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7. 夜光



“それが現れたら、けっして懐に入られてはいけない”

“触れてしまえば、両目を食われてしまうから”



 初めの(いわ)れは、いつだったのだろう。


 歴史書、口伝、御伽草子───。

 語り口はさまざま。伝わる内容もひとつにとどまらない。

 (かい)()という名前ですら、所詮はそれを表す単語のひとつに過ぎない。

 初めに、存在があったのか。

 それとも、空想が肉づけされて、カタチになったのか。

 いまとなっては()したる意味も違いもない。人々はもう忘れてしまった。目には見えず。声は聞こえず。姿は触れず。

 されど、たしかに存在している。


 棄てゆかれた神秘。あるいは未知。

 文明の光は多くを照らし、進ませてきたけれど、

 失われた時代の片隅に、わからないものをわからないままに、置いてきてしまってはいけないものが、あったのではないだろうか───。


 つまりは、これなる存在(モノ)も、その一つ。



 チィ、チィ、チィ。


 青い光が夜に浮かぶ。

 目前の獲物を弄ぶ。

 一人はもう声も上げなくなった。残った一人は必死に耐え、抗っている。

 けれどそれも時間の問題。もう数秒もしないうちに、同じになるだろう。


 もうすぐだ。もうすぐだよ。

 じきに、あのこもおとなしくなる。

 ほんとうは、きのうみたいに、あたまをわれればらくなのだけど。

 

 チィ、チィ、チィ。


 エサをねだる雛鳥(ひなどり)みたいに鳴き声をあげる。

 それに親と呼ぶべきものはいない。

 ひとりぼっちで生まれ落ち、だれに教わることなく自身の在り方を知った。

 だからそれは求め(ねだっ)ていたのではなく、歓喜して(よろこんで)いたのだ。

 狩りに成功した猟師みたいに。トラップ(おもちゃ)にかかった獲物を追い込む無邪気さで(こどもみたいに)


 あるいは、(たの)しんでいたのか。



「──へえ。一丁前に、愉しいなんて感情をもってるのか」



 だから、その音が聞こえるまで気づかなかった。


 瞬きの間に、たかっていた二人の女の姿が消えていた。(たか)っていた影も多くが置き去りにされ、地にうごめいている。

 そこから十数メートルはなれた公園の街灯の下に、二人は置かれていた。

 少女たちを遮るようにして、若い男もひとり。


 波がひくように影が遠のいていく。

 突然姿をあらわした彼を脅威(きょうい)とおもったのか、距離を保ったまま、男のまわりを包囲する。

 その中心で、男はなにか、右手につかんだものを観察するようにかざしている。


「ガ、か」


 ぷちり、と黒い物体をつぶす。

 汚れを払うかのように右手をふりふり。その目は油断なく周囲を見据えたまま。


「小鳥のカタチはひとをおびき寄せるための疑似餌(ルアー)か、もしくは防衛本能かな。怪異といっても根本(ルーツ)口承(ルール)があるわけで、ルーツが羽虫にあるなら天敵に対する恐怖だってあるだろうし───」


 ぐ、ぐ、と両腕を伸ばしながら独り言のようにつぶやく。

 その途中、おもいついたように、言葉をとめた。


「───そういう意味でいえば、すずめなんて名前、皮肉もいいとこだな」


 少年はこの怪異のルーツを知っている。

 重ねてきた歴史とその血脈。土地(とち)(もり)とはそういうものだからだ。

 怪異を為す根底となる逸話も、成れ果てた神秘の残骸に対抗するための術も。

 この少年の身体のうちに秘められている。


「───たしか、捕まえると夜目を患うってはなし……鱗粉か、寄生かな───頭にたかるってことは、粘膜か、脳に近いから───うん、他にも二、三は手があると仮定して───」


 よし、とつぶやく。それで方針は決まったらしい。


 取り巻く空気から熱がうばわれていく。

 人の手では本来観測されないはずの質量が、引き寄せられ、違う熱量へと変換されていく感じ。生気(オド)精気(マナ)がぶつかり、交ざり、目前の化けものとは異なる類いの神秘を生み出す。リミッターがはずれる。血管が膨張する。人体としての機能を、殺戮人形としてのそれに変換する、その刹那───、


 少年は、ありえない言葉をつぶやいた。


「おまえを殺すよ。恨んでくれたってかまわない」


 ───それは、憐憫(れんびん)か。


 語りかけも、独り言ではなかったらしい。

 少年が目を開く。瞳は緑色の光を灯している。


「じゃあ、はじめようか」


 気だるげに両手をかざす。

 応じるように、影が爆ぜた。


 青白い球体を起点に、無数の黒の群体が吐き出される。その質量をみるみるうちに増やし、少年の左右、ひと一人を(ゆう)に押しつぶすほどの黒い濁流がせまる。一瞬の出来事だった。肉食獣並みの反射速度があっても、躱すのは容易でなかっただろう。


 跳ねた。

 波が到達する一拍(いっぱく)まえ、体は撃ちだされた弾丸のように夜を滑る。

 追いかける数千の群れ、打ち寄せる波を縦横無尽にかわしていく。自身を襲う脅威には目もくれず、狙いは青白い光に一心に注がれている。


「───しっ」


 ぎっ、と。(くう)をつかむようにして右腕が振るわれる。

 途端、球体を包んでいた黒い殻の一部が、削がれた。


『───ッ!?』


「……下手くそ」


 舌打ち。着地し、距離を取る。


 この瞬間、ソレは明確に敵の危険性を悟った。

 己を見る目。

 己を知る(アタマ)

 己が伸ばす手に、比肩する脚力(そくど)

 そして、己の命脈に届きうる牙をもっていると。


「次は、あてる」


 だから、その言葉に戦慄した。


 少年は体制をととのえ、次の跳躍にそなえる。

 硬さは(はか)った。殻の厚さも、距離による目測も。

 だから、この()は必ず届く。


 ひと呼吸。

 そして、青白い光を目掛けて突進しようと地面を踏みしめ───、


「───っ」


 後方、意図していない方向から闇があふれる。


 そして、少年は瞬時に理解した。

 影を媒介にした分身、増殖。この怪異の在り方(ルール)とは、そういうものだと。


「そういう───……」


 つづく言葉は影に呑まれる。

 このように。少年の上半身は真っ黒に塗りつぶされ、右手と両脚以外を喰いつくされた。

 人間は、視覚も聴覚も奪われれば動けない。

 仮に、六感じみた察知能力があったとしても、ソレの持つ鱗粉(りんぷん)は特別性だ。硬い殻で覆った己にとどく牙は、もうつくれない。


 ようやくおわった、とソレはおもった。

 男も音と光をうばった。

 もうなにもできない。あとはただ、捕食するだけでいい。


 ドレスを脱ぐ。

 優雅に、ソレが姿を見せる。

 女王は、まずどれから先に味見をしようと舌なめずりし───、


 その光に、目をうばわれた。


『──────』


 それが視認する人の生気(オド)より、ひときわつよく、明るい光。

 直径2センチほどの大きさしかないのに、ああ、なんて、瑞々(みずみず)しいんだろう!


 あれはなんだろう? あれはなんだろう!

 じぶんが知っているものとは違うようだけれど、とってもつよい魔力(エサ)の臭いがする。

 女王は吸い寄せられるように、それに()れた。



『───ガって、光にあつまるんだったよな』



 ぎ。

 時間が凍ったような感覚。

 それにさわった瞬間、見えないなにかに全身を縛りあげられた。


 見れば、男の右手が、なにかをつかむよう握られている。

 チィチィと抗議の声をあげたって、もう遅い。


「人ひとり、殺したんだ」


 それが少年にとってのルール。

 生死をかけた狩りの場においては、あまりに歪。

 そも、理の外にでた能力者(ひとでなし)が、人の在り方に沿うなんて笑い種だ。


 そんな感慨すら引き裂くように、ぐっと手に、力が込められた。

 それだけで、怪異の身体は八つに分たれた。


 ───黒い群体が、霧散していく。


「本体が死ねば影も亡くなるタイプ、か……まあ、現代じゃそう簡単に数を増やしたりはできないか」


 虚飾の群れに己をまとわせる。やってることは人間みたいだ。人らしいがために、笑えない。

 漠然と、独り玉座にすわる女王を想像した。

 家族(どうほう)はなく、(たた)える民すらまがい物。

 あるいは、孤独だったのかもしれない。


「……なんて、バカみたい、か」


 頭を振って思考を放棄した。

 かける情けなど、もとより皆無。それが土地守の在り方であるべきはずだ。


 ため息をついてその場をはなれる。船守の聖人が象られたコインを回収して、たおれていた二人のもとにむかう。

 と、なにかに気づいて足をとめた。


「……あきれた。まだ眠ってないなんて」


 眠っているはずの少女。その一人が、かすかに身じろぎをしている。

 先輩と後輩、だろうか。見たところ、後輩の子が先輩の頭に腕をまわしたままだ。

 もうろうとした様子で、縋るようにこちらを見上げてくる。


「せん、ぱい……は……?」

「───大丈夫。きみの腕のなかでぐっすり眠ってるよ」


 す、と肩から力がぬける。今度こそ眠りにつくみたいだ。


 ふと、昨夜犠牲になったという被害者のことを思い返した。

 母と息子の二人暮らし。貧しい暮らしに少しでもお金を入れようと学校に無断でバイトをし、深夜に家へ帰る途中、怪異に襲われて帰らなくなったという───。


「……報われないよな」


 祈るように目を閉じる。


 現実は非情だ。

 非情で、不平等。ただしい死も、報いも、どこを探したって見つからない。

 できるとしたら神様の領分だ。でも、神様なんてものはいない。


 なら、せめて。それが取るに足らない範囲だとしても。


「───まだ、当分は眠れないか」


 吐き出すようにして息をつく。

 言葉は、だれにも届かなかったかもしれない。傍らの少女たちはすでに眠り込んでいる。深夜の公園にはだれひとり、彼ら以外には存在しない。


 それでいいと、糸希は目をつむった。



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