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メタモルフォシス  作者: シ閏ん
16/17

dfgtsisvv 15

unsleptむっちゃいい曲よね。


 昨晩、あの子と共に自動販売機で買ったはずのホットカフェラテは……触れただけで全身に寒気が走りそうな程にキンキンに冷えきって、喉が渇いたとて一口も飲む気にはなれない。

 車内は暖房のおかげか良い感じに暖まってきたのに、体の芯もカフェラテ同様にキンキンに冷える。

 唇はかさつき、鼻を詰まらせ、目ヤニを付けたまま、浅く呼吸をする。リクライニングを傾けて仰向けになる。車の天井は昨日と同じ灰色で、所どころが凹んでいる。そして、窓の外には、色んな格好の人が颯爽と……いいや、そんな爽やかな雰囲気でもない。険しい顔をした作業着姿の男や、蛍光色がチラつく服を着た団体が、声を張り上げながら大木を運びブルーシートにくるまれた何かを運ぶ。

 そして聞こえてくるのは、ピーピーバックしますご注意下さい右に曲がりますご注意ください。それから、あっちは終わったのか。双子を呼べ。クレーンがなんちゃら。ダンプの道がうんたらかんたら。瓦礫の搬入がどうとか。始末屋の誰やらを呼べ。

 そうだ、ここは昨日まで大量の死体が埋まっていた場所なんだから、それはそうだ。

 ついさっき、電話が来た。大阪支部に緊急で召集が掛かったと。中身は、まぁどうでもいいか。そのあとは東京まで行って、フミさんから話があると。中身は、大体わかっているから、それも、どうでもいい。

 あぁ、何もかもがどうでもいい。今はただ何も考えずにじっとしていたい。100%の怠惰でいたい。何も考えたくない。何も見たくない。何も聞きたくない。もう何も。何も。なんにも、もう、失いたくない。

 「………外の空気でも吸うか」

 体を起こして、キンキンに冷えたカフェオレを手に取って、蓋を開けて一口だけ飲む。そうしたらドアを開けて、飲み残しを地面に捨てる。空になった缶を車内に放り投げて、カフェオレの染み込んだ地面を踏む。



 「結城くん。あれはどうしましょう」

 中性的で情けなさの交じった声が遠くなりかけた結城の気を呼び戻す。

 「……何が」

 そう素っ頓狂じみた返事をして、面白いくらいにへの字に曲がる彼女の口と何かに気付いてほしそうな表情をこの目に収める。

 「いや、あれっすよ」

 小声でそう言って、必死にそのつぶらな目を、自販機にもたれ掛かりながら寂しそうに煙草を吸う男の方へと誘導する。

 「あれ…ねぇ…」

 と気まずそうに息を浅く吸い込み、顎を大げさに引いては目を逸らす。気づいてはいるが、あまり直視はしたくない光景だ。

 「うーん……まぁ、さ。獄介さん…にもさ、色々とさ…ほら…」

 言葉に困る結城の隣でつばの付いた黒い帽子を深々と被るミナ子がもどかしそうに腕をぶらつかし、指を動かし、唇を舐め、爪を噛む。

 「……あの人とは、まぁ、いつも一緒にいたけど、今回の件も含めて分からないことが多すぎるんだ。過去のことも大まかにしか教えてくれないし。知ってた?瀬女ちゃんが養子ってこと」

 「…え?じゃあ、血繋がってないってことっすか?」

 「うん。ぼくもついさっき知ったんだ。それに、あの人には励ましよりも一人で現実と向き合う時間の方が必要だと思うんだ。あの人の為にも、ぼくたちの為にも」

 少し俯きながらそう促す。

 「そう…っすかね…」

 「そうそう」

 ミナ子が少しだけ不満そうな顔をする。

 「あちゃー、結構凹んでるねぇ…」

 「……そりゃ、一人娘が暴発だなんて、どれだけ肝座ってる人でもああなっちゃいますよ」

 すぐ後ろから、大人びたような女性の声と、少し声の籠った男性の会話が聞こえてきた。その会話の話題は、十中八九獄介のことのようで、2人は尚も会話を続ける。

 「あぁ~ん?おめぇ、娘どころか嫁さんすらいねえのになぁ~に分かったようなこと言い晒してんださっさと美人のメスゴリラ探して出直してきな。そんで私をジャングルの奥地の秘境にあるバナナ結婚式場にバナナ招待しておいしいバナナを大量に御馳走しろバナナゴリラバナナ」

 「あれ?なんか今日の福里さんすごいムカつきますね。というか、福里さんの方こそお付き合いすらしたことないって声高らかに言ってませんでした?それもすごい誇らしそうに」

 獄介の知り合いだろうか、かなり仲の良さそうなその会話を耳に挟んで、一目見てみたさで少しだけ振り向いてみる。

 何よりも最初に映るのは、ぱっつんぱっつんのポロシャツと、黒色のジャージを履いた……ゴリラ。それに加えて真っ白なTシャツに、紺色のジャージを履き、持っている白い杖に器用にもたれかかる赤っぽい茶髪のロングヘアの女性が、互いにガーゼの張られた頬を緩ませ合って和気藹々と会話をしている。

 「あの、もしかして、獄介さんとお知り合い…ですか?」

 不意にそう質問をしてみると、身長が180cmはありそうな……ゴリラと、その女性が一様にしてこちらを向き、女性の方がハッとして口を開く。

 「あ、えと、今回の件で、獄介さんには色々とお世話になったんで、そのお礼をと思って…」

 なるほど。ほほう、あの人が人助け。意外なこともあるもんだ。いや、そう言う仕事ではあるけれども。

 「へえ、センパイが人助けなんてするんすね」

 「あー、口に出しちゃまずいよ、口に出しちゃ」

 「え、あ」

 ミナ子がやらかしたと言う様な表情で口を押えて獄介の方を向くも、当の本人は何も聞こえていないようで、ひたすら空を見上げながら煙草の煙を吐き出している。

 いつもなら「なんだとミナ子テメェ!調子こいてんじゃねえぞ!!」と、怒鳴り散らすくらいのことなら人目を気にせず平気でするというのに。それほどまでに心身に来ているんだろう。それほどまでに一人娘の実質的な喪失が受け入れがたいものなのだろう。

 まともな人間関係に恵まれることの無かったこの身に取っては得難い感情だ。

 「アゥ…今ハ、ヤメトクホウガ良イカモ…デスヨ?」

 今度はカタコトの日本語が、遠くの方から聞こえてきた。赤っぽい茶髪の女性やゴリラ……の居る方とは逆の声がした方向へ体を向けると、何やら見たことがあるような無いような2人組が堅苦しい表情をしながら近づいてくる。

 カタコトの日本語を話す欧米風の整った顔立ちをした女性と、その隣にいる金髪ロングヘアで年齢は10代半ばほどの少女の方は……見たことがある。聖都のパンフレットにもその顔が載っていた。ネットで検索を掛ければ名前の隣に「かわいい」と出て、更に下の方へスクロールすれば「聖都 スパイ」なんて訳の分からないことまで出てくるあの少女。

 「あれ?あれって、鑑さんじゃないですか?」

 後ろのゴリラが真っ先にそう言っては目をパチクリさせる。それを聞いた隣の赤っぽい茶髪の女性がゴリラの顔を見上げては眉間にしわを寄せ、その目線の先にある者へと目をやる。

 「鑑さん……って、あの無茶苦茶強い子っすよね?確か歴代最強とかなんとか…」

 ミナ子がまたももどかしそうに爪をかじりながらそう言うとゴリラが何と言うことのない口調で続ける。

 「その隣にいる方は、ヴァリアさんですか」

 「バリア?誰?」

 「ほらあれですよ。”The Watcher"ですよ。福里さんウォッチャーマジカッケーとか言ってたじゃないですか」

 ”The Watcher"……聞いたことがあるな。確か七十七番のサーチャーズフロムサテ……あぁ、『サチサテ』か……あーはいはい。あぁ、島部さんが言ってたのってこれの事……どんな脳力だったかは忘れたけど、たしか、遭難とか海難事故の救出に駆り出されることが多い特異能力だとかなんとか。救出率は97パーセント以上とかなんとか。その能力を発動するだけで敵勢力を絶望のどん底に叩き込んでしまう、とかなんとか。まぁ、それだけを聞けば末恐ろしい能力なのだろう。それに加えてあの別嬪度合いと来ちゃあ、もう敵なしだ。それに、その背中に背負ってあるあのどでかいケース。形から見て…ライフルか。中々厳ついな。

 そんなことを考えながらその高貴な純血2人組を眺めていると、不意に金髪で白いストリークの入った長髪の少女と目が合った。咄嗟に軽く会釈をすると同じく会釈が返ってくる。パーマの当てられたクルクル巻きの前髪がふわりと浮いて、そうして元の位置へ戻ってゆく。

 「え、結城くん知り合いっすか?」

 「いや、別に…なんか目が合ったから…」

 「もしかして惚れちゃいました?クスクス」

 ミナ子が頬をわざとらしく膨らませて安っぽい煽りを結城へ向けて放つ。

 「はいはい面白い」

 「照れなくていいんすよ~?お似合いっすよ~?」

 華麗に受け流したつもりが、余計にいきり立ったようで執拗に煽ってくる。こうなると先は長い。この女のしつこさはあの人とのあれやこれやのやり取りで鍛えられている。こういう時は。

 「これ以上言うなら、またお兄さんにチクりますよ?」

 そう言ってみると、ミナ子は血相を変えて両腕にしがみついてくる。

 「あああ!それは止めてくださいっすぅ!困りますぅ!」

 余計にめんどくさくなったような気もするが、まぁいいだろう。結果オーライだ。



 「ねぇ、そろそろあんたの父さんにビシッと言ったら?私はもう子供じゃないんだから海外の高施に行かせろって。もうすぐ18になるんだし、あんたお父さんに縛られ過ぎ」

 欧米風の顔をしたその女は紙コップに注がれた湯気の立ちこめるコーヒーを片手にそんなお節介を平然と言ってのける。

 スカイブルーの虹彩に藍色の瞳孔。シュッした高い鼻にかさついた薄い唇。ブロンドのショートヘアに白いストリーク。肩幅は少し広くて、背も少し高い。

 頭が良さそうで悪そうな彼女は、自分と同じサーティの一員で、大親友で、あの日も地元の祭りをすっぽかして自分と一緒に人生ゲームを嗜んでいた。そんなあっけらかんとした性格ゆえに誰からも愛されて。

 「それは…どうだっていいでしょ。それにお父様は関係ありません。ヴァリアの方こそ、ここにとどまり過ぎではないですか?たまにはあの誠実そうなお父様に顔を出して差し上げても良いのでは?」

 「いやー、向こう帰ったら帰ったで婿探し再開だから、あんま帰りたくないんだよねー」

 彼女のその言葉にため息で返し、席を立つ。

 「はぁ、またそんなこと言って」

 「17の未成年の分際でなーに分かったような事言ってんだか。というか、さっき目合わせてたあの子誰?気があるような感じしたけどー?」

 「知らない人でーす」

 「かぁ……あんたさぁ、そろそろデートの1つや2つ、嗜む位には経験しといたほうが良いんじゃないの?その内お見合いとかもするんでしょ?」

 ヴァリアが嘲笑を交えてそう言うと、鑑がもう一度ため息をつき、ヴァリアの隣を通り過ぎる。

 「由枝子さん、今日もおいしかったです」と、レジカウンターに立つ中年の女性にそう言い残して店を後にする。

 戸を開け、外に出て、一番最初に目につくのが、やはりその瓦礫の山々のみで。

 「もうちょっと女々しい方が、私は好きだけどね」

 すぐ後ろからヴァリアのその声が聞こえる。

 「あぁそうですか。じゃあ、私は大阪へ行く予定があるので、さよーなら」

 そう突っぱねてみたものの、ヴァリアは一向に引かない。自分の視界に無理やり映り込んでは必死に目を合わせてくる。

 「あんた来年には成人するんだし、好き勝手しちゃいなよ。夢なんでしょ?」

 「……いやまぁ、本音はそうなんだけど、でも、お父様を失望させてしまうような気がして......」

 「ほらね。やっぱ”お父様”に縛られてる。あんたって女はつくづく……そうだ、私があんたの”お父様”にガツンと言ってあげようか?」

 「結構です。というか、カタコトの日本語はどうしたんですか。もう外出てますよ」

 「あ、やっべ」

 ヴァリアが慌てて口を押えて周りを見渡し、安堵してからまた、視界に割り込んでくる。

 「ドウデス?コンド、キバラシに、ニュヨークデモイキマセンカ?ブロードウェイデース、タイムズスクエアデース」

 「その”カァタコォトジャッパニィーズ”は必要ですか?絶対必要ないと思うんですけど?」

 「うるっせい、趣味だよ趣味」

 「あ、治った」

 「チョーウルサイデース。ダマレデース。ザクロイロットデース」

 「はいはい…」

 あぁ……なんか、一段と面倒くさくなったなぁ……

 自分を迎えに来たスーツ姿の護衛と、その後ろで停車する黒のセダンを前にして、頭の中でそう呟く。



 天気は昼過ぎより、曇りのち、雨……雨…アメ。

 あぁ、かったるい。雨粒が降りしきって視界が悪くなる、なんてのは正直どうでもいい。問題は気圧だ、気圧。気圧の変化は実生活の中で一番嫌いだ。耳鳴りはするわ変に頭が痛くなるわ、鼻水は止まらないわ目まいはするわ。特にこういう気分の時はそれが否応に出てくる。

 心なしかハンドルがいつもより重く感じる。あぁ、だるい。今は…もう少しでアカホ市に入るところで、大阪までは1時間30分ってところで。この先が玉突き事故で渋滞ってことを考えると………ざっと2時間。

 「……ありゃりゃ、もう降ってきやがったよ」

 フロントガラスにピシャリと跳ねた水しぶきに気付いてそう呟く。

車内はいつにもまして鬱としている。いつもの騒がしい連中がいないのだ。それにこの気圧と湿気ときたら、体の隅々からカビでも生えてしまいそうなほどで。

 病は気から、であったか。あながち間違いではないかもしれない。人なんてのは、案外気の持ちようで何とかなるもんだ。卑屈になるのは弱い証拠で、バカな証拠で。こういう時にあっけらかんといしていられるクズでなければ瀬女をあいつに託した意味が無い。いつまでも引っ張っているようではこの先ずっとバカなままだ。そうでなく、クズにならなくては。俺がそうでなくては、これからやっていけるはずがない。

 「はぁ…」

 渋滞だ。2車線を車がズラリ。赤やオレンジのテールランプの列。すかさずカーナビが一言。

 『この先2kmの渋滞です。』

 はいはい。ご丁寧にありがとうございますカーナビのお姉さん。

 「はぁ……」

 雨の小粒が先ほどよりも小刻みにフロントガラスに打ち付けられる。

 2キロの渋滞…どんぐらいかかっちゃうんだろうなぁ……あぁ、面倒くさい。

 「…………島部か?…あぁ俺だ。すまん、今あかほ入ったばっかなんだが……え?あこう……?」

 スマホを耳に当てながらスピードを緩め、前方のワゴン車と2m程距離をあけて停まる。

 「いや、それはどうでもいいんだ。実は今クッソ長い渋滞に引っかかっちまって、それで結構遅れっかもしんねえから、お前から役員の馬鹿共に言っといてくれや………あぁ?……俺がぁ?いやだ、めんどい…え?さぁ…2.30分くらいだな………おう、頼んだぞ…………」

 スマホの画面に映る赤い受話器のマークをタップし、ため息をついてスマホを助手席に放り投げる。

 さぁ、時間ができた。煙草でも吸いながら、久々の孤独を楽しむとしよう。


 擦れる粒子


 「…だそうです」

 スマホをズボンのポケットに仕舞い込む。そうすると、スーツをきっちりと着込んだ白髪のジェントルマンが煙の出るパイプを手に取り、背もたれが絶妙にカーブしている椅子に深々と腰掛けながら、目の前にあるノートパソコンの画面を遠目で眺めるようにして「あいつはまた」と嘆息をもらす。

 「どうするんですか。これでまた会議が遅延とかになったら、いつも通り事務関長ごねますよ?折角日本まで来てくれたのに、これ絶対またアメリカに帰るやつです。もしそうなったら説得は先生がして下さいね。私はもうあの人の相手は疲れたので」

 同じく嘆息を込めて言うと、白髪でムキムキなジェントルマンはフフと鼻を鳴らして笑い、パイプをパクパクと咥えてから煙を鼻から吐き出し、髭で覆われたその口を開いた。

 「……そんなこと言わずにさ。ほら、今日はあの渡邊さんも来てくれるんだ。確か、フォティニちゃんは彼と仲が良かっただろう?それに、執行委員会の連中も腰が引けて切り込むような質問なんざできるはずないからさ。きっと来てくれるよ。」

 ジェントルマンが薄く広がってゆく煙を見つめながらそこまで話したタイミングで部屋の戸が軽く3回叩かれる。ジェントルマンの「どうぞ」と言う声を合図にお団子ヘアの美麗な女性が湯気の立ちこめるコーヒーと、さかなっつハイ一袋をお盆に乗せて入ってくる。

 「そこへ置いておいてくれ」

 ジェントルマンがその女性に目を向けるでもなくそう指図すると、お団子ヘアの女性はジェントルマンの前にある木目の奇麗な細長い机にお盆をそっと置き、何も言うこと無く扉の前で小さく会釈をして部屋を後にする。

 はて、あの人は誰だろう。見たことが無い。新人?こんな季節外れに?

 「あのー…先生…さっきの子って…」

 「あぁ、新しく秘書を雇ったんだ」

 そう言ってコーヒーに手を伸ばし、音を立てずにゴクリと一気に飲み干す。

 「秘書…ですか…」

 「そう、秘書」

 そう言うと、左手に持っていた煙の出るパイプをノートパソコンの横に置き、お盆の上にある”さかなっつハイ”の小包に手を伸ばすと、ゆっくり、丁寧にその袋を破いては中のピーナッツと小魚を口の中に入れて頬張りだした。そうしてまた、ノートパソコンの画面を遠目で眺めるようにして見つめ出す。

 「えと…それでは、自分はまだいくつか仕事が残っているので…」

 と、軽く会釈してそそくさと扉の前に立ち、ドアノブに手を掛ける。「うん」という返事が背後から帰ってくる。それを確認してドアノブを捻り、扉を開く。

 「あぁ、そうだ島部くん」

 ジェントルマンの、その思い出したとでも言わんばかりの言いぐさに呼び止められる。

 「はい?」

 声が裏返る。口に手を押し当て、こっぱずかしい思いをしながら振り返るとジェントルマンがこちらに向きを変えて座っている。

 「今日の会議で使う、あの例の資料は出来たのかい?」

 「資料?あぁ、えぇ。抜かりありません」

 自信満々に胸を張って見せる。

 「流石は島部くんだ。呼び止めて悪かった。どうぞ」

 「はい、では自分はこれで。また会議の席で…」

 そんなやり取りをしながらすりガラスの扉を閉める。そうして、いつもより幾分か慌ただしいオフィスに出る。

 ここは、IROの大阪支部。例の事件のあった現場から一番近場にあるIROの支部と言うことで、自分や獄介見たような下っ端からIROで一番権力のある事務関長までの、先ほどのジェントルマンも含めた約10名が召集を受けている。最重要召集という名の討議会だ。

 「ふい………さてと。腹が減っては戦は出来ぬよ千賀さんや。飯でも買いに行くかな」

 そう独り言を呟いて、そのごたついたオフィスを後にする。

 エントランスに降り立つ。クリーム色の広々とした空間。案内係の菜々香が椅子に腰かけカウンターに肘をついてあくびをしている。手首には高級な腕時計。眠そうな目がこちらを覗く。軽く手を振ると向こうもだるそうにシッシと言う様な、あっちへ行けの合図を送る。それを見て軽く微笑んでからエントランスを出る。

 流石はIRO。支部ごときにたいそうご立派な庭園だこと。そんな庭園の中央にある大きな通り道。門が開け放たれて、その向こう側では人や車が忙しなく出入りする様子が見える。少し急いでる風にして門まで歩み、「そういう雰囲気」を醸し出しながらその場を離れてコンビニの方へ。スーツを着込んだ若年の男性や、心地の良い匂いを纏った華麗な足取りの女性と肩をすれ違わせる。そして、その香しさに嫌気を催す。

 本当はこういう場所が大嫌いだ。勿論人々の往来も少しばかり嫌いだが、本心はそこじゃない。なんというか、吸ってる空気がたいてい誰かの味がするのだ。何を言ってるかは私でも分からないけれど、どうしてか、そんな風に感じてしまう。時々目を閉じたくもなる。だから、人里離れた田舎は好きだ。ずっと居たい。見て居たい。眺めて居たい。と感じれる場所がそこら中に隠れている。瞬きすらももったいない。それに空気がいつ吸い込んでも瑞々しくて、加えてどうしてか、どこからともなく嗅いだことのあるスパイスのツンとする香ばしさが鼻腔を駆け上る。それだから奈良の山奥へ脱走した血族動物たちを捜索しに行ったときは少々浮かれた。大好きな獄介にも会える。無味有臭の空間へ行ける。もちろん向こうの山の匂いはそれはそれは最高だった。地元の滋賀…だけに限った話ではないかもしれないけれど、それにプラスして、どこかの家庭の肉じゃがの匂いが鼻腔に割り込んできたりして、そうして今日の晩ごはんを何にするか決めて。でも、ここに来てからはそんなことは一切無くなった。あぁ、田舎が恋しい。実家が恋しい。

 「いやっしゃっせー」

 ローソンの自動ドアをくぐる。すごく調整された香り。それと、揚げ物のガツンと来るまた別のスパイスの香り。なんということの無い、いつも通りの匂い。ほのかに暖かく、それでいてどこからか流れてくる冷気が足を優しく撫でながら通り過ぎる。総菜のコーナーへ迷いなく歩を進める。ささみにじゃがりこ、それとストレートティー。これで十分。商品をレジに置き会計を済ませそそくさと支部へ戻る。


 エントランスへ戻ると、案内係の菜々香が質素な服を着こんだ中肉中背の老人の対応に追われていた。少しだけ腰が曲がっている。整えられたちょび髭にグレーのハンチング帽からは黒の交じった白髪がはみ出ている。

 その老人はカウンターにもたれかかりながら案内係の菜々香に謎の紙面を見せつけ、必死の説得を試みている。それを見て、菜々香は眉をひそめて困惑の色を出している。

 これは、助けに入った方が良いのか……仕方ない。

 「あっのぉ…どうかされましたか…?」

 そう割り込んで問いかけてみると、菜々香の顔色が途端に晴れる。老人へ向かって「すいません、少々お待ちを」と流石に無理がありそうな言い方で話を中断させてはこちらにその渋い顔を近づけ、コソコソと耳打ちをするような態勢で説明を始めた。

 「この人が事務関長に会いたいって…でも、今日事務関長との面会の予定なんて入ってないし……そのくせ財布を無くしたとかで、身分証も持ってないって……挙句の果てに自分のことを聖都のトップだとか言い出しちゃって、その根拠にってあのよく分からんチラシを見せつけられて………そもそも今日事務関長がここに来るってこと、上の役員と、私とちっさんしか知らないはずなのに……これって警備員呼んだ方が良いよね?」

 そうか……なるほど。この女は今日誰が会議に出席するのか知らないのか。案内係なのに……つくづく……

 「あの、お名前を聞かせて頂いてもよろしいですか?」

 そう丁寧に尋ねてみる。

 「…どうも、渡邊 敬之と申します。何か手違いがありますようデ…」

 あぁ、やっぱり。それにしても、なんだろう?老けたのかな。前聖都で見たときはもっとこう、ハリがあったんだけれど。

 「身分証はご携帯為されていますか…?」

 「…申し訳ない。昨年免許を返納してしもうて……っつうより、諸々入れといた財布をどこぞへ置いてきちゃったようデ…一体どこをほっつき歩いちょるんかねェ…クフフ…」

 と、気味の悪い笑い方で話を済ませる。渡邊からは言い知れぬ上品な香りがする。それはまるで、日の光が木の枝のジャンクションによって大地に降り注ぐ……ことが決して無い暗く深い森の中のような、ジメジメとしていながらも落ち着いたような香りで、それが空気を伝って鼻腔に漂ってくる。

 それにしても参ったな。どれだけ有名人でも、これじゃあ入れられない……

 「では、当局長のトムス・ジェントルマンに繋ぎますので、あちらの待合席でお待ちください」

 と、本来は案内係の菜々香がこなすはずの職務を熟す。老人は静かにそのまま席へ…行く素振りすら見せず。その場でニヒルにニヤケて見せると、右腕を胸の前に構えて指をうねらせる。

 「それには及びませんでナ。つまりは、僕が聖都の長たる根拠を見せ、納得させれば良いのだろゥ?」

 それは…もっとややこしいことになる様な気が……そんなことをしなくともほんの少し待てば何の手続きも確認もなしにここを通れるというのに。

 「え、あの、その必要は…」

 「まァ…見てなさいナ」

 もういいや。そもそも私の仕事じゃないし、どうにでもなーれ。


 渡邊は落ち着いた様子で右腕を胸の前で構え、指の関節をグニャグニャと忙しなく動かしだす。その反動が腕にまで及んでいるのか、腕が小刻みにプルプルと震えている。しばらく指を動かした後に、今度は軽く広げた左手を高く振り上げ、そうかと思うとゆっくりと手を閉じる。そして、右手を力いっぱいにギュッと握りしめる。

 しばらくの沈黙が続く。誰かのくしゃみと、電話のコール音。いつも聞き流している雑音が空間を支配する。瞳孔を節操なく動かして、何が起こったのか、もしくは、何が起ころうとしているかを確認しようとしたその瞬間、暫しの沈黙を切り裂いて、ショーは突然に始まった。

 広々としたエントランスの天井から、白く光る無数の点が冬の夜空のごとく所々を煌めかせながらに恐る恐る降ってくる。それは目に見える限りの一体を隅から隅まで埋め尽くし、それでもってひっそりと息を殺しながらこちらへ近づいている。そうしてジャンプでもすれば届いてしまいそうな程の高さで動きを沈め、その煌めく白い点の一つ一つから白い粉を噴出する。その粉は光る点と点の合間に満ち満ちると、その空間を確実に霞ませてゆく。そうして、所々から垣間見える白く霞んで光る点を包み込んだ濃い霧を作り出す。

 「ム、ジ、カ…」

 渡邊のその徐の呟きにハッとして渡邊の方を見てみると、その空間を背にして、満面の笑みを浮かべて人差し指を立てている。それを、ただ徐に動かしたかと思うと、指揮者の様に拍を取りながら振り出した。

 これは…弦楽器……?

 白く霞んでいたはずの空間。それがいつ間にか中心から滲み出るような形で紅く染まりだしている。そうかと思うと、その空間を埋め尽くしてしまいそうな赤い炎が一面に立ち込める。そのほんのりと温かい炎がその空間を完全に占領すると、今度はその火が徐々に黄色に変わってゆく。

 ……これは……金管楽器………まさか…?

 今度は緑、青、そして赤に戻る。

 色が変わるごとに音色が聞こえてくる。調律の取れた迫力のある音。

 紅い炎の中を、今度は青白い稲妻が走る。その途端に完璧なハーモニーの中を掻きむしる様なエレキギターが突き走る。尚も色は鮮やかにローテーションを繰り返す。

 もしかして、いや、そんなことが可能なのか。

 能力が、音を奏でている。

 今流れているのは…クラシックだ。奇麗で繊細で怒号を打ち鳴らすかのように激しく、調和のとれたメロディー。その上では、表面を崩すことなく派手に走り回るエレキギター。調和を崩して、新たな世界を築こうとする異端な音。

 今度は…スネア…太鼓…いや、これはドラム…!何があったのか。目を凝らしてよく見てみると、その騒がしい空間に、激しく踊る無数の水玉が追加されている。その一粒一粒が別々に動いて、そのたびにリズムの取れたバスドラム、スネアにタム。小刻みに搔き立てるハイハット。いつの間にやらオーケストラの会場のようで。その空間を無数の物質が飛び交う。金管楽器の今にも破裂してしまいそうな音、木管楽器の包み込むような音。そうかと思えばエレクトリックなメロディ。沈んでいくタム。弾け飛ぶスネア。彷徨うハイハット。潜むシンバル。なびく弦楽器。

 興奮しないでいられようか。一体何が起こっているのかも理解できない。この込み上げてくるバチバチとした感情をどうすればいい。目を煌めあせ、その一部始終を脳に刻み込む。

 繊細なクラシックが盛大に掻き乱され、そうかと思うといつのまにやら再構築され、更にそこから発展して形作られていくこの世界で唯一の音楽だ。

 クライマックス。悲しげな場面になると、一面が徐々に青く変化し、気づけば真っ青に染まる切る。木管楽器と弦楽器の優しい旋律。そこへ、金管楽器が恐る恐る割り込んできては、場面を淡く掻き立ててゆく。そして、先ほどまでの大人しい世界から、一歩、一歩と鉛のような足を前に差し出すかのようにゆっくりと、慎重に、曲調が強まってゆく。

 寒色な一面から、芯に息が吹き込まれたかのように暖い木漏れ日のような色へ。そうかと思うと、またそれぞれが主張し合って赤青黄色、緑ピンク紫、黒白灰色。無数の色と、無数の物質が振るわせ合いながら激しいクライマックスを奏でる。とても情熱的、いや、激情的。クライマックスにふさわしい色の爆発と情報の大渋滞。トランペットが弾けて、トロンボーンが爆発する。弦楽器が高く舞い上がる。低音が震えてエントランスを揺らす。鼓膜が震える。瞳孔が踊る。鼓動のたびに指先がなびく。


 空間を彩った演奏は、掠れるような潔いロングトーンにて、名残惜しそうに終わりを迎えた。


 終演を迎えたその空間にいつも通りの情緒が不意に芽吹いては埋め尽くされていく。いつも見ていたクリーム色のエントランス。

 恐る恐る渡邊の方へ顔を向ける。

 どこからか拍手喝采が聞こえるが、そんなことよりも、この男。末恐ろしい。いくら聖都最強と言えどこんなの…どうやって……本当にただの血族か。これで純血じゃないのか。

 「流石は渡邊さんだ。良いものを観させてもらった」

 背後から聞きなれた声がする。

 「あ、先生…」

 「渡邊さん。いや、立ち話もなんだ。積もる話もございます故、こちらで時間までお茶と致しましょう。島部君も来るかな?」

 「え、あー…はい。行きま…すぅ…」

 息つく暇もない。

 呆気にとられる菜々香に「後は頼んだ」と吐き捨てて、老人2人の背中を追う。


 魔女の化身による


 ピリついた空間…とでも言うのだろうか。

 一人一人の所作に敏感に反応して、それぞれの視線から態勢の事細かい仕草にまで気を遣う。

 誰かの咳払い、誰かが指の骨を鳴らす音、窓の外から聞こえる地面を打ち付ける雨粒の音、場違いな鼻歌。そこまで頻繁に起こっているはずではないのに、あいつは体調が悪いのか、こいつは頭が悪いのか、と余計に頭を回転させてしまう。

 あそこで背筋をピンと立てて上品に座る、前髪が巻き髪になっている金髪で白いストリークの10代後半頃のその少女は軽くあくびをしていて、その隣にちょこんと座っているブロンズヘアの幼い双子の片方、ショートカットの少女は鼻歌を歌い、もう片方の長髪の少女は特に何もすることなく静かに、時々横揺れをしながらこのもどかしい空間を過ごしている。その双子の背後にはおそらく双子の通訳を担っているのであろう若い女性が背筋を正して立っている。そして、その双子の横に座っているスーツをきっちりと着た特に何の変哲もない好青年と、同じくその横でスーツを少し崩して着こんでいるしっかりとした体格の堀の深い大男が腕を組んで浅く腰掛け、テーブルに広げて置いてある資料か何かをその好青年とコソコソと話し合いながらに目を通し合う。その隣に座る白髪と白髭のがっちりとした体格のジェントルマンは、卓上で両手を組んで構えるようにじっと待ち、その横に座る質素な服に身を包んだ腰の曲がった老人はウトウトと眠る態勢に入ろうとしていて、その横に座っている無精ひげを蓄えた40代頃の男は貧乏ゆすりに勤しんでいる。そうして、その隣に座る自分とその隣の空席。更に、今日集められたこの9人の周りを取り囲むようにして、ここ(大阪支部)の役員や、国内外より招かれた役員なんかが背筋を正したり、足を汲んだり、ざっと10数人が黒い木製の椅子に思い思いに座っている。

 あと一分で『聖都ウィッチグレイブにおける、生物兵器による無差別テロ(仮)臨時調査委員会』がスタートする。簡単に言えば今回の出来事の公表可能な情報をまとめ、凡その結論を出し、誰がどういった形で責任を取るのかを決めるための”話し合い”で、今すぐに招集できる”関係各所”を早急に集めた結果がこのメンツと言うわけで。決まった内容はそのまま都庁へ送られ、またそこでも会議を開いて、そこから全国へ発信といった形で段階を踏んで世間へと渡る。

 「……それでは、今より、聖都ウィッチグレイブにおける、生物兵器による無差別テロ臨時調査委員会を執り行わさせて頂きます。」

 好青年のその張りの無い挨拶で、物々しい雰囲気の会議が始まった。

 「まず、各自の紹介に入らせて頂きます。出入り口側手前より…」

 そうして各々の紹介が始まる。

 入口の右側から、聖都の守護を務めるサーティの一員、白萩財閥の令嬢「白萩 鑑」と、同じくサーティで産まれは北欧の双子「ソフィア・アンダーセン(短髪)」と「ヘレナ・アンダーセン(長髪)」。その横に座る、きっちりとしたスーツを着込んで進行役を務めている好青年は、IROの執行委員会委員長「由井伊 末」。と、その横に座る貫禄のありそうな堀の深い大男は、その由井伊の部下「波瀬 一彦」。そっちが部下なのかと言いたくなってしまうが踏みとどまって……その横に座る白髪、白髭のガッチリとした体格の男は、IRO大阪支部局長「トムス・ジェントルマン」と、その横の老人、聖都ウィッチグレイブにおける最高位である飛位の位を持つ男「渡邊 敬之」。その隣の無精ひげの男は聖都ウィッチグレイブ第1管制塔第3支部支部長「野田 昭二」。そして、本部からここ(大阪支部)へ転属することになった私、「島部 千賀」と、現在渋滞で遅れている、IRO内部の警察機構に務める特別捜査部第1課の「坂口 獄介」。そして、もう一人、来るはずだったIROのトップ、事務関長「ファティニ・フィッツディアスト」は、会議の開始が遅れると聞いた途端道を引き返してアメリカに帰っていった。こいつだけは飛び抜けて頭がおかしい。大阪駅に降り立って、報告を聞いた途端にたこ焼きとたこせんを買って、再度空港に直行。本当に、一体、何をしに大阪へ来たんだ。

 「そして、今回進行役を勤めます、私、IRO執行委員会は委員長、由井伊 末の以上9名で執り行わせて頂きます。警察機構特捜部1課、坂口 獄介氏は、現在渋滞の影響により到着が遅れているとのことで、本人より「進めてもらって構わない」とのお言葉をいただいておりますので………では、時間も押してますので、資料をお配りします。」

 そう言うと、由井伊は隣に座る波瀬に合図をし、合図を受け取った波瀬が資料を律義に一人ずつ手で配り、自分の席へ駆け足で戻る。そして会議が再開する。

 「資料は渡りました…ね。それでは、最初に、現在分かっている範囲での事件の概要の説明をいたします。先ずは一枚目、13時32分。聖都全域を取り囲む形で、過去に前例のない大規模な妨害電波が発されました。第一管制塔より当時の記録が届いてお__」

 「これは必要なのか」

 誰かが突然そう言って、由井伊の進行を妨げた。

 声の主は先ほどまでウトウトと眠そうにしていた渡邊だ。渡邊は、先ほどまで宙ぶらりんとしていた頭をガチャリと固定し蛇のような細い目で由井伊を見つめている。

 「も、勿論です。一人一人が当時重要な局面を過ごしておられま…」

 「もう答えは出たようなもんでしょウ。”討議”なんて、意味ない気がするんだけどねェ」

 渡邊がゆっくりと目を閉じ、呆れを混じらせた口調で由井伊へ言葉を返す。そうして、ちょっとの無言の時間が流れる。

 先ほどから、双子の間に立って通訳をしている女性の声が気になって仕方ない。

 「そも…そも、何があったのかなんて、皆分かっているじゃないカ。馬鹿を集めたわけじゃないダロウ。蚯蚓共が聖都で暴れた理由も、その蚯蚓を一瞬で殺したあの『白い十字架』が一体何なのかも、そなた等は既に知っておるんだろウ?馬鹿じゃないんだから」

 渡邊が椅子に心地悪そうに座り直しながらそうぼやく。

 少なくともここに一人、事件の概要を全く知らない馬鹿がいます。

 「……聖都を恨んどるのは、他でもないカンパニーの連中だろウ。血族連のひざ元に糞垂れた気分は、さぞ心地良いのだろうね。クフフ」

 渡邊が引きつったように笑った。

 「あぁ…俺も同感だ。あ、いや、糞垂れたドウノコウノでなくて…」

 そう言って小さくを手を上げたのは、その隣に座る野田と言う無精ひげを生やした40代ほどの男である。彼は渡邊と同じ第一管制塔の職員で、結構頭の高い職を熟していたはずだ。

 野田は、椅子の背もたれに深々ともたれてズボンのポケットに片手を突っ込み、もう片方の手で資料の端をつまみ上げ、面倒くさそうに続けた。

 「これ。こいつぁ、丁寧に打ち込んだり刷り込んだりしたんだろうが、もう皆知ってんだ。鑑ちゃんも、双子ちゃんも…渡邊さんも、獄介さんも。あんたらIROの知りたい情報なんざもうすっかり出しきっちまって……なぁ、こちとらあのミミズ共から血族動物のDNAが出てきたってのを誰よりも先に知ったんだ。ついでに、責任の話も…渡邊さんが、辞職をするって形で肩が着こうとしてるってのに。そうだってのに、一体何を話し合うってんだい?これ以上話を引っ掻き回してややこしくするってのか?」

 ミミズから血族動物のDNA…そんなの初耳だ。そこまで来ればもう争いは避けられないようにも思えるが、血族連はどうするつもりなのだろうか…あぁ、それを決議するのか…?いや、もしそうなら血族連合の本部のお偉いさんがここに呼ばれていないとおかしいような……その役割が渡邊さん…?いや、この人は聖都のトップなのであって、血族連のトップじゃないから違うのか…?んー…?不思議な会議だ。

 由井伊の方をふと見てみると、いつの間にやら席を立って机に手をつき、野田と渡邊の方を見つめて押し黙っている。瞳孔が震えているようにも見える。唇が震えているようにも見える。ゴクリとつばを飲み込んで、浅く息を吸って、口を開いた。

 「…私達責任ある者に今唯一出来る事と言えば、無残にも殺された同氏への復讐…なんぞでなく、渡邊さんが必要ないと吐き捨てた”討議”です。今はその一択しかないんです。いいですか。あの時、聖都の南部や中部にいた住民、観光目的に来ていた人たちは、訳も分からず殺されたんです。取り残された遺族はこう言うのでしょう。この先同じようなことがまた起こるのかと、それに対して、あれは血族動物が血族連合に積年の恨みを晴らすために取った苦肉の策だから仕方ない。と、今度いつ来るかは分からないから、死にたくないなら住居を捨てて移住したほうが良い、とでも説明するのですか。新たな忌の連鎖を作るのですか。真実なんて我々の力をいつも通り働かせてしまえば、たったの一分足らずで分かってしまう時代なんです。貴方たちはそれを受け取っただけに過ぎないのです。私たちはそこらのメディアとは違う。受け取ったAをAのまま渡すのでもない。そんな真実をどうだどうだと公表するのは、貴方の言う馬鹿の仕事で、私達の仕事ではありません。私たちの仕事と言うのは、そんな真実を共有し、それを誰の不幸にもならぬように公表する土台を作り、あるいは、この事件のピリオドの打ちどころを模索し、確実にすることにあるんです。私共IROは、血族連合傘下の組合等、関係各所と本件の解決に当たる気構えにあります。それを通じて、今の不仲とも取れる血族連とIROの関係を、ブラッディとノーマンの関係を。良い方向へ導く手立てを得られるのであれば、猶更そうするべきなのです」

 由井伊は、どこまでも熱心にそう弁じた。その目には熱がこもっている。

 「そのために、意味のある経験をされました、貴方方の崇高な考えが必要だと感じたがために、今日のこの会議を開くに至ったのです。」

 そこまで言うと、由井伊は急に口を閉じる。ちょっとの無言の時間が流れる。雨の音がやかましい。

 由井伊は、一人一人の顔を流し見て、もう一度浅く息を吸い、その閉ざした口を開く。

 「分かりました。無駄な前置きは省いて、本題へと参りましょう。まず、皆さんには、当時どこにいて、何が起きて、何を見たのかというのを事細かにお話ししていただきます。皆さんのお話を聞いた後、各々の質疑応答の時間に移らせて貰います……その後の進行につきましては、追々説明させて頂きます。なお、この会議での会話は記録されておりますので、相応しくない発言はなさらぬようお願いいたします。」

 そう言って、「良いですか」と、何に対しての確認かも知れない一言の後、「それでは鑑様より時計回りで始めてください。」と、入り口側に座る金髪と白のストリークの入った若い少女に手を差してそう促す。指名されたその少女はピンとした姿勢のまま席を立ち、両手を腰の前で組んで口を開く。皆の視線が少女の元へと移る。

 「そう…ですね。何から話しましょうか…私はその時、「The Watcher」ことヴァリア ヴァシリエフと2人でいました。異変を感じたのは、時計の針が2時00分を指す直前。嵐の前の静けさと言いますか。妙な耳鳴りと共に嫌な予感を催し、席を立った途端に足元をゆする様な微細な揺れが起こり、その数十秒後にはその空間を振る様な激しい縦揺れに襲われました。おそらく30秒は続いたと思います。その後揺れが収まってから急いで町へ出ました。そうしたら建物が崩れ去っていて、ふと南の山の方を見てみるとある特定のヶ所で地揺れが続いているのが見えて、目に見える範囲、全ての山肌を土煙が覆っていました。その後まもなくしてあのミミズがその醜悪な姿を現して………(以下略」

 「…ありがとうございます。お座りください」

 由井伊がそう言うと、隣に座るスーツ姿の堀の深い大男がコソコソと由井伊に耳打ちをして机に広げてある紙面を指さし、それに対して聞こえるか聞こえないかの小声と、吐息にしか聞こえないかすれた声で由井伊が返答をする。そのやり取りが終わると、由井伊はその隣の席の幼い少女に手を差し出す。

 「それでは、ソフィア様。お願いします」

 由井伊がそう言うと、その双子の間にいる通訳の女性が軽く手を上げ、その薄紅色の口を弾ませながら開いた。

 「失礼します。お二方の通訳をしております、本郷 彩子と申します。実のところ、ソフィア様とヘレナ様はまだ日本語での会話が困難でございまして、その代わりとしまして、私が説明させて頂くことは可能でしょうか。このお二人と共に私もその場に居合わせましたので、当時の状況や、お二人の行動は全て把握しているつもりです」

 「…はい、構いません」

 「ありがとうございます。ソフィア・アンダーセンとヘレナ・アンダーセン、そして私。本郷 彩子は当時北区にて開催されていましたスポーツイベントにゲストとして招待され、特別席にてランチをしておりました。そこから先は鑑様と同じで、嫌な予感から、こみ上げるような揺れ。そして突き上げるような激しい縦揺れ。揺れが収まり、第一管制塔とコンタクトを取ろうと思い至りましたが、妨害電波なるものによりそれが不可能と分かりまして、急いで王室まで海を介して移動しまして、王室前広場にて指揮を執られておりました鑑様とヴァリア様に合流し、鑑様のご采配の元西区の避難に当たりました………(以下略」

 「…ありがとうございます。では……渡邊様。お願いいたします」

 皆の視線が、だらしなく座る猫背姿勢の渡邊に集まる。渡邊は由井伊の顔をその細い目で一瞥した後、口角を少し上げて軽く咳ばらいをし、席を立つことなく深く腰掛けたまま話し出した。

 「そうだなァ、どこから話そうかなァ……僕がお昼ご飯を食べていた時に、周囲を監視しているAIが異変を察知したそうで、そん時の図面をナンチャラさんが寄こしてきたんだけどね。それがこの資料の3ページに載ってたあの図面だね。僕は、その後はマニュアル通りに重役を集めて会議を開いて…それでぇ…確か金位のフェーデン君が熱弁をしていた時だったかナ?僕のよく当たる勘が、マズい!逃げろ!って言うもんで、その通りにお札を借りて、王室前の広場に飛んで。それで、そこに緊急指令室を立ててェ…その後はごたついちゃったネ。あのサイズのバケモンをドウコウするマニュアルなんてないから、まぁ、仕方ナイ。それにあんなにいっぱい。いつもの聖都市ならまだしも、サーティがどこかへ行っちゃった聖都市なんて、いっぱしのテロ集団でも陥落できちゃうもんだから、タイミングが悪かった、というより、上手い事図られちゃったんだね。獣風情に一本取られちゃったね、クフフ、参った参った。」

 渡邊が一言、また一言と付け加えて、おどけるような笑みを浮かべる。その度に由井伊と、その隣に座する波瀬の表情が硬くなる。

 「おいあんた。フザけてんのか」

 波瀬がようやく口を開いた。その声は、ずっと濁音が交じっているようで、それでいてしっかりと聞き取れる。波瀬は、机の上で手を組み、太い眉を歪ませて真剣な面持ちで渡邊を睨んでいる。

 「発言に気を付けてください。ここでのやりとりは、全て録音されていますので」

 「これはこれは。失敬」

 波瀬と由井伊の言葉に軽く、促すような返事を返す。誰かの咳払いが聞こえる。外は未だ、雨粒の打ち付ける音がやかましい。獄介はいつになれば来るのだろうか。

 「ええと、その後は…そうそう。王室の中に入って”管理人さん”に事の一切を説明して、それで広場に戻ったらシンツァオ君がいて、鑑ちゃんが、広場で僕の代わりに指揮を執ってくれてたっていうのを教えて貰ってェ………(以下略」

 渡邊が話を終えた。由井伊が鼻息をフンと放ち、やれやれとでも言わんばかりの呆れた表情を見せて口を開く。

 「ありがとうございました。それでは野田様。お願いします」

 野田が、「うい」と返事をして机に両手を着き、重い腰を持ち上げんとするようにゆっくりと立ち上がる。そうして片手には、左端をホチキスで止められた4、5枚ほどの資料の束をシワが出来るほどに強く持ち、それをちらちらと見ながらかなり大きめの声量で説明を始めた。

 「んぁー、俺は地揺れがあった時は、第一支部から届いた図面と、錯綜した情報の整理をしていたんだが。さっき鑑ちゃんと本郷さんも言ってたように、妨害電波が原因で各支部と連携が取れず、そん時は上で第一の…あ、第一支部のお偉いさんがどう対処するかってのを決めてくれてるもんだと思ってたってのもあって、建物が激しく揺れた時にはもう遅かったな。俺や、最初のちっこい揺れん時に外に避難したやつらは無事だったんだが、アナウンスに向かわせた部下に腹部からの出血や足首の捻挫なんてのを負わせちまって、これに関しては完全な俺の責任として扱って欲しいんだが。その後、応援に駆けつけてくれた獄介さんと一緒に…ええと、なんだっけか。電波塔…じゃねえな……八幡電工塔の様子を見に行くことにしたんだが、その道中で負傷者を大量に出しちまって、まだ動ける2人の社員を負傷者の護衛、残りの俺と獄介さん含む5人で電工塔へ行くことにしたんだ。それで、電工塔に着いてからなんだが……(以下 略」

 野田が話し終える。内容は大方理解できた。ローレンスがここへ来ていたのも少し驚きだが、それよりも…確かにこんな事実があるのならこの会議の意味はありそうだ。事実を公にすれば一般人から血族動物へのヘイトと不信感は凄まじいものになる。そうなれば、血族動物を庇って来たIROの立場も危うくなる。聖都がコテンパンにされた今、メンツ丸潰れの血族連合と爆弾を抱えたIROが手を組むという方向へ持っていこうとしている執行委員会の決断にも納得がいく。

 「ありがとうございます。では…」

 そこまで言うと、由井伊は少し間を置き、島部の目をのぞき込むように見つめる。その視線の意味は言わずもがな、この会議は、私のこの資料の内容を以てようやく本題へと移ることとなる。

 「その隣、島部さん。あなたには6日から9日の3日間。ある施設から脱走した、Aクラスを含む計4体の血族動物を追っていた件について、その概要と、脱走した血族動物の個体、そしてその詳細を、この場で事細かく証言して頂ければと思います」

 「はい」

 そう言って椅子を後ろに押しのけ立ちあがり、事前に用意しておいた資料を広げて、口を開く。


確定申告忘れてた。


マウス壊れた。


超かぐや姫すごくよかった。


ブタメンのオリジナルケトル当たった。

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