その眼差しは
「…………ロデリック様」
私は唖然と、元婚約者の名前を呟いた。
ロデリックはニヤリと、口元にどこか邪悪な感情を乗せた笑みを浮かべた。
「やあ、実に久しぶりだねセレスティア嬢。まずは婚約おめでとうと言わせてもらおうか。まさかあの君が、公爵家と婚約を結ぶとは夢にも思わなかったよ。一体、どんな変貌を遂げたかと思っていたけれど、……相変わらずのようだね」
視線が身体に突き刺さる。
確かに、マリーが上手に見せてくれてはいるけれど、私自身の体重はおそらく、うんともすんとも変わっていない。ダイエットの成果はまるでなく、鏡の前では毎日ため息をつく日々だった。
明らかな嫌味に、何の返事もできないでいると、ロデリックは隣の女性の腰に手を回した。
まるで、彼女のその細いウェストを、強調するかのように手を動かす。
「あの時は紹介できなかったけれど、この美しさだ。覚えているよね? 私の婚約者を改めて紹介させてくれ。クラウディア・ローズウェル嬢だ。彼女は社交界でも完璧なご令嬢として名高いんだよ」
もちろん、覚えている。
名前は初めて聞いたけれど……あの、ローズウェル家のものだったのか。
モデルのようだと思った、あの女性だ。ボディラインが程よく見えている、優雅な青いマーメイドドレスを身につけている。
クラウディア、と紹介された紫髪の女性は、つんと済ました表情で、優雅に礼をした。改めて見るその顔は、アルバートと同じくらい端正で、まるで月の女神のような美しさだった。
ぼーっと眺めていると、ぴくぴくと、彼女のまぶたが微かに痙攣しているのが見て取れた。…………あれれ?
「と・こ・ろ・で、こんな会場から離れたテラスで何をしているんだい?」
そこでわざとらしく、ロデリックは私の足首に視線を向けた。
「ああ! ヒールのせいで足が痛んでいるのか、可哀想に……。けれど、その程度の高さのヒールも履きこなせないようじゃ、この先公爵家のものとしてやっていけるのかい? そもそも、どうして君なんかのようなものが公爵家に? いったいどんな手段を使ったらそうなれるのか、是非ともご教授いただきたいよ! まったく、素晴らしい手腕だね、セレスティア嬢。ねえ、君もそう思うだろう、クラウディア」
ロデリックがどこかうっとりとした顔をクラウディアに向けた。彼女は、そこで初めて、はっきりと私を見つめた。
髪色と同じ紫の瞳から、強い憎悪のような感情を感じた。その迫力に、思わず後ずさってしまう。
「ええ。わたくし、是非教えていただきたいですわ。セレスティア嬢」
……なぜ、ほぼ初対面の彼女から、こんなにも強い感情を? 状況に戸惑い続けていると、テラスにアルバートがやってきた。
「……こちらは?」
訝しげな視線をアルバートが向けると、ロデリックもクラウディアも、私への態度とは打って変わって、粛々と婚約の祝いと挨拶を述べていた。ううむ。公爵パワー恐るべし。あるいは、アルバートの仏頂面からくる威圧感かもしれないけれど。
アルバートが来てくれたことで、ずいぶんと心強い気持ちになった。
それと同時に、脳内の混乱が収まり、ロデリックの言葉をじっくりと反芻してしまう。
対面に並ぶアルバートとクラウディアを眺めていると、全体の色合いの調和も相まって、とてつもなくお似合いに見えてしまった。
「——して、こちらが私の婚約者のクラウディア・ローズウェル嬢です。とても美しい方でしょう?」
「ああ」
ロデリックの問いかけに、アルバートが無表情で答えるのを、どこか遠くの出来事に感じていた。
「大丈夫か?」
気がつくと、ロデリックとクラウディアの姿はテラスから消えていた。
どうやらぼうっとしている間に、退出していたらしい。
アルバートは赤くなった私の足首を見つめている。
「……後少しですから、いけます。そろそろ戻らねばなりませんね」
「無理はしなくていい」
そう言われたが、立ち上がった。
ロデリックにああまで言われて、自身の婚約パーティーに戻らないなんてあり得ないことだ。
すかさず差し出してくれたアルバートの左腕に、そっと右手を添える。
この手を、離したくない——。
いつからか、私は強くそう思うようになっていた。
「行きましょう、アルバート」
大広間に戻ると、クラウディアがテラスの入り口のすぐそばに立っていた。ロデリックの姿はない。トイレにでもいったのだろうか。
クラウディアは、先ほどと同じ様な、憎悪の視線を私に向けていた。
「…………いいなぁ」
すれ違いざま、誰にも届けるつもりはない様な、そんな微かなつぶやきが聞こえた。
驚いて、足を止めて振り返る。
クラウディアは、どこか無機質な瞳を、私たちに向けていた。




