くっきー
「わっ、この中って、こんなに綺麗だったんですね、セレスティアさま」
教会に足を踏み入れて、綺羅綺羅としたステンドグラスを見上げたミアが言った。
「そうなの。きちんと手入れすれば、案外なんとかなるものなのね。キッチンはこっちですよ」
「はい!」
気合い十分、といった良い返事だ。しかし、『しふぉんけーき』か……。
「あのね、ミアさん。出鼻をくじくようで申し訳ないんだけど……、シフォンケーキはちょっと、難しいお菓子なの。もちろん、挑戦したければ無理にとは言わないし、教えるけれど、今回はクッキーを作ってみない?」
この教会にステンドグラスがあるように、この世界の技術レベルはそれほど低くない。電力の代わりに魔石を用いるけれど、電動ホイッパーのようなものも作ることが可能なのではないだろうか?
しかし、現状その便利な道具はなく、気合いと根性で混ぜている状態だ。メレンゲ作りには多少のコツがいるし、騎士団の滞在日数は限られている。
「『くっきー』ですか……? それは、どんな物なのでしょうか?」
「あのね! シフォンケーキとは違って、サクッとした感触が楽しいお菓子なの! それ以外にもホロっと崩れたり、ザクってなったり、いろいろあるんだけどね! 食感と甘さ、それから素敵な形を楽しんだりする、それはそれは美味しいお菓子なんだよー!」
片手でサクッと食べれるクッキーは、お仕事中に虚無になりかけた時の救世主の一つでもある。
珈琲や紅茶にあれほど合うお菓子もなかなかないだろう。
いや、ケーキもバウムクーヘンもシュークリームもアイスクリームもドーナッツもスコーンも、何もかもが捨て難いけど……。
「そうなんですね……! セレスティアさまがそうおっしゃるなら、あたし、『くっきー』を作ってみたいです!」
「ええ、一緒に作りましょう!」
話していたら、無性にクッキーが食べたくなってきた。前世で趣味だった時からそうだが、一つのお菓子を作ると、どんどん改良を加えて美味しくしたくて、同じものばかり作ってしまう。この村に来て一ヶ月、お菓子はほぼシフォンケーキしか作ってこなかった。
ミアと一緒に手を洗い、キッチンの前に立つ。人にお菓子作りを教えるのは初めてだから、なんだかとぎまぎしてしまう。
「材料はたったの3つなの。小麦粉、油、それと花蜜」
使いやすいようにと、小麦の入った袋と油の瓶をキッチンの作業台の上に置く。戸棚にキープしている湯煎した花蜜の瓶も並べる。
仏頂面のまま着いてきていたアルバートの視線が、花蜜の瓶に注がれた。……食べたいのかな?
でも貴重な材料だから、クッキーが出来上がるまで我慢してもらおう。
「まずはボールに小麦粉と油を入れるの。小麦粉はこのくらいで……そうそう。油はこれくらい」
二つのボールを用意し、隣で自分も作って見せる。
お菓子作りは計量が大事だ。料理上手な人でお菓子作りは苦手という人がいるが、大抵の場合、しっかりとした分量を守っていない。
膨張、凝固、乳化など、化学反応を起こす場面が多いお菓子作りに対して、それらの要素が比較的少ない日常料理では、感覚的に作っても美味しいものが出来やすいのだ。
「それで、木ベラでこんな風に混ぜて」
「……はい!」
うんうん、生地の具合、いい感じ!
「花蜜を垂らして……」
「はい……」
小麦粉と油を混ぜた生地の上から、黄金色のシロップをたらりとかける。ごくっと喉がなる音がして、アルバートかな? と思ったら自分だった。……朝から動きっぱなしだし、お腹すいた。
「ひとまとめになるまでまた混ぜる」
終始私の手つきをじっと観察しながら、ミアは手を動かす。これなら美味しいクッキーが出来そうだ。
一度手を止めて、オーブンの予熱にかかる。天板の上に油を薄く塗り、生地がくっつきにくくする。村の雑貨屋によると、紙をしくのは貴族や王族のやることなのだという。
たびたび思うけれど、前世って豊かな国だったんだなぁ……。
「それで、これくらいの生地をこんな風に手のひらで丸めて。中央は火が通りにくいから、少しへこますの。……うん、上手よ!」
「ありがとうございます、セレスティアさま。……なんだかぷにぷにした食感で、気持ちいいですね」
「そうよね! それにこの、生地のコロンとした感じ、小さな生き物みたいで可愛いわよね!」
「……す、すみません、ちょっとわかりかねます」
「そ、そうよね……」
可愛いと思うんだけどなぁ……。試しに、手のひらに乗せた成形済みのクッキー生地をアルバートにも見せてみた。
「………………」
無言でふいと目線をそらされてしまった。少数派か……。
「出来上がったクッキーを、天板の上に並べて、後は焼くだけよ」
「思ったより簡単でした……!」
「ふふっ」
クッキーは奥深い。けれど、やろうと思えばとことんシンプルに作れるのが良いところだ。
もう見本を見せる必要はないと判断し、成形の手を止める。プレゼントが混ざるのは良くないから、自分の分はミアの後に焼けば良いだろう。
魔石での予熱は十分そうだ。
ミアも全ての生地を丸めて、天板に並べ終わった。お行儀良く並んでいる感じも可愛い……。じゅるり、とでそうになったよだれを慌てて飲み込む。
「あとは15分……じゃなくて。クッキーに少し茶色の焼き色がつくくらい焼くの」
「分かりました!」
ミアはオーブンにそっと天板を入れた。蓋を閉めて、その前に張り付くようにして、ジッとクッキーを見守っている。
その様子を少し離れたところで見守っていると、ふいにアルバートが近づいてきた。
「……なんでしょうか?」
「あの花蜜だが。あれほど苦労して毎朝集めているのだろう? 良かったのか?」
その目線はミアに、もっと言えばミアの見守るオーブンに向けられていた。
この世界で砂糖は貴重だ。だから、お菓子もない。花蜜だって、毎朝ちょっとずつしか取れない。
「良いんですよ。美味しいものはいつだって、分け合った方が美味しいんですから」
にっこりと笑って見せる。惜しいなんて気持ちは一ミリも……とは言わないが、構わないと本心から思える。
そんな私の笑顔を、アルバートは不思議そうな顔で見下ろしていた。
「……そんなものか」
「そんなものです」
そのタイミングで、ぐぅぅとお腹がなった。ばっちりアルバートと目があった状態でなってしまった。しかも、昨日に引き続き、2度目だ。
「あ、あははは、すいません……とりあえずお茶! 準備しますね!」
恥ずかしさで火を吹きそうになってしまった私はその場をそそくさと離れた。この教会に人を招いたことがないから、お茶をする場所の準備からしなければならない。
礼拝堂は横一列だから、3人だと明らかに話しづらいし、奥の居住スペースを片付けてなんとか用意しなければならないだろう。
「ミアさん! そろそろオーブン大丈夫だと思いますので気をつけて取り出してくださいね!」
「わかりました!」
作業の途中でミアに一言入れた。中央に移動したテーブルと寄せ集めた椅子をタオルで拭きあげていく。花瓶に花を添えたり、茶器にもこだわりたいけれど、村の雑貨屋で買い集めた寄せ合わせと、教会に残っていたもの達でやりくりするしかない。
「きゃああああ!」
テキパキと片付けを終えて、お茶の準備が終わったタイミングで、ミアの叫び声が聞こえた。
「どうしたの⁉︎」
「セレスティアさま……ご、ごめんなさい……」
慌ててキッチンに飛び込んだ私に、ミアがミトンで掴んだ天板を差し出した。
中心は濃い茶色で、明らかに焼きすぎており——端が黒ずみ、苦い香りがした。