友となるために【クラウディア視点】
文武両道。
それがローズウェル家の家訓だった。その家訓の通りに、兄も弟もとても優秀だ。
わたくしもその家訓にふさわしい人間になろうと、兄を目指し、弟と競い合い、武術や勉学に励んだ。幸い、これらは二つともわたくしの水と合っていて、学ぶことも、戦うことも、そして何より、それらが上達していくことが、楽しかった。
「お前が男だったらなぁ」
剣を交えて、初めて兄から一本を取った時、彼はどこか惜しむようにそう口にした。
その言葉の意味を理解したのは、10歳の頃。周りの大人たちの、特に男性の視線が変わってきた頃だった。
わたくしは、美しくなりすぎてしまったのだ。
それまでも、貴族令嬢としても立派になれるよう、教育はされてきた。しかし、それはあくまでも文武両道を前提とした話だった。けれど、そこへかける時間は極端に減っていき、代わりに貴族令嬢かくあるべしという学びが増えた。
「お前はもう、兄や弟の真似事なんてしなくて良い。ただ、美しい貴族令嬢であれ」
ローズウェル家の勢力を一代で拡張したやり手。それがわたくしの父への評価だ。しかし、その手腕は悪辣で、だから、この家では、父の命は絶対だった。
父に美しくあれと命じられた幼いわたくしは、こっそりと図書室の片隅で本を読んでは、使用人に取り上げられて、悔し涙を流していた。
そんな教育の成果か、16歳になる頃には、男爵令嬢の身でありながら、社交界での噂の的となった。完璧なご令嬢。それが、わたくしの得た評価だった。
けれど、その美しさは表面的なものだけで、自分自身が完璧なご令嬢とは程遠いことは分かっていた。
なぜなら。
「あーーーーもううう! 何なのよ、あの、クソおやじぃ!!」
誰もいない私室では夜な夜な、枕相手に流れるような連続パンチを決めていた。剣を取り上げられたわたくしには、この拳しかない。
しょっちゅう枕をダメにするが、お付きのメイドは何も言わない。ただそっと、新しい枕を差し出すのみである。
「仇敵のアルトハイム家が、格上の伯爵家と婚約したから、ちょっとちょっかいかけてこい? 阿呆か! なんでそんな修羅場を作らなあかんのじゃ!」
ボコボコボコとマウントポジションで枕を殴りつける。その日は初めて、天蓋付きのベッドが一つダメになった。
けれど、どんなに喚いても、父の命令は絶対だ。逆らえば、ローズウェル家で生きていくことは出来ない。
こうして、バートン家との会合の機会を設けられたわたくしは、その美しさで、ロデリック・バートンの婚約者の席を勝ち取った。
わたくしのせいで、元婚約者のセレスティア・アルトハイム嬢は、アルトハイム家から勘当されたという。
この話を聞いた時は流石に申し訳なく、あの時少し会っただけのセレスティア嬢に同情してしまった。
けれどその、時折思い出す罪悪感は、ある一報で吹き飛んでしまった。
セレスティア・アルトハイム嬢が、公爵家の嫡男、アルバート・ド・モンフォールと婚約したというのだ!
将来の義父・義母となるはずのバートン家の人々の視線も険しくなったし、ロデリックもイラついているようだった。それに何より、私の父だ。
自分の策略がはまり、仇敵であるアルトハイム家を蹴落として、自身の娘を伯爵家の婚約者とすることが出来た。父はそのことに鼻高々となり、たいそう上機嫌だったのである。
完全に、そこに水を差された形だ。それも、コップ一杯分なんて、目じゃないくらい、大量の水を。
そんな状態だったから、ロデリックと共にモンフォール家で開かれた婚約披露のパーティーに出かけた時は、セレスティア嬢に良い感情を持てなかった。
今まで可哀想に……と同情していたのに、急にわたくしの立場を苦しめるストレスとなったのだ。
それに、羨ましかった。
婚約者であるアルバート様との雰囲気が実によく、わたくしと違い、本当に愛されているのだろうなと感じたし、パーティー会場の片隅に置かれた手作りのお菓子の前では、とても熱く、そのお菓子についてゲストに語っていた。
やりたいことを自由にやり、愛した人と傍で過ごす。
セレスティア嬢自身が憎いのではない。ただ、彼女はわたくしがもっていないものを、全て持っているように見えて、その姿を見るのが辛かったのだ。
そしてある日、父は私に再び命じたのだ。
「あの女になれて、お前になれないはずがない。アルバート・ド・モンフォールと接点を持ち、再びその座を奪ってこい」と。
その命を聞いた時の感想は一言。
(正気か?)
だった。もちろん、口には出さない。どうやら、セレスティア嬢とエリック殿下との接触を契機に、父は焦りを覚えているようだった。
「…………ですが、それはバートン家、モンフォール家との敵対につながる可能性もあるのでは?」
遠回しに、思い直すように父へと伝える。同じことを2度もやれば、流石に作為的だとバレるだろうし、何より、別に羨ましいからって、幸せそうなセレスティア嬢の日常を壊したいとは思わない。
「なあに、うまくいけばモンフォール家の婚約者だ。バートン家は逆らえまい。うまくいかなければ何もなかったことにして、バートン家と婚姻関係を結べば良い」
1度目の策略が大成功に終わったからだろうか。父はやけに自信満々にそう言った。
何度でも言おう。父の命は、この家では絶対だ。
「わかりました」
社交好きのロデリックと違い、アルバート様と接触できる場所は限られている。考えた末に、わたくしはセレスティア嬢に茶会の誘いを出すことにした。
それは、父の命に従うため、という名目はあったが、純粋に、セレスティア・アルトハイム嬢とは、どんな人なのだろうという興味があった。
後日、招いた茶会に、おそるおそるやって来たセレスティア嬢は、一言でいうと、感じの良い人、だった。
貴族令嬢にありがちな、傲慢さがなく、物腰が柔らかでこしが低い。彼女との会話はそれなりに楽しく、茶会は穏やかに終わった。
「計画はどうだ?」
「つつがなく」
報告を求める父に、次回はモンフォール家で茶会が開かれることを伝えた。アルバート様との接触を命じる父に、わたくしはまた、うなづくことしか出来なかった。
「本日はお招きいただきまして、誠にありがとうございますわ」
モンフォール家での茶会の当日。玄関ホールでセレスティア嬢と挨拶を交わすと、彼女は疑うことなくわたくしを朝食室へと案内してくれた。
前回と同じように、用意されたお茶と軽食を食べながら、他愛もない会話をする。そして、頃合いを見てお手洗いを装い、席を立った。
目指すはお庭。アルバート・ド・モンフォールの元だ。
事前にセレスティアから聞いていた通り、彼は庭で稽古をしていた。そっと近づき、流れるような剣技の区切りで、声をかけた。
「失礼いたします、アルバート様」
深い藍色の瞳がこちらを向いたところで、わたくしは深々とカーテシーをした。
「本日セレスティア様と茶会をご一緒しておりまして、ご挨拶をと思い寄らせていただきました。クラウディア・ローズウェルですわ」
婚約披露のパーティーで会っているものの、あの場には大勢の客人がいた。覚えていない可能性もあるだろうと、そんなふうに名を添える。
もっとも、わたくしの名前や存在を忘れる男なんて、今までいなかったのだけれど。
「ああ。アルバート・ド・モンフォールだ」
……絶妙にピンと来ていなさそうな返事が返って来た。表情が乏しく、どちらであるか読み取ることが出来ない。まあいい。
「ええ。存じ上げておりますわ。ところで、先ほどの稽古を拝見させていただきましたが、アルバート様は美しいだけでなく、素晴らしい剣技の持ち主なのですね」
そこで私は、スッとアルバート様の懐に潜りこんだ。かわされそうな気配を察知し、素早く踏み込みを切り替えて、そっと、その逞しい腕に手を添える。
アルバート様は、ハッと驚いた顔をした。
今日のわたくしの服装は、父に命じられたメイドに用意された、ギリギリ上品なラインを保っている、絶妙に胸が開いた色気のある服だ。
この服装と、直接的なボディタッチ。そして——
「これほど逞しく頼り甲斐のある男性の婚約者だなんて、セレスティア様は幸せですわね。……わたくしも、このような方にお慕いされてみたいものですわ」
意味深なセリフを、意味深な視線と共に告げる。
しかし、わたくしを見下ろすアルバート様の視線は険しく、その瞳は、わたくしの瞳を捉えていた。
「手を離してくれ」
闘気を持った力強い物言いに、思わずハッと手を離して、身構えた。そこで、気がついた。いつの間にかすぐ近くまで、セレスティア嬢が近づいて来ていた。
「セレスティア様。どうしたのですか、それほど慌てていらっしゃって……」
「え。ええと、その」
手を触れているところは、見られただろう。
「朝食室に戻る帰りに、アルバート様の姿が見えたものですから、ほんの少しご挨拶させていただいたのです。わたくしはもう、戻りますわ」
軽く会釈をし、そそくさとその場を離れた。けれど、すぐに朝食室に戻る気にはなれない。
アルバートのあの態度。
明らかに、わたくしの美に興味がなかった。
あれほどやったのに! 仕方なくやってるのに! 世の男性全員イチコロでしょうよ!
その場から十分に離れた一本の木に、渾身のパンチをドゴッ‼︎ と決めてから、わたくしはしゃなりしゃなりと優雅に朝食室へ戻った。
無事にストレスを発散し、どうにかこうにか茶会を終えた。
数日後、驚いたことにセレスティアから茶会の礼と、次のお誘いの手紙が届いた。
……いやいやいや、決定的な場面を目撃しているのに、なんだこの呑気さは⁉︎ と最初は驚いた。
それから、文面から怒りは伝わってこないが、おそらくこれは罠だろう、と納得した。
しかし、証拠は何もないのだし、実際、アルバートには歯牙にも掛けられていない。わたくしは堂々と、当たり障りのない文面でお会いしたくない旨を伝えた。
作戦の失敗を告げられた父は不機嫌だったが、予定通りバートン家の婚約者の座で納得はしてくれたようだった。
アルバートの態度には若干プライドが傷つけられたが、これで良かったのだと思った。セレスティア嬢にももう2度と、親しく付き合うことはないだろう。
そう思っていた。
「クラウディア様! 偶然ですね」
マダム・ローズで再会した彼女は、勢いよくそう言った。
しかし、その笑顔から、偶然とはとても思えない。待ち伏せされていたのだ。いくつかのやりとりの後、わたくしは踵を返し、マダム・ローズを後にした。
なんで、どうして、こんなことになったのだ。
突然の出来事に、みるみるストレスが溜まっていく。そして、腕を掴まれた瞬間、思わず振り返って言ってしまったのだ。
「んもーうう! しつこいんですよ、貴方! 悩み⁉︎ あるに決まってんじゃろうがボケェ!!」
そばにいた御付きのメイドは頭を抱えて、「あ〜あ、ついにやっちゃったかぁ」と小さく呟いていた。
わたくしはセレスティア嬢に口止めをするべく、誘われるがまま、料理店へ行った。
プライバシーの保たれる貴族室で二人きりになったセレスティア嬢は、最初に抱いた印象と変わらず……感じの良い人、だった。
わたくしを頭ごなしに責めるのではなく、本当に悩みを聞いてくれて、わたくしの感情に合わせて、怒ったり、悲しんだりしてくれていた。
これは……感じの良い人どころではない。完全なる、お人好しである。
「クラウディア様って、本当はそんな感じなんですね」
話が切れたタイミングで、セレスティア嬢はしみじみと言った。そう。本当の私は、……父によく似た、悪辣な人間なのである。
「ええ、そうよ。軽蔑したでしょう?」
「いいえ。……むしろ、人間らしくて、親しみやすいです」
あなたは間違っていない。そう言われたような気分だった。
その一言で、わたくしはセレスティア嬢のことが好きになってしまった。
もう2度と親しくしないと思っていたのに、繰り返し王都でご一緒するようになった。
「不謹慎かもしれないけれど、わたくしも、貴方の様に自由に生きてみたいわ」
あれは、ロデリックとの婚約破棄のあと、どのように生きて来たかを、セレスティア嬢に聞いた時だったと思う。
「出来ますよ、きっと」
本当は、難しいと、彼女も分かっている。
それでも、願えばきっとというように、彼女は続けた。
「クラウディア様が本当に望めば、出来ないことなんて何もないんです。たまたまですけど、私にだってどうにかなったんです。クラウディア様に、出来ないわけがありません」
私に出来て、あなたに出来ないわけがない。
私の父もそんなふうに言っていた。
『あの女になれて、お前になれないはずがない』
同じような言葉なのに、これほど、わたくしが受け取る感情が違うのは、何故だろう?
……きっと、わたくしが心からしたいことを、心から応援してくれているから——。
「クラウディア。次からは、わたくしをそう呼んでくださいませんか?」
わたくしは、そう言った。初めて本心と本音で話せた、友に向けて。
『自由に生きてみたい』
その日から、わたくしは毎晩、そのことについて考えるようになった。自由とは何か。どうすれば自由になれるのか。わたくしに本当に出来るのか。
分からなかった。
けれど、気づいたことがある。
このままでは、わたくしには絶対に、自由がない。
バートン家の居心地は悪く、ロデリックからも本当には愛されていない。父はずっと私を駒のように扱うだろう。
ようやく心から友だと思えたセレスティアとも、清算されないまま転がっている罪の意識で、真正面から誇りを持って向き合えているとは言い難かった。
だから、決めた。
わたくしはペンを取り、セレスティアに誕生日会の招待状と手紙を送った。
この誕生日会の後、わたくしは、自由になるのだ。




