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metamorphosis  作者: シ閏
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ちょっとだけ長いですよ

 嫌な耳鳴り、やかましい風切り音。

 耳元で絶えず何かが爆発しているような、それか、何千人もの群衆がどこか遠くから一斉に叫んでいるような。そんな轟音と、激しい突風が絶え間なく体中を打ち付ける。ビュービューゴーゴーと馬鹿みたいに騒がしい。目が明けられない。体の節々が寒い。とにかく寒い。鬱陶しいくらい長い髪が体に巻き付いて、腕も足も自由に動かせない。


 決死の覚悟で瞼を上げて、何が起こっているのかを必死に理解しようとする。閉じたくて仕方がないとせがむ瞼を抉じ開けて、真っ暗闇だった世界を無理やりに晴らす。そうすると、途端に真っ白になっていって目を眩ませる。

 目の周りにある筋肉に目いっぱい力を込め、自分の意思を無視して閉じようとする瞼を必死に静止して、ぼやける視界の向こう側を覗きこむ。

 見えたのは、輪郭が曖昧な世界。デコボコと盛り上がったり窪んだりしている濃淡の青と濃い緑色。その反対側には、地平線と水平線。山と、町。すごく久しぶりに見たような、そうでもないような。

 山を越えると海原に入り、そうかと思ったらまた山が見えてくる。


 寒い。


 何が、あったんだろう。

 何をしたんだろう。ぼくは、なんで空を飛んでいるんだろう。

 首の角度が無理やり固定されているような感覚で、上下左右に動かすこともままならない。なんとかして体の向きを変えて下を向き、景色を眺める。

 どこか、見覚えのある陸の形、海の模様。地理の授業で何度か見たことのあるあの地形……地理……授業………。


 ぼくは、死んだはずだった。

 最後の景色も、打ち込んだスマホのパスワードも覚えている。最後に聞いた曲も、頭の中に確かに残っている。その後は………綺麗で、ジメジメとした場所にいて………そこから先の記憶が、一切思い出せない。

 ぼくは、なんでこんなとこにいるんだろう。あれから、何があったんだろう。それで、どこへ行くのだろう。あとどれくらい空を走るんだろう。

 分厚い雲を突き抜けて、体の節々が凍てつくような不可解な感覚に襲われて、雲を抜ければ上空一面が青く深い色をした広い空間へと放り出され、眩い太陽にジリジリと照らされる。眼前に聳え立つ歪な形の雲の絶壁は、手を伸ばせば届いてしまいそうな程に巨大で、そして、まるでその絶壁に吸い込まれるような感覚と共に目の前が暗くなっていく。


 そろそろ、ぼくは疲れた。

 接近する山肌を眺めて、目を閉じる。



 後悔ねぇ……あぁ、してるさ。ひどく後悔してるさ。あん時あぁしてりゃあよかった。こう言っときゃよかった。ってね。

 ……え?…はは、そうかな。あぁ、そうだと良いんだけどな。


 「__イ?___っすよ!」


 お前たちには生きて貰わねえと困るなあ。

 ほら、もうあん時のおれらが揃うことなんて一切ねえんだ。またこうやって、お前と飲めたら、それでいいんだよ。

 ………あぁ?……はは、まだ飲み足りねえくらいさ……あぁ、分かってる。お前は昔から酒に強いからな……あ?……ははは、何浮かれたこと言ってんだ。


 「_ンパイ__きて____っす!!


 おいおい、また喧嘩したのか。

 ……俺?なんつうかなぁ。女の気持ちなんざ分かんねえからな、あんまり失望はされたくないんだけどな。

 おいおい、零れてるぞ、良い酒なのにもったいねえなあ。


 「__センパイ!__っすか!!」


 忠……そういや、あの野郎にはあん時から会ってねえな。いや、だってほら、あいつは忙しいだろうから。


 「___で寝__つもりで___ンパイ!__に動きがありまし___!って……ちょっと!聞いてるんですか!」


 まぁ、そうだな。お前の言う通りかもな。

 そうだな…お前、今度安芸ちゃんとこ帰るんだろ?ならさ、向こう行くついでに、忠の野郎に言っといてくれや。


 「いい加減やっちゃいますよ!いいんすか!?」


 お前も今度、仕事終わりに一杯どうだって。


 「んぐぅ…!!!」

 怒気を孕んだ声とともに、頬に刺すような痛みが走る。痛々しい音が響いてその反動で手首が震える。そうして、あまりの不愉快さに目が覚める。今まで見ていたのが夢なのか、はたまた昔を思い出しているのかを知るよりも先に目の前にいる中学生と見間違えるほどに小さなその女が視界を覆い尽くして、すぐさま声を荒らげる。

 「ってぇ!!ミナ子ッ!!てめぇこら!!……あぁ?そんなとこでなにしてんだ」

 その女は、ツバのついた黒い帽子とカジュアルなスーツというアンバランスな格好をし、その小さな体で右太ももにまたがっては悔しそう、というよりは今にも泣きそうな表情で拳を握りしめている。

 「セ、セセセンパイが悪いんすよ!!だ、だって、い、いいいつまで寝てんすか!!!い、やつに動きがあったって!!何回も!!何回も!!私ぃ!!言いましたから!!」

 ヒューヒューと息を漏らす彼女に気が滅入りそうになりながら辺りを見渡して、ここが車内で、それも社用車であることに気付いて一瞬の間何も分からなくなる。

 そういえば、なんでここにいるんだろう。

 「また寝ぼけてんじゃ……あの、一応聞きますけど、獄介さん昨日はいつ寝たんですか?」

 運転席から男のほとほと呆れた声が聞こえてくる。

 この腑抜けた声、バックミラーに映る丸眼鏡とツーブロック。

 「あー、えー…っと。あー?」

 鼻の付け根、目と目の間をつまんでそのついでに目くそを除く。

 「まじすか?!センパイはあれっすか!寝たら記憶がリセットされる的なあれっすか!」

 何故か嬉しそうに笑っている女を膝の上からはたき落として寝起きの頭を捻る。

 何故ここに居て、昨日の晩は何をしていて、いつ寝たのか。今は何をして、何をしにこんな山奥まで来ているのだか。

 「あぁ、すまん。結城の言う通りだな。またボケてら。説明してくれ」

 軽く痺れる右手で頭を強く押さえ、今日の記憶をなんとかひねり出そうと試みる。そんな姿をミラー越しに見た丸眼鏡の青年がため息をつき、ハンドルを切りながら淡々と話しだす。

 「件の、収容所から”血族動物”が複数匹脱走した事件を我々の班が担当することになったって、流石にそれは覚えてますよね?」

 「あぁ、あぁ。えーと…そんなん…だったかなぁ…」

 「はぁ………クッソ」

 ん?

 「我々はここへ来た初日にその脱走した血族動物を最後の一匹になるまで殺し尽くし、今日そのラスト1匹っぽいのが今朝方に見つかって、そいつを駆除するためにってこうして車を走らせてるんです」

 さっきクソって言わなかったか?

 「おい、お前さっき」

 「それで、同じタイミングでいくつかの通報もありまして、そのどれもが奈良県五條市の円萬寺近くで例のそいつを見たって話で、まぁ、例の機械でおおよその検討がついてましたし?予定より早く見つけ出せたってので勢いよく飛び出してみれば…」

 こいつという奴は。

 「……俺が寝こいちまったと…そりゃすまんかったわ。ほんで、動きってのは?」

 右手で顔をごしごしと擦ってそう続ける。

 「そオっす!情報にあった円萬寺の近くから何かがはじける音がして、”イノシシ野郎が急に暴れだした”って、向こうにいる”始末屋”のお姉さんから連絡があって!」

 獄介の足元で腹を出して転がっているミナ子が思い出したかのように叫び、獄介が露骨に嫌な顔をする。

 「きっとあれですね」

 結城がつぶやくとともにミナ子と獄介の視線が前方に向く。ミナ子は車内と言う狭く限られた空間をその小柄な体格を活かして窓際へと体を寄せる。獄介もその後ろから顔をのぞかせ腑抜けた声をだす。

 「おいおい…」

 「ヒェ…」

 ミナ子の声が裏返る。

 山の中腹にいくつもの木造建築が立ち並び、まさしく集落の何たるかが目で見て理解できるようなその場所のすぐ上でこみ上げる土の煙と激しい炸裂音。それは、近づくにつれてさらに濃く、さらに激しい物へとなっていく。

 「……と言うか、2人とも当たり前のようにシートベルトしないの何なんですか」


 坂を上り、木造建築に挟まれた道路を抜け、円萬寺の駐車場に車を止める。

 3人がリズムよく車の戸を閉める。

 駐車場にはすでに、白のミニバンと軽トラックが何台か止めてある。

 「うんちゃーっす……おっ!獄介ちゃんじゃん!おっひさー!」

 突然軽い口調で話しかけてくる女と、その隣に十代後半くらいの青年。その後ろには白い作業服に身を包んだおよそ20人近くの集団が見える。

 「おめぇ…今月はナントカスタンとかいう国に出張だとか言ってなかったか?」

 「んー…なんか、ドタキャン?されちゃってさ。ま、こうして久々に獄介ちゃんに会えたから結果オーライ!」

 そう軽いノリで話す女の背後では、周囲に生える杉よりも一回り大きな巨体が止むことなく山肌を、先ほどよりもさらに強く、おそらくそこらに生えていたであろう巨木で叩き続ける。

 軽い口調の女は、そんなことに構うことなくミナ子と結城の方を向き、その凄まじい光景を背にして満面の笑みで話を続ける。

 「そ…の2人は初…だね…ーっと、君…が…近噂に聞く結…君で、そっちの……で…の子が電…の子…な?」

 途端に激しくなった炸裂音と、それに伴う地響きがイノシシの側に立つ始末屋の女の言葉を不規則にかき消す。

 「え?…あ?…えぇーっと……このちびはミナ子、わけわかんねぇ格好してるしセンス0な帽子だが無視でいいぞ」

 何の話かも分からないまま、ミナ子の頭に手をのせてその容姿をいじりながらそう説明し、その言葉に怒ったミナ子が誰がちびっすか!と頭に添えられた手を払いのける。

 「んでこっちが今の相棒の結城だ」

 獄介がそういうと、結城が軽く会釈をする。

 「う…す!隊…の藤……香で……獄………とは……に………か…場…を………うぅっるせーーーい!!邪魔すんなイノシシコラーー!!」

 始末屋の女がそう大声で叫んで地団太を踏む。そんな光景をミナ子と結城が、尚も険しい表情で見つめる。

 「あの、えと、すいません。名前が聞きとれなかったっす」

 困惑をしつつもミナ子がそう言うと、獄介が脇腹を掻きながら気だるげに答える。

 「こっちの女が藤田藤香、こっちが藤田の部下で小田祥貴くん。と、周囲の避難は済んでるんだよな?」

 「もちろん!」


 藤田と名乗る始末屋の女の言葉を聞くと、獄介が車の荷室から30cm台のケースを取り出し地べたで開封する。中には口径の大きな拳銃と丸く艶のある石が奇麗にしまってある。

 「ミナ子ちゃん、頼んだよ」

 突然背後から話しかけられる。裏返った声で「うぇ、あ、はいっす!」と忙しない返事をし、乗ってきた黒のワゴン車の上に何とかして乗りあがる。その途端に茶色い毛並みに覆われた巨体がピタリと動きを止め、ゆっくりとミナ子の方へ振り向く。そうして、そのぶたっ鼻と猛々しい牙をこちらにかざして見せる。

 イノシシ。

 しかしそれは、そこら辺の山の中にいる奴より何十倍も大きく、規格外で、苛烈。

 こいつの名前は「ノ介」。ここから暫く山を下りたところにある猿谷ダム。そのすぐ隣に建てられたとある反社会的思想を持つ”血族動物”を収容、監視する施設にて厳重に収監されていた厳重注意な個体。

 ノ介は、たくさんの人を千切り、潰し、嚙み砕いて殺し、各市区町村では億もの被害を出すまでに暴れまわり、インフラの機能を停滞させ、悉くこの国の足を引っ張て来た張本人だ。その被害の範囲故に単独の犯行ではないと結論付けたアホの上司のせいで確保が遅れて、あの施設に閉じ込められてからは死を待つだけだった怪物が、今、目の前でこちらを睨んでいる。

 厳重注意…いいや、その程度を有に超す勢いのオーラを夏の日の靄の様にジリジリと掻き立てている。

 「へ、へへ…き、来てみろっす…」

 そんなノ介の茶色く濁った小粒の目ん玉が、しっかりとこちらを捉える。そうして、その全容をようやく把握する。見慣れた猪頭とふざけたほどに筋肉質な胴体、肩、それに太もも。その身体中を薄い体毛が覆っているにも関わらず、そのパンパンな筋肉からは引き千切れそうなほど濃い血管の脈打ちが鮮明に見える。だと言うのに、腕や足は骨と皮しか無いのではないかと疑ってしまう程に細い。

 そんなノ介は、前足で器用に大木をギチギチと掴み、決して離そうとしない。そして、尚もノ介はこちらを見つめて離さない。今にも殺されそうな、もしくは何を起こすのか。先が読めそうで全く読めないほどに狂った視線。そんな殺意と混沌に満ち溢れた目だ。こいつと見つめ合ってから、まだ2秒も経っていないはずなのに、時間はその一時を永遠のようにして、たった刹那のマバタキにもしびれを切らしてしまいそうな程に、それはとても長く感じられた。

  突然、その筋肉に浮き出る脈打ちが加速した。イノシシの瞳孔も激しく揺れ動いている。言わずもがな、イノシシは呻きながらに体をうねらせ、発狂しだした。その発狂度合いに周りの木々が痛々しい音を立てながら木屑を撒き散らす。そうして何か言葉のようなものを発しながら木々をなぎ倒し、こちらへ向かってくる。

 「おい結城、あんま無茶すんなよ」

 「はいはい」

 結城が無線機を胸ポケットにしまいながら気だるげに返事をする。と同時に、口径の大きなピストルを左手で強く握りしめ、表面の滑らかな軟式テニスボール大の石を右手に持ち、そのままイノシシの頭上めがけて大きく振りかぶる。

 石が空で弧を描く。それをただ眺めて、いつ火を付けたのかも知れない煙草を咥える。

 「そんじゃ」

 そう言って、煙草の煙をフッと吐き出したその瞬間、その場に煙草とその煙を残して音の一つもたてずに消え去った。

 それを確認した結城はひと呼吸いれてから何か念仏のようなものをぶつぶつと唱えだす。

 消えたはずの獄介の姿ははるか上空、イノシシの頭上の、そのまた頭上にあった。地上から20mは離れているように見える。

 獄介は空中で体勢を変え、片手でピストルを構え、引き金を躊躇いの一つも見せることなく引き込む。そうすると、ピストルの銃口からは鉛弾ではなく白い光線が鈍い音と共に放たれる。しかし、動物の勘によるものか、はたまた運よくただ気付いただけなのか、イノシシのその巨体をものともしない軽快さで素早くかわす。行き場を失った光線はイノシシの足元を砕いて削る。

 獄介がもう一度、空中で体勢を変える。そうして「シェーツィ」と大声で叫ぶ。そのさ中にピストルから空の弾倉と円柱状の弾倉とを入れ替え、真下にいるイノシシでなく、真正面の何もない空間へ銃口を向ける。

 同時にイノシシが、握りしめていた大きな杉を、ミナ子目掛けてやり投げ選手のごとく体勢をとる……が、イノシシはその場で足をふらつかせ、情けなく声を震わせだす。追い打ちをかけるようにして、イノシシを中心とした半径4mほどの奇麗な円形がイノシシを乗せたまま勢いよくせりあがる。

 円形の上昇が止まったと同時にイノシシのすぐ真正面から鈍い音が鳴り響く。

 イノシシは腹を撃ち抜かれ、およそ身長と同じ高さから、零れるように落下した。


 「もっと骨のあるやつかと思ったんだが、おれたちのファインプレーを見たか!骨抜きよろしく心臓を抜いてやったぜ!はっはっはっ!」

 「そうっす!まいったか!どぅわっはっはっは!」

 「それでは、後の始末はお願いしますね」

 結城が獄介とミナ子の言葉を流し、藤香と小田に軽く会釈する。

 白い作業服を着たふてぶてしい様相の男が、軽トラの荷台から大木を伐採するために使われるような、刃渡りおよそ40cmはありそうな電動ノコギリを持ってくる。

 「これで脱走したやつら全員だな?」

 両手をズボンのポケットに突っこみ、疲れたと言わんばかりの表情で獄介が話し出す。

 「はい、こいつで最後です。それじゃあ、自分は本部へ、連絡入れますんで」

 そう言って、結城が黒のワゴン車へと早足で向かう。それを一瞥して、倒れ伏しているイノシシへ視線を移す。

 イノシシはまだ息があるようで、はち切れんばかりの筋肉質なその胸がゆっくりと浮き沈みを繰り返す。

 「おいイノシシ……いや、ノ介。最後に遺言でもあるなら聞いてやらんでもないぞ」

 獄介がかがんでそう言うと、イノシシがそのかがんだ獄介より、一回り大きな頭を少しばかり浮かせて口を開いた。


 「ア”ァ”…ア”ァ”ァ”………セイフの…クズガァ”……この……クズどもガァ…」


 閉じかけていた目をかっぴらき、そのどす黒い瞳を必死の思いで獄介に向けている。


 「そろ……そろヤ………ア”ァ”ァ”……アト……少しヤ”ァ”……」


 その声はとても低く掠れている。まるで余命が幾何かしかない死にかけの老人のようだ。

 「なんだお前、まともに話せたのか。」

 小馬鹿にするようにして獄介がそう言い放つ。


 「もう、少し……アト、少し……アト…ス……………」


 そういうと、イノシシは呼吸を止め、口を半開きにし、目を見開いたまま息絶えた。

 「なにが言いたかったんでしょうね。」

 胸が少しずつ下がってゆく様を眺めながら、ミナ子の何気ない一言に「知るか」と一言。獄介が胸ポケットから青と白が規則正しく入り混じった四角い箱を取り出し、折曲がった煙草を一本取りだして器用に咥える。

 そんな獄介の一服を邪魔するかのように、けたたましい音が鳴り響く。

 獄介が尻ポケットに手を埋めて、何世代も前の、一般的には古いと言われる型のスマホを取り出し耳に当て、煙草を咥えたまま応答する。

 「うい、こちら獄介」

 「島部です!急でごめん、すぐこっちに戻って来れる?」

 相手は島部 千賀という、何にも形容し難い女だ。ここ数日間は一緒に行動をしており、今は山の麓にある収容所で待機している。

 「そんな慌てんでもなぁ、ついさっき例のイノシシやっつけたとこだったんだが、何かあったのか」

 「とりあえずネットニュース見て!話はそれから!」


 何があったんだろう。獄介や、向こうで本部に連絡をとっている結城から似たような焦燥感が漂ってくる。

 ミナ子は帽子のツバと側面を持って、忙しない素振りをしながら帽子をかぶり直す。

 獄介のスマホ越しから、やや語尾の高ぶった島部の声がうっすらと聞こえてくる。何を言っているかはいまいち聞き取れない。何か予期せぬハプニングでも起こったか。

 「んあぁ、ミナ子。スマホ貸してくれ」

 通話をしていた獄介が不思議そうな顔をしながら耳からスマホを離して懐疑的な声でそう言う。まさしく何かマズい事でも起きたんだろうと思って、尻ポケットに手を埋める。

 「うぇー、まぁいいっすけどぉ…」

 ミナ子が尻ポケットから梅の花柄のスマホケースに収まったスマホを取り出して獄介に渡す。

 獄介は左手に自分のスマホとたばこを、右手にミナ子のスマホを持った状態で必死に画面を上下にスライドさせる。

 暫くして、動きが止まる。息もせずただただ画面を凝視し、息をのむ。心なしか獄介の右手が少々震えている。

 獄介の表情が更に一変する。この形相、どうやら一大事のようだ。

 「…あ、あぁ…わかった、すまんが本部には行けねえ。直接現地行くわ」

 スマホから「ちょっと!」と声がしているにもかかわらず赤い受話器のマークに指を伸ばし、通話を終了させる。

 そうして、もう一度、ミナ子の方へ、ズンズンと迫ってくる。

 息をのんで、獄介の第一声に耳を研ぎ澄ます。

 「すまんミナ子、聖都行の札持ってたよな。もってこい。」

 その気迫に押し負けそうになる。

 「あの、何が」

 「いいから出せっ!!早くっ!!」

 いつもの気だるげな獄介からは想像もつかないような怒号、その気迫。

 「ひぇ!は、はい!」

 腑抜けた声を出しながら、振り向いてワゴンまで走り、その中にあるカバンのチャックに手をかけ慌てて開き、10㎝程の木の板を取り出し獄介に手渡す。

 「これあんがとな」

 そういうと右手に持っていたスマホをたじろいでいるミナ子に渡す。

 「怒鳴ってすまんかったミナ子!借りは返す!」

 そうして獄介は、木の板を握りしめその場からフッと姿を消した。

 「何なんすか~もう~!」 

 半泣き状態のミナ子が膝から崩れるように座り込む。

 そこへ、褐色肌の青年がスマホを片手に小走りで近づいてくる。

 「四国にいたE班から緊急の通達がありました!どうやら聖都で原因不明の大災害が発生したそうで、なんかいっぱい人死んでて、もしかしたらこの場を早急に片付けて聖都へ行く必要が出てくるかもって」

 そう言って、スマホの画面をミナ子と藤田に見せる。そこには真っ赤な文字で緊急速報の文字。聖都にて地揺れによる生き埋め多数。他土砂崩れ、パニックによる暴動などなど目を覆いたくような内容がびっしりと羅列してある。

 「聖都…あぁ!」 

 体中から血の気が引いていくのが分かる。今、あの場所には__

 「僕の所にも丁度その連絡が来たよ。どうやら、ただの自然災害じゃないみたい」

 いつのまにやらミナ子の隣で結城がそう含みを持ったように呟く。

 「……と、いうことなので、すみませんが始末屋の皆さんにはもう少し手を貸していただくことになりそうです」

 そう一言言い残し、結城と共に車へ乗り込んで坂道を駆け下りていく。



 「私なんで獄介ちゃんに嫌われてんのかなぁ…悪い事なんもしてないと思うんだけどなぁ…」

 「あれ?嫌われてるの気づいてたんですか?」

 血しぶきを浴びながらそんな他愛もない話をする。

 「ちょっとぉ、そういう言い方やめてよぉ…傷ついちゃうよぉ…」

 「え?あ、すみません……じゃなくて、ほら、手を動かしてください。聞いたでしょ?まだ仕事あるんだから、もっとペース上げないとまずいっすよ。間に合いませんよ?」

 白い作業服に身を包み、胸にはそれぞれ『藤田』『小田』と、マジックペンで書かれたような歪な文字のネームプレートが張っ付けてある。

 「でもさ、見た?あの地面のせりあがり方、やっぱ結城君はすげえわ!」

 「はいはい…」

 興奮する藤田とは逆に小田は次の仕事のことで手一杯で、忙しなくノコを引く。

 「にしてもでかいねぇ~こいつ」

 既に切り落とした大きな足を抱えながら藤田は感嘆する。

 「こいつ、彼らが来た途端に暴れだしましたよね」

 「精神病でも拗らせてたんじゃね」

 「かもっすね」

 そう言って、小田が山の斜面を大股で昇ってゆく。その先にはこの寺の持ち主らしき老人が、砕けた杉の木を物惜しそうにさすっている。おそらくは御神木か何かだったのだろう。痛ましい光景だ。小田はその杉の前で拝む老人の肩に手を触れ、何やら話をし、そうかと思うと老人とともに斜面を慎重に降りてくる。老人はそのまま道路を伝って姿を消した。

 「まだ危ないから、ご近所さんの所へ行ってもらったんです。じゃ自分は散らかった血液採取してくるんで」

 そう言って、もう一度、斜面を上がっていった。


 「もう3時か、はえー。ほらー、休憩すっぞー」

 藤田が手をたたきながら作業中の部下へそう伝えると、20人余りの白い作業服の集団は手を止め、山の斜面を降りてゆく。

 「……あれ?小田君?どうしたの?」

 ふと、小田が南西の空を見上げてボーっと突っ立っているにのに気付いた。

 「小田くーん?休憩しないと倒れちゃうよー?」

 そう声を掛けるも、その一方に気を取られてまるで返事をしない。

 「何してんの、みんなもうあっちで……」

 小田の元へ駆け寄り、小田が向いている、その方角へ目を向ける。

 「あれって、こっちに来て…ません?」

 小田が呆気にとられたその口を開く。

 「え?」

 なにか、破片のようなものと、ぐしゃぐしゃとした長い糸を束ねたようなものが南東の空を飛んでいる。

 いや、空を飛んでいるというよりは吹っ飛んでる感覚に近い。何かに投げ飛ばされて、そのまま吹っ飛んで、そのままこちらに飛んで来て……………!?

 「え、ちょ、ちょいちょいちょい!!みんな伏せてぇええ!!」


         血と妄想の乖離


 もう、訳が分からない。普通は死ぬ勢いだ。あれだけの衝突音に爆散する土と岩と木と草、花。その全てが一瞬だけ見えて、それから何も見えなくなって、それで……今ぼくは生きているのか。

 ぺっ、ぺっと口の中の土を唾と共に吐き出し、あ”ぁ”―と脱力気味に声を出し、んんんっと唸りながら寝返りを打つ。

 うん。生きてる。なんで……?

 本当に、体が粉々になってもおかしくない勢いで地面が迫っていた。なのにどうして………。

 もう一つ気になることがある。ついさっき、寝返りを打ってから気付いた違和感。

 体が異常に軽いのだ。まるで、体重が半分になったような感覚………いや、まさか。

 ふと嫌な予感を抱いたと同時に体中を不快な寒気がひた走る。その寒気が全身を走りきる前に、急いで体中に手を伸ばして、妙に小さな肋骨からヘソまでをなぞる様に撫でてゆく。そうして間もなくストンと手が地面に触れる。ジメジメとした湿気の多い地面。生暖かい液体が手を覆い尽くしていく。

 そして納得する。


 下半身がないんだ。

 

 それに気づいてから軽くパニックに……なるのが普通なのに、どうしてか精神は異常な程に落ち着いている。いや、それこそ異常な精神状態なんじゃないか……?

 んんん…もう分からない、何が何だか分からない!!

 顔に被る土や小石がどうでもよくなるくらいに訳の分からないことに気を取られていたせいか、すぐそこまで近づくその人影に気が付くことができなかった。

 「えっ……これって……生きてる…?」

 若々しい青年の声が聞こえる。その顔は、目に土が入り込んでいるせいで全く見えない。

 「え、あ…」

 咄嗟の事で何を言えばいいかわからない。ザラザラのその目が泳ぐ。

 「ちょ、小田君そんな近づいてだいじょ…うわっ!」

 女性の声。声からして20代くらい、か30代、か、もしくは10代後半。というか分からない。

 「この子は……降って来ました…よね」

 青年がそわそわしながらそう発する。

 「…えと……それは…え?きみは?」

 戸惑いを隠しきれてない声でその女性が話しかけてくる。

 「すい、ません。それより、目が、あの、土が…その…」

 「うわっ、しゃべっ……じゃない、小田君!バケツ!水!」

 「うぃっす」

 どうしてそんなフレンドリーに話しかけれたのか、もしかして下半身は無事なのか?

 「今小田君が水を汲みに行ってくれてるからね……それで…その…体は…大丈夫なの…?というか君は…?」

 無事じゃなさそうだ。

 「ぼくは……大丈夫です」

 それを聞いて、女性は「そう…」とひとりでに呟いて押し黙る。

 そこからは気まずい沈黙の時間が流れる。木々のざわめき、遠くを走る車の音、変な鳴き声の鳥のさえずり。それ以外は何の一つも 聞こえてこない。どうしたものか、何か話した方が良いのか。こういうのは本当に得意じゃない。

 「あ、あの」

 そう言いかけた途端に冷たい水が顔を覆う。

 「うへぁ!?」

 バシャリ、というよりはザバーッみたいな大量の水が掛けられる。目玉や瞼にこびりついていた厄介な土や小石が流れ落ち、同時に茶色く濁った世界から解き放たれる。

 目を擦り、瞬きを否応に繰り返し、そうして最初に目に映ったのは黒髪のポニーテールの女性だ。胸にネームプレートが貼っ付けてある。ネームプレートには「藤田」と、そう書かれてある。そして、その横で空のバケツを構える褐色肌の青年。その青年の胸にも、同じくネームプレートが貼っ付けてある。どうやら「小田」という名前らしい。

 「もしかして”純血”……かな?」

 「確かに見えなくも無いけど…なんか違う様な…?」

 「あ、ほら、足生えてるよ!やっぱり純血なんだ」

 藤田がいかにも興味津々と言った様子でこちらの下半身を指さしては小田へ向けてそう話す。その様子を見てすかさず質問をする。

 「あの、ここ、どこですか…?」

 「ここは、奈良県の五條市ってとこの、円萬寺っていうお寺の近くだよ」

 質問に答えたのは小田だった。

 「奈良……えっと、お姉さんたちは…?」

 今度は恐る恐る質問してみると、藤田が小田の肩に手を乗せて意気揚々に語りだした。

 「私は藤田 藤香。でこっちは小田 祥貴くん!私らは「始末屋」って言って、色んな”始末”…っていうとあれだな…うん、まぁそういう仕事をしてて、例えば事件事故、汚職とかの後かたづけとかしてる政府公認……あれ?……まぁ、そんな感じの組織です!で、私がそのリーダーでこいつが副リーダー!」

 といって藤田が呆れた表情の小田の肩を力強くたたく。

 「それで、君は?」

 藤田はそう言うと、仰向けになったままでいるぼくのすぐ隣に膝を屈めて中腰になって、覆いかぶさるように覗き込んで来た。彼女の透き通った眼と端麗な顔を見つめる。カサついた髪の毛がこちらへ垂れ下がって、頬を優しく撫でる。

 ぼくは彼女の言葉を聞き取って、中身を理解する間もなくボソッと口を開く。

 「………ン…です」

 彼女に気を取られて、何も考えずにそう呟いた。

 「ん?ごめん、聞き取れなかったかも。も一回良い?」

 「……ジュン…です」

 ぼくの名前…じゃない。これは彼の、あの子の名前だ。

 「ジュンちゃんって言うの?」

 「……え?あ、いや、ちが」

 「…?違うの?」

 ぼくはなんであの子の名前を口にしたんだろう。

 「ねえ、ジュンちゃんさ。うちらのとこで働かない?」

 「…………は」

 前置きのマの字もない。何というか、もっとこう…。

 仰向けの状態から地面に肘をついて起き上がり、否定的な反応をしようとすると褐色肌の青年が一足先に否定的な反応を示す。

 「いやいや、急すぎでしょ。というかマズいでしょ。この子純血だし……」

 「いいじゃん!いいじゃん!報告さえしなきゃ上にはばれないから!!」

 「ちゃんと身元確認とかしないと、行方不明届とか出てるかもしれませんよ?」

 本人を差し置いて話が先へ先へと進んでいく。

 「え、あの急に?ですか。え…あの……」

 「大丈夫!君みたいに身寄りのない子とかばっかだし、寝るとこあるし、週一で休みあるし、みんなもそれなりに優しいから!」

 話がうまくかみ合っていないような。

 「あぁ、もう。一応こっちで確認はとりますからね?」

 「ちゃんと上にバレない程度にお願いね!」

 「……はい」

 このままだとこの人たちに引き取られる。身を置くことになる?それって大丈夫なのか。まぁ、別に悪いことだとは思わないけども。

 そうだ。今までが酷かったんだ。今までがぶっ通しで、何もかもが突然で、一時も心は休まらなかった。何にしても、安らげる場所と時間が今のぼくには必要だ。こんな山奥に放っておかれているより、この人たちに引き取ってもらっている方が良いのかもしれない。

 と、一瞬だけ思ったけれども、偶然落ちた場所にいた得体の知れない連中だから不安ではある。いや、不安でしかない。本当にこのまま、向こうの流れに身を任せていて良いのだろうか。

 

 斜面から上を見上げると、白いガードレールの向こう側で、茶色く、所々血の付いた大量の毛皮のようなものと、奇麗に四角く切り分けられた大きな肉がトラックの荷台に積まれている。

 本当に良いのか。このまま彼らと共にするのが自分のためになるだろうか。第一ここで目覚めてからは何一つとして、何もわからない。

 俯いて、考えを巡らせる。今、ぼくはどうするべきか。何をするのが正解か。

 遠くから「リーダー、小田さーん、どうですかー!」と、同じく始末屋のメンバーであろう大柄の男が近づいて来ている。

 それを見て、立ち上がろうとしたその瞬間に激しいめまいに襲われる。



 サーーーーーーーーーーーーーー………。

 小粒の大雨が屋根を叩く音。木々がそよ風にざわめく音。いいや、それより、もっと心地よい。

 サーーーーーーーーー…。

 ホワイトノイズだ。

 「うへぁあ…!?」

 情けない声と共に跳ね上がる。ジャーキングだ。

 この弾力のある感触、心地よい振動、そして、エンジン音。ここは、どうやら車の中らしい。

 「お、気味の悪いお目覚めだね~」

 どこか抜けた女性の声が聞こえる。

 「そんなに疲れてたんならもっと寝てていいのに」

 この声は……小田と藤田だ。

 「え……あの、何が?」

 どうやら寝ていたらしい。どうして寝ていたかはわからない。

 「ジュンちゃん急に倒れちゃって、ほんともう焦ったよ~。本当に大丈夫?小田君の言う通りもうちょい寝てて良いんだよ?」

 「え…いや、あの…」

 頭の中は雑多になり果てている。どうすればよいのやら…今のところ、流れに身を任せ過ぎているせいでこちらにとって都合の良いことが何ひとつ起こっていない。というか、これ誘拐とかその類じゃないのか。

 「質問…なんですけど……」

 まだ目まいがしているのか、視界の端が揺れている。

 「なに?」

 助手席に座る小田がそう返答する。

 「……えーと、なんというか、ここって日本……なのかな…って」

 「……?日本…だね」

 「そうじゃなくて…なんというか……」

 上手く言葉にできないけれど、なんというか、違和感が拭えない。

 「……?」

 そんな違和感を払拭したくて仕方がない。

 「あの…!ぼく、その、外を世界をみたことがなくて…!ここって、どういうところなんだろうなって思い……まして……?」

 けど、その方法があまりにも蛇足過ぎた気がする。

 「えっと…?それは今まで監禁されてた…的な話?」

 作り話は得意じゃないのに、なんでそういう方向に持って行くんだろう……。

 「えぇっと………すんごい昔に山の中に捨てられていたところをおじいさんに拾われて、そのまま育ててもらったは良いものの、そのおじいさんも去年寿命が来て死んじゃって…………ええと……あのその…」

 ぼくは一体なんの話をしているんだ。日本昔話にもそんなボコボコの話ないぞ……あぁ、ダメだ。耳が熱い。

 「おじいさん……?それで、ずっと一人で……?」

 「あー……おじいさんに教えて貰った狩の仕方とか、釣りの仕方とかを……」

 「……?それはそうとして、なんでジュンちゃんは空を飛んでたの?」

 「あー………」

 何言ってんだろう。

 「本当のこと、話して。大丈夫、怒んないから」

 蛇足だ。

 「……あの、実は…」

 さてどうするか。ぼくもそこまで頭は悪くないから、この体が以前の物とは完全に別物であることは理解している。

 この長い髪、ずっと裏声で話しているかのような高い声。小田や藤田に比べて小さな腕と足。

 明らかに女児だ。

 なら、この場合「前世の記憶があるんです!」とでも言えばいいのか。「多分転生しました!」の方が良いか。「見た目は女の子ですが、中身は男です」……は流石に酷い誤解を生むし、仕方がない。こういう時は

 「何も、思い出せないんです。ジュンって名前も、本名じゃなくて、困惑しちゃって適当に言っちゃって…」

 一応本当のことだ。鵜呑みにしてくれればいいのだが。

 「…そうなると、やっぱり事件とかに巻き込まれた可能性とかありそうですけどね。それこそ今の聖都でのごたごたとか…」

 「そっかぁ。それなら向こう着いた時に…」

 ………会話が弾みだしてきた?ってことは、つまり、鵜呑みにしてくれたということでいいのか…?

 横になった体を何とか持ち上げ、外の景色をのぞく。と、体に毛布…というより毛皮がまかれていることに気付いた。

 とても獣臭い。肌にちくちく刺さる。

 「あぁ、ごめんね。今はそれしかなくて。とりあえず、途中のパーキングで服とか買ってくるから」

 相変わらずいい声をした小田に心が癒される。

 外はまだまだ山の中で、しかしとてもきれいな紅葉である。

 「ジュンちゃん……でいっか。ジュンちゃんは何も覚えてないんだよね?」

 「そう…ですね、はい。何も分からないです」

 「どこらへんから?」

 「……?」

 ……なんて?

 「記憶喪失の人がどこら辺まで覚えててどこら辺から知らないのかって気になるじゃん!!」

 ……え?どこらへんってなに…?

 「あー、なんかわかります。記憶喪失の人って字も書けるし文字も読めるけど、それを教えてくれた先生とか、勉強に使った教科書のこととかは覚えてるのかなぁ…みたいなこと、自分も考えたことありますもん」

 ……あぁ、確かに…………あっ!!これまずいやつ!!すごくまずいやつ!!この質問に少しでも下手な返答したら一気に疑われるやつ!!こんなの…なんて答えりゃいいんだ…どうしよう……。こういう時はなんて答えるのが正解なんだ。適当に答えて上手くいくものだろうか。漢字の読み書きと数学Ⅱと古典くらいならそれなりに覚えてますよ、なんて言う訳にはいかないし、小1か小2くらいで記憶失ったって体にすれば……待てよ、小1小2で習う漢字って何があったっけ?思い出せ…漢字ドリルにした無数の落書きを……あの落書きの横にあった漢字は……

 「やっぱ血族とかそういうのも忘れちゃってたりするのかな?」

 血族……?……あぁ、その手があったか。

 「え?ケツゾク?いっやぁ、聞いたこと…じゃない、分からないですね!!」

 「うお、急に元気になったな……えっと、じゃあ、そこからだね。えーっとね、この世界には大まかに分けて2種類の人間…じゃないか。生き物がいます」

 ハンドルに片手をかけながら藤田が説明を始める。長くなりそうだ。

 「この世界は火とか、水とか、空間…じゃ分かり辛いか。うん、まぁそれらを操れる『能力』っていうのがあって、その能力が使える”血族種”と、その能力を使うことができない”無血種”の二つの勢力に分かれてるの。人間の場合は、血族種を『血族』とか『ブラッディー』って呼んでて、無血種のことを『ノーマン』って呼んでる。ちなみに私はそのノーマンで、小田くんは血族だよ」

 藤田が抜けた声で淡々と話していく。抜けた声のせいか突飛な内容のせいか、何を言っているか全くわからない。つまりこの藤田という女性が普通の人間で、この小田が火とか水とか、空間…?とかの力を使えるほうの人間…あれ、逆か?なんだ?つまり……なんだ?ぼくは何を聞いてるんだ?話が全く頭に入ってこない。なんか、ここが異能蔓延ったファンタジーな世界だって言いたいのか?だったらいまいちパッとしない。なんというか、現実過ぎる。

 ブラッディーやらノーマンやら。あの頃より単語を覚えるのはすごく苦手だ。勘弁してほしい。ブラッディー…は確か血マミレって意味だよな…なんで血塗れ?教科書かなにか用意してくれれば楽なのに。

 「確か、小田君ってちょっとだけ火属使えたよね?あれ見せてあげなよ」

 「えー?ほんとちょっとしか使えないっすよ?」

 「いいから、ほら」

 そんなソワソワとした会話の後に小田が助手席から身を乗り出し、左手を軽く握りしめながら、右手をそっとこちらへ差し出した。

 どういうつもりなのだろう。とりあえず、差し出された右手を握ってみる。

 「え?」

 小田がまるで意表を突かれたような表情でそう発し、それと同じ言葉を小田に投げ返そうとしたその瞬間。

 「うぉ熱っつッッ!!」

 痛みが右手を駆け巡る。

 「あ、ゴメ…え?なんで?」

 「あっはっは!!なんで?なんであっはっはっは!!」

 藤田がハンドル片手に一人で盛り上がっている。助手席では小田が必死の困惑を見せている。手を差し出されたらとりあえず握ってしまう。後先考えない自分のダメな部分がふと露呈してしまう。どうして差し出されたその手を握ろうとしたのか、自分の事なのにどうしても分からない。

 しかし、なんで。どうして彼の右手がそんなに熱い…………!

 「…………すげえ」

 息を飲み、目を見開く。彼の右手から、火が灯っている。紛れもない本物の火だ。思い切り息を吹きかければ消えてしまいそうなサイズだけど、それでも、手品やアニメなんかでしか見ないようなそんな現象が、彼の掌で起こっている。

 先ほど負った手の痛みなんかすぐに忘れて、その火が不規則に揺らぐ様をまじまじと見つめて、目で追いかける。

 「まぁ、ぼくはこれしかできないんだけどね」

 「そんなことが…できちゃうんですか…?」

 「言ってこの程度、やろうと思えばだれでもできるし、ジュンちゃんも頑張れば3日で使えるようになるかもね?」

 ぼくでも、3日で…!

 「あっはっはっは!なんでッ!なんで握手っっはっはっはっは!」

 まだ笑ってる……こうやって笑われると、頬や耳が凄く熱くなる。ムカつく!

 「あ、あの!……」

 「はぁ~……何ぃ?じゅんたん?」

 じゅんたん?

 「……あ、いや、えっと、さっきの血族の話で、人間の場合って言ってましたけど、それって人間以外にもある…ってことで合ってますか!」

 とにかく悔しい気持ちばかりが溢れるがなんとか持ちこたえ、赤くなった頬と耳をこの女に見られまいと抑えながら、なんとか捻りだしたその質問を投げると、今度は小田が窓の外を眺めながら説明してくれた。

 「その通り。血族種ってのは人だけじゃない。ちゃんと犬とか猫とかサルとか、そういうのにも血族種、ブラッディーはいるんだよ。彼らは血族動物って言って、"人に近ければ近いほど"能力が使えたり、話が出来たり、体の構造が人間に寄って行ったりして血族種本来の力って言うのを発揮しやすくなる。最近じゃ人の居住区で普通に生活してる血族動物も少なくないって聞くね。それで、反対に人の見た目とか特徴とかから離れていくと、例えば虫とか魚とかになっていくと、ほとんど普通の魚とか虫とかと大差なかったりするんだよね」

 えーと…?つまり、人以外にもそのブラッディーとやらがいて、人に近ければ………ってことは、哺乳類とか?は本来の力を発揮できる……?というか、あの時一瞬だけ見えたあのどでかい肉と毛皮もその血族動物とかいう奴の……なんじゃそれ……だったらなんで?……もしかして、この人たちはその血族動物を狩ってる危ない職業の人たち……始末屋ってつまりそういう…というかこの毛皮もその毛皮だったり…するのか…。

 「ま、私たち人間は大抵彼らに嫌われちゃってるんだけどね」

 藤田がそう付け加える。

 3人を乗せた車は、道路の脇が苔で覆われた山道を抜け、見たことのあるようなないような栄えた町に出る。

 一呼吸おいて、小田が説明を続行する。

 「因みに、ジュンちゃんは『純血』って言って、この地球上で100万人に1人か2人くらいしかいない希少種みたいなもんでね」

 「純血…100万人…」

 これ以上固有名詞を出されると頭がパンクしてしまう。

 「そう、純血。今のところ124…であってましたっけ?リーダー」

 「え?あぁ、確か、先週だったかな…新しいのが見つかったみたいなの言ってなかった?」

 「じゃあ125種か。まぁそれくらいまでしか確認されてない、言わばブラッディの上位種みたいなもんさ。1人1人が『特異能力』っていうバカみたいに便利で強い能力を1個だけ持ってる。つまり、純血は多くても地球上に125人までしか揃わないっていうことで、君も多分その中の『再生』ってのを持ってるはず。それで、見た目にも特徴があって、髪の一部が縦に白くなるストリークって言う模様になるんだけど……君は一部どころか半分真っ白だね」

 小田が懇切丁寧に説明してくれた。

 が、やはりそう簡単には呑み込めない。すとりーく?ってなんだ。それに半分真っ白…?そんなはずは…本当だ、いつのまに。空を飛んでいる時からか…?

 「純血の特異能力?っていうのは分かったんですけど、その、ブラッディー?血族って人たちはどんな力が使えるんですか?」

 キャパオーバーの頭を整理しながらそんな質問をぶつける……待て、これは一番最初に説明してくれた気がスル……あぁ、ダメだ。もうこんがらがって、わざわざ説明してもらっているのに何も理解できていない気がしてきた。

 「どんな力…かぁ。さっき言ったやつ意外だとねぇ……ちょっと待ってね。確かハセイ能力が…えーっと」

 と、また新たな用語を小田が呟きながらポケットから不意にスマホを取り出し、画面に親指を擦って何かを調べ始める。

 そして、それら二人のやり取りを見ていた藤田が口を開く。

 「さっきも言ったけど、私たちはあんたみたいに身寄りのないやつばっかでね。俗にいう浮浪者ってやつで、学もなけりゃ、字も書けない。だからそういう詳しいことはこうやって調べないとよくわかんなくってね。すまんね」

 そういうと藤田は高速道路の入り口にハンドルを切る。

 後ろを振り向くと同じような車が5~6台ほど列をなし、この車についてきている。

 「これかな?……あぁ、これだこれだ」

 どうやら小田の目当てのものが見つかったようだ。

 「ちょっとまってね…えーと…

_________________________________________________________

 血族の場合、主に火を操る『火属』、水を操る『水属』、制限された空間を操る『空間認識』の3つが操れる。これらを一般に『能力』と呼ぶ。

 上級者、特に※有段者や※有段資格者になると、主に火を利用して特定の気体や物質を作り出す『燃属』、水から氷を作りだす『氷属』、その場にある地面や岩、砂や木などを自在に操る『空間認識を用いた自在能力』が使えるようになる。(「空間認識」及び「空間認識を用いた自在能力」を総称して『スペース』と呼称する場合もある。)そして、一般にこれらを『派生能力』と言う。

_________________________________________________________

だって。……へぇ、氷属も派生能力なんだ…」

 と淡々と、まるで他人事であるかのような口ぶりでスマホを片手に小田が説明する。

 「あの…あれ?…小田さんは血…ブラッディー…なんですよね?あれ、違いましたっけ……?」

 「合ってるよ。僕がブラッディーで、リーダーがノーマン。それがどうしたの?」

 「…あの、なんといいますか…ブラッディーなのに知らないんだなぁ…って…」

 流石に失礼だったろうか。そもそも何が失礼に当たるのかすらもさっぱりだ。まさか、藤田が言ったように、彼も能力者であるのに能力に対する学が無く、その扱い方すらも分からないとでも言うのか。

 「あっはは、そうだね。恥ずかしい話、さっきリーダーが言ったように学がないんだよね。つまり能力は持っていてもさっきみたいなこまいのしか使えない状態。勉強とかすればもっと使えるようになるんだろうけど、そうしたら金かかるし、つーか面倒くさいし、何よりここじゃそこまで必要ないからね」

 その通りだった。

 「必要ない…んですか?」

 「そう、必要ない。うちにいるメンバーで、さっき言った能力ってのを好き勝手操れる子が何人かいるんだけど、その子らが中々強くって、どうしても頼っちゃうんだよね。まぁその子たちに「勉強しましょう」って口うるさく言われちゃってるんだけど、なんか勉強とかしちゃうとここに来た意味がな~…ってなるから」

 前に手を伸ばし、伸びの姿勢でそういう。

 「ここに来た意味…」

 「さっきリーダーがさ、”ここは浮浪者の集まりだ”って言ってたでしょ?僕も俗にいうそれで、医者を目指せ、無理なら資格とって聖都で仕事探せ。とか言われて、勉強とか手習いとか押し付けられて、面倒くさくなってプラプラしてたら勘当されちゃって。そんなさ中に家柄も身分も関係なく働ける職場があるって聞いて。んで今に至ると言うわけで…そういや皆元気かな」

 なんとまぁ軽いお方。

 「もしかして、ブラッディーとかぼくみたいな純血が通う学校みたいなのがあるってことですか?」

 「そうだね。学校と言うより、研究施設かな。まぁでも、そんなとこ、どうせどこもつまらないよ」

 最初に言っていた施設ってこれの事か。もしや、自分もそこへ行けばその能力とやらを使いこなせるのではないか。施設…能力者の通う……それって普通に学校………うわぁ……。

 「パーキングエリアでついでにご飯でも食べてかない?」

 藤田が会話の腰を折るようにしておどけてそう話しかけてきた。

 「さっき弁当食ったでしょ?というか急いで聖都行かないとでしょ?」

 そんな会話を横目にジュンは窓の外に映る奇麗な街並みを眺めていた。



 声が聞こえる。うっすらと潮の香りもする。閉じられた瞼をそっと開く。晴天と青々とした海が窓の外に映る。

 「はえー、ほれやわいっふね」

 助手席にて先ほどお土産屋で買った饅頭を頬張る小田が誰かと通話をしている。

 先ほどのパーキングエリアにて、今出せる最低限の予算とやらで藤田が衣服を買って来た。墨で書かれたような厳つい鯛のTシャツと黒の短パン。それに車の荷台に転がっていたぼろいサンダルという、真夏を感じさせるコーディネート。しかし今は11月である模様。

 ついでに、最低限の予算とか言っておいてしっかりとお土産は買っている。もうわかんねえな。

 体を起こし、窓の外を広く見渡す。

 橋を渡っているようだ。それはそれは大きな橋。

 「藤田さん…ここは…」

 カラカラの口を開きそう尋ねる。

 「お、ジュンたんお目覚めか。ここは明石大橋ってとこだよ」

 それを聞いて納得し直す。ジュンの中にあった疑惑が確信に変わっていくのがありありと分かる。

 やはりここは日本で、それもファンタジーの蔓延っている妄想と現実のハーフである方の日本。

 すべてに納得したわけではない。訳の分からないバケモノにファンタジーのような能力者たち。これが異世界かと期待に胸は膨らまなかったが、そうでない方が良かったような気も、微塵には感じている気がする。

 「えと、今からせーと?ってところに行くんですよね?」

 「うん。行くね」

 せいと。普通に考えるなら西の都と書いて西都か、聖なる都と書いて聖都の2択か。どちらにしろ、日本国内にあるのならどこかの県内にある市町村みたいな立ち位置のはずだ。どこかの県というより、行き先的には四国だろうから愛媛、香川、徳島、高知のどれかだ。そして、今渡っているのが明石大橋……これが瀬戸大橋とか、それこそ因島大橋とかならどの県に向かっているのかの推測ができたけど、明石大橋からならどの県でもあり得るし。いや、確かに藤田に聞けば一瞬で分かるのだろうけど、今は無知な記憶喪失者の演技中だ。つい口を滑らせて「せーとって、香川県にあるんですか?」と言った暁には「あれ、そういうのは知ってるんだ」ってなり兼ねない。ここは慎重を期して無難に…

 「せーとってどういう場所なんですか?どこにあるんですか?」

 「そうだなぁ…聖都は愛媛県にあるまぁそれなりに大きな町だねぇ…と、聖都について語るんなら『源司の魔女』についても説明しねえといけねえかなぁ」

 「源司の、魔女…ですか」

 なんと中二心がくすぐられる単語だろうか。聞いただけでゾクゾクする。

 「そう。源司の魔女は、まぁ所謂血族の”祖”だね。その魔女さんの血がうっすらと血族に流れてて、それのおかげでブラッディーのみなさんは能力が使えてるってわけよ」

 「はえ~すっごい…その源司の魔女さんは、どんな人だったんですか?」

 その質問をした途端、どこからか嫌な空気と言うのか、悪寒とでも言うのか。それが体の全身を走っていくのが分かった。何か、聞いてはいけないことを聞いてしまったような。

 「そうだなぁ……これは、私がまだ子供の頃、寝る前によくお父さんが読み聞かせてくれてた話なんだけどね」

 藤田はそう言って軽く喉を鳴らし、まるで御伽噺でも語るかのような口調で話しだした。

 「今よりはるか昔、とある小さな村でのお話________」

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