は動揺するでも怒るでもなく、至って冷静な素振りでそれに答える。

 「んふふ~、そうなるだろうと思って、今回!本部より秘密兵器をお借りしてきました!」

 そういうと、車の荷台から大きな円盤状の複雑そうな機械を取り出した。大きなアンテナとたくさんの数字、見たことがあるような無いような記号群、中央にはボートなどに設置されている魚群探査専用のソナー…っぽいもの。

 「これはうちの研究員が開発した『半径100㎞君』だよ!」

 「……え?」

 なんて?

 「こいつにかかれば半径100㎞圏内にあるどんなものでも検索可能!」

 なるほど、安直だ。

 「”どんなものでも”ですか」

 「そう、どんなものでも!この周辺で落とし物をした、ここいらで子供とはぐれた、この近くで失踪事件が起きた、そんなお悩みをこれ1つで解決できちゃう!なんと内部には約2兆個の人の脳をもつAI君がいてその子が衛星とか、既存のマップとか、過去に半径100㎞内で受信した電波諸々なんかを基に検索した対象を最速0.003秒で割り出し特定してくれるの!というのもですね?この子の中にはあのスーパーコンピュータ”剣岳”のおよそ5分の1の計算能力を持つミニマムサイズのスパコンが搭載されてて、そのAI君とミニマムスパコン君が内部で協力し合ってるからこの半径100㎞君はとにかくなんでも探せられるし、バグとかも自分たちで見つけて、自分たちで治しちゃうの!さーらーに!白萩財閥傘下「白萩テック」が開発した500TBの記憶領域を持つHDDをな・ん・と三台も搭載しちゃっています!!さーらーにさーーらに!!これにはあの”サチサテ”の純血ちゃんの特異能力をベースにして構築された監視プログラムも備わっているからAI君が探索をするときにはそのプログラムを基に効率よく順序だてて行って____」

 あぁ、これ以上聞いていると病気になりそうだ。病名は、そうだな…うんちく超ウザイ病だ。ちな発症したら死ぬ。死んでからついでに三回くらい死ぬ。

 語り出しは穏やかだったのに話が進むにつれ鼻息と声量が信じられないくらいに荒く、大きくなっていく。というかサチサテってなんだ。

 「それで、この内部にはそれを一気に処理してくれるSuper surveillance system、通称S3と言う超スーパーベリーベリーハイパーエッッックストリームリーハイスペックなチップが備わってて、どれくらいハイスペックかと言うと____」

 早速うんちく超ウザイ病を発症した気がする。何か、無性に体中を掻きむしりたくなってきた…ん?…待て…これは…発疹……?あぁ、なんか、息苦しくなって来たぞ…アナフィラキシーだけはよしてくれ…あれはキツいんだ…

 「北山 東氏の論文では、このS3を用いて能力者と能力の力関係を逆転させることにも成功したと記述されていて、それらを含めてこのS3は凄く偉大な発明と言えるんだよ!じゃあこのS3の凄さを知ってもらったところで、その歴史を振り返ってみようか、時は300年前のアメリカで起こった”40年戦争”まで遡る。この戦争は、当時低賃金で働かされていた無血族労働者たちが上流階級の血族に対して引き起こしたデモが芋ずる式に激化して…」

 あぁ、ダメだ。話が勝手に掘り進められてゆく。それにつれて、なぜか壮大な話し方になっていって、もう最後の方なんかは下手なオペラでも聞いているようだ。それはこの奇麗な山々と眼前に広がる大きなダムのあるこの空間に響き渡るほどに、兎に角うるさい。

 「あのっ!とにかく、すごいことはわかりました。つまり、それを使って彼らを見つけるんですね?」

 「え、うん!そうだよ!と、その前に、私を大阪に追い返そうとしたことを謝ってもらわないとね~。半径100㎞君使わせてやんないぞ~?」

 あぁ、なるほど。なぜ獄介がこの人といつも喧嘩をしているのか全然わかる気がする。

 「追い返そうとなんてしてませんよ。そうしてくれたほうがもっとスムーズに事を運べられると考えただけですよ。ですよね獄介さん」

 「え、あー、そうだな、あぁそうだ。お前に大阪行ってもらったほうが都合がいいんだ都合が」

 どうやらこちらの意図を汲み取ったらしい獄介がすかしたような表情でそう言うと、島部がそれに呼応するようにムッとした表情を見せる。

 おそらく獄介はここに来るまでの道中でさんざんな目にあったのだろう。そんな彼に仕返しをする機会をくれてやったのだ。

 「ちぇ、つまんねーの!ほら、ミナ子ちゃんこんな奴らほっといて所長さんとこ行っちゃおう!」

 そう言いながら千賀がいかにもプンスカしている様子で収容所のドアへ向かう。が、真ん中に書かれている「手を近づけてください」が見えていなかったのか、そのまま激しい音を立ててドアに激突した。ワンパターン遅れてセンサー式自動ドアが前後に震えながら「ウィーーン」という音と共に華麗に開いた。

 「いったーーーーーーー!」

 千賀がそう叫びながらおでこを押さえ地面を這ってうずくまる。

 「ちょ!千賀さん!?大丈夫っすか!え、ちょ!」

 急いで駆け寄るミナ子のその後ろからのっそのっそと満面の笑みを浮かべた獄介が忍び寄る。

 「おいおい、それが見えてねーのか、医者に見てもらった方が良いんじゃねーか?目と頭を」

 どうやらそのハプニングは獄介を喜ばせているようだ。仕方ない、駐車場に着いた時の獄介の顔を見れば道中に何があったか大体予想がつく、それに先ほど結城も似たような経験をしたばかりだ。ここは1つ、手を差し伸べて進ぜようか。

 「獄介さん、レディが怪我をして痛がっているのに、それを見て喜ぶのは流石に人としてどうかと思いますよ」

 「なっ、結城テメェ!!さっきと言ってること違うじゃねーか!!」

 「なんのことですか?」

 「ちくしょう、覚えてろよ」

 「そんなことより、あなたの将来のお嫁さんが頭押さえてうずくまっていますよ。介抱の1つでもしてあげたらどうですか」

 「やかましいわ!あーもう、ほら千賀、顔見せてみろ」

 そう悪態をつきつつもその場にしゃがみ込み、千賀の前髪を服の裾の様にたくし上げ、青く腫れているところを優しくなでる。

 なんてほほえましい光景なんだろう。いつもこうだったらいいのに。どうして獄介は千賀の好意を無下にしてしまうのだろう。もったいない。

 ダルがらみの多い半泣きの美人。おろおろしている変人。実はやさしい下品な男。見慣れぬ光景に新鮮さを覚える……いや、おろおろしている変人はいつもの事か。と、ちょうどコンビニほどの広さの待合室の奥から50代くらいの、おそらく用務員であろう頭のてっぺんが薄ら禿げたおじさんが救急箱を抱えてノソノソと歩いてくる。どうやら騒ぎを聞きつけ気を利かせてくれたようだ。

 そろそろここの所長に事情聴取を行う時間だ。彼らをおいていこうとも思ったがそれは後々面倒なことになりそうなので思いとどまる。ダムから「ぽちゃん」と魚が飛び跳ねる音が聞こえた。


 島部 千賀


 ようやく霧が晴れてきた。これでやっと散策に出られる。と言っても、私が散策に行くのではない。散策に出るのは___

 「これだから男ってのはダメなんすよ!この帽子は二万円もするすごい良いとこのなんすよ?このつばの部分の質感とかすごいじゃないですか!なんでこのすごさに気づけないんすか!」

 「だーかーらそんなのいくら見繕ったって見た目一緒じゃ意味ねーだろーが!こう、前は黒だったから今度は白にしよーかなー、的なそういう考えは及ばなかったのかって聞いてんだよ!」

 「いつも黒い帽子かぶってる人が急に白の帽子とかかぶってきたらなんかおかしいじゃないすか!」

 「おかしくねーよ!それどころか、わー帽子新しいの買ったのー?白も似合うねー、みたいな会話も生まれるじゃねーか!それをお前は悉く同じ色で同じ見た目の帽子買って、え?この帽子知らないんスカ?秋の新作で今超話題の奴っスよ、とか、このブランド知らないんスカ?めっちゃ有名ですよ、とか、んなもん知るか!」

 「んな!!この、る、ろくでなし!」

 せっかく霧が晴れて、この”半径100㎞くん”使ってさぁ行くぞという時に、どうしてこうも仲の悪い2人が上司と部下という間柄なんだ。つくづくあきれる。

 「獄介さんみっともないですよ、大の大人が子供をいじめるなんて」

 隣で2人のやり取りを見ていた結城が割って入る。

 「ちょ、自分子供じゃないっすけど!!みんなしてひどいっす!!」

 結城も結城で獄介に負けず劣らずのひどい性格をしている。この前会った時より嫌味が増したというかなんというか。巷で噂のスペースの使い手と聞いていたが、何か突出したものを持っている人はその分何かが欠落しているものなのだろうか。

 「はいはい3人ともみっともないよ~。それより霧晴れてきたけど、彼らを追わなくていいの?一応この10km圏内に3体纏まっているっぽいけど」

 そう言いながら島部が画面を三人の方へと向けてレーダー映し出された3つの固まった反応を指で叩いてみせる。

 「あ?どうしてその3つの反応がここの脱走者のものだってわかるんだ?ほら、これとか、ほかにもいっぱい反応出てるじゃねえか」

 獄介が口を開いた。確かにこの半径100㎞くんのレーダーには無数の反応が映し出されているが、どれが脱走者のものであるかを見分けるのはさほど難しいものでもない。

 「さぁなぜでしょう!」

 「なっ、なんで教えてくれねーんだよ!」

 「ふふー、教えて欲しかったら私のほっぺにチューし」

 「なるほど。この3つの反応だけが周辺の野生動物と違って一定の間隔を保ちながら所々にある人気のありそうな場所を意識して行動してるからって、そういうことですね?」

 こいつときたら。そのとおりだが空気を読んでそこは言わないでほしかった。

 「本当か!流石結城だ!…だがなんでこの3つの反応が人気を避けてるってわかるんだ?」

 「そうですね、これ見てください」

 しょげる島部をよそに男2人は楽しそうになぞ解きを続ける。そのレーダーは標的の軌跡、いわゆる足跡をも記録する。人気を避け、固まって行動し、それでもってこの収容所の周囲から足跡が始まっていることに気付ければなんら難しいことでもない。逆にどうして獄介がわからなかったのかということのほうが気になる。

 「で、どうするの?今3匹ともがなんちゃらかんちゃらっていうヘリポートの近くにいるけど」

 「そのヘリポートまでは車で行けるのか?」

 「うん。3分くらい走らせると左にヘリポートへの道が出てくるね」

 「分かった、じゃあ行ってくる。”後のこと”は頼んだぞ、千賀」

 「うむ、まかせろ」

 獄介、ミナ子、結城に手を振り、深呼吸をする。

 後のこと。そう、私の仕事は彼らをナビゲートして終わりじゃない。めんどくさい仕事がまだ、一つだけ残……あれ?さっき獄介君……


 「本当にこの道で合ってるんすか?…もうなんか、道っていうより…」

 ミナ子がおどおどしながらにそういう。

 「あの、助手席に座るんならシートベルトしてくださいよ」

 「あ、すいませんっす…あの結城さん、この道合ってるんすか?もうほぼ道ないっすよ?」

 「いやでも島部さんがこっちだって、どう思いますか獄介さん」

 「ん…あ?島部がこっちって言ってんだからこっちだろ。知らんけど」

 鼻をほじりながら窓の外を眺める獄介がどうでもよさそうに返事をする。と、咳ばらいをし、後部座席から身を乗り出す。

 「おい結城、いつごろ着くんだ?漏れちまいそうなんだが」

 そういうと結城がふてぶてしい表情を浮かべて、大きくため息をつき口を開く。

 「なんであっちで済ましてこなかったんですか」

 「いや、収容所にいたときはなんともなかったんだよ」

 「向こうに着いたらさっさと済ませてくださいよ、一応ここは戦地なんですから」

 「分かってるっての」

 そう言って獄介が後部座席へ腰を下ろし、運転席に座る結城がバックミラーを睨みつける。曲がりくねった道を右へ左へ、ハンドルを絶え間なく動かす。ブレーキを踏むことなく、ギアをガタガタと前へ後ろへ。とにかく止まるという動作を控え、その空間だけが騒がしい。

 「結城、お前運転うまくなったな」

 その様子をみた獄介が後ろの席からまたも身を乗り出し結城に話かける。

 「まぁ獄介さんの専属ドライバーみたいなものなので多少は慣れますよ、というかそろそろ目的地です」

 そういうと、結城がハンドルを大きく左にきる。それと共に獄介がそれとは逆の方向に吹き飛ばされる。

 「うおっ…と、向こうで小便する時間あっかな」

座席の下から起き上がる獄介が、さも何事もなかったかのようにふるまう、がそのおでこにはいたいたしい打撲痕が。

 「獄介さんもいい加減シートベルトしてくださいよ、ここから急カーブ多くなりますよ」

 結城が隣に目をやると、ちょこんと座ったミナ子が座席にしがみ付きながらに踏ん張っている。が、踏ん張りが足りなかったのだろう、大きく右に曲がったところで窓に「ゴン」と鈍い音を立て頭をぶつける。

 「っ痛…あの、もうちょっとスピード落としましょうよ…」

 頭を押さえながらすごく嫌そうな表情を浮かべるミナ子がそういう。

 「もう少しでつくんですから我慢してください」

 「あとどれくらいっスか…なんか、気持ち悪くなってきた…っス」

 「え、あの、耐えてください。やめてください」

 その結城の一言にミナ子が情けない声を漏らす。


 アクトゥル

 

 彼らが逃げた囚人たちを追いかけている間、私は密閉されたおよそ6畳ほどの白い空間に、アクトゥルという名のヤギだかヒツジだかよく分からない血族動物と2人きり。

 「ほら話して?いつまで黙ってんの?すごく無駄なんだけど、時間が」

 なかなか口を開かない。こいつが一体ここで何をしたのか。

 「まぁ、なんであんたが彼らの脱走に加担したのかはだいたい分かるんだけど、あんたの口から話してもらわないとさぁ…ほら、色々めんどくさいことになっちゃうしぃ…」

 白い壁に白い床、微妙な明るさの電灯、そしてアクトゥルと島部の間に挟まる小汚い机。喚起が上手くいっていないようで地味に暑い。机の上にある水をチビチビと飲みながらヤギだかヒツジだかの顔を見つめる。しかし、視線は一向に合わない。アクトゥルのその横に長い瞳孔がキュッと閉じたり開いたりするものの、その視線は机の真ん中へ向けられている。。

 「…………はぁ」

 しばらくの沈黙の後、島部がそうため息をつくと同時にかしこまった姿勢を崩し、机に肘をついて話しを再開する。

 「あんたは、あれでしょ?血族動物雇用法だっけ?あれがどうのこうのってので、あんたみたいな”人並み”で”前科持ち”の血族動物共が職業体験の一環として各所へ派遣されるってやつ、あれでここに飛ばされたんでしょ?それでおよそ3年の契約を結んで、ここで一生懸命に働いて。どうして血族連がここへの職業体験を許したのかは、まぁ面白半分なんだろうねぇ…ほんと性格悪いよね、あいつら」

 そんな話をしたところでアクトゥルは一切動じない。それどころか余裕の表情さえ浮かべている。

 「まぁ結果こうなったのはすごく面白いし血族連合ざまあ、お前流石って感じで嬉しいっちゃ嬉しいけど、なんで私らIROがそのケツ拭かにゃならんのかね。そういうのは松方屋の仕事だっちゅうの」

 そう言った途端にアクトゥルの瞳孔が開く。先ほどまでの消え去りそうなほどに横に細長い瞳孔がまるでなかったかのように、その眼球を黒く塗りつぶす。

 「あなたは、IROか?」

 そう聞こえた。先ほどまで押し黙っていた姿と打って変わり、まるで怒りに満ち溢れているようなその気迫に寒気を覚える。

 「え…うん。そうだけど、それが、何?」

 そういうとアクトゥルは続けて話し出した。

 「血族連合も、聖都の奴らも、センダイの奴らも嫌いだが、お前らIROはもっと嫌い」

 そう言った。IROになにかされたのだろうか。少なくともIROが血族動物に対してその権利を侵害するようなことをした覚えは無い。それどころか積極的に金銭の発生しない保護や住居の提供、健康診断等、どちらかというと感謝されるような行いしかしていないはずだ。

 「ちょっと勘違いしてない?あんたら血族動物を迫害してきたのは血族連よ?この施設を建てたのだって血族連だし、IROは血族動物への権利を得るためすごく頑張ってるじゃない。何が不満なの?」

 「あなたは、騙されてる。1番ひどいのはIROだ」

 一体どういうことなのだろうか。彼らにしか知りえないことでもあるのだろうか。

 「分かったわ。話を戻しましょう」

 そういうと姿勢を戻し、また問いかける。

 「それで、なんで彼らの脱走に加担したの?監視中に情でも湧いたの?誰かに言いくるめられたとか?あと、どうやって彼らを逃がしたのかも聞かないといけないし、ほら、さっさと喋って」

 そういうと、また押し黙る。

 これじゃあ埒が明かない。そろそろ彼らもヘリポートまで着いたころか。

 「……今から私の連れが、脱走した彼らを生死問わずに確保する。いや、多分、確実に殺す。けど、どうして加担したのか、何を吹聴されたのか、話してくれたら彼らの命は保証するわ」

 そういうと、アクトゥルは茶色く濁ったその長いひげを揺らして、徐に口を開いた。


 「やっぱりこっちの道で合ってましたね」

 結城が運転席からよっこらと降りる。

 助手席からは顔を青くしたミナ子が口を手で押さえながら降りて来ては草むらまで走って吐き散らす。

 「すいません。今度からは安全運転心がけますので」

 ミナ子に聞こえるように声を大にしてそう言うと、かさついた声で「はい」と一言帰ってきた。そのまま後部座席へ目をやると獄介の姿が見当たらない。

 「あれ、獄介さん?」

 そういうと、ミナ子とは逆の方向から「こっちだ」と声がする。視線を向けると、木の幹に向かって排尿を行う獄介の最悪にはしたない後ろ姿を確認した。

 どいつもこいつも。

 「なんでこんなきれいな景色が見える場所でゲロと小便を同時に見なくちゃならないんですか」

 本当に。

 「ゆるせ結城。ミナ子のはともかく俺のは生理現象だ」

 どっちも生理現象な気がしてならない。

 「はぁ…とりあえず島部さんに繋ぎます」

 胸ポケットを圧迫していた通信機器を取り出しコールをかける。4コールした後に「結城君?」という女性の声が聞こえてきた。

 「今着きました。そちらのヤギさんは話してくれましたか?」

 2秒ほど間をおいて返事が返ってくる。

 「いや、こいつは話が通じないタイプだよ。私らがIROの人間だって言ったらなんか癇に障っちゃったみたいでぷんすかしたけど、それ以外は何も話してくれなさそうだわ」

 「そうですか。それでレーダーではどのあたりに彼らがいるんですか?」

 2秒ほど間をおいて返事が返ってくる。

 「君たちの地点から北東におよそ1㎞ってとこかな。もしこれが彼ら脱走者たちならそれなりに……あひあとほはのほっへるはるだはら」

 話している途中におそらく何かを口に含んだのだろう、そのあとは一体何を言っているかさっぱり分からない。

 「あの、なにか食べてます?最後のほう聞き取れなかったんですが」

 そういうと、やはり2秒ほど間をおいて返事が返ってくる。

 「ごめんごめん、所長さんにドーナツもらったから。とりあえずその3つの反応が脱走者のものだったらその場で始末。ちがかったらこっちに帰ってきてね。じゃあ、よろしく」

 そういうと通話が途切れた。こう、どの方向に向かって移動中等々を教えて欲しかったが仕方ない割り切ろう。

 「ほら2人とも、北東に向かって約1キロですって。行きますよ」

 そういうと、うつろな顔をしたミナ子とスッキリとした表情を浮かべた獄介がこちらに向けて歩んでくる。

 その相対的な光景は、こんな状況じゃなかったら腹を抱えて笑っていただろう。


 それは一瞬の出来事だった。一瞬ですべてが完結したようなそんな気分。

 「おいおい、待ち伏せとはなかなか策士じゃないかおい」

 明らかに動揺している獄介が、それであってもいつも通りの姿勢を崩さない。

 普通に歩いていた。草をかき分けおそらく脱走者のものであろう足跡を見つけ、島部さんの言っていたことは正しかったなと嬉々として語っていた結城が、激しい炸裂音と共に飛散する泥だけを残して目の前から消えた。代わりにその場所にいたのは、チンパンジーだった。

 地面をえぐるほどのその豪快な打撃をどう繰り出せているのかわからないほど人と大差ない太さの腕と黒い体毛。動物園で何度も見たことのある見た目。違うところと言えば

 「マズハ、一人、目」

 話せるところ。

 「……モッ…ラ」

 腰を抜かし、うまく立てないでいるミナ子がやっとの思いで口に出せた言葉。

 囚人番号27番、名をモッラ。チンパンジーの血族動物。

 体格は通常のチンパンジーのおよそ2倍はあるだろう。体毛の濃い人間だと言われたらおそらく納得してしまうその身の丈で、それでもって動物園でよく目にする、いや、それ以上の身のこなし。

 「ミナ子、いったん引くぞ」

 いつの間にか隣に立っている獄介が、ズボンのポケットに手を突っ込みいつも通りの口調で話しかける。

 「へ?…いや、結城君はどうするんですか」

 「んなん知るか。それより2人でこの”サル”やっつけて残りもやんぞ」

 本当にいつも通りの口調で話し続ける。信じられない。いつも仲良く話していた仲間が目の前で吹き飛ばされたというのに。

 「分かり、ました。ついていきます」

 だからと言っていちいちそれらを嘆いて納得する、もしくは納得させる等のやり取りをする暇なんざない。

 折れた腰を立たせ、こぶしを握り、草木の中へ消えた獄介の後を追う。


 モッラ


 あのサルはひとまず撒いた。が、結城がいない今、サルを殺るのにこの2人ではいまいち決定打に欠ける。

 ミナ子の力を使うには標的をその場に数秒でもとどめる必要があり、なおかつミナ子が標的含むその周辺を見渡せる位置にいなければその質はぐっと下がる。

 ここいらには杉やブナが生い茂っているが、それに登ったとして煩雑に生い茂る枝と葉が邪魔をする。結城のスペースさえ使えたら高所なんていくらでも作れたのに。

 開けていて、且つ周辺を見渡せる高所のある場所…高所…開けた……あそこか。

 「ミナ子戻るぞ」

 「え、戻るってどこにっスか?」

 素っ頓狂な顔で獄介に返事を投げ返す。

 「ヘリポートにきまってんだろ。あそこ休憩所みたいなんで屋根があっただろ。あそこでなら”カシャッと一発できる”だろ?」

 これ以上にいい案は浮かばない。結城のことも心配だ。うだうだ言わずに乗ってくれるだろうか。

 「了解っす。行きましょう」

 上出来だ。サルと鉢合わせた場所がヘリポートからおよそ600mほどの場所であるから...

 「あと400mといったところか。走れるかミナ子」

 「行けま…」

 ミナ子がそう言いかけた途端真上に気配を感じ、口を開け目を見開いているミナ子を抱きかかえ咄嗟に前へと跳ねる。そのコンマ5秒の後に先ほどまで2人の居た場所にクレーターができる。

 どうやら、もうすぐそばまで来ていたようだ。1匹で突っ込んできているところを見るとほかの2匹は逃げているのだろうから、つまりこいつは時間稼ぎというわけで、そうなればこのサルの駆除を急がなくてはならなくて……あぁだめだ。このままじゃ全部が終いだ。

 抱えるミナ子を前方に放り投げ、獄介はぬかるみを踏み込み勢いよくかけ出す。

 「ミナ子ぉ!これ使って先行ってろぉ!」

 そう言ってテニスボール大の丸い石をミナ子に投げ渡す。表面には薄く「飛晶石」と彫られてある。ミナ子は何を言うでもなくそれを受け取ると無言のまま前方へ、そのまた前方へとテレポートしていく。その光景を睨みながら不安定な足場を踏みしめ、来た道へと駆ける。まだまだ体は丈夫ではあるが、このぬかるんだ道を全力で走るだなんて無茶を言う。ただ、その無茶を熟せなくては意味が無い。

 そう思うと俄然燃えてくる。

 「ん”ん”ん”ん”あ”あ”あ”!!!」

 雄叫びを上げながら緩やかな斜面を全力で下ってゆく。前方を遮ってくる木を最小限の動きで避け、足元をうねる木の根をここぞばかりにと踏みしめ勢いをつけ、突然現れる蜘蛛の巣をぶん殴り、背の高い雑草を蹴飛ばして、無我夢中で駆け抜ける。

 ただ、それもこれも体力があったからできたパフォーマンスであって、数百メートルと走るうちに感覚は鈍くなり、いつからそこにあったやも分からない蔦に足を取られて酷くこけてしまう。

 頬を岩にぶつけた痛みが朦朧とした頭を覚醒させて、その瞬間に感じた悪寒を頼りに横たわる体を捻って右へ避ける。それと同時にひどく鈍い音がすぐ隣で鳴り響き、同時に湿った土と角ばった小石が周囲に飛散する。鼓膜に残る気味の悪い余韻と共に恐る恐る振り向くと、案の定そこには黒く毛深い腕が周囲を穿いて土の中へめり込んでいた。それを見た瞬間に鼓動が酷く暴れ出し、脳みそが勢いよく仕事を熟す。這いつくばったその体制で地を蹴飛ばし、体を捻っては仰向けになり、足場を見つけては踏みしめて、上半身を少しだけ起こしてはズルズルと低い姿勢のまま、ほふく前進とはまた真逆の状態でその場から距離をとる。懐の銃を取り出して安全装置に手を掛け、何としてでも相手を怯ませる算段を練る。そのさなかに目の前で覆いかぶさる黒い獣が突き刺さる拳を引き抜いては、気味の悪い吐息を漏らして両手を合わせ、勢いよく振り上げる。咄嗟に銃を構え、一か八か、引き金を引く。


 ここはどこだろう。何があっただろう。頭が痛い。くらくらする。ひどく眠気もする。瞼が重い。息が苦しい。眠い、眠い。どうしようもなく眠い。けれど、寝たらダメな気がする。このまま寝たら取り返しがつかないと言うか、引き返せないと言うか………あぁ、そうだ。起きなくちゃ。起きて、みんなのところまで戻らなくちゃ。

 目を見開き、辺りを見渡す。遠く、およそ50mほど先に地面がえぐれ、木々が滅せられた跡が見える。どうやら先ほどの場所から50mほどの場所に…?一体何が起こったんだ。

 目の前が赤く染まる。頭が重い。まぶたも重い。吐き気もする。首が痛い。

 目を何とかして拭ってもう一度辺りを見渡すと、先ほどの場所よりそのまた20m程先に2つの影を見つける。そして、それら影同士の話し声も。

 「助ケ-行---ガイイ」

 「デモ行--モ、倒サ---ウカモ」

 「アイツ---ショ-ニゲル」

 「ウク-タメニ--キテ、----ト」

 「アイ--一番、ウクニ、ア------タ、-カラ」

 そう聞こえる。森の静けさも相まってその声の質も、口調もよく分かる。あの話し方、あの独特な籠ったような声、間違いない。

 「血族動物」

 そうつぶやき腰に力を入れる。足は…ある。けれど…打撲、いや捻挫?とにかく足が異様に痛い。全く立ち上がれない。でも。足の1つや2つ、なんなら四肢がなくたって、”スペース”は扱える。

 「ぁあああああ!!………」

 わざと聞こえるように声を出す。それに気づいたのか2つの影がこちらを視認し、顔を見合わせ、頷き合い、またこちらを向いては怒涛の勢いで差し迫ってくる。近づくにつれ確認できる彼らの殺意に満ちたその目を睨み、何かを唱えだす。

 ぶつぶつ、ぶつぶつ。何かをお願いしているような、そんな言葉を繰り返す。言い終わるころにはそのトカゲの顔と、鹿の顔をした2匹の血族動物が動けない結城を取り囲む。一方は腕を振り上げ、もう一方はそのワニにも似た長い口をかっ開く。

 結城が最後の一行を唱え、一言。

 「死ね、獣が」

 結城のその一言を、鳥のさえずりや、木々のざわめき、風が吹き抜ける音に、遠くを飛んでいる飛行機の音なんかが絡み合って、掻き消してゆく。

 目の前に”獣”の姿はない。

 口をかっ開いた状態で固まるトカゲの頭と、角を生やした鹿の頭だけがそこに、地面に転がっている。

 「はぁ……痛ぇ…」

 そう言って、懐から取り出したナイフを、その動物の額に刺し込む。


 赤い瓦屋根の上に立ち、来た道を凝視する。

 もし、このまま獄介が来なかったら……もし、あの木々の中で…あの黒い化け物に……

 よからぬ考えが脳裏を行き来する。不安が頭の中を埋め尽くす。自分が飛晶石を使ってしまったせいで。もっと周りをよく見て、前もって動けていたら。

 押し寄せる後悔の波に耐えられず爪を噛み、そのまま息を荒くする。

 まだか、こちらは準備ができているぞ。まだか、まだか、はやく、いつでも、何があっても。

 あぁくそ。熱い、鼓動がうるさい。

 かぶっていた帽子を脱ぎ捨て、投げ飛ばす。

 値の張った帽子はそのままどこか遠く、山底へと沈んで行く。それと同時に黒くつややかな、それでもって閃光でも走ったかのような白い1本線の入った髪がふわりとその姿を現す。

 髪をかき上げ、来た道を再度凝視する。と、およそ100mほど先にある木がガサガサと揺れた。それからはすぐだった。有無を言わさぬその速さ。気付けばもうすぐそばまで”それ”は迫って来ていた。すぐにその姿を視認した。

 逃げる獄介と、なぜか右肩から流血している先ほどのチンパンジー。

 それは瞳孔をこれでもかとかっぴらき、動物本来の、いや野生のチンパンジーの鳴き声というのだろう。すごく甲高い声を発しながら獄介を追いかける。赤黒い汚らしい歯茎と黄ばんだ鋭い歯をむき出しにして、両腕で地面を削りながら獄介を今にも砕かん勢いで迫ってくる。

 獄介からの合図を待つ。

 「シュー!!ツィー!!!!」

 獄介のその必死の叫び声を聞くと共にミナ子が姿勢をとる。

 親指と人差し指を立て両手でカメラをとるポーズを構え、右目でそれをのぞき込んで、標的をとらえ

 「シューツィ」

 そう口ずさむ。

 ミナ子がそう呟いた瞬間にサルは先ほどまでの勢いを失ってその場にふらふらと、まるでつり橋の上を渡っているかのようにふらふらとよろめきだす。それを見た獄介がゼェゼェと息を切らしながら膝に手をつき、呼吸を整え懐から拳銃を取り出してはのんきに装填して、サルの脳天に狙いを定める

 「はは……ふぅ。シューツィだ」

 発射する。銃口からは白い光線が鈍い音と共に溢れ出て、焦げた臭いを漂わせながらその顔面に放出される。僅か数秒。人間がくしゃみをしたかのような刹那。

 光線がサルの顔面を通り過ぎ、原型を知らぬ惨たらしいそれが顕わになる。そうして”中身”を失ったそれは、その場に膝をつき、”中身”をぶちまけながらその場に倒れ伏した。


 疲れた、300mといったところか。ひどく疲れた。もうこういうのは無しにして欲しい。

 「結城は…生きてるんだろうなぁ…」

 獄介が必死に声を絞り出す。

 「センパイはここで待ってて下さい。結城君は自分が探しに行くっスから」

 ミナ子が屋根から飛び降り、その髪をふわふわと揺らしながら獄介の元へ駆け寄る。

 「その必要はないですよ」

 獄介が来た道から見覚えのある姿が足を引きずりながら現れる。その両手にはナゾの肉塊がぶら下がっている。

 「おぉ、結城、ひと、りで片付けた、のか。そこらへんの、動物の頭とかじゃ、ねえよな?それ」

 息を上げながら獄介が口を開く。

 「馬鹿言わないでくださいよ。ほら」

 そういうと結城は持っていた生首を地面に置く。

 「結城さん生きてたんですか!」

 「あは、勝手に殺さないでくださいよ。獄介さん確認を、こいつらで間違いないですよね?」

 1つはおそらくシカの血族動物で囚人番号32番、ハーデン。そしてもう1つは

 「こいつが、レメリオン…っスか」

 コモドドラゴンの血族動物でIQが130もある元IROの科学者。

 「不思議なのが、こいつほどの天才がいて、なぜそのまま逃げずに戻ってきていたのかってことです。あのまま進んでたら追い付くころには日も暮れて、こいつらに有利な戦況も展開できたはずなのに」

 結城がその場にしゃがみこんでトカゲの生首を見ながらそう話す。

 「なんだ、こいつら戻ってきてたのか」

 「えぇ、ここへ戻ってくる途中に島部さんに確認を取りました」

 「それで?」

 「僕が吹き飛ばされた場所から100mほど東に行った所まで、レーダーでこの2匹の痕跡を確認できると」

 「ほう」

 「その先に痕跡はない。まぁつまりそこから引き返して来ていたということですね」

 「なぜ」

 「さぁ?」

 釈然としない会話が続いて、一瞬の沈黙が場を支配する。結城が喉を鳴らしてスマホを取り出し、メッセージリストを上下にスワイプする。

 「そう言えば」

 結城がスマホに視線を向けたまま血の滲む口を開く。

 「島部さんがヒツジの野郎が姑息でどうとかって嘆いてましたよ」

 「ヒツジ?……あぁ。あのアク…なんとかって奴か。あれヤギじゃないのか?」

 「なんでも、ついさっき施設から脱走したそうで、姑息な手を使われたって島部さん相当怒ってましたね」

 「姑息な手って?」

 「……さぁ?」

 尚も釈然としない会話を遮るように今度はミナ子が口を開く。

 「それよりもう一匹いるはずっスよね、脱走者。どうするんすか?」

 ミナ子の姿を見た結城が眉を顰める。

 「あれ、そういえばミナ子ちゃん、帽子は?」

 ミナ子は自分が”純血”であることに嫌気を感じている節がある。その髪を帽子で隠したり仕事以外で特異能力を頑なに使わなかったり。

 「え、帽子?……あ、やばいっす!さっき投げ飛ばしちゃいましたっす!!」

 先ほどの落ち着きのある表情がクシャッと崩れ、いつも通りのミナ子に戻る。

 「お前、予備の帽子とか言ってトランクに何個か似たようなの詰め混んでなかったか?」

 ようやく息を整え終えた獄介が乗ってきた車に視線を向ける。

 「あ、あ!!そうでした!!流石っすセンパイ!」

 そういってミナ子は車に向けて駆け足で向かう。

 「なぁ結城。結構普通そうにしてるがその足は大丈夫なのか。血が出てんぞ。あとデコも」

 「あぁ、大丈夫です。足は少し捻っただけだし、頭の方も浅い切り傷みたいなもんなので」

 結城がなんてことなさそうに軽く笑い、足を上げて足首をぐるぐると動かして見せる。

 「ならいいんだが。そいじゃあとりあえず、残りの1匹に関しては収容所戻って話し合うとして。結城、その足で運転できるか」

 そう結城に問いかけると「余裕です」と心強い返事が返ってきた。




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