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第20話 常陸の国、羽黒

 南に加波山、西に加波に連なる燕山と御岳山。

 北には竜神山がそびえ、東には羽黒山と吾国山。

 西側の桜川近辺だけが開けている山々に囲まれた盆地で農耕も盛んで結城街道を中心にそこそこ栄えている土地だ。

 そんな羽黒にはもう一つの特徴がある。


 山々に囲まれている地形、盆地の面積もそれ程大きくはない、加えて人口も少ない。

 となれば、隠れ住むには最適な土地でもある。

 事実、ここには名を捨てた者や隠居する者など、過去そうした状況に置かれた者がやってきては後にした場所でもある。

 それ故にここはこの時代では珍しく排他的な土地柄ではなく、地元民も気さくに余所者を歓迎したりする。

 もっとも、その素性や秘密を漏らすようなことはしないという、少し変わった土地柄だ。


 そして。

 この時には誰も知り得ない事ではあるが、350年程後の時代には、伊織の意志を継ぐ者が産まれ出でる場所でもある。


 そんな羽黒に到着した翌日。

 若干の蒸し暑さに目を覚ました伊織は、その身を起こそうとした。

 が。

 エイルがしっかりと抱きついて寝ている為、身を起こす事もできずそのままの姿勢でいた。


 既に外は明るく、もうすぐ鶏が雄叫び、つまり朝鳴きする時刻だ。

 昨夜の内に伊織は早速今日から修行を始めると聞かされていたのだが、その修行の内容までは聞いていない。

 その期待と、微妙な不安の中でまどろみから完全に抜け朝の空気を感じていたのだった。


 「うーん……おはよう、伊織。」

 「エイル、おはよう……って、あの、胸……」

 「あ、ごめん。」


 浴衣一枚で寝ていたからだろう、エイルは浴衣がはだけて豊で張りのあるバストが露になっていた。

 と


 「うーん、おはよう、伊織。」

 「は?」


 もう片方には白蘭がいた。

 どうも寝ている間に潜り込んでいたようだ。


 「白蘭さん?」

 「あはは、ごめんね。邪魔するつもりはないんだよ。ちょこっとだけおすそ分けでも、とね。」

 「とね、じゃない。泥棒猫め。」

 「あー、エイルさんはすっかり女房気取りですかー。」

 「ぐッ……」


 白蘭としてはちょっと揶揄っただけなのだが、エイルは少し警戒を強めたようだ。

 と、3人は起き掛けの足で洗面を済ませると居間へと向かった。

 すでに正成は起きていて、数人は朝餉の準備をしていたようだ。


 「おはようございます、半蔵様。」

 「おお、お早いのでございますな。伊織殿、儂の事は“爺”とお呼びくだされ。半蔵と混同しますのでね。」

 「あ、はぁ、わかりました、爺。」

 「ほッほッほッ。エイル殿も白蘭殿も、ゆっくり寝られましたかな?」

 「お陰様で。」

 「私は寝てないけどね。後で昼寝するさ。」


 その後、武蔵や半蔵達も起きてきて朝餉となり一息つくことになった。


 「さて、伊織様は今日から早速修行となります。大丈夫ですか?」

 「大丈夫です!というか、よろしくお願いします!」

 「ふふ、意気込みは良いな。で、半蔵、修行はどうするつもりだ?」

 「それなのですが。」


 半蔵が言うには、忍術もだが伊織には先の大阪での反省点も踏まえ、個対多勢、集団戦、兵法なども習得すべきだと考えたそうだ。

 さらに、今のこの世界の事を知る事も必要だと考え、文化をはじめ学問も必要になるだろうとの事だ。

 それ故に、半蔵と佐助だけでは指導も行き届かないので、ひとまず全員集合するまではこの近辺の案内と座学になるそうだ。


 「全員集合?」

 「はい。」

 「そう言えば酒呑も、と言っていたな。」

 「酒呑童子様も昨夜加波山に到着しまして、今天狗様と相談しているそうです。」

 「ほほう。」

 「父上、天狗、とは?」

 「この山に住まう物の怪、だな。酒呑と同じ位強い。白蘭殿と同じような術も使うな、確か。」

 「この山の天狗はね、天中坊って名乗っていてね、古くからここを守護する一族の長なんだって。」

 「へぇー、っていうか、白蘭さんよく知ってるんだね。」

 「まぁ、何度か会った事あるしね。今の天中坊は3代目なんだよ。」


 全国で語られている天狗にまつわる話は数多あるが、ここ加波山をはじめとした筑波山脈の天狗はあまり知られていない。

 後世においても、それは同じで常陸の国と天狗は結び付かないという。

 ただ、『天狗党』や『天狗納豆』といった、天狗と何某かの繋がりがあるという痕跡だけは現代まで残っているのだそうだ。

 それだけ此処の天狗は神秘的とも言えるが、逆を言えば噂が広がらない程度には真実味があると言う事なのだろう。


 「さて伊織様、まずはこの近辺の案内をしましょうぞ。」

 「はい、お願いします。」


 半蔵に促され、館を出て北へと歩を進める伊織とエイル、そして半蔵。

 山沿いの農道を進みながら、伊織はその風景、道端の草花、生息している虫や動物などを楽しみながらもよく観察している。

 興味があるのはその通りなのだろうが、それらを知ろうとする知識欲も豊富なのだろうと半蔵は理解した。

 ただ単に知りたい、と言うだけではなく、そこから得られる付帯情報をどのように得るのか、を修練しているようにも見えるのだ。

 流石は武蔵、いや、スサノオの養子なだけあるなと、半蔵も関心しきりだ。


 しばらく歩いた所で変わった造りの池に着いた。

 山桜に囲まれ、大小の池が南北に分かれている池だ。


 「ここは桝箕池と言います。ここで水練など水に関する鍛錬や修行を行っています。」

 「へぇー……この水、山からの清流、みたいですね。」

 「はい。それ故に水質は良く、周囲の農地には欠かせない水源でもあります。」


 池には鮒やタナゴが沢山泳いでいた。

 人が少ない地域だからこそ、こうした池や小川には自然そのままの姿を取っているのだろう。

 池の中ほどは水深もあり、忍術に関わる訓練には最適なのかも知れない。


 そのまま3人はさらに北へと進み、平地を抜け少し小高い丘に来た。

 そこには既に花は散ってしまっていたが緑の葉を鮮やかにはためかせている桜の木々が所狭しと立っている。

 

 「ここは桜川の桜として知られている所でしてな、サクラの花が開く時期はそれはもう美しい風景が見られるのですよ。」

 「すげー……満開の桜だと絶景でしょうね。」

 「ふふ、今年はもう見られませんが、来年は見ることができるでしょう。その時はエイル様と二人きりで花見も良いですぞ。」

 「う、うん、そうだね。」

 「……」


 “桜川の桜”として、平安時代から知られ、「西の吉野、東の桜川」と言われる程の景勝地。

 室町時代には謡曲「桜川」が世阿弥によりつくられ全国にその名を広めたのだそうだ。

 その殆どが山桜で、中には亜種もあって複数の桜色がグラデーションを彩る極めて稀な所でもある。


 後にここから水戸や隅田川などあちこちへと移植され、主に関東から北の随所に広がって行ったと言う。

 その桜に囲まれた道を進むと、そこには神社があった。


 「ここは磯部神社です。某共も時折世話になっている所ですよ。」

 「ふぇー…あ、あの狛犬って」

 「木の彫刻?」

 「中々見事なものです。そう言えば、ここで祀られているのは天照大神だそうですよ。」

 「天照叔父、かぁ……」

 「それって、武蔵様の兄?」

 「そうだね。父上の兄の事だよ。」


 そう言えば、と半蔵も気が付いた。

 武蔵はこの世界では剣豪の人間という存在ではあるが、実際は“そういう”存在だったな、と。

 こうした風景を見て、武蔵はもとより伊織はどのように感じるのだろう、と半蔵も興味が出てきた。

 とはいえ、それは深入りすべき事ではない、とも思い、その興味はそこで終わるのだが。

 

 神社で茶と茶菓子をご馳走してもらい、しばらく神主とも話をした後に館へと戻る事になった。

 桜川のあぜ道を通り、神社東側の道に出て南下していくと、大きな寺が見えてきた。


 「ここは月山寺と言いまして、とある宗派の寺です。ここもよく世話になっている寺ですよ。」


 割と広い敷地にある寺。

 聞けば、ここはその宗派の学問所として使われてもいるらしく、宗教以外の学問も手広く手掛けているのだとか。

 もっとも、それは地元の人々へ、ではなくあくまで宗門門下生に対して、との事らしい。

 後で聞いた話だが、半蔵達の手元にあるあらゆる教本はここで賜ったものばかりだそうだ。


 その後、今では空き家となっている羽黒山にある羽黒山城を見て、加波山の麓の館に戻った。

 すると、そこには酒呑と山伏のような恰好の天狗、真田幸村と十勇士の残りのメンバー、さらには先日話に聞いた各流派の忍びの者が集結していた。


 「おお、伊織、帰ったか。」

 「酒呑様、それに……」

 「おお、おめぇが伊織が。俺はこの山に住んでる天狗だよ、よろしくな。」

 「はい、宜しくお願いします。」


 こうして、半蔵による伊織強化合宿のような修行の日々が始まる事になった。

 改めて見てみれば錚々たるメンバーが集結したものである。

 この後の一連の修行が、伊織を一回りも二回りも大きくする事になる。

 と同時に。

 それは少し悲しい出来事へと繋がる事を、エイルは感じ取ってしまうのだった。



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