第15話 豊臣家の滅亡
大阪城の天守、その1階にある部屋に黒い霧の玉と化したウセルは飛び込んできた。
「サプン様!ダメです!あいつら!」
「ええい!コイツが居る時はその名とその姿を見せるなと言ったであろうが!」
「しかし!」
「うぬぬ…もはやこの遊戯もここまで、なのか……」
「ひッ!は、母上……これは!?」
ジュピアの欠片であるサプンとウセルには、武蔵という存在にはどうあがいても敵わない事は理解している。
ましてジュピアの欠片でしかない故に本来の力を持たず、ただただ人間の悪意を搾取する事でここまで存在出来ていたにすぎないのだ。
それ故に、人間にもあの存在達にも気づかれないよう、こうして暗躍していた。
(もはや逃げるしかないか。しかし、逃げるにしても何処へ行こうか……
大陸はダメ、この島国もダメ、となると西の半島か、あるいはやはりあそこへ……)
逃亡する事に戸惑いはないのであろうし、この地に未練もありはしない。
あの武蔵達のような存在から逃げおおせられればそれで良いのだ。
決断は速かった。
「母上?」
「あー、もういいや。小僧、私はお前の母上じゃねぇんだよ。もう遊びは終わりだ。」
「は?」
「ここで勝手に死んでろよ。おい、ウセル。」
「何でしょう?」
「逃げるぞ。」
「いや、逃げるてあんた……」
「ドあほう!あんなバケモノに私達が勝てるわけないだろうが!どっかに身を潜めて再起を図るんだよ!」
「あー、まぁ、確かにそうするしかないかも……」
豹変した母親の姿を見て、秀頼は混乱する。
秀頼は決して暗君ではなく、秀吉のあとを継ぎ西日本を治め治政でも多くの実績もあり、政治、軍事でも実力は折り紙付きの優秀な将軍であった。
しかし、それら全てが、サプンによって悉く裏目裏目に出るよう仕組まれてしまっていた。
その結果が今、なのだ。
それに気づかなかったのは、母である淀君の寵愛に対する絶対的な信頼、そして父である秀吉の意志を継ぐという絶対的思想にどっぷりと浸かってしまっていたからだ。
もちろんそこには、民の事を憂う天下人としての意志もあったはずだ。
それすら、何時しか変貌していった母である淀君に利用されるだけとなってしまっていた。
そんな秀頼が、今の情勢、おかれた立場、母の豹変ぶりを目の当たりにして、正常でいられるはずがない。
「母上……」
「そんな目で私を見るんじゃねぇよ!鬱陶しいな。じゃあな、せいぜい残りの人生楽しめよ。」
そう言うと、淀君の体から黒い霧が噴出し、それはもう一つの黒い物体へと変化する。
サプン、そしてウセルという二つの物体はそのまま城から出ようとした。
したのだが
「いてッ!何だコレ!?」
「サプン様これって!」
「ちッ!上に行くぞ!」
城の一階から天守閣へと向かおうとした二つの物体は、階段の前で行く手を阻まれる。
そこに居たのは武蔵と酒呑だった。
「くそッ!武蔵!」
「さて、ここで終わりとしようぞ。」
「おっと、逃げようったって無駄だよ。私の結界はそうそう簡単に破れないからね!」
白蘭が放った渾身の結界術だ。
役小角が考案し白蘭が独自に強化した、恐らくはこの世界最強の結界術ではあるのだろう。
確かに二つの物体は壁にぶち当たったようにこの空間から出られずにいるようだった。
「めんどくせぇのがこんなに居るのか!ウセル!行くぞ!」
「行くって何!?」
「こんなの直ぐに破れる。ともかく天守閣へだ!」
「ちッ!私の術を!?」
白蘭の結界を、どうにかもがいて突破してゆく二つの物体を、伊織は直ぐに追いかける。
エイルもそれに続き、飛んで行く物体を階段を駆け上がりながら追う。
「こっちは俺に任せて!」
「伊織、私も!」
「まぁ、あれは一先ず伊織に任せよう。さて、それでこちらをどうするか、だな。」
「武蔵様、この先はもはや人間がすべき事だ。我々は関知すべきじゃないだろう。」
「そうなんだがな、とはいえ目の前でこうだと、さすがに、な。」
武蔵達は狼狽する秀頼と倒れ気を失っている淀君を見つつ、家康の到着を待つ事にした。
しかし
「大台所から火が出たぞ!」
「城が燃ゆるぞ!引けー!!」
誰かが城内に火を放ったらしく、油の燃える臭いと焦げ臭い臭いが漂ってきた。
「マズいな。ひとまずあの蔵の中へと移るか。」
「じゃあ、俺が担ごう。」
酒呑が気を失った淀君を肩に担ぎ、茫然自失となった秀頼の首根っこを掴んで、少し離れた場所にある蔵へと移動した。
「さて、これで豊臣家も終わりじゃな。」
「しかし、人間てなぁよくこんな事続けられるよなぁ。」
「まぁ、それが人間の業なのであろう。憂いたところで儂らがどうこうできぬのは歯がゆいがな。」
「そう…だな。うん。」
武蔵にしても酒呑にしても、人間の守護をその是としていた訳ではあるのだが、その守護が、一体人間の“何に”に対してなのかを悩んでいた時期もあった。
事実、こうして人間は自ら争いを起こし、時には万にも届く魂の消失を招いている。
そこに自然の猛威などが加われば、全滅しないまでも生きていくべき生命が消えて行ってしまう。
“業”というのなら、その発端は何なのか、何故それが争いという一点に集約されてしまうのか。
武蔵達には理解に苦しむ事が多かった。
それは、武蔵、いや、スサノオの兄にとっても同じ事ではあった。
とはいえ
だからといって何もしないという訳にもいかないのも事実ではある。
武蔵や物の怪達の悩みとは、そうした矛盾にもにた葛藤の連鎖なのだろう。
そんな事を思っていると、火から逃れてきた豊臣の家臣たちが、蔵へと逃げ込んできた。
どうやら火を放ったのは寝返った者達らしいが、この逃げ込んできた者達はそれらとは別の勢力の者のようだ。
秀頼と淀君の姿を見た途端、慌てて介抱し始めた。
もはや秀頼と淀君は立つ事すらできない程に衰弱していたようだ。
その後、大野治長により家康側へ秀頼と淀君の助命嘆願がされた。
そこに、家康の名代としてやってきたのは徳川秀忠だった。
大阪城が焼け、豊臣軍勢は惨敗、秀頼の権威は失墜、もはやこの時点では淀君の力も及ばず、ここに豊臣勢は陥落した。
事後の処理はそれこそ大掛かりになるであろう事は明白ではあるが、そこに武蔵達が加わる事はない。
ここから先は幕府、つまり徳川が決める事なのだ。
後日、秀頼と淀君はこの蔵で自害したとされた。
秀吉の死後、事あるごとに暗躍をしつつその事実を漏らし、混乱を深めていった淀君、そしてその傀儡とも言えた秀頼。
最後の最後で裏切られ火を放たれたのも、そうした理不尽とも思える行動の結果の積み重ねなのだろう。
豊臣家を死んでも守ろうとする者でさえ見限る程になった淀君、いやサプンの権力行使は、カオスを招くという面である意味上手く行っていたと言える。
が、武蔵の再出現によりその行動は阻止され、野望は砕かれた。
しかし、それが実質的に淀君本人の思惑となっていた事でもあったと、判断を委ねられた秀忠は考えた。
それ故に、その断罪は厳しいものにしなければならない、とも。
秀忠は秀頼と淀君に切腹を命じ、そして自害したそうだ。
自害した豊臣最後の武将とその母親、その骸を見たものは居ない。
後の歴史では、大野により介錯され、その骸は密かに何処かの寺へと埋葬されたという。
だが、自害そのものも遺骸も、誰一人見た者は居なかったそうだ。
結果としての大阪の陣、しかし、それはこうして幕を閉じる事となる。
それは長く長く続いた戦国の世の終わりを告げる出来事となるのであった。
だがしかし、武蔵達はまだ終わっていない。
あのジュピアを殲滅するまで終わらないのだ。
そんな武蔵と酒呑、、鹿島、白蘭は、もうすぐ火が回るであろう天守閣へと視線を移す。
白蘭はまだ両手を印を結び、結界を維持していて、その額には珠の汗が滴り落ちる。
恐らくは史上最強の術使いであろう白蘭をもってしても、あのジュピアの囲い込みは難度が高すぎる様だった。
とはいえ、武蔵でさえできない事をしている白蘭という術師は、それだけでもう人間業を越えていると言って良いだろう。
放たれた火は、みるみるうちに城を呑み込んで行き、もはや城には誰も近寄れない程になった。
ただ、その燃ゆる大阪城、その業火が迫る天守閣では、まだ戦いが繰り広げられていた。