第56話 蠢く者
「なん…だと?」
その報告を受けたパピヤスは、珍しく困惑の表情を浮かべた。
トレイトン王国の王城、その中心部にある王の間での事だ。
これ以上ない華美で豪華な部屋と装飾品、ただ一人座する事を許された座り心地が特別よさそうな玉座に鎮座し、その周りにはこの世のパラダイスかと思える程に美女を複数侍らせて、パピヤスは厳しい表情を浮かべた。
人間と龍族を争わせ、それによって漁夫の利と大量の人間の魂を得ようと画策していたパピヤスではあったのだが。
それは何者かによって阻止されたとの報告を受けたのだ。
そもそも、あれだけ蹂躙され複数の村を龍王に壊滅せしめた人間の魂は、ただの一つも得られなかった。
龍の炎によって魂はその場に留まり、何者にも手出しできない状況だったのだ。
それが龍王の怒りの炎による呪縛だと言う事は、パピヤスにはわからなかった。
ただ、朧気乍らにその可能性というものは考慮していたようだ。
なぜなら魔族も龍族も人間とは全く違う存在だからだ。
また、それ以外の収穫というのも、ほぼ無きに等しかった。
得られたものと言えば、人間と龍族との軋轢を、断絶を成しえたと言う事だけだった。
もっとも、それだけでも当初の目的の一つは達成できた、と考えているのかも知れない。
「パピヤス様、結局あの噂になっていたブレイヴとやらの仕業のようです。」
「ふざけおって……まぁよい、サヴォイよ。」
「は。」
「その噂のブレイヴを調べ捕らえてまいれ。あの二人を使ってな。」
「承知しました、パピヤス様。」
己の希望、と本人は言ったらしいが、それは希望というよりも欲望だった。
人間を支配し、ありとあらゆる己が欲を満たす事、それがパピヤスという王の望みらしい。
それだけに留まらず、14,000年分の人間に対する果てしない恨みや憎しみも同時に持っている。
それはこのパピヤスという存在の特殊性によるものだというのは、この世の誰も理解できない、認知できない事実だった。
「我の希望を阻むものなど、もはや存在させる訳にいかぬのだ……」
ただでさえ魔族や龍族という、人間を遥かに超えた強靱な生物が存在しているのだ。
パピヤスからすれば、それは己が目的の障害にほかならないばかりか、敵対した所でさすがに敵わない事も理解している。
故に人間と龍族、魔族との断裂を画策していた訳だが。
「さて、どのみち計画はこのままだ。我が希望を……」
ほくそ笑むその表情は、もはや人間のそれでは無かった。
「キシキル。」
「はい。」
「サヴォイに同行しそのブレイヴ、堕とせ。その準備を進めよ。」
「承知しましたわ、パピヤス様。」
パピヤスは脇に侍らせていた女性の一人に、そう告げたのだった。
パピヤス・ケーネルという存在。
数十年前、この大陸に突如として現れた。
人心を掌握し操る技術に長け、数年で大陸中のならず者やはみ出し者をまとめ上げて集落を形成していき、あっという間にトレイトン王国を建国した。
大陸各国の首長からは蛮勇と見做されていたほどに、その国家の拡大にはそうしたならず者を手懐づけ軍備を拡張していったと。
隣接する国家には威嚇と威圧をし、公共事業などの助成といっては金を巻き上げた上に支配下に置くような振る舞いも見せていた。
ただ、それらが現在の国際法に違反していた訳ではないからか、各国も注意喚起するに留まっていたという事情もあるようだ。
もっとも、明確な違反はないが抵触している件は少なからずあったらしい。
そんな独裁的かつ横暴な国家の指導者、その男とは。
遥かなる大古の時代、この大陸中東部には“秦”という国が存在した。
数多の国家が覇を競う中、混沌の渦中でそれらの国々を滅ぼし“中華”という範囲を統一した人物がいた。
その名を趙政と言い、統一後には始まりの皇帝という位を自ら設けて就いた人物だ。
始まりの皇帝に仕え、その死後に中華統一を果たした秦という国を我が物顔にしていた“宦官”という者達。
その一人“趙高”と言う宦官は、後継の皇帝を操り暴虐悪性の限りを尽くし、結局は国を滅亡へと導いた、悪名高き人物だった。
男性のシンボルを切られた事で、その歪んだ性欲は捌け口を持たず、あらゆる欲望は歪み蓄積したのだろう。
元々欲望、野望を抱いていたのだがその負の面は想像を絶するほどに膨れ上がったらしい。
欲望の赴くままに国を支配していった趙高は、やがて反乱に遭い惨殺された。
が、しかし。
その核部分は魂だけとなった後もこの世にしがみつき、その欲望を膨らませていったのだ。
それから11,500年前の世界の壊滅を経て今日まで、闇に紛れその欲望を満たそうと存在し続けていた。
その正体を誰にも知られることなく、時の権力者に憑りつき止まる事のない欲望の赴くままに。
歴史上にその名を遺す暴君、独裁者、シリアルキラーなどなど。
そして今、トレイトン王国の国王として。
パピヤス・ケーネルとは、その趙高そのものなのだった。
(我が望みを邪魔する人間など、すべて消してしまえばよいのだ……
そうだ、それだけの事だ……)
宦官趙高の成れの果て、悪霊そのもの。
そんなパピヤスは語り継がれる大悪魔、あるいは第六天の魔王よりも凶悪な存在にまでなったのだ。
そこには負の感情、そして果てのない強欲しかない。
何者も手出しができない程に膨れ上がった悪意、それは今この世界に存在する“悪意を吸い取るシステム”ですら気づかず、そして手に負えないものだった。
悪意の権化へと昇華した、人間そのもの、それがパピヤスなのだ。
(ブレイヴなどと、そんな邪魔者は許さぬ……我はこの世の支配をせねばならぬのだ……必ず滅ぼしてくれようぞ……)
パピヤスの命により出てゆくキシキルを見つめながら、パピヤスは悪意の籠った目のままほくそ笑むのだった。
―――――
「なんだって?」
「ですから、そのムサシとやらを捕まえてここに連れてきてほしいのです。
これはパピヤス様からの命令でもあります。」
「いや、サプン様これって……」
「……なぜ、私達に、なんだ?」
「これは異なことを。
仕事ですよ。タダ飯を食らわすほど我らもお人よしではないのです。」
「いや仕事って、こないだ……」
「それはそれ、これはこれです。あれだけが仕事なわけありません。」
「……」
「あ、そうそう、補助もお付けいたしますよ。」
「補助だと?」
「あの者達です。」
そうサヴォイが指し示す方向には、無駄な色気を振りまく4人の女たちがいた。
もう見るからに煽情的な立ち居振る舞いをするその女たちが、人間ではないとすぐに理解できた。
ジュピアという存在に近しい、しかし全く別の存在であるとサプンとウセルにはわかるのだ。
「あの者達を使い、ムサシとやらを篭絡してください。」
「くださいって……いや、そうか……」
「こりゃまたいろっぺー奴らっすね……」
「お前がサプン、そっちがウセルね、私はキシキルリルラケ。キシキルでいいわ。
せいぜい根回しよろしくね。
たかが人間ひとりなど、私達にかかれば瞬時に骨抜きにしてあげるわよ。」
「……根回し、だと?」
「面倒なことはそちらにお任せするってことよ。」
「……サプン様……」
「私たちはお前たちの後に付いていくわ。
状況が整ったら教えてね、そこからが私達の出番よ。
さ、行きましょう、エイシェト、アグラット、ナアマ。」
「ええ、行きましょうか。」
「若い男だってさ、楽しみだねー。」
「ムサシって美味しいのかしら?」
(サプン様、こいつらってもしかして……)
(ああ、サキュバスって奴らだろ、ここにも居たんだな。私らにとっちゃ邪魔な虫どもだった存在だな。)
(うーん、今の状態じゃ俺らこいつらにすら……)
(全く忌々しいがな。とはいえ、だ。)
(はい。)
(こいつらに面倒ごとは押し付けちまえばいいだろ。その後は……)
(そうっすね。)
「では早速行ってください。ムサシとやらは今デミアンとエストの間を移動しているそうです。」
「……わかった。いくぞ、ウセル。」
「へい……」
この世界に逃げて来て徐々にそのレゾンテートル、つまり存在意義が薄れてきているようなジュピアの欠片。
言いようのない不安を抱きながら、サキュバス達を引き連れトレイトン王国を発った。




