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第55話 悲しき約束の証、龍の雫

 なぜ、こんな事になったのだろうか。

 ヴァーリオは何もできないまま、静かに涙を零して思う。


 目の前には、見るも無残な姿に変わってしまったムサシが横たわっている。

 肉は切られ、おそらくは骨も折られ、激痛が体中を走っているだろう事は目に見えて理解できる。

 かろうじて生きていると思えるムサシだが、もはや虫の息と言っても過言ではない程にまで。

 周囲に流れた血も、今まさに滴り落ちる血も、その量はもはやムサシには立ち上がるだけの力すら無いのではないかと言う事も。


 そして


 ムサシをそんな状態にまでコテンパンに叩き伏せた者が、怒りと憎しみに染まった表情で傍らに立ち剣を構えている。

 その者もまた、涙を流していた。


 「ツ……立て……まだ…まだ終わりじゃ…ない……」


 涙ながらに瀕死のムサシにそう告げるラミャ。

 ラミャとしてはムサシ個人に対して憎悪の気持ちなど欠片もない。

 が、ただただ人間が許せない、愛しい者の命を奪った人間が憎く許せない、ただそれだけだった。

 しかし同時に、途方もない悲しみにも苛まれていたのだろう。


 ヴィーブルが示した事は、ムサシとラミャが戦い、結果次第で人間への復讐劇は終幕とする、というモノであった。

 しかし、だ。

 魔王とも互角以上に戦えるムサシが、強者とはいえラミャに負ける事などないだろうとヴィーブル本人も理解したうえでの事だった。

 つまりはここで今回の騒動の幕引きをと考えていたのだろう。

 ラミャとしても、そんなヴィーブルの思惑を察して、事実そのように行動しただけだった。

 故に明確な判定とせず、結果次第、と言う事になったのだが。


 「立て人間!!私の想い人はもっと残酷な仕打ちを受け死んだんだ!もっと!もっと酷い仕打ちを!」

 「……ムサシ…様……」

 

 ムサシは一言も発せずうつ伏せに倒れ、悲しい目でラミャを見ている。

 どのような言葉を重ねても、どのような行動を取ったとしても、ラミャの怒り、そして悲しみは癒えないだろうと思ったからだ。

 ムサシ自身、ラミャの攻撃による損傷は受けたものの、体の痛みはそれほど苦痛にはなっていない。

 それ以上に、心が痛かった。

 ラミャの憎悪に対してどう対応していいのかもわからず、その憎しみが籠った攻撃を受ける以外に謝罪や誠意を示す事ができない。

 どれだけの言葉を放った所で、今の状況では何の意味もなさないというのも。


 ただひたすら、ラミャに対して哀悼の想いしかなかったというのも、ムサシが一切手を出さなかった理由でもある。

 当事者でないにも関わらず、だ。


 「殺してやる…楽に死ねると思うな……」


 涙を拭うこともせず、ラミャはムサシに向かってそう言いつつ剣を逆手に持ち掲げる。

 刺突するつもりなのだろう。


 「ラミャ!!」

 「ムサシ様!!」


 背中から剣を突き刺せば、刺し所によっては即死に繋がるだろう。

 ヴィーヴルとしてはそこまでの仕打ちをするつもりは無かったというのも事実ではある。

 ムサシを最初に見たときに感じた、人間ではないのではという疑念と、なによりゴライアスはもとよりマオと親しい人物だから、という理由が大きいのだろう。

 ヴァーリオとしても、さすがにそこまでされるといかなムサシとはいえ命の危機に陥るだろうと思っているようだ。


 震える腕で剣の柄を握り、今まさに突き刺そうとするラミャ。

 しかし、葛藤の中思うように、いや、このまま剣を刺す事に抵抗があった。

 

 仮に。

 ムサシを今ここで刺殺した所で、あの人は帰ってこない、生き返らない。

 事情はどうあれ、憎しみをもって人間を殺す事はあの人が殺された事と同じ意味を持ってしまう。

 この行動が、何の意味もない事も理解できてしまう。

 敵討ちというのも違うし、何よりそれはムサシに対して筋が通らない事も。


 振り上げた腕は、剣の重み、自身の悲しみと葛藤、人間への憎悪、そしてそれを一身に受けようとするムサシに対する哀れみ、それらが全て圧し掛かってきているように震え、止まっている。

 だが。

 憎しみは時として思わぬ衝動を駆り立て意思より先に行動に移る。それは簡単に消せるものではなし、憎しみはすべての感情を飲み込んでしまうのだ。

 ラミャは、憎悪が導くままにムサシの背中に剣を突き刺した。


 「……くッ…うぅぅ……」


 深々と刺さった剣の柄を手放すことなく、そのままの態勢で涙を流し、嗚咽を漏らし、固まるラミャ。

 もはやこれでは助かる事もないとも思える状態のムサシを、言葉もなく見つめるヴィーブルとヴァーリオ。


 ただ、こんな状態にあってもムサシの気配は衰える事なく、むしろ大きくなっているようにも思えた。

 その現象はヴァーリオはもとより、ヴィーブルにも感じ取る事はできたようだ。

 これで、今回の事は幕が引ける、そう思ったヴィーブルなのだが……


 ムサシの背中から腹部へと貫かれた剣を、ラミャは引き抜く。

 抜いたと思ったら、ラミャはその剣の切っ先を自分の喉へとあてがったのだ。


 「い、いかん!!ラミャ!!止めるのだ!」


 もはや理性も思考もないであろう、尋常ではないラミャのその行動は感情や理屈で動いているわけではなかった。

 衝動、それだけだったのかも知れない。

 

 ラミャが自身の喉元を貫こうとしたその時。

 止めようとヴィーヴルが駆け寄ろうとしたその時。

 ラミャが持つ剣はがっしりと掴まれ、そして粉々に破砕された。

 その掴んだ手は、やがてラミャを優しく包み込んでゆく。


 「だ…ダメ…だよ……」

 「!!」

 「君まで……それはだ…誰も…望んで…いない……よ…」


 貫かれた背中と胸から大量の血を流しながら、もはや声すら出すことも苦痛であろうムサシはそう言ってラミャを優しくその腕に包んだ。

 そして、ラミャの足元に崩れ落ちたのだった。


 「う…うぅ……うわああぁぁぁぁー!!」


 慟哭し、枯れるほどに涙を流し、ラミャは自分が貫いたムサシに抱き着いた。

 こうして、ムサシとラミャの無意味とも思える戦いは終わったのである。



 ―――――



 「気づかれましたか……」

 「あ…あれ?…ヴァーリオ?」

 「ムサシ様!!」

 「うわッ!」


 ムサシは龍王の城の一角で寝かされていた。

 気づいたムサシに、思わず涙を流し抱き着くヴァーリオであった。


 「ムサシ様……無事で…よかった……」

 「ご、ごめんヴァーリオ。心配かけちゃったね。」

 「グス…いッ…良いのです。ムサシ様さえ無事なら……」

 「あは、無事かどうかはわからないけどね……」

 「気づいたか。」

 「あ、龍王様……」

 「ヴィーブルで良い。しかし貴様はやはり……」

 「俺…確かラミャって人に……」

 「普通はな、あの状況で即死にならぬという事はありえないのだがな。

 貴様はまこと人間ではないのだな。」

 「えーっと、あ、いえ、俺は……」

 「まぁ良い。少し我らとしてもやりすぎたとも思うが、貴様に謝罪する気はない。」

 「それは良いですし当然だと思っています。

 俺が、俺たちが一方的に話をしに来ただけですから、気になさらないでください。」

 「貴様……そうか。では先に告げておくとしよう。」

 「ヴィーブル様?」

 「これで我ら龍族は手打ち、要するに人間に対する復讐をやめる事とする。ただし、だ。」

 「……」

 「今後一切、少なくとも私が世に現存する限り、龍族は人間との接触を避ける事とする。」

 「そ、それって……」

 「過去、これまで幾度となく災害などで人間を救ってきたが、それももう一切ありえないだろう。」

 「……」

 「我ら龍族はもはや人間がどうなろうと関わる事はない。それが今回の最大限の譲歩の条件だ。」

 「そう…ですね……」

 「しかし、だ。」


 厳しくも悲哀を込めた視線をムサシに放ちながらヴィーブルは告げた。

 龍族としてはもはや人間との関りは一切絶つ。

 その代わり、今後はムサシや魔族がその役割を担えと。


 「私としてもだ、立場上そうしなければ龍族の怒りを鎮める事もできぬのだ。」

 「ヴィーブル様……」

 「その代わりと言っては何だが、此度の騒動の収束は貴様が身を挺して実現したと言う事にしよう。

 ゴリにもそう伝える。

 そして、だ。」

 「??」

 「ラミャ。」

 「……はい……」


 ヴィーブルに呼ばれて部屋に入ってきたのはラミャだった。

 その手に黄金色に輝く宝玉を持って。


 「これを貴様に預けよう。」

 「こ…これは?」

 「私の魂の一部だ。」

 「そ、それって!」

 「貴様は人間と龍族との因縁を止めた。故にその後を見守る義務もある。

 それは恐らくは貴様ただ一人が背負うべき事であろう。

 そしてそれが困難になったときにこの龍の雫、ドラゴンソウルを使うと良い。」

 「ドラゴン…ソウル……」

 「もっとも、心配せずとも我ら龍族と人間は交流を断絶した以上、再び悲劇を生む事もないであろう。

 であれば、だ。」

 「……」

 「それは貴様が思う事に、思うがままに使えばよい。」


 そうしてラミャから龍の雫を受け取る。

 ラミャは


 「ムサシ…済まなかった。そして、ありがとう……」


 悲しみを湛えたまま、しかし吹っ切れたような明るさも垣間見えた表情で、ラミャはムサシに手渡したのだった。


 「ふふ。では、怪我が癒えたらさっさと去れ。

 龍族は人間が嫌いだ。そして、“勇者”はもっと嫌いなのだ。」


 優しい笑顔でムサシにそう告げるヴィーブル。

 その言葉には表現する事ができない、慈愛と希望が込められている事はムサシにはよく理解できたようだ。



 数日後、ムサシは龍族の里を追い出された。

 見送る者はおらず、それは人間との断交拒絶を徹底するため、あえてそうしたのだろう。

 出発前に美味しい朝食を頂いたのは、ムサシ達へのせめてもの感謝の表れでもあるのかも知れない。

 デミアンへと続く街道を進むムサシとヴァーリオの背中を、ヴィーブルは城のベランダから眺めている。


 「さて、ゴリにはきちんと伝えておかねばな。

 それと、ラミャよ。」

 「はい、ヴィーブル様。」

 「お前はお前が望むようにすればよい。ただし、龍族としてではなく、お前個人として、な。」

 「ヴィーブル様……」


 ラミャは、そのまま見えなくなるまでムサシをじっと見送っていたのだった。


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