第6話 忍者、はっとり!
夜も更け、武蔵と伊織は城内の一室へと案内された。
エイルは別室、とされたのだが、頑として伊織の傍を離れようとしなかったので結局同室と相成った。
流石に湯あみは別だったが。
「こちらでございます。ご用向きは何なりとお申し付け下され。」
「すまないな半蔵。そう言えば、そなたの父上は息災か?」
「はい、世には死したと公表しておりますが、今は身を変え常盤の国でのんびりと田畑を耕しております。」
「そうか。にしても、そなたは驚くべき忍の手となったのぅ。」
「武蔵様にそう言っていただけると、素直に嬉しいですな。ところで、ですが。」
「うん?如何いたした?」
「伊織様、拙者がお見受けした所まだまだ伸びしろはございますね。」
「伸びしろというより、伊織はまだまだ未熟者故な。」
「むー、父上にそう言われるとへこみますが、半蔵様、父上の言う通りです。俺はまだ人としても戦う者としても半人前に満たないと自覚してます。」
「ご自身がそう思っているならば話は早い。武蔵様。」
「うむ?」
「後日、伊織様を手前にお預けできませぬか?」
「それはどういうつもりだ。」
「伊織様に、忍の術の極意を授けとうございます。」
半蔵と言う名は、代々服部家当主に与えられた名で、時には「服部半蔵」までが字名であるとされている。
よって半蔵、とは服部家当主を指し、個人名がその下に着く。
今ここに居る半蔵は、その名を服部“正就”と言い、3代目服部半蔵だ。
伊織とは今日が初対面ではあったのだが、その出自の事は聞き及んでいた。
もちろん、武蔵がその正体はスサノオノミコトである事も家康から聞いていたし、幼少の頃に実際に会ってはいた。
そんな伊織を見た瞬間、伊織はすでに人知を超えた才能を持っていると直感的に理解したようだ。
ここに至るまでに、伊賀における伊賀忍び衆のごたごたに疲れもし嫌気も指していた半蔵にとって、忍びの技術を継承させる者が居ない、という事実に悩んでいたという側面もあったのだと言えよう。
「そうか。しかし伊織は……」
「父上、半蔵様、忍びの術って?」
「忍びの術というのはだな。」
「端的に申し上げれば、隠密に情報収集や工作などをする為に必要な体術、隠匿術、諜報手段、一部では幻術、くノ一であれば房中術などです。
身を隠し、任務を極秘に遂行する為に必要な術で、特に体術に関しては人の能力の限界を超える事を至上としています。」
「へ、へぇー……」
事実として。
伊織に限って言えば、すでに人間のもつ能力はとうに超えているとは武蔵の弁だ。
鬼の乳で育ち、その鬼の魂を宿し、天上界で武蔵に鍛えられてきたのだから。
正確には、もはや伊織は人間という枠から飛び出している。
ただ、だ。
「半蔵様、それは俺もとても興味があります。ですが俺は……」
「そこは理解しているつもりです。ただ、これは拙者の我儘でしかありません。決断は伊織様に委ねとうございます。」
伊織としては、そんな忍術を会得した所で、活用する機会は無いと思うし、そんな事態は避けたいとも思っている。
武蔵に修行を強いられ、それに必死に食らいついているのは、戦で殺し合いをして勝つ事ではない。
まだ漠然とした想いではあるが、平和な世を、無辜の民を救いたい、その一点だけを見据えていたからだ。
自分のような孤児を生まないために。
自身の出自を武蔵、そして織衣から聞いた時に、それは強く思ったのだ。
よって、自身の力を付けたいという思いと、強さを求めてどうするのか、という葛藤もまた抱いていた。
そうは言っても、力なき者に他者は守れない。
それは摂理でもあり真理でもあることは、今この時点で伊織も感じている事ではある。
「半蔵様、わかりました。ぜひ、忍びの術の指導をお願いします。」
「御意に。修行が厳しい事は先に申し上げておきます。」
「え?」
「ははは、まぁ、儂の指南よりはマシかも知れぬがな。」
「ふふふ、そうでございますな。が、楽して得られるほど忍びの術は容易くないという事でございます。」
「そ、そうなんですか……」
これまでもそうではあった。
伊織はいやいやながらも武蔵の修行についてきて、その至高の技術を真綿が水を吸うように会得していた。
修行を嫌がっている風に振舞ってはいるものの、その実意欲的に臨んでいたのは武蔵も知っていた。
いつの時も、武蔵よりも先に修練場へと赴き、口では愚痴をこぼしても武蔵が止めというまで修行を止めようとはしなかったのだ。
それは何かに突き動かされているというものでもなければ、修行が楽しいと言う事でもない。
伊織本人が求めているものであり、伊織自身、それは自覚していない節もあった。
「忍びの術、か……」
「伊織。」
「へ?エ、エイルさん?」
「私も貴方に持てるスキルの全てを伝授したい。でも。」
「え?で、でも?」
「もはや貴方は私を超えた存在。貴方に与えられるものがない。すまない……」
「い、いや、そのエイルさん!?俺はそんな、その、あの……」
何を言い出したかと思えば、エイルも伊織に対して力を与えたいと考えたのだろう。
だがしかし、ワルキューレとして活躍していたエイルでさえも、今の伊織はその上を行く程の強さを持っている。
そもそもが人間でありながら天上界で暮らし、あまつさえ武蔵によって免許皆伝一歩手前まで鍛え上げられたのだ。
これは武蔵でさえ今は実感がない事だが、伊織は既にこの地上界では抜きんでた、と言うよりも頂点を超えた強さを秘めている。
伊織自身自覚はしていない事ではあるのだが。
「だから、それ以外の事を貴方に教えたい。」
「それ以外…って?」
「ムサシ様、構わないな?」
「あー、まぁ、伊織が嫌じゃなければ、な……」
「??」
そう返され、エイルはにっこりとほほ笑んだ。
その笑顔は武蔵や半蔵もときめく程の、美しくも眩しい、何とも表現しがたい微笑みだった。
伊織も、その微笑のエイルを美しいと思ったのだった。
翌朝。
寝付く時にはエイルの添い寝で暑苦しいと思っていたがいつの間にか熟睡していた伊織は、昨日までの旅の疲れはすっかり癒されたようだ。
まだ肌寒いこの時期の東雲、伊織と武蔵は上半身を露にして木刀を構え、庭先で睨み合っている。
殆ど動く事もなく、微動だにしないと言ってもよい状況だが、伊織の表情は苦悶の表情を浮かべている。
こんな肌寒い中上半身裸なのに、伊織も武蔵も既に汗だくになっている。
その様子を、家康、半蔵、エイル、そして鹿島が見ていた。
小一時間程だろうか、始まってから構えた姿のままでいた二人だが武蔵はここでようやく動いた。
木刀を降ろしたのだ。
「ここまでにしようぞ。」
「くッ、はい……つ、疲れた……」
「何ともまぁ……凄まじき圧じゃな。」
「主君、これはもはや人間業ではありませなんだ……」
「お二方とも、ここまで凄いとは……」
「伊織、素敵……」
木刀こそミリ程度も動いていなかったが、それは動かせなかったのではなく動かさなかった。
木刀を介して、伊織と武蔵は気をぶつけ合い、仮想的な攻防を行っていたのだ。
いわゆるイメージトレーニングに近いものだ。
「ち、父上、あそこで二刀流になられては避けられません……」
「何を言う。その程度で驚いては四刀、六刀に対処できぬぞ。」
「いや、そんなヤツ居ないし!」
「あー、ジュピアはな、腕が六本あってだな。」
「……マジ?」
伊織はこの時、“常識”というものに囚われる危うさと、常識の外を見る事の重要性を感じたらしい。
この後、あらゆる場面でそれが如何に役に立つかを、その身で痛感する事になる。