美味しいんですよ?
「フライパンを使って何をするんだ?」
「この豆を煎るのです!」
つまり、焙煎だ。
魔石を利用したコンロで、フライパンを温める。前世で落花生を煎った時は、確か、油を引かなかった。煎るとはそういうものなのだろう。
カカオ豆をフライパンに入れて、木ベラで絶えず混ぜながら火を入れていく。ぱちっ、ぱちっと弾けるような音がする。ちょっと怖い音だ。
根気よく木ベラでカカオ豆を煎り続けていると、少しずつ、良い香りが漂って来た。
これは、まさしく、チョコレートの香ばしい香りだ。
思わず心が浮き足だって、口元がニヤニヤとしてしまう。私のニヤニヤが移ったのか、初体験でもこの匂いは堪らないのか、アルバートの口元もほころんでいる。
「良い香りだな。先ほど、あんなに苦かった豆とは思えない」
「そうでしょう! きっと、今度は美味しくなりますよ……!」
先ほどの反省を活かし、冷めた豆の外殻を剥いていく。軽く乳棒で殻を割ってから剥ぐのだが、この段階で先ほどとは感触がまるで違う。割れやすいのだ。アルバートと手分けをして、あっという間に外殻を剥き終わった。
次はすりつぶす作業だ。苦すぎて食べられなかったカカオニブを別の皿に移して、乳鉢を洗う。
「すみません、今度もお願いできますか?」
「まかせろ」
今回は大人しく、最初からアルバートを頼ることにした。
焙煎されたカカオニブは、先ほどと違い、ずいぶんと潰しやすいようだった。パリパリという音と共に、前回よりもすぐに粉末上になっていく。
さらにアルバートが手を動かし続けると、だんだんペースト状になってきた。 これは……焙煎前と比べて、油分が溶け出している?
「そうか。油は冷えると固まって、温まると溶け出すんでした」
思い出すのは、コンビニでよく買っていたレンチン調理の角煮の汁だ。レンジで温めると油が汁にトロリと溶けているけれど、翌朝お皿の中では固まってラード状になっており、ゾッとするのだ。
「どういうことだ?」
首をひねるアルバートに説明を試みるが、普段料理も片付けもしないためだろう、ピンと来ていなさそうだった。
「……つまり、美味しくなるということです!」
「なるほど」
お互い説明を放棄した私たちは、銀のスプーンを再び手に取った。背後に気配を感じ、振り返ると、水差しを持ったメイドさんが、無表情でスッと忍び寄って来ていた。ちょっと怖い。
ペースト状になったカカオニブを少しすくい、口を入れる。
これは——。
「苦い、けど、深みのある苦さです……!」
「……そうだな。先程より断然マシだ」
アルバートはムッとした表情でそう言った。煎る前の反応も激しかったし、苦味は苦手なのかもしれない。
一時期健康に良いとダークチョコレートに手を出した時期もあったけれど、カカオが80%になると美味しいとは思えなくなって、90%以上になると食べられなかったもんな……。
つまりここから、カカオの含有量を減らし、甘さを足せば、美味しいチョコレートになるわけなのだが、花蜜を使えばあっという間にストックがなくなってしまう。
そこで私は昨日のうちに、きちんと解決策を考えていた。
「すみません、乾燥した果実を分けていただけますか?」
くるりと振り返り、水差しを持ったメイドさんにそう告げた。ビクッと肩を震わせた後、絞り出すような声で「かしこまりました」というと、食糧庫へと消えていく。
すぐに、いくつか紙に包まれたドライフルーツを持って来てくれた。作業台でその包みを開いてみる。干し葡萄に、いちじく、りんごとオレンジがあった。
レーズンとオレンジは特にチョコレートと合わせて使うイメージがあるが、せっかくだ。全て試してみよう。
「アルバート様も、どうぞ」
乾燥したオレンジに、ペースト状のカカオニブをつけて手渡した。
アルバートが優雅な所作で一口、オレンジをかじる。
「……美味いな」
「ですね!」
この世界でのドライフルーツは全て天日干しだ。薄く切った果物を並べて、太陽の光で水分を抜く。凝縮された糖分が結晶化し、乾燥した果物を装飾する。そうして、生果以上に甘さが引き立つのである。
瑞々しい生の果物とはまた違った乾燥果実の良さは、この世界に来てから初めて知った宝物だ。
そんな、太陽のパワーをいっぱい吸い込んで、甘味が強くなった果物に、苦いカカオが合わないわけがない!
他の果物も次々と味見していく。
爽やかな甘さを感じたオレンジと違い、レーズンはねっとりとしてより甘く、苦味が甘味を引き立てる。いちじくはプチプチとした食感が楽しく、上品な甘さで、りんごは厚切りのため中はしゃりしゃりとしており、甘酸っぱさと苦さのバランスが楽しい。
……うん、一通り食べたからこれ以上はやめておこう。このままでも十分に美味しいが、これは絶対、もっと美味しくなる……!
それに、と、私はちらりとアルバートを盗み見る。一緒に味見をして、美味しいと口にして入るものの、アルバートの表情は固かった。仏頂面ながら、心なしか嬉しそう……といった感じなのだ。
お菓子を食べる時のアルバートは、いつも、あんなに幸せそうなのに。
「ふっふっふ……」
拳を握り、薄く笑う。絶対に、チョコレートの美味しさをわからせてやるのだ。ついで、私はちらりと、背後の水差しメイドさんにも目をやった。
そう、彼女にも。




