婚約破棄されました
「君との婚約を破棄する」
唐突に応接間にやってきた婚約者——ロデリックがそう告げた。
乾燥したオレンジを口に運び、その甘美を味わう寸前だった私は、驚きに手を止める。
えー……と。婚約破棄ってことだよね?
突然の出来事に脳が負荷を覚える。手が自然と口にオレンジを運んでいた。
シトラスの香りが鼻腔をくすぐり、硬いオレンジの皮の触感と、自然な甘さが口に広がる。酸味が後からやってきて、オレンジの甘さを引き立てた。
ほわっと幸せな気分になる。
そんな私をみて、ロデリックは腕を組み、イライラとした口調で告げた。
「その顔……ッ! うんざりする。甘味などにうつつを抜かし、肥え太る貴様は見ていられん!」
肥え……太る?
そういえば、婚約と同時にバートン家に来てから、コルセットがキツくなって何度も買い換えたような……。いやいや、でもそんなに太ってないよ? ……たぶんね?
「どれだけ喚いてももう無駄だ。私はすでに新たな婚約者を迎え入れることにした」
ロデリックの言葉とともに、スッと応接間に一人の女性が入室した。
「〜〜〜! わぁ、モデルさんみたい〜〜!」
背が高く、スラリとしたその女性を目にした瞬間、思わず言葉が溢れた。
「も、モデル?」
ロデリックが困惑した声をだす。おっと。この世界じゃ存在しない職業だった。
戸惑うロデリックと対照的に、となりのモデルさんはつんとした表情ですましていた。顔立ちもクールな態度も、完璧だ。
下手をしたら、自分の太ももよりも細そうな胴体を見ていると、流石に劣等感を覚え、悲しくなってきた。
「とにかく、私は彼女と婚約する。君には出ていってもらうぞ、セレスティア嬢」
こうして、私は婚約破棄をされた。
*
「うーん! ここがリゼル村ね。なかなかいい感じじゃない」
両手を上げてぐんと伸びをし、新鮮な空気を吸い込む。
侍女を連れて生家に戻ったところ、せっかくの伯爵家との婚約を破談にするとは何事だ! と父に怒鳴られた。家名に泥をつけたことに加えて、こんなに醜く太りすぎた令嬢は、誰ももらってくれるわけがないと、そのまま勘当されてしまった。
そして、父が納める領地の中でももっとも辺境の地、リゼル村へとやってきたのだ。
馬車から荷物を下ろし、村の中へと入る。よそ者が珍しいのか、住民たちの目線が厳しい。
「こんにちはー!」
こんな時は元気に挨拶だと思ったのだが、挨拶された住民は次々、サッと顔をそらしてしまう。
……まあ、領主の娘が村にやってくるなんて、警戒して当たり前か。
口をつぐみ、村はずれの教会へといそいだ。
「……ここか」
村から歩いて十分程度。見上げた教会は、明らかに廃墟だった。
現役の教会ではなく、世話係なども存在しないとは聞いていたけれど、流石にボロい。
おそるおそる足を踏み入れると、足元に煌びやかな光が見えた。
「…………素敵」
見上げると、大きなステンドガラスが綺羅綺羅と光輝いていた。
その光に導かれるように奥へと進んでいく。開いた扉の先には、居住スペースがあり、そこには、広いキッチンスペースがあった。
目を見開く。
「そうよ。むしろ、素敵じゃない!」
私には、生まれた時から前世の記憶がある。
平凡な家庭で生まれ育ち、ブラック企業で会社員として働いていたのだ。
過酷なサービス残業を支えてくれた存在は、ただ一つ——コンビニスイーツだ。
24時間、いつでもどこでも手に入る、それでいて本格的なお味のコンビニスイーツは、人生の癒しだ。神だ。
新商品の入れ替わりが激しいから飽きないし、家と会社の往復しかできない生活の中で、季節感も味わえる。
「うん、うん、魔石がないから今は動かないけれど、オーブンもあるのね! 道具……は、買え揃えないと駄目そうね。村の雑貨屋にあるかしら?」
けれど、そんな生活が始まる前、学生時代には、私にもきちんと趣味があった。
お菓子作りだ。
手作りでしか味わえない焼きたてのクッキーやタルト。お店とは違う、自分好みの甘さのチーズケーキ。はたまた、ドライフルーツやナッツがたっぷりのアイスクリームなど、輝かしい思い出がよみがえる。
男爵家に令嬢として転生し、流されるまま日々を送ることしかできなかったけれど、勘当され、ようやく自由を手に入れたのだ。
「よ〜〜〜し、美味しいお菓子をいっぱい作るぞ〜〜!」




