第42話 トレイトン王国
「ブレイヴ、だと?」
その報告を耳にした男は、訝し気にそう呟いた。
単なる人々の噂程度の話が発端ではあったが、ここに報告事項として上がる頃には噂は独り歩きして実話のように語られるまでになっていた。
その噂が伝える所によると、ある人間が人々を、村を、街を、国を魔獣から救い、さらには人々に生きていく上での希望をもたらしてくれているという。
魔獣を退ける、あるいは殲滅する、というのは事実として魔族が実行している事ではある。
故にそれ自体は特に気に掛ける事ではない、のではあるのだが、問題としてはそれが人間であり、他者へ希望や安堵、平穏、和睦といった明るい思いを抱かせている、という所だろう。
そして
「もう一つご報告がございます。」
「何だ。」
「道化に扮した二人組が、我が王国で不審な行動をしている、との警備兵からの報告にございます。」
「道化に扮した…二人組……」
もしや、と男は考える。
昨年の事、自身の存在に近しいモノがこの世界に出現したと感じた事が有った。
それは確信ではないものの、極めてそれに近い確度の手応えではあった。
わが身を脅かす存在など無いと思っていた男は、懸念しつつもそれは有用な手駒として使えるだろうかと思案した事もあったのだ。
その報告を耳にした時、その道化とやらはそれだと直感的に理解できた。
何故なら、それらの身辺調査まで既に済んでおり、あの時感じた感覚そのままの様相だったからだ。
ならば、それらと接触してみるのは手であろう。
「サヴォイ。」
「はい、パピヤス様。」
「その道化らしきものは丁重にここへ連れてまいれ。」
「丁重に、でございますか。」
「断られたら金か物品で釣れ。抵抗したならそれこそ捕縛して連行すればよい。殺すなよ。」
「御意に。」
パピヤスと呼ばれたその男は表情一つ変えず、下令したサヴォイという者が下がっていくのを眺めている。
(ブレイブなどと、実在しないことは明らかなのに、まだこの世界にはふざけた寓話が残っていたのか……
俺がそんな存在など、二度と発生しないようあれだけ労力をかけて手を回したのだ。
が…しかし……
まぁ、万が一事実だとしたら直接俺がどうこうする必要もない、か。
その道化とやらに人柱となってもらおうか。)
側近のみが入ることを許されている、日差しの一筋も入らず、ランプの灯だけがともる薄暗い部屋の中で、パピヤスは妙な焦燥感を感じた。
現在トレイトン王国の実権を、事実上一手にしている男。
その目には、憎しみ、恨み、復讐といった禍々しさしか伺えない。
それは何時からなのか、何故なのか、当のパピヤス本人にももはや思い出せないらしい。
パピヤスの野望、思想には、ただただ人間への憎しみ、あるいは痛めつけたいという衝動、それだけしか無い。
その為だけに力を付けてきた。
その為だけに時空の歪みも探し出した。
その為だけに思い出せない脅威から逃げてきた。
漠然と残る、自身を追い込んだ存在、勇者。
それが実際どういう存在なのかも、今は思い出せない。
故に
そのような存在など、許せるものではないと考えている。
「まぁ良い。今の俺に仇為す者など、この世界には存在しえないのだからな……」
―――――
「しっかし……」
「何だウセル、しかめっ面してよォ。」
「あ、いや、ここって何だか居心地良くないっすか?」
「居心地イイって言ってんのにそんなツラすんのかよ。」
「いやいや、サプン様も違和感感じたんじゃないっすか?」
「あー、まぁ、確かにな……」
「この国に入ってからですね。」
「何だろな、結界っぽい感じもしたが、どうもそんな感じじゃねぇし……
ま!考えてもしゃーねぇだろうよ。しばらくはここに隠れてた方が無難だ。」
「そーっすねぇ……」
魔族の追撃から逃れ、行きついた場所がトレイトン王国だった。
厚い城壁に囲まれたこの国は、何かここだけ人間の悪意が濃いような気はしていたようだ。
場末の飲み屋街の一室、そこにサプンとウセルは腰を据えた。
花街という、言わば欲望のはけ口と言える場所はどの国にも存在している。
人間の負の面が薄れているとはいえ、生きる上での三大欲というものは無くなることは無い。
身体を構成し成長、活動する為の、食欲。
脳を、体を休めリセットする為の、睡眠欲。
子孫を残す行為を促す、性欲。
それすら失われてしまえば、人類は自ずと絶滅するのは自然の摂理だろう。
特に性欲は、それを満たす行為には快楽を伴い、または残念ながら発散するには多大な努力を要する者も居るのは確かだ。
それはビジネスとしても立派に成立しているし、何よりその手の需要は消える事もなく、供給側は無くてはならないからだ。
だがしかし。
この国のそれは他の多くの国のそれとは毛色が違っていた。
合法的に管理し自由恋愛を商売とする国が殆どの中、ここはそんな次元の話ではない。
言わば無法地帯であり、欲望の坩堝という表現がピッタリの売春窟なのだ。
そんな実態を、周囲の国々は知りつつも内政干渉となりうる事から指摘すらできないでいるのが実情なのだ。
それは軍備についても同じことが言える。
故に、周辺国はトレイトン王国とは距離を置いている。
「さてと、んじゃ行くか。」
「えー、もう行くんすか?」
「ハラ減ったしな。ひと踊りすりゃ色欲ぐらいは得られるんだ。楽だろ?
っていうか、お前太鼓叩くだけで踊るのは私だけじゃねぇか。
バランスおかしくね?」
「いやいやいや、リズム刻むのも大変なんすよ?
なんなら交代しましょうか?」
「……アホか、お捻りが岩石にかわっちまうぞソレ。」
「ひでぇな!」
そんなやり取りをしつつ部屋を出た途端だった。
「居ましたか。さてお二方、城までご同行してもらいましょう。」
「んな!?」
「誰?」
サプン達の前にはサヴォイが居た。
単身で、本当に気軽に迎えに来たような感じでにこやかに立ってそんな言葉をかけた。
だが
(な……なんだコイツは……私らと同じ…いや、そんな事はあり得ない……)
瞬時に。しかもあからさまに警戒するサプンとウセル。
とっさに身構える二人に対して、サヴォイはやんわりと、諭すように話し続ける。
「人間の悪意を食らう存在のあなた達は私に付いてこざるを得ないはずです。」
「なッ!? なぜそれを!」
「サプン様、こいつは!」
「私はあなた達と同じ存在です。」
「「 !! 」」
驚きと不信が同居した表情を露にし、サプンとウセルはその場で固まってしまった。
「さあ、参りましょうか。」
まるで意識を奪われたように、驚愕の表情のままサプンとウセルはその意とは裏腹に無言でサヴォイの後に付いて行った。




