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3. 夜に溶ける - 1



「お、意外とまだ明るいな」


 玄関口からひょっこり顔をだし、先輩はそんなことをつぶやいた。

 昇降口から見上げた空はオレンジ色。()は山の向こうに傾きかけているけど、まだ当分は顔をだしていそうだ。


 部活がおわって時刻はもうすぐ18時。

 下校時刻に間に合うよう他の部活も店仕舞いをしている。まだあわただしくしている校庭(グラウンド)を背に、みどりと先輩は並んで校門を出た。


「帰ったら中間の対策かぁ……なんか最近、ずっと勉強のことばっか考えてる気がするなぁ」

「やっぱり、大変なんですか?」

「たいへん、っていうか、うんざりって感じだね。これが向こう一年つづくんだとおもうと……ああ無理、貧血おこす」


 くらり、と倒れこむフリをする先輩。それを白い目で見ながらも、みどりは一応先輩に半歩近づいている。

 三年生の受験へのストレスは大変らしい。普段はあれだけ陽気な彼女も、こうして愚痴をこぼすことがふえた。


「みどりちゃんは、テストはらくしょーってかんじ?」

「中学ではそこそこをキープしてましたけど。高校は初めてなのでまだわからないです。覚える範囲も難易度も、一年前までとは全然ちがいますし」

「そっか───まあ、雰囲気の違いだってあるかもしれないね。中学の勉強って“テストをがんばります!”って感じだけど、高校になると大学受験がいやでも目についてくるわけだし。“ここで落とした点数が、将来にダイレクトで響いてきます”みたいな、ワケわかんない重みがあったりするもんね」


 うんうん、とその道の先駆者は神妙な顔をしている。


「そういえば先輩は大学、どちらを受けるんですか?」

「んー、第一志望は県内の公立、近くてそれなりの私立をちらほらと……あとは市内の看護学校も視野に入れてるかな。このご時世、手に職つけておけばあぶれる心配もないってわけさ」


 案外に遊びのない答えが返ってきた。てっきり“近くて簡単そうならどこでもオッケー!”なんていうオチも想定していたみどりだったのに。

 しっかりかんがえてるんだな、などと目をまるくする彼女に、先輩は苦笑をうかべる。


「こいつ、さては失礼なことを考えておったな? まーったく、いまは入りたてで実感ないとおもうけど、先の話だとおもっていると足元すくわれるぜ? 三年間って、長いようで実は短いからね」


 光陰(こういん)()(ごと)し、というけれど。

 その光がつよく眩いものであるほど、時間は(はや)く、過ぎ去っていってしまう。それは線香花火の輝きにも似ている。つぼみが地に落ちてからはじめて、ああ、あの時間はかけがえのないものだったと、気づくのだ。


 “だから、せめて目一杯味わわないとね”なんて、先輩はウインクをよこした。

 軽い口調だったけれど、簡単に流してはいけないような響きがあった気がする。

 みどりはなにか返そうと口をひらいて───ふと、その耳元が光った気がした。


「あれ……せんぱい」


 暗闇に目をこらす。ちょうど髪が邪魔になってよく見えない。

 街灯の下を通ったとき、やっとその正体にきづいた。


「ピアス……ですか?」

「あはは、正解」


 朗らかに笑ってはいるが、校則で禁止されていたはずだ。

 黙り込んだみどりの意を汲んでか、


「ちょっと冒険したくなっちゃった」


 そっと目を伏せて。先輩はそうつぶやいた。


 ……しょうじき、思うところがないでもないが、“よくわからない”というのがみどりの率直な意見だった。

 ネックレスとかヘアピンとか、身に着けるだけのアクセサリーならまだしも、自分の体に穴をあけるというのは……どうなんだろう。おしゃれよりも、痛そうだな、というのが真っ先に浮かんでしまう。


 なので、初めて目にした先輩の女の子っぽい部分にも、“きれいですね”とも言えないし、叱ろうという気にも、なかなかなれない。

 そもそも他人にあれこれ言えるほどおしゃれに興味がない、というのもある。

 置いていかれているという自覚もあって、みどりは、そういうものか、と聞き流すので精一杯だった。


 なのに、先輩は食い下がった。


「やっぱり、みどりちゃんは怒るかな」

「……え?」


 おどろいてそちらを見る。先輩はまだ気まずそうに下を向いたままだった。

 ……なんだか、朝にも見た光景な気がする。

 違うのは、この光景を目にしたってなにもうれしくなんかないことだろう。


「……いえ、べつに。そもそもルールを守ることになんて、執着してないですから」


 本心だ、とみどりはおもう。

 ただしさになんて意味はない。


“規則正しく、ていねいに。ルールを守るのは他人との約束を守れるようになるためだから。目のまえのひとつひとつを軽んじるようになっては、いけないよ”


 そういっていた父は、もういない。


 善人として生きた、父は死んだ。

 子ども二人を助けて、一人で。

 周りの大人はそれを“誇らしい”だの“勇敢”だのともてはやして、その死がただしかったかのような口ぶりをしている。


“───優しく勇敢な夫を持てたことを、誇らしくおもいます───”


 クソくらえだと、おもう。

 子供が助かって、大人が死ねば、それは正義だ。

 だというなら、遺された人の涙は、ただしくないって言うんだろうか───。


「そっか、なんだか意外だ。みどりちゃんって、そういうのはキライだとおもってた」


 白熱しかけたみどりの思考を、またも先輩の言葉が白紙にもどす。

 え、と顔をあげた彼女の目を見て、先輩はどこか悲しそうにわらった。


「自分はただしくなきゃ、って思ってるような気がして。そういうのを真面目っていうのかもしれないけど、じっさいの行動に移せるひとはなかなかいないから。つよいなーっておもう反面、たまに心配にもなるのです」


 ひとりはとても疲れるから、と独り言のようにつぶやく。


「……そんなふうに、見えてたんですか」

「もちろんイヤな意味でじゃないよ。尊敬するし、人として好きだとも思う。けどやっぱり、人間はたまに疲れちゃう生き物だからね。ガス欠になったり、がんばりすぎてパンクしちゃったらどうしよー、っておもってたんだけど……いがいと、そうでもない?」

「───当たり前じゃないですか。長いものには巻かれるし、場の空気もしっかり読むタイプです。どうでもいいことで他人から恨みを買うなんて、それこそバカらしい話ですから」

「そっかぁ」


 安心したよ、とうなずく先輩。

 そういう、なんの含みもなく温かな表情をされるのは初めてで、なんだか、ムズムズする。


 動揺を悟られないよう、みどりはそっぽを向いて毒を吐いた。


「せんぱいが、ちゃんとしないからです。自覚があるなら少しは真面目になってください」

「いいや、私はみどりちゃんの前では一生をかけてふざけたおす。私にはその覚悟がある」

「……すごく迷惑なんですけど。なんでですか」

「後輩とのふれあいは何より大事だからね。そうしないと、どう接していいのかわかんないんだもん」

「やっぱり距離感つかみ損ねてるんじゃないですか」

「うわぁぁ、正論はやめてぇぇ」


 悲鳴をあげながらもけらけらと笑っている。器用な人だとおもう。どうしてコミュニケーション方面に活きないのか、理解に苦しむ。


 ……けど、やっぱり。

 先輩に気付かれないよう、みどりはこっそり眉をしかめた。

 となりを歩いていれば、いやでも気になる。たったいま非干渉を掲げたばかり、こういう個人の趣味の問題には、なるべく立ち入るつもりはなかったのだけれど───。


「それ、やっぱりやめたほうがいいとおもいます。暗いと目立ちますよ」

「ありゃ。やっぱりルールはまもらなくちゃダメ、ってことか───」


 むう、と眉間にしわを寄せて耳元を気にする先輩。

 みどりは無言で首肯して、


 “それに、先輩には似合わないですから”


 なんてつづくセリフは、やっぱり言わないことにした。

 言ったって、どうせ勘違いされて抱き着かれるんだろうし。へたに刺激するくらいなら、いつもみたいに素っ気ないふりをしておくにかぎる。


(光陰は、矢のごとし……だもんね)


 心のなかでつぶやき、ひとりうなずく。

 大切にするという行為は茶の道にも通ずる。ならまあ、この時間に対しての言い訳にもなるだろう。


 そんなことを口にするのは流石に気が引ける……というか、みどりのプライドにもとる。

 できれば顔も見られたくなかったので、背けるようにして、反対側を向いてあるくことにした。


 なので。

 先輩のふいな変化にも、みどりは気づくことができなかった。


「───あれ」


 ふと、我に返る。いつのまにか隣を歩いていたはずの姿が、消えている。

 振り返ると、電信柱の陰に、ぼうっとした顔で先輩が立ち止まっていた。


 と、おもったのも束の間。


「───……いこっか」

「……え? ……せんぱい?」


 ふらふらと、来た道を戻るようにして歩きだす。

 その姿はなんだか力がなくて、まるで、この一瞬の間に生気を失ったような、

 

 ───あるいハ、影ヲ喪ったようナ、


 そんな感慨を、みどりは抱いた。


(え、なに……急に……)


 とつぜんのことに、みどりは目を白黒させて停止する。

 わけがわからない。いや、先輩がわけわからないのはいつものことだけど、こんな気味の悪いことをするのは初めてだ。

 なにか、試されているのか。それとも───。


「ちょっと、待ってくださいよ、せんぱい!」


 結局、その背中を追いかけることにした。

 よくある、先輩のおふざけがまたはじまったのだと独り合点して。



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