第13話 集結
家康の居る本陣に向けて、怒涛の勢いで攻めてくる軍勢がいた。
茶臼山に陣を構えていた真田信繁の軍勢だ。
幕府方の松平忠直の軍と交戦しつつも、そのまま松平の軍を抜け徳川本陣へと攻めてきた。
破竹の勢いで襲い来る真田六文銭の御旗に家康本陣は混乱し、あの三方ヶ原の再来かと思う家臣も多く居たようだ。
家康本陣は真田との激闘へとその場を変えた。
だが。
混乱の原因は、また別の所にあった。
よく見ると、家康の兵、そして真田の兵は、互いに矛を交えていない。
それぞれが、何か別の軍勢と戦っていた。
「幸村よ!よくもこんな輩を連れてきてくれたものよ!」
「俺は知らんぞこんな奴ら!家康公、こいつらに斬られるなよ!ヌシを斬るのは俺だ!」
「そんな事はこいつらを散らしてから言え!」
「くそッ!お館様を守るので精一杯か!」
「半蔵、ひとまず加勢する、踏ん張れ。」
「佐助、すまん!」
大混乱の極みにある家康本陣、そこに更なる兵が押し寄せてきた。
何処の、誰の兵かもわからぬ軍勢。
しかし、幕府方も豊臣方も、それぞれ自陣の兵ではない事だけは理解できた。
なぜなら。
それらはもはや人間とは思えない容姿であったからだ。
顔は見えているが、どす黒く精気も見えず、半分腐っているような感じで怪しく光る眼だけがギラギラと周囲を見ている。
具足も見たことが無いようなモノを纏い、それらはどの軍勢の物とも違っている。
手にする武器も刀や槍ではなく、先ほど家康を襲った者と同じレイピアのような剣。
そして片手には単筒のような銃を持っているのだが、その単筒もこれまで見た事もないモノだった。
足軽勢も奮闘しているが、いかんせんこの異形な者達に対抗できるほどの兵はいない。
このままでは真田も家康も全滅の憂き目にあうかも知れない。
だが、だ。
その異形の軍勢は少しずつ散らされ、家康と信繁を襲っていた異形の兵は斬り捨てられた。
「伊織殿!、エイル殿!」
「家康様、遅くなりました!」
伊織は第一波の中に居た異形の兵を粗方始末した後に家康の下に来た。
あっという間に伊織とエイルによって、少なくとも家康と信繁の周囲に居た兵は散らされた。
「信繁様ですね。すみません、家康様と共に、ここで固く身を守っていてください。」
「お前らは……」
「話は後です。半蔵様、それから佐助様ですね?お二方の守護をお願いします。」
「伊織殿?」
「伊織!来る!!」
伊織とエイルは、今そこらへんで暴れている異形の兵とはまた違う存在に気付く。
それは、格が違う、これら異形の兵など比較にならない程の強さ、あるいは脅威だと。
武蔵は陣内の異形の兵掃討で手一杯だ。
ここは自分が対処するしかない、と伊織は思った、のだが。
果たして自分で対処できるのかどうか、若干の不安もある。
迫りくる存在は、それ程のモノだと感じているのだ。
「来た……って、なんだアレ……」
伊織は慄く。
異形の兵、などという表現では追いつかない、未知なる存在。
身の丈は2メートルを超え、全身黒い甲冑に覆われたような姿。
しかしそれらは甲冑ではなく、硬い皮膚のようでもある。
2対の腕には、2本の剣と2丁の単筒を持っている。
そして、感じる圧は父の武蔵と同等、いや、それをも凌ぐとも思える。
と、その存在は消えたと思ったらエイルの真後ろに現れ、大きく振りかぶりエイルへと剣を下ろそうとした。
それに咄嗟に反応できたのは伊織だけだった。
すかさずエイルを抱き寄せ、振り下ろされた剣からエイルを逃がすと同時その腕に刀を振るう。
その存在は腕を斬られはしたが斬り落とすまではいかず、もう片方の手にある単筒を伊織へと向けた。
「ちぃッ!」
単筒から放たれた銃弾は伊織の左腕と右足に命中する。
先の銃弾よりも威力が高いのだろう、銃弾が命中した伊織の左腕と右足は肉が裂け骨もダメージを受けた。
それでも伊織はその存在へと斬りかかる。
しかし、厭らしく距離を取るその存在へ有効な攻撃を入れられない。
伊織の攻撃がしばらく続いたが、次の瞬間だった。
その存在がもう1体出現した。
「伊織!」
「エイルさん下がって!…くそぅ……」
捨て身で行けば何とかできるとも思うが、周囲を警戒しつつエイルや家康達を守りながらでは難しい、と思う。
と同時に、自分の力はこれまでなのか、こんなものなのかという悔しさも出てきた。
が、今はそれに拘泥している場合じゃない。
焦りはないが、劣勢である事に間違いはない。
そんな伊織に、その存在は2体同時に斬りかかって来た。
単筒の銃弾を放ちながら。
伊織は人目では追えない銃弾を避けようとしたが、その軌道上にはエイル、そして家康が居た。
「ちくしょッ!しゃあねぇな!」
伊織は真正面から銃弾を敢えて受けた。
それはとっさに思いついた事だったが、全身を硬直させ気を収縮させ、弾丸を受ける場所に集中させた。
伊織の体に着弾した銃弾は、伊織の体を貫く事なく当たって落ちた。
「いってぇー!!」
激しい痛みに思わず叫ぶが、それだけだった。
迫りくる剣を除け、受けなければならないのだ。
が、思った以上に相手の剣は速かった。
間に合わない。
そう悟った時だった。
一陣の風が吹き抜けたと思ったら、その2体の存在は剣戟の響きと共に吹き飛ばされた。
その場に、2人の見知らぬ誰かが立っていた。
「伊織、まだまだだな。」
「この子が伊織か。勿体ないね、力が活かせてない。」
大きな体、頭には角、口元には牙も。
精悍な鎧に身を包んだその男は、直ぐにわかった。鬼だ。
そしてもう一人は女性だった。
一見動きにくそうな衣装に身を包み、両手に扇子?を持っている。
こちらの女性は人間のようだった。
「は?…へ?…あ、あの、貴方達は?」
「話は後だ。伊織、行くぞ。白蘭、頼む。」
「えー…私よりそっちの人の方が良いんじゃないの?」
「そう言わんと、やれ。」
「もう、解ったよ。伊織、ちょっと痛いけど我慢しなよ。」
そう言うとその女性は何か手を結んだり離したりして、伊織に対して何かの術を掛けたようだ。
すると
「い。いてぇー!!何だコレ!?」
「い、伊織!」
慌てて伊織に縋るエイルだが、術を掛けた女性はコロコロと笑い
「あはは、何事も代償は必要だからね。でも、これでキミは強くなったよ。今だけだけどね。」
伊織は、体の芯から力が爆発的に湧き出てくる感覚に襲われた。
思考も少しずつ鈍く、というかぼんやりとしてきた。
その思考の奥底から、遠く懐かしいような、安らぐような、それでいて憤怒のような“想い”を感じ取った。
「う、ううう……ウヲォォォォ!」
咆哮し、いくばくかの間動きを止めた伊織は、2体の存在を見定めた。
エイルはその伊織の姿を見て狼狽する。
正気ではないと思ったらしい。
伊織はその2体の存在へと斬りかかった。
2体の存在とは10間程の距離があり、それ故かその存在はありったけの単筒の銃弾を伊織へと放った。
しかしそれらは全て伊織が刀で弾く。
2体の存在まで到達した伊織はその勢いのまま2体を細かく斬り刻み、細切れとなったそれを先ほどの女性が何かをして消し去った。
そして伊織は
「ふーッ、ふーッ、があぁぁぁぁぁ!」
体中に痛みと力が漲ってきているのか、単に自我を保っていないのかはわからない。
苦しんでいる様な悔やんでいる様な勝鬨を挙げている様な、何とも言えない状態だった。
のだが、あの鬼はそんな伊織の頭を小突いて
「あーまぁ落ち着け。そりゃ気のせいだぞ?」
「がぁぁぁ……って? あれ?」
「あはは、キミってば催眠術にかかりやすい体質みたいだねー。」
「伊織!伊織!大丈夫?」
「エイルさん…ゴメン、だいじょぶ。ダイジョブだよ。」
「伊織……」
エイルに抱きしめられて、少し落ち着いた伊織だった。
「あ、あの、危ない所を有難うございます。というか、貴方達は一体?」
「憶えてないのも無理はないな。俺は酒呑童子。お前の中にいる茨木の仲間だ。」
「あ、貴方が!」
「そして私は白蘭。陰陽術の“真の”使い手だよ。」
「コイツは役小角の血筋で安倍晴明って人の直径の子孫だ。アッチで言う魔法使いってとこだな。」
そこに周囲の異形の兵を片付けた武蔵も、鹿島を連れて合流した。
「くそぅ、手間取りすぎたか。しかし……助かったぞ酒呑。」
「武蔵様、本当に久しぶりだな。というか、伊織も立派になったようで何よりだよ。」
「そうだと良いが、見た通りまだまだだ。儂の教えが悪かったのかもな。」
「あはは、んなこたぁないぜ。今のままでも俺より強いかもな。」
真田の軍勢に紛れ込み襲撃してきた未知なる存在を撃破した所で、家康本陣は静寂に包まれた。
合戦の真っ最中だと言うのに、ここに集った相互の兵は、今目の前で展開された事柄に茫然としていたからだ。
そして、信繁本人も、その意気を喪失してしまう。
「俺は……俺は一体何をやっていたのだ……」
「幸村よ……」
「豊臣家の為、何より俺を救ってくれた秀吉様の為に此処まで気張って来たというのに……何だコレは……」
信繁にとってみれば、秀吉は長い長い人質人生から解放してくれた大恩ある人物だった。
故に秀吉亡き後も、忘れ形見の秀頼と奥方の淀殿の守護を続けてきた。
しかし、だ。
振り返ってみれば、関ケ原での合戦の少し前から違和感は感じていた。
野望も持たず、子である秀頼の保身一辺倒であった淀殿の様子が、徐々に独裁色を強め権力を欲していったのだ。
「俺は、俺達は、間違っていたのか……」
「信繁、いや、幸村よ。」
「家康公……」
「そなたらはアレを知らぬ故仕方がない事ではある。」
「アレとは何だ?」
「この世のモノでは無い悪しき存在じゃ。」
家康は信繁にあのジュピアとの対戦からの経緯を話した。
聞くだけではそれは絵空事、作り話としか聞こえない馬鹿げた話である。
だが、一つ一つの出来事に、それを確信させる程に思い当たる節はあった。
落胆する真田信繁。
それに従う、真田の忍び衆“十勇士”の面々も、項垂れ、悔しさと怒りに唇を噛み震える。
不思議なくらい静かな家康本陣の中、重苦しい空気が漂うばかりだった。
「もはやこれまで、か……家康殿、いや、征夷大将軍家康公、俺を、俺をここで斬ってくれ……」
「殿!」
「なれば我らも!」
「家康公!後生でござる!戦にて華々しく、と!」
家康、つまりは幕府に楯突いた豊臣家、その一の家臣である信繁は、こうなっては斬首するしかないだろう。
戦国の世のならい、負けた武将はその首を取られる事で家臣の無駄死にを減らすのだ。
何より、事実上家康本陣へと突撃し敗北という形になった以上、それは必然な流れだ。
「そうか…見事であった、ゆ…信繁。ワシが直々に首を刎ねようぞ。」
「すまぬ、そして、感謝する。」
そう言うと信繁は座して家康に背を向け、兜を脱ぎ首を晒した。
切腹とは違い戦での散り際故に、自らの頭を首級とするという意思表示とも言える。
そして家康は、伊織達や自軍の兵、真田の十勇士や兵たちが見守る中、一気に首を刎ねようとの気概を纏い、高々とその腕を上げる。
その手には……
「参る!お覚悟!」
「ッ……」
大きく振り下ろされた家康の腕。
それを遠巻きに見ていた誰もが、このオッサンは何をしているんだろうと首を傾げた。
十勇士の中には、愚弄していると怒りを顕わにする者さえ居た。
一瞬の静寂の後。
「これで真田信繁は死んだ。お主はもはや死人じゃ。」
「家康公!これでは!!」
「信繁、いや、幸村よ。お願いじゃ、死してお主はワシの傍にいてくれぬか……」
「家康……」
涙を流し信繁に告げる家康。
その胸に去来するものは、どのような思いなのか。
それは家康にしかわからない。
ただ、信繁はあえて幸村と呼んだ家康の想いに触れ、それを理解したように思えた。
これまでの事が有った故に、そう簡単に矜持を曲げる事はできないだろう。
配下の者とて、早々簡単に割り切れる者でもなく、蟠りも残るであろう。
しかし、それを今ここで家康が断ち切ったのだ。
家康自身、あの三方ヶ原の闘いで痛い目を見たにもかかわらず、だ。
そんな天下人としての器の大きさ、いや、何より家康の想いを理解したのだろう。
戦国を駆け抜けた最強の武将、真田信繁は決断も潔かった。
その後、信繁の首級とされた首は秀頼の下へと送られ、真田信繁は討ち死にしたとされた。
それを聞きつけた毛利勝永らは憤慨し、幕府軍への攻撃を激化させるに至った。
が、もはや戦力の差は如何ともし難く、やむなく大阪城へと撤退する事となる。
その道中、勝永には十勇士の望月六郎により真実が伝えられた。
そして。
そんな敗戦色が濃厚になった豊臣勢の本拠地大阪城内では。
ほくそ笑む者2名が、その成り行きを俯瞰していたのだった。