第37話 ラディアンス王 シノブ
デモンとクリスに従っている兵に逮捕されたムサシとヴァーリオ。
連行された先は、ラディアンス城の大広間に隣接した来賓室だった。
丁重に案内され、デモンとクリスが二人にソファーに座り寛いでくれと手ずから茶を淹れて差し出したのだ。
「乱暴な扱いで申し訳ありませんムサシ様。」
「あ、いいえ、こちらこそ考えもせずに動いてしまって迷惑を……」
「あはは、結果的に我らも助かりましたので、それはそれで感謝致します。」
「とはいえ衆目の前で犯罪者扱いしてしまったのは、少し……」
「それは仕方ありません。悪いのは俺だし、決まり事は守らないとね。」
「流石は懐が広いですムサシ様。それで、なのですが。」
「はい?」
「王は先ほどの騒ぎの件で緊急会議中なのだそうです。もう少しこちらでお待ちいただく事になってしまいますが、すみません。」
「い、いいえ、そんな、気を遣わずに……」
来賓室でムサシとヴァーリオ、デモンとクリスの4人は王に謁見できるまで寛ぐ事になった。
側近の付きの者や近衛兵などは払われ、使用人が一人ついている他は4人だけだ。
「ところで、なのですが。」
ヴァーリオがクリスに尋ねる。
「うん?」
「先ほどの様な、得体の知れない人間が他にも居たのですか?」
「あー、実はね……」
「これは極秘事項なので他言無用で。」
クリスとデモンが、その得体の知れぬ存在について説明を始めた。
それはここ数年、この大陸の国々で何度か確認された存在なのだと言う。
今日見た者のように、外観上は普通の人と何ら変わらず、身なりもそれなりに小綺麗な恰好なのだそうだ。
が、ある国では街中で無差別に人を襲ったり、ある集落では村人の半数以上を殺害し、そのまま何処かに消えて行ったという。
時には襲われた人がその者が纏う憎悪にも似た雰囲気に飲まれ、触発されたかのように殺人鬼のように変貌したという話もあった。
それだけ聞くと、ムサシには心当たりがあった。
あのジュピアである。
人の悪意を糧とし、悪意を操り、悲劇惨劇を巻き起こし、その混乱で発生した悪意をまた糧とする。
おおよその感じとしてはまさにソレだと言えよう。
しかし、違和感もあった。
あれらはそもそも人々の悪意を好み、それを誘発させるよう密かに暗躍していたと思う。
ましてあの時のようにもっとマクロな範囲で行動していたはずだと。
一市民だけを操り、ミクロな部分で完結させるような面倒な事はしないのではないかとも思えた。
ただ、情報が不足している、と言うよりもこの世界の人にとっては未知の現象ではあるのだろう、確実な根拠は今の所明確ではない。
それに、だ。
「もしかして、なんですけど……」
「ムサシ様?」
「何か気になる事が?」
「その得体の知れない人間と魔獣、つまりモンスターって、何か関係があるのかなーって……」
「え?」
「あ、それは……」
「人間と魔獣……」
デモンもクリスも、ヴァーリオさえその発想は無かったようだ。
もっとも、ムサシとて何の根拠も確信もないのは明らかなのだが、共通点としては一つだけあった。
人間、あるいは魔族を含めた人々にとっての脅威足る存在、その一点だ。
それは、明らかにジュピアとは毛色の違う行動目的のようにも思えるが、類似しているとも取れる。
それ故にこれがジュピアによるものとは断言できないというのも確かだった。
「……どうやら、その視点での検証も必要なのかも知れないな。」
「となると、だ。これまでの関連する事案を再度精査すれば何か掴めるかもしれない、か。」
「あ、でも、実情が良く解ってない俺の思い付きなんだけど……」
「いえ、ムサシ様。それだからこその着想とも言えます。私でさえ気づかなかった視点なのですから。」
この事案に対する調査と言う点では、新たなアプローチができた事になる。
なるのだが、それが解決策に結び付くかどうかは全く解らないというのも事実だし、この時点でもそれは皆理解できることだ。
だけど、とムサシは思う。
不明なままでは被害が広がる一方だ、ならば、それを阻止できる何かが解明できれば、それで良いのではないか、と。
沈黙が部屋を支配する。
デモンもクリスもヴァーリオも、ムサシの意見を嚙み砕いて吟味しているのだろう。
ティーカップに視線を止めたまま黙考している。
と、そんな時が止まったような場に、一人の男が入って来た。
「ムサシ様、お待たせして申し訳ありませんでした。王がお待ちですので、どうぞ。」
ラディアンス王の側近中の側近、右大臣のアンという人だ。
「おお、アン。会議は終わったのだな?」
「はい、クリス様。それ故ムサシ様を案内せよと。」
「そうか。では、ムサシ様、行きましょう。」
「あ、はい。」
アンという大臣に案内され、ムサシ達は王の間という所へと通された。
そして扉が開かれた向こうには……
「おお、そなたがムサシ様ですか。よくぞ参られた、というか待たせてしまい済まなかったな。」
「あ、はい。お会いできて光栄です、そちらのお方がラディアンス王様でございますね。俺、いや、私がムサシです。」
「なんと!」
「はははは!よくワシが王だと見抜きましたな!流石です。」
最初に声をかけてきた、豪奢な衣装に身を包んだ男性。
その横には、本当に野良仕事でもしている最中のように土にまみれた軽装の男性が居た。
ムサシは最初に声を掛けた男には腰を折って挨拶したのだが、その後すぐにその軽装の男性に向かってそう言ったのだ。
「あー、父上、悪戯が過ぎます。」
「というか、ウンも悪乗りしすぎだろ。」
「も、申し訳ありません。」
「わははは、まぁ良いではないか!堅苦しいのは苦手じゃからな!」
ムサシは少し面食らったが、中々にお茶目な王がどこか身近に感じられた。
もっとも、それこそが王の狙いでもある訳だが、こうした悪戯っぽい事はよくある事なのだと、後にデモンから聞いた。
「さぁ、ではゆっくりと話をしようではないか。ムサシ様、ワシがラディアンス王国の王、シノブと申す。以後、宜しくな。」
「はい、シノブ様。」
何ともフランク過ぎるラディアンス王に促され、ムサシ達はテーブルに着いた。
テキパキと茶と茶菓子が用意され、一息ついた所でシノブが言う。
「さて、真面目に語りましょう。ムサシ様。」
「はい。」
「そなたは、何を望むのかな?」
「え?」
シノブのその言葉は、誰もが突拍子もない的外れな質問だと思っただろう。
場は一瞬、沈黙の風が吹き抜けた。
「俺の…望み……」
シノブのその問いに、ムサシはハッとして考える。
この世界へと来た目的こそ、ジュピアの殲滅ただそれだけ、なのだが、それは望みと言うよりも使命、あるいは自己の責務という感覚の方が大きい。
望みといえばそうなのだろうが、シノブが問いたいのはそこではないと思えたようだ。
「俺は……」
「ふむ、少々意地悪な質問じゃったかの。
聞けばムサシ様は、とある悪の存在を殲滅する事を目的としているとか。」
「あ、はい、その通りです。」
「その存在がどういうモノなのかはワシらには理解が及ばぬのだが、それは民にとっての悪、と言う事なのであろう?」
“民にとって”という言葉に、シノブの確固たる思想が込められている事を、この時理解した。
ラディアンス王国は、王国民の幸福度は大陸の諸王国、公国、国家の中でもかなり高いレベルだという。
隣国のエスト王国やネリス王国は、そのラディアンスの王政を参考にした部分が多々ある程だという。
その根本にあるものは、シノブ王のそうした想いに他ならないのだろうと考える。
ただ、それもこれも国家間の争いが極めて少ない、こんな世界だからこそ成し得る事でもあるのだろうとムサシは思った。
そしてそれは、世界こそ違うが“人間はこのままで良いのか”というムサシが追い求める問題の、一つの回答でもあるのかも知れない。
「王様、俺は、正直に言いますと望みというのは唯一つ、だと思います。」
「ほほう、どのような?」
「愛する者の元へ還る、それだけが望み、かも知れません。」
「愛する者の元へ…か……」
ムサシは思う。
確かに、今明確に望むのはジュピアを殲滅しエイルの元へと還る事だけ、なのだろう。
今こうして行動している事の全てが、そこを目指す為の手段にすぎない、とも。
ただ、それが本当の望みだったとしても、その為にそれ以外は眼中にないのかというとそうではない。
エイルの元へ還るというのは、言わば未練だ。
傍から見れば女々しい考えだと言われるのは重々承知してはいるが、こればかりは男として決して忘却することは出来ない想い。
何より、ムサシとエイルは夫婦なのだから。
「何やら、そこには言葉では言い表せぬ大きなモノがありそうですな。いや。申し訳ない、この話は止めよう。」
「は、はぁ……」
「ときに、ジパング王からも魔王様からも、ムサシ様の武勇は聞き及んでおります。そこで、なのですが。」
「はい?」
「我がラディアンス王国の次期王二人に、戦いの指南をしていただけまいか。」
「は?デモン様とクリス様に、ですか?」
「ち、父上!」
「それはジパングに対して……」
「あ、いや、すまぬ。今すぐと言う話ではなくてな、ムサシ様が落ち着いてからでも良いのです。」
「と、言いますと?」
「これは他言無用にお願いしたいのだが、ワシは遠からず王座を息子に譲る。」
「父上!」
「そんな事を今!」
「まぁ落ち着け二人とも。話を戻しますが、デモンもクリスも、ここにいるアン・ニーオとウン・ニーオに手ほどきを受けてはいるのだが、その……」
「……」
シノブ王の言いたいことは、朧気ながらに察する事はできた。
先ほどのアンとウンという、かなりの強者であろう者の指導はすでに終えているのだろう。
確かに強い、のだろうけど、こと対魔獣に関してはそれでも力不足であることは明白なのだと思う。
そこに、先のジパングでの魔獣、あれはそもそも規格外のモンスターではあったが、リヒト指揮の下ジパングの兵が退けたという話を聞いたのだろう。
人間の兵でも驚異的な魔獣への対処ができる。
事実ではないのだが、それが叶うなら、というのがシノブの願いなのだろう。
がしかし……
「それはつまり、デモン様とクリス様は最前線で魔獣と激突する、と言う事なのですか?」
「うむ、ワシもそうであるが、王たるもの、安全な所で傍観するのは何と言うか、気が済まぬのだよ。」
「し、しかし、王たる存在がそんな危険な場に身を置いてしまっては!」
「それも理解はしているのだ。が、ジパング王も魔王様も、ネリス、エスト、アリシアといった国々の王も、最前線で陣頭指揮を執り自ら剣を持ち魔獣に挑んでおる。
これは王として、民を守る守護者としての責任、矜持、いや、想いなのじゃ。」
聞けば、対魔獣の処置においてはもはやそれが当たり前にもなっているのだという。
決して他意はなく、それこそ自国民の安全や平和を望むからこそ、それを貫いている、と。
たしかにそれは崇高な行いであり、自国民へこれ以上ない安心感を与えられ、国という枠組みの団結力も固まると思う。
ただ、それは本来あるべき姿ではないとも言えるだろう。
普通に考えれば、国の長が魔獣に殺されたともなれば、あらゆる混乱を生じかねない、いや、生じてしまうだろう。
「この数百年、各国の主導者はそうして国を守り固めて来た。その中で何度か王が危機に陥ったことはあったが殺されるという事はなかったのじゃ。」
「あ、いや、それは……」
「うむ、それ自体、天文学的な確率、言ってみれば奇蹟とも言えるであろうが、事実としてその結果があり、今に至っておる。」
「……」
「それが王としての責務、とまでは言いたくはないのじゃが、事実としてそれが取るべき行動になっておるのだよ。」
「シノブ王……」
恐らくはシノブ王だけでなく、近隣諸国の王も同じなのだろう。
これがこの世界におけるあるべき姿、王が取るべき行動なのだ、と。
一理ある話ではある、のだが、それも時と場合によるだろうとも、ムサシは思う。
と、シノブ王は意外な事を告げる。
「ムサシ様の言いたいことは解ります。実は、魔王様もムサシ様と同じような事を思っているようでしてな。」
「は、はぁ……」
「しかし、です。魔王様が言うには、魔族には人間を遥かに超えた力があるから、我ら人間に対してそう言えるのだ、と。
それ故、魔獣討伐に関しては魔族に一任されたし、と。」
「ゴライアス様が、ですか……」
「10年前の世界会議での事じゃった。
それを聞き、ワシら人間の王たちは己が無力さに悔しい想いをしたと同時に、魔族だけにそんな苦難を背負わせられない、と。」
魔獣、そしてモンスターという脅威の中、種族云々というよりも適材適所という事を、ゴライアスは説きたかったんだとムサシは思う。
ただ、それでも王として民を守るのは王の責務という思想は手放せないのも理解できた。
それ故に、なのだろう。
リヒトもそうだったが、シノブ王も、せめて魔獣を追い返すに充分な力があれば、と言う事だ。
「シノブ王、わかりました。」
「おお、ムサシ様!」
「ただ、今の俺には優先すべき事があります。その後で宜しければ。」
「うむ!それで良い!というよりありがたい!感謝しますぞムサシ様!」
家康や幸村のような将にも通じる所は有るが、根本的に目線が違うとムサシは思う。
この世界の人達は、何かが違う。
それは違和感と言うよりも、文字通り別世界のようにも思えた。
ムサシが抱く疑問の答え、その一つがこの世界にまだまだあるような気がしたのだった。
こうしてムサシは、この後ラディアンス王国の戦闘指南をする事になった。
それがこの国にどのような影響を与えるかは現時点では解らないが、すべき事ではあるのだろうと感じたのだ。
「そう言えば、じゃが……」
「はい?」
「その10年前の会議での事なのじゃが……」
「?」
「今のトレイトン王国の王、パピヤス王もその場に居てな……」
「パピヤス王……」
「魔王様がこっそり教えてくれたのだが、彼には気を付けろ、と。」
「それは…どういう……」
「してな、トレイトン王国が興された辺りからかの、今日のような輩が出始めたのじゃ。」
「!!」
「ま、それはまた別の話じゃ!今日はここに滞在していただきますぞムサシ様!
皆の者、歓迎の宴の準備じゃ!」
その日、盛大な宴でしたたかに酔う事となったムサシ。
ただ、そんな中でも頭にずっと引っかかっていた。
パピヤス王という存在が。




