第8話 出陣、目指すは大阪
家康の9男、義直の婚儀を終えると家康は軍を率いて京へと向かった。
それに随行する武蔵と伊織、そしてエイル。
一行は岐阜を通り、後に中山道と呼ばれる道筋を西へと進む。
4月の中頃とはいえ、関ケ原近くの伊吹山はまだ頂に雪をかぶっており、柏原辺りからは街道沿いの満開の桜と雪山という絶景が望めた。
そんな風景に見入りつつ、伊織の手には握り飯が握られていた。
その握り飯はエイルが握ったものだ。
伊織はその握り飯をいたく気に入ったようだ。
「こうして見ると奇麗。」
「そうだね、エイルさんは桜って?」
「初めて。素敵……」
エイルの故郷は遠く離れたヨーロッパ、しかも、もはや何千年前なのかもわからぬ神話の時代。
かの地には美しい花も木も有ったと言うが、桜のような樹木は存在しないらしい。
それ故、エイルの目には殊更美しく映えたのだろう。
かくいう伊織も、初めて目にする淡い桜色の花に感動している。
醒ヶ井宿、草津宿を経て3日後に京都の二条城へと到着した。
家康の軍勢は数万人規模と多い為、二条城周辺の陣屋や宿、寺などに分散し待機となったようだ。
家康はここで、徳川方の武将の集結を待つ事となる。
と同時に。
乱波を放ち大阪周辺の豊臣勢の動向と、大阪城の状況を探らせた。
「殿、やはり大阪城の堀は復元され、浪人衆などを多数囲っております。」
「もはやこちらの言い分など聞かぬ、と言う事か……」
「その様で。また、豊臣の者による地元衆への狼藉なども横行しております。」
「……そうか。で、秀頼殿の軍勢はどうじゃ。」
「は、長曾我部、真田、毛利、大野など、早々たる顔ぶれにございます。」
「ふぅむ、豊臣方も必死ともなれば、彼らとの合戦も容易ではないのぅ。」
そんな家康達の軍議とは裏腹に、ここ数日は鍛錬に勤しみ日々を過ごしている武蔵と伊織、そしてエイル。
不穏な動向というのは理解しているが、徳川と豊臣の争いには直接かかわる事を避けている。
何故なら、武蔵と伊織の目的は人間同士の争い云々ではなく、その裏で暗躍しているであろうジュピアらしき存在の炙り出しと殲滅だからだ。
城の一角で、相変わらず鍛錬をしている武蔵と伊織の下に半蔵が現れた。
半蔵には家康とは別の件で調査を依頼していたのである。
ただ、半蔵自身多忙故にその件で動く事はできず、配下の者を使って、だった。
「武蔵様、宜しいですか。」
「半蔵、すまぬ、苦労を掛けるな。で?」
「我が手勢の4名、消されました。」
「なに……」
「それに加え、調査していた折に協力してくれた甲賀の手の者も数名。しかし」
「うん?」
「甲賀の者から情報を得る事もできました。」
「……詳しく聞こう。」
「はッ。」
半蔵から聞けた話は、疑問を裏付けるには充分といえる内容ではあった。
ただ、それが懸念を払拭できるほど、問題を解決できるほどではない事も同時に理解できたのだ。
「豊臣側では、我らと敵対する甲賀の忍び衆を抱えております。が、その者達も豊臣勢にある違和感を拭えない、との事です。」
「違和感、とは?」
「特に淀殿と、その直轄にあたる長曾我部、大野の大将からは、人に非ざる気配を感じた、と。」
「なるほど、な……」
「そもそも豊臣家と深く繋がりのある真田信繁は別として、その配下にある真田の忍び衆もそれは感じた、と。」
「真田の忍びというと、猿飛らか。」
「はい。敵対勢力とはいえ、忍び同士の繋がりは有ります故、情報の交換などは常にしているのです。
その中に才蔵と申す者が居り、その者によると信繁様も淀殿の変わり様は異常だ、と。」
「その変わり様とは?」
「昨年末の騒乱の時もそうでしたが、徳川家、ばかりか朝廷に対しても敵意を隠さぬようになったそうです。」
「ふむぅ…」
「元々秀吉公の正室であったが故、家康公が征夷大将軍となったのを妬んで、という話は広まってはいたのですが……」
豊臣家が秀吉の死後、特に徳川家に対して反意を抱いたと言うのは、徳川方が豊臣家の権威を失墜させる為に行った事柄による物だと言うのが通説ではある。
がしかし、淀殿としてはその思惑もあったにせよ、時世を考えればその行動は結局豊臣家の破滅を招く事というのも理解していたはずだ。
戦を仕掛け、万が一徳川家を破り再び権威を握ったとしても、秀吉程の統治能力が有る者が存在しない事も。
我が子である秀頼に、そんな死を待つだけの虚な栄華を与えんとする程、愚帝との誹りを受けさせる程先の見通せない愚かな母君ではないのである。
「ただ、です。」
「うん?」
「真田信繁はそれを知ってなお、豊臣家の武将頭として徹底的に徳川に抵抗する事を決意した、との事です。」
「信に厚い、と言うだけではないのだろうな。」
「はい。信繁のこれまでを鑑みれば、何があろうとも現状我らに与する事はないかと存じます。それ故に……」
「家康にとっては、人間としての最大の敵は真田、になると言う事だな。」
「御意。」
真田信繁という武将は、その半生は苦難というよりも哀れなものでもあった事は、武蔵も聞き及んでいる。
直接会ったのは2度程しかなく、ろくに話もしていなかったからか、その人となりはよく理解できていない。
ただ、その生い立ちを見れば、如何に豊臣に不穏な、あるいは誤った方針を取ったとしても、大恩ある豊臣の姓に付き従うと言う事なのだろう。
「いずれにせよ、此度の騒動では真田に注意を払わぬとな。」
「そのようでございます。ですが……」
「儂がどこまでそなた達に肩入れできるかは解らぬが、善処はしようぞ。あたら有能な者を、訳の分からぬ輩のせいで失うのは、な。」
「拙者からも、そこはお願い申し上げたいと存じます。」
武蔵と半蔵の話を、休憩がてら耳にしていた伊織は
「父上、半蔵様。」
「どうした?」
「何でございましょう?」
「俺は、正直な所この騒動では誰も無駄死にして欲しくはないと思っています。」
真っ直ぐな目で、武蔵と半蔵を交互に見ながらそう言う。
ただ、その言葉が現実味を何一つ帯びていない事も、伊織自身理解しているようであった。
「伊織、おぬしの気持ちはわかる。だ、しかしだ。」
「伊織様……」
「あ、それが戯言と言う事は理解しています。が、その気持ちは拭う事はできません。」
「そうか……」
「ただ、手の届く、目にできる範囲の人達は、その全てを守りたいと思うんです。だから、俺はどの軍勢にも属さず、遊撃に回ろうと思います。」
「いや、そもそも儂もそのつもりではあったが……伊織よ。」
「はい。」
「家康がそれを許すかどうかは解らぬが、一つだけ忘れずに常に頭に入れておけ。儂らの敵はジュピアそのものだというのをな。」
「はい。もちろんだよ、父上。」
半蔵は、そんな伊織をみて少し悪寒というか怖さを感じた。
武蔵の養子ともなれば、その強さは抜きんでている事は容易に想像もつく。
だがしかし、伊織を目の当たりにすれば、そんな程度の話ではない事が理解できる。
今言った事、それは戯言でも戦を知らぬ子供の夢物語でもなく、この子であれば為せるのだろう。
それ程の、秘めた何かを持っていると改めて感じたのだ。
故に半蔵は伊織に忍びの術を伝授したいと直感したのだ。
そもそもの話だが、武蔵と伊織、そして同行しているエイルと。
人間と比較する事すらばかげている存在であるのは明らかなのだが、こうして普段の振る舞いを見ているとそれすら忘れてしまうほど、人間と変わりないと錯覚してしまう。
それこそが、この者達の真骨頂でもあるのだろうが、それよりも今はその気配を抑えているという側面もあるのだろう。
ジュピアという悪しき存在。
それに今気づかれるわけにはいかないからなのだろうと、半蔵も家康もそう思っている。
「では半蔵、家康は近いうちに?」
「はい。大阪にて最後の戦を、と。」
「そうであるか。目指すは大阪、か。」
家康は、ここで着々と大阪城攻略の手を整えている。
既に事は引き返せない所まで来ているというのは、状況を見れば理解できるのだ。
その上で。
武蔵と伊織は、己がすべき事を見定め、その為に行動する準備を進める事にした。
「伊織よ。先に言っておくが、辛い事しかないぞ?」
「父上、分かってます。が、感情的になってしまう事もあると理解しています。その時は……」
「大丈夫、伊織。私が何時でも傍にいるから。」
「エイルさん……」
「ふふふ、エイル殿、済まないな、頼む。」
「はい。」
後日、徳川勢は一路大和の国を目指して京を発った。