第23話 決意
あの夜以来、伊織はずっと何かを考えこんでいる様だった。
もはや修行も終え、日々を自己鍛錬と書物による勉強で過ごしている伊織。
そんな伊織の脳裏をかすめるモノは何なのだろうか。
加波山での朝錬を終え山から降りて水浴びをし、さっぱりした所で伊織はエイルと出かける事にした。
今日は磯部で桜祭りが催されるからだ。
伊織にとっては今年で2度目になる磯部の桜祭り。
昨年も出かけたのだが、その美しさと勇壮さに感動しきりだった。
そんな桜の花びら舞い散る中を、エイルと手を繋ぎ散策するのがとても楽しかった。
娯楽的なものが少ないこの当時、こうしたイベントが何よりの娯楽として楽しまれ、人それぞれにこの祭りを楽しんでいる。
伊織達のように、逢引がてら訪れるカップルも多いし、半蔵達のように桜の下で浴びる程酒を酌み交わす人達も居る。
広い敷地の真ん中には丁度舞台のような広場があり、そこでは地元の人達なのだろう、優美な舞を披露していた。
まだこの時代には発展していない屋台なども開かれ、特に酒の肴になるような物が売られていて繁盛もしている様子であった。
そんな屋台で花団子という、3色の串団子を頬張りながら、伊織とエイルは水入らずで桜並木を歩いている。
雲一つない青空の下、二人は何時しか磯部神社を抜け桜川まで歩いて来ていた。
細く小さな川、しかしそれは下流に行くに従い大きな河川となりやがて霞ヶ浦という大きな湖へと流れ、そして海へと繋がる。
川のほとりにはずらりと桜の木が植えられており、こちらも壮観で美しい姿を見せていた。
目の前の川と桜の花びら、その向こうに見える竜神山の桜と緑のグラデーション。
見ているだけで感動すらしてしまうであろう、ここ羽黒ならではの風景でもある。
川べりに腰を下ろし、手を繋ぎその風景を満喫しているかのような伊織とエイル。
しかし、エイルは祭りに来たすぐ後に、伊織の葛藤が手に取る様にわかったのか、昨年ほど楽しそうでもなかった。
伊織にしても同じで、何か思い詰めたような、あるいは決断を迫られている様な、時折厳しい顔をのぞかせていた。
だから、エイルは敢えて伊織に問う。
「桜が奇麗ね。」
「うん。何と言うかさ、見てるだけで気持ちがこう、落ち着くようなほっこりするような、そんな感じだね。」
「伊織……やはりそれでも悩みは消えない?」
「エイル……う、うん、そう、かな……」
「伊織、話して。貴方の想いを、私に聞かせて。ため込むのはダメ。」
「あはは、やっぱりエイルにはわかっちゃうんだね……ごめん、そして、ありがとう。」
一瞬、桜川のせせらぎだけが聞こえ、そして伊織は口を開く。
「俺、やっぱりジュピアの殲滅に行こうと思うんだ。」
「……」
「この世界からは消えたようだけど、逃げた先で同じような悲劇が繰り返されていたら、それはそこにただ災難を押し付けただけ、だと思うんだ。」
「……」
「逃がしてしまったのは他でもない俺だし、責任は取らないといけないって……」
「……」
きゅっと口を結び、黙して聞いているエイル。
伊織の言っている事は、前々から感じていた事そのものだ。
この人は、こういう人なのだ、と。
責任を、とは言うが、そこには他者に対する、純粋に人々を守りたいという想いだけがあるようにも感じる。
「ここで、羽黒で力も知識も身に付けられたけど、それってやっぱりその為なんじゃないのかなーって思う。」
忍術を伝授したいと半蔵に言われたから、という見方もあるし、事実きっかけはそうだった。
でも、自身もそれを欲したのも事実だし、それが何故かを考えたら行きつく所はそれが根本にあったから、だろう。
エイルとしてはあの時、ジュピアを逃してしまった時から、そうなるだろうとは覚悟していた。
できればそれはそのまま、忘れないまでも伊織がしなければならないと言う強迫観念に近い想いは忘れて欲しかった。
でも、伊織はやはり伊織なのだ。
すべき事を違える事はない、強い意志と信念を持ち、力の使い所を理解している。
「伊織。」
「ん?」
「私は反対。絶対にイヤ。それでも…それでも貴方のすべき事には賛成だし全力で応援したい……」
「エイル……」
いつしか瞳に涙を溜め、そう呟くエイル。
それを見た伊織は、胸が締め付けられる感覚に戸惑う。
「貴方は、貴方が決めた事に全力で挑むべきだと思う。」
「エイル……」
「私の気持ちはただの我儘。盲目的な想いじゃないけど、私としては……」
複雑な想いが交錯しているであろう事は伊織にも伝わってくる。
それを実行すれば、間違いなくエイルとは今生の別れとなるだろうことは理解できているからだ。
繋がれたエイルの手に、少し力が籠る。
今にも零れ落ちそうな雫を、落とさないように気丈に振舞おうとするエイルを、そっと抱き寄せた。
「エイル……」
「伊織……」
そよぐ風が二人の髪を揺らす。
と思いきや、そのそよ風は次第に風力を強めたかと思うと、周囲が暗くなり全ての音が聞こえなくなった。
瞬間、伊織とエイルは理解した。
閉じ込められた、と。
「こ、これって……」
「結界…じゃ、ない?」
やがて、川の水面の上に誰かがその姿を現した。
『こんな所に居たのですね、探しましたよシャラ…いえ、伊織。』
薄い水色のヴェールを纏った、既存の言葉では表現できない美しさと神々しさを放つ女性だ。
頭に響くような声は、聴いているだけで心を奪われそうになってしまうほどだ。
伊織とエイルはそんな女性に見惚れつつも、我に還ったところで問いかける。
「あ、あなたは……」
『私はコ……ロココと申します。貴方の遠い遠い知り合いになります。エイルも同じですよ。』
「知り合い?」
『今はそれは置いておきましょう。私は貴方に助言をする為、ただ一度だけ貴方の前に顕現しました。』
「助言……って、それって」
『あの山の麓のシュライン、そこに青い色の渦が出現した時に、貴方は貴方の行くべき所へと赴く事ができるでしょう。』
「シュラインって、あの祠?」
『貴方達がジュピアと呼んだ存在が逃げた時代…じゃなかった、世界へと誘ってくれます。』
この女性が言うには、あの祠のあの渦の残りみたいなものが再び現れる、と言う事なのだろう。
確かあの時は白かったように記憶しているが。
『ただ、貴方はそこへ行けばここへ戻る事はできません。そして、貴方一人だけがその渦に飛び込むことができるのです。』
「じゃ、じゃぁ、その渦に飛び込むというのはこの世界、いや、エイルとの離別……」
「……」
伊織もエイルも、頭の中が白くなっていく感覚を覚えた。
それは突然の別れ話を聞いた時のようでもあり、希望を砕かれた時のようでもあり、表現し難い喪失感のようでもあった。
しかし、女性は告げる。
『一時の離別は致し方ないと思います。ですが、貴方達二人は……』
しばしの間、そうして不思議な女性から話を聞いていた。
いつしか女性は消えてその空間は元に戻り、川のせせらぎとウグイスの鳴き声が響き始めた。
はっ、と我に還る二人。
夢じゃない。しかし、そんな存在であるエイルにも理解できない現象。
だけど、考えるべき所はそこじゃないと伊織もエイルも気が付く。
伊織のすべき事、指針が明らかになりそれが現実味を帯びたと言う所だった。
「エイル……俺、決めたよ。」
「い、伊織……」
「泣かせちゃってごめん。でも、道が開けたんだと思う、なら、行くしかないよ。」
「う、うん……」
「さっきの人も言っていたでしょ、“絶対に俺とエイルはまた会える”って。」
「うん、そう…そう、だね……ふ、ふえぇぇぇぇぇん……」
とうとう声を上げて泣いてしまったエイルを、優しく包み込む伊織。
この温もりを手放してしまう事に、喪失感と罪悪感を感じながら、しかしエイルへの愛おしさを噛みしめながら。
伊織は決断した。
ジュピアを追う、そして殲滅しその世界を救う、と。
同時に、その後エイルの元へ帰ってくる、と。
ただ、それには1万年以上の時間がかかるというのは、この時エイルも伊織も知る由はなかった。
―――――
(危ない危ない。一瞬ココロって本名を言っちゃいそうでした。
というか、もっと他に良い手が有るような気もしますが、結果としてはコレがベストなのでしょうか。
エイルの今後を考えると少し胸が痛みますけど、それでもきっと私と同じく最後は……
でも、あの方やあの人達からもお願いされましたし、これで歴史は歪む事なく正しく流れていく事でしょう。
さぁ、私も役目を果たしましたし、コンコルドへ戻るとしましょう。)
―――――
タイムパラドックス。
時としてそれは、“時の矛盾”や“時の逆説”という面と同時に“時の修正”という側面をも覗かせると言う。
“時間”というものはこの宇宙には存在しない。
それは人間が概念として発明し用いているツールだからだ。
しかし、現実に“時”は流れ歴史は紡がれてゆく。
ならば、存在しないはずの時とは、いかなるモノなのかは誰にもわからない。
遥か1万2千年もの未来、それも別世界の、さらに特殊な存在がこうして現れたという事実。
世界とは、その一端すら、まだまだ人知の及ばぬものなのだろう。




