えっぐたると
窓を大きく開けて、焦げた匂いを室外へと追い出す。
クッキーを焦がしてしまったミアは地面にうずくまり、ぽたぽたと涙をこぼしている。
「本当に、本当にごめんなさい……。セレスティアさまが声をかけてくださった時は、まだ焼き色が薄くて……。もうちょっと焼いた方が美味しいかなって、あたし、勝手にそう思っちゃって……ひっく。せっかく、材料をわけて、教えてくださったのに……」
「そんな……。気にしないで。よくある失敗よ」
彼女をなぐさめるべく、背中に手をそえながらそう言った。しかし、これは逆効果だったらしい。ミアの嗚咽はますます激しくなった。
「ひっく……あた、あたし、いつもそうなんです……。ずうずうしくて、失敗ばかり……っく、おと、お父さんにも、いつも叱られてるし……」
「ミア……」
こんな時、泣かないでと言われるのはもっとつらいだろう。ただただ優しく背中をなで続ける。やがて、少しずつミアは泣き止んできた。
お腹の肉のせいでしゃがんでいるのがつらいし、いつまでもこうしているわけにはいかない。立ち上がり、作業台に置かれた天板の上のクッキーを改めて観察する。
端は確かに黒ずんでいるが、中心はカリッとして美味しそうな焦茶色だ。
「食べるのか?」
ぬっとアルバートが背後にやってきた。仏頂面だが、ちょっと食べたそう……と思ってしまうのは、私自身がそう思っているからだろうか。
「食べません。……このぐらいなら、正直、食べても美味しいんですけどね」
「食べるのか?」
「食べませんったら! これはミアさんが作ったやつなんですから……!」
そんなことはしないだろうが、手を広げてサッとクッキーを守る。味見……と言い訳して一口かじったが最後、全て消えてしまうのはよくあることだ。
「美味しいなら、なぜあの娘は泣いている?」
「プレゼント用、とのことでしたからね……。しかも、ほとんど接点がない相手のようでしたし、綺麗なものをあげたい気持ち、分かります」
「そんなものか」
心なしかきょとんとした顔でアルバートがいう。
そんなものです、と言い返そうとして、なぜか言葉が詰まってしまった。
「それより、このクッキーです」
アルバートの藍色の瞳から目を逸らし、改めてクッキーに向き直る。私が作った分の生地はまだあるが、これを彼女にあげるのは意味がない。改めてクッキーを作り直すという手もあるけれど……。
「ミアさん。このクッキーから、別のお菓子を作りませんか?」
「え?」
うつむいて、しょげかえっていたミアが、驚いた声とともに顔をあげてくれた。
安心して、というように、にっこりと微笑んで見せる。
手を差し伸べると、戸惑いつつもミアが握り返してくれた。彼女を立ち上がらせて、作業台の前に導く。
「まずは完全に焦げている部分を取り除きましょう! ……あ、アルバート様も手伝っていただけますか?」
「えええ⁉︎ そんな、申し訳ないです……!」
「いや、手伝おう」
ずっと見守っているのが退屈だったのか、案外乗り気そうだった。それぞれにスプーンを配る。炭化してしまった部分はかなりの強度だから、アルバートが手伝ってくれるのは正直とても助かるのだ。
ザクザクとクッキーを解体し、使える部分と使えない部分を仕分けする。
「よし。ではこちらの部分を叩いて細かくしましょう!」
「ええ⁉︎ く、砕いてしまうんですか……?」
「まかせろ」
ガッガッガッと、クッキーがスプーンで粉砕されていく。……あんな道具で良くここまで砕けるなぁと感心していたら、クッキーの破片が飛んできて額にぶつかった。
……これは食べて良いよね?
「ありがとうございますアルバート様。あとはこちらのミアがやりますので、ゆっくりお待ちになっていてください」
「……そうか」
心なし物足りなさそうな仏頂面だ。……なんだか、少し表情から感情が読めるようになってきたかもしれない。
しかし、力仕事はもう終わりだし、思い人へのプレゼントだ。ミアが作らなくては意味がない。
「ボールに砕いたクッキーを入れて……油を少しずつ注いで……ストップ」
クッキーを焦がしてしまったことを気に病んでいるのだろう。さらに真剣な表情でミアは手を動かして、クッキーと油を混ぜる。
その間に私は、魔石による予熱を開始して、タルト型の代わりになる耐熱皿を探す。
外す時にボロボロになってしまうといけないから、型から外さずそのまま渡して、食べやすいものがいいだろう。となるとやはり、いつもつかっているココットのような皿がいいかな。
「このお皿に生地をこんなふうにひいていくの」
ミアに許可をもらい、お手本として一つだけ、皿に生地を詰めていく。まとまりは悪くない。同じように作ってもらい、合計4つの土台ができた。
「これをもう一回焼くの」
「は、はい……! …………」
「大丈夫。今度は私もとなりで見ているわ」
「セレスティアさまぁ……」
私が作った一つは少し距離を置いて、オーブンに入れた。
もう失敗してはいけない……。そんな心持ちなのだろう、ミアは食い入るようにオーブンの中を見つめている。
そんな彼女を見ていると、なんだか息が詰まりそうだった。
焼き上がり、取り出した天板には、美味しそうなタルトが出来上がっていた。ミアが、ホッとしたように胸に手を置き息をつく。
「生地が冷えるのを待つ間に、流し込む生地を作りましょう」
「……? これで完成じゃないんですか?」
「ええ! もっと美味しくなるわ。卵と山羊乳、それからこっちにも花蜜を加えて」
材料を冷暗所から取り出し、ミアに手渡していく。
村にも牛はいるけれど、乳牛ではなく主に畑仕事を手伝う労働力だ。この辺りでは山羊乳の方が一般的らしい。昨日もらったばかりの新鮮な山羊乳を煮沸して冷暗所に保管しておいたのだ。
「出来上がった生地を、クッキーから作ったタルト生地に流し込んで……そうそう。あとはクッキーを2回焼く分くらいの時間をかけて、エッグタルトがほんのり焦げるぐらいで完成よ!」
「はい……!」
再びオーブンに天板を入れ、隣に並んで焼き上がりを待つ。ミアは再び、食い入るようにオーブンの中を見つめている。
「……遠い異国の話なんだけどね。世界最高の失敗作って呼ばれているおか……料理があるの」
オーブンを見つめながら、そんな話を始めた私を、ミアは不思議そうな顔で見つめてきた。
世界最高の失敗作——そのお菓子の名は、タルトタタンだ。
ある日アップルパイを焼こうとしたタタンさんは、うっかりタルト生地を忘れてりんごと砂糖とバターだけで焼いてしまった。仕方なく、後から試しにタルト生地を被せて焼いて、ひっくり返してみたところ、焦げたキャラメリゼが香ばしい、タルトタタンが出来上がったのだ。
お菓子好きには知名度が高いこのエピソードを噛み砕き、お菓子ではなく、この世界では馴染み深い肉料理として伝える。
「それでね? 失敗から出来上がったその料理は、お店の看板メニューになったんだって! だから、なんというか、その……失敗は、悪いことばかりではないわ」
最終的に、しどろもどろになりながら話終えた私に、ミアはくすりと笑って見せた。
「ありがとうございます、セレスティアさま。『くっきー』は失敗してしまいましたが……あたし、楽しみです。『えっぐたると』!」
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