しふぉんけーき
転生して、しばらくしてから気がついた。この世界で、砂糖はすごく貴重なものだ。
だから、貴族の屋敷でも出てくるのは乾燥させた果実が基本で、お菓子は出てこない。
生活に困らないだけの金は父から受け取れるけれど、砂糖を買うほどの余裕はない。
そこで、まだ花露が残るうちに早起きして、毎日せっせと花の蜜を集めた。採取した生蜜を粗布でこして、鍋にお湯を張り、湯煎する。
甘い花蜜の出来上がりだ。生地に混ぜ込むには量が足りないので、ケーキの仕上げにシロップのようにかけることにした。
「……美味しそう……」
瓶詰した花蜜を見つめていたら、よだれが垂れてきた。慌ててハンカチでそれをぬぐう。
味見をしたい気持ちをグッと堪えて、焼き菓子の準備にとりかかる。
この世界ではふくらし粉はまだ存在しない。代わりに、卵の卵白を割り入れて、二つのスプーンを駆使し、メレンゲを作る。
メレンゲは湿度が高いとベタつくので、風通しの良い場所で必死に腕を動かす。
「電動ホイッパー恋しすぎる……うう、諦めない、諦めないぞ……ッ」
執念でなんとか完成した出来の悪いメレンゲを、卵黄・油・山羊乳・小麦粉が混ざったお皿に少しだけ加えて混ぜる。重たい卵黄生地を軽くして、気泡が潰れにくくするためだ。
残りのメレンゲも混ぜ入れて、ココットのような皿に注ぎ、オーブンに入れた。
15分後。
「で、出来たぁ〜〜!」
膨らみは悪く、不恰好だけれど、食欲をそそる焼き色だ。
花蜜のシロップをスプーンですくい、たらりとかける。黄金色のシロップの甘い香りと焼きたての匂いが混ざり合う。
ついに我慢できなくなった私は、手に持ったスプーンをそのまま焼き菓子へと突き刺した。
「…………っ!」
前世で味わった甘味達と比べ、決して出来がいいとは言えない。
毎日早起きして花蜜を集めたことや、腕がしびれるまでメレンゲを泡立てたことが関与していないとは言い切れない。
それでも、この世界で生きてきた16年間の中で——それは、一番。
「お…………美味しい…………」
私の心を震わす、確かなお菓子だった。
*
「お姉ちゃん! 今日も『しふぉんけーき』ある⁉︎」
「ふふ。あるわよ」
初めてのお菓子作りから1ヶ月ほどがたった。
改良を重ねたシフォンケーキを村に持って行ったところ、最初は警戒していた村の人々も「美味しすぎる!」「こんなに美味いものは食べたことがない!!」と大絶賛してくれた。
それからはとんとん拍子に身内認定をしてくれて、今では村に顔を出せば子ども達が笑顔で寄ってくる。
「さあどうぞ」
「ありがとう〜!!」
笑顔でシフォンケーキを頬張る子ども達をしゃがんで見守りながら、自分も一つ食べたくなって、籠に手を伸ばした時だった。
「セレスティアさま! 大変!! ちょっとこちらに来ていただけますか⁉︎」
「な、なにかしら」
村長の娘さんが慌ててやってきて、私の手をぐいぐいと引っ張っていく。連れて行かれたのは、村の中心にある集会所だった。
普段は村の老人達を中心にのどかな世間話が交わされているその空間だが、今日は違う。
「あの鎧の紋様……もしかして、王立騎士団⁉︎」
「そうなんです! 突然騎士団がやってきて……! 魔物狩りに出た帰りの小休止だとか……! 中でも偉い人がいるんですが、お出しできるようなものがなくて……! セレスティアさまの『しふぉんけーき』をいただけないでしょうか……?」
「えーー⁉︎ わ、私のケーキを……⁉︎」
驚きで大きな声がでた。集会所にいた十名以上の騎士たちの視線が突き刺さる。背中がぶるぶると震えた。
だって、私の作ったケーキだよ⁉︎ メレンゲだってまだ完璧には角立ってないし、ふわふわとは程遠い食感だ。工程はシフォンケーキそのものだから、そう呼んではいるけれど、その美味しさは、まだまだこんなものじゃない。こんな不出来なものを、偉い人に献上するだなんて……。
そう思い、畏れ多さに立ちすくんだ私の手を、村長の娘さんは柔らかく包み込んだ。
「ええ! だって、セレスティアさまの『しふぉんけーき』は、世界一美味しいですから!」
そう言って、まっすぐに、きらきらとした瞳を向けてくる。
ほわっと、胸に暖かな気持ちが湧き上がってきた。そうして呆けているうちに、ぐいぐいと手を引かれた私は集会所の中へ……。
ああ、こうやって流されてしまうから、16年間苦労して来たんだよなぁ……!
「アルバート様。こちらのセレスティアさまが開発された、我が村の名物。
『しふぉんけーき』をお持ちいたしました」
深々とお辞儀をする彼女の前に、信じられないくらいイケメンの騎士様が座っていた。彫刻のように整った顔立ち、というのは彼のような顔をさすのだろう。
ただ、深い海の底のような藍色の髪と瞳を曇らせて、仏頂面でブスッとしている。……顔立ちが良い人が機嫌悪そうにしていると、それだけで迫力があるということを私は知った。
「『しふぉんけーき』だと?」
仏頂面のイケメン、もといアルバートとやらは、村長の娘さんが(私の籠から勝手に)取り出したシフォンケーキをまじまじと見つめている。
「ふむ」
面倒そうに背後の部下に向けて目線を送る。部下は村長の娘さんからケーキとスプーンを受け取ると、おそるおそると言った様子で一口。
「これは……っ」
その瞬間、顔がだらしなくとろんと蕩ける。……どうやら、気に入っていただけたようだ。その表情に興味を持ったのか、「かしてみろ」とアルバートがシフォンケーキに手を伸ばした。
優雅な所作で一口。
「…………!!!!」
ぶわっと、花が開いたようだった。今までの仏頂面はなんだったのだと思うほどの、満面の笑みをアルバートは浮かべていた。
「あ、アルバート様が笑っている……ッ」
部下が何か、衝撃的なものを見たように叫ぶ。
けれど、悲鳴のようなその声が、私はほとんど気にならなかった。
なんて……。
この人は、なんて、幸せそうに甘味を食べるのだろう。
一口、一口、まるで大切な宝物を磨くように、丁寧に口に入れて、味わっている。幸福感がオーラとなって体からあふれ出るようだ。
た……食べたくなってきた……。さっき、食べ損ねたから……。
ぐぅぅとお腹がなり、アルバートと目があった。笑顔が消え去り、再びの仏頂面で、私を見つめる。
「……セレスティア嬢と言ったかな?」
「は、はい!」
「よければ、貴殿も召し上がるといい」
「あ、ありがとうございます……!」
うう、お腹なって恥ずかしいけど、見かねたアルバートがこう言ってくれた。いや、作ったのは私だし、なんだかおかしなやり取りだけど、そんなことどうだっていい。
籠からスプーンとシフォンケーキを取り出し、口に運ぶ。
「〜〜〜〜!!」
お、美味しい。
甘さも、味の複雑さも、生地の膨らみも、焼き加減も、まだまだ納得できないことばかりだと思っていた。けれど、なぜだろう。今日のこのシフォンケーキは、この異世界で初めて作った時より、ずっとずっと美味しく——前世で食べた輝かしい甘味達に、負けないような、そんな気がした。
なぜだろう?
「くす」
笑い声が聞こえ、目を向けると、アルバートが微笑んでいた。
「貴殿は実に美味しそうに食事をするのだな」
ああ……。
誰かに、幸せそうに食べてもらえたからか……。
腑に落ちた私は、にっこりと笑った。
「アルバート様こそ」
この世界にやってきて、16年間。
流されるようにご令嬢をやって来たけれど、そのレールから踏み外れた先に、ようやく、やりたいことが見つかった。
「それほど幸せそうに食べていただけて、私、とても嬉しいです」
この異世界で、もっと、も〜〜〜っと、美味しいお菓子を作るのだ。