第25話 ゲート
長かった羽黒での生活というか修行を終え、羽黒の地を後にしたのが昨夜。
半蔵や爺、幸村、佐助、それに酒呑童子や白蘭達と、名残惜しく別れの挨拶をして西へと出発した。
そして今、伊織とエイル、武蔵は富士山の麓、あの冥界への禁忌の回廊とまで言われている“界道”のある祠の前に居る。
あのロココという者が言った事、ここの中に出現するという青い渦に飛び込み、ジュピアを追う為だ。
その青い渦の先が何処で、何時で、何があって何が起こるのか、それ以前にはたして本当にジュピアを追えるのかは誰にもわからない。
でも、その選択が間違いではないだろうとの確信も、なぜかあったのは事実だ。
そんな面持ちで、祠の中へと歩みを進める3人。
あの時、ジュピアを追っていた時と同じく祠の中は暗く、ひんやりとしている。
「あの時と同じ……」
「ほう、ここがあの“界道”か。確かに不思議な空間だ。」
「あ、伊織、あれ。」
祠の突き当り、少し広くなっている空間に、ロココが言っていた青い渦が出現した。
まるで伊織がやってくるのを待ち構えていたように、小さな渦が次第に大きくなり、そして青々とした中にも真っ白な筋が渦を巻いている。
それは青い地球の表面に密度の低い台風が重なっている様子に似ている。
「これが、青い渦……別の世界への扉……」
「伊織……」
伊織を拒絶するでもなく、逆に誘っているかのように緩やかに回転している青い渦。
これに触れれば、これに入って行けば、ジュピアを追い完全にその存在を消す事ができる、のだろう。
その時、伊織はどうなるかは解らない。
それに、ここに戻ってくる事もできない。
だが、伊織は逡巡しなかった。
ただ、この世界、というよりもエイルとの別れだけが、伊織の思考を、体の動きを鈍くしている。
愛する者との離別、それはどのような形であれ、素直に受け入れる事など不可能なのだ。
それでも。
伊織は自分自身で行く事を選んだ。
理由なんて明確なモノは無いように思う。
だが、それこそが後に伊織を“勇ましき者”へと昇華せしめる最大の要素でもあった。
しばしの沈黙の後、伊織は口を開く。
「父上。」
「うん?」
「お願いがあります。」
「何だ、言ってみるがいい。」
「はい。この先の世界で、俺は父上の名を名乗る事を許してくれますか?」
「ん?それは構わぬが、どういう事だ?」
「それは…エイル。」
「はい。」
「俺の名とこの太刀を、エイルに託す。形見って訳じゃないけど、俺が必ずエイルの元へ帰る誓い、だよ。」
物心ついてから常に傍にあった伊織の太刀。
どれだけ激しい剣戟を続けたとしても、刃こぼれ一つせず、何時までもその鋭さと輝きを保っている、至高の刀だ。
それを、母、織衣がつけてくれた自身の名と共に、エイルに持っていて欲しいと言った。
「でも、それじゃ……」
「あは、俺にはまだこの3本の刀があるし、エイルにはそれを持っていて欲しいんだよ。」
「……う…うん。わかった……」
涙ぐみエイルはその太刀を、伊織の名と共に受け取った。
そして伊織に告げる。
「伊織…待っている。何千年でも、何万年でも、貴方が私の元へ帰ってきてくれる時を。」
「約束するよ。絶対にエイルの元へ帰るって。」
「…でも、一つだけお願い。」
「うん?」
「他の女と仲良くなるのはいい、子を儲けるのもいい。でも、それでも私という存在を片時も忘れないで。」
「他の女って…あは、わかった。忘れる訳ないよ。」
そんな二人のやり取りを、この上なく優しいまなざしで見ている武蔵。
(儂の名を、か。思えば、伊織には父親らしい事は殆どしてあげられなかったな。
あげく、こんな事に巻き込んでしまったのは単に儂の未熟さ故なのであろうな。
ならばだ。伊織の願いは全て聞き入れなくてはな。)
「伊織よ。」
「はい。」
「儂の名を名乗る事も、その太刀をエイル殿に託すのも、お主の思うがままにすればよい。だたし、だ。」
「?」
「コレを持っていく事が条件だ。」
「カネシゲ…あ、いえ!だってコレは!」
「済まぬな伊織。儂は父としてお主に何も与える事ができなかった。故に、コレだけはお主に与えようぞ。儂の名と共に。」
武蔵愛用の太刀、カネシゲ。
正確には『和泉守藤原兼重』と銘された、武蔵だけが使いこなせた刀だ。
その実は武御雷が天照の命を受け丹精込めて打った、武蔵専用の太刀。
それ故に武蔵以外扱えない代物なのだが、伊織はそんな太刀すら自在に使いこなせる程に、武蔵の技を受け継いだと言う事なのだろう。
一瞬の逡巡の後、伊織は武蔵からその太刀を受け取った。
その表情は、全ての感情が合わさったような、複雑な、それでいて晴々としてもので、武蔵も快く感じたようだ。
そして、伊織は意を決して青い渦を見つめる。
エイルと熱い口づけを交わし、武蔵としっかりと抱き合い、伊織は渦へと正対した。
「エイル、父上、行ってきます。」
「健闘を祈る。」
「どうかご無事で。行ってらっしゃい。」
笑顔で伊織は二人に告げ、そして、渦へと歩み始めたのだった。
もはや振り返る事もなく、真っ直ぐに渦へと向かい、そして。
青い渦に触れた途端、伊織の体は渦へと吸い込まれ、そして青い渦と共に存在そのものがこの世界から消えた。
伊織は、旅立ったのだ。
「伊織……」
「エイル殿、済まなんだ……儂は…」
「いいえ、武蔵様。私は伊織に出会えて幸せです。それに、私は必ずまた伊織に会える、それだけは解りますから。」
「そう、か……これからどうする?」
「私はこれで与えられた役目を終えました。ですから主の元へ戻ります。」
「オーディーンの所、か。」
「はい。そこで静かに、伊織を待ちます。」
静かに、時折地下水なのだろう雫が垂れ落ちる音だけが響く祠内で、二人は名残惜しそうに渦のあった場所を眺めていた。
そして踵を返し祠を出ると、それぞれの帰るべき場所へと向かって行ったのだった。
―――――
軽い眩暈に襲われた後。
伊織はその瞳を開けると、同じ洞窟内へと出現した。
さっきまでそこに居たはずのエイルと父武蔵は居ない。
別の世界の、同じ場所に来たのだと直感した。
「……中は同じ、か。というか、ここは何処なんだろう?」
既に青い渦は消え、静寂だけが支配している洞窟内。
一瞬の戸惑いの後伊織は外へと歩き出す。
暗い洞窟の先に明かりが見え、そこが別世界の外なんだろう、と考える。
そして、洞窟を出ると。
「何だ……ここは?……」
木々に囲まれていたはずの“界道”の洞窟だが、今は岩肌がむき出しの状態で周囲の木々は無かった。
数十メートル先は森になっているようだが、ここだけが岩場みたいな感じだ。
伊織は直ぐに理解した。
ここは違う世界だと。
空気が違う、臭いが違う、何より、何とも言えない気が世界を覆いつくしている様な、そんな微細ではあるが圧迫感もある。
遠目には何か灰色の、橋、なのだろうか、ボロボロになっている建造物らしきものがあった。
その周囲にも、見たことのない建造物や物体が点在している。
あっけに取られている伊織だが、すぐさま行動すべきだと思い立ち歩き出す。
行く当てなどない、というよりもこれから何をどうすべきかを、今から考えなくてはならない。
ただ、すべき事だけははっきりとしている。
この世界へ逃げ込んできただろう、あのジュピアを探し出し殲滅する事が目的だ。
「さて、それじゃ行くか。」
伊織がやって来た世界。
それは、伊織が青い渦に飛び込んだ日から実に11,600年もの未来の地球、日本だった。




