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1. うわさばなし



「ねえねえ、みどり。今朝のニュースなんだけど、みた?」

「ニュース? いや、べつに。見てないけど」

「えっ、ほんと? じゃあじゃあ、()()()はまだ聞いてない?」

「……たぶん、知らない」

「そっかあ。うん、そうだよね。わたしもテニス部の先輩がおしえてくれなきゃ、しらなかったわけだし」

「…………で、なに? そこまで聞かされたら、さすがに気になるんだけど」

「あ、うん。あのね、あんまり大きな声じゃ話せないけど───」


 周囲をうかがうように、長谷(はせ)(がわ)さんはわざとらしく声と背を低めてこう告げた。


「うちらのひとつ上の先輩が、昨日亡くなったって」


 ───ああ、聞かなきゃよかった。

 そんな感慨とともに、沖久(おきひさ)みどりの平穏な一日は、おしゃべり好きなクラスメイトによって幕を閉じた。



 物騒なガールズトークがはじまったのは、朝のホームルームを待つまでのちょっとした空き時間でのことだった。

 始業のチャイムが鳴るまであとたったの5分。にもかかわらず、教室はまだ閑散としている。

 律儀に黒板をきれいにする日直の女子生徒。

 そのすぐまえの席でたむろする男子数名(グループ)

 入り口あたりでゲラゲラと笑いをひびかせている女の子二人のほか、ちらほらと席が埋まっているのみ。

 とうぜん、うしろの窓ぎわで不穏な話をする彼女たちに目をむける者はいない。


 いっそ、だれか入ってきてくれれば話もここまでになるんだけど。

 ため息をつきそうになる気持ちをふりはらい、話を振ってしまった……もとい、ワナにかかってしまった責任を果たそうと、みどりは質問をなげた。


「先輩って、知ってるひと?」

「んーん、ぜんぜん。中学も別みたいだし、その人、部活にも入ってなかったんだって」


 めずらしいよね、なんて他人事のようにクラスメイトは話している。


「事故に遭ったみたいでね。トラックと正面衝突、即死だってさ」

「……そう」


 興味なさげに相づちをうち、みどりは窓の外へ視線をやった。


 即死だったなら痛みを感じることもなかっただろう。いや、そんなことはないか。やっぱりぶつかる瞬間は痛かったにちがいない……なんて、こちらも薄っぺらな感想しか湧いてこない。

 名前も顔も知らないだれかの不幸は、あまりに実感がなかった。


 他人事といえば、まさしくそうなのかもしれない。同じ学校の生徒であったにせよ、交流がなければただの他人だ。

 隣人の死に想いを寄せる程度は人によるんだろうけど、少なくともみどりには涙を流せるほどの感受性は備わっていないらしい。


(……みんながみんな、天寿をまっとうできるわけじゃないんだし)


 冷静に、言い聞かせるように心のなかでつぶやく。

 傾きかけていた何かもそれで元通りになった。頭の片隅が冷めていくのを感じる。

 ───そうだ、他人の人生にいちいち左右されるほど、こっちだってひまじゃない。


「それでね、これもあんまり喋るべきじゃないかもなんだけど」


 まだあるのか、とおもわず顔をしかめる。みどりのささやかな抵抗はうまく伝わってくれなかったらしい。

 不幸な話はつづく。


「事故に遭った場所っていうのが……ほら、最近うわさになってる、あそこの」


 指さされた方向をみる。

 窓のむこう、グラウンドをこえて田んぼや住宅地が入りまじるもっと先。山際の方角に若干近い、そこには。


石淵(いわぶち)霊園、ね」


 西の市境にもなっている、()()(さん)の入り口につくられた公営の墓地。

 山肌を削ってつくられた石碑の行列は、市内でいちばん大きな墓苑となっているらしい。ふもとには大きな池と水鳥で知られる自然公園が隣接しており、“国道沿いでアクセスばっちり”“豊かな自然とのどかな風景”、とかを売り文句にしていたはずだ。


 ただし、それはあくまで市のホームページとかパンフレットでのはなし。近くに住む人々……つまりこの学校の生徒たちなんかの間では、最近変なウワサがたっている。

 いわく、“深夜に公園で青白い火が飛んでいるのをみた”

 いわく、“夜中になってから盛んに、なにかに怯えるような鳥の鳴き声がきこえてくる”

 いわく、“雨がつづいたあとの○曜日、夕暮れ時の墓地に近づいた者は、魂を抜かれた夢遊病者のようになってしまう”───。


 後半は空想に片足をつっこんだような、いわゆる噂話(フィクション)だ。現実以下で、おとぎばなし未満。どれも怪談にこじつけるにはいささかパンチに欠けている。

 そのうち、いくつが本当のことかもわからないし、本当だったとしても、よくあるイタズラとか不運が重なったとか理由(オチ)はいくらでも思いつく。


 だが、一部のそういう刺激を欲している人間たちはどうしても“いる”ことにしたいらしい。

 たしか長谷川さんもその手のタイプだったな、とおもいだして、みどりは彼女の言わんとしていることを察した。


「つまり、あれか……霊に()かれた、って言いたいわけだ」

「そう!」


 力強くこぶしをにぎる女子生徒。

 補足とばかりに、事故に遭った生徒の家庭が貧しかったことと、なぜだか最近疲れた顔ばかりしていたことを主張した。


「母子家庭だったんだって。むかしからお金に余裕がなくて、着ている服もいつもぼろぼろだったって。そんなだから友だちもできなくて、いつも一人だったって先輩が」


 孤独と生活苦。

 亡霊は心の(かげ)った者に憑く、というのが相場だ。不幸とオカルトを結びつけたがるのはわかるけど、みどりはどこか抵抗を感じてしまう。


 凄惨な悲劇も、ひとの口の端にのぼれば世間(うわさ)(ばなし)だ。

 人を経由するたび尾ひれがついて、そこにあったはずの想いも、悲しみも、歪んでただしい輪郭を忘れてしまう。

 当人にどんな意図があっても、それは、死を汚すことにほかならないのではないだろうか。


「……あんまり、現実的じゃないね」

「まあね。霊が現実に干渉できるくらいつよいかなんてわかんないし、そもそも地縛霊なら墓地からでてこれないはずだしね。でも、精神的にマイナスな作用をおよぼすことはあちがいないんだし、なにかトラウマとかを刺激したのかも。先輩はもしかすると自殺にもちこんだ可能性だってあるかもしれない、って──」

「ストップ」


 ここまでだ、とみどりは口を開いた。


 散々我慢していたけれど、それももう限界。

 正義面をするつもりなんて毛頭ない。けど聞かなかったふりをしてやり過ごすのだって御免だ。

 ただでさえ気分は地に落ちているのに、一日中心にトゲを抱えたまま過ごすなんてバカげている。


「死んだ人のこと、あれこれ言うのやめない?」

「ぁ……そうだね、ごめん」


 自然と、口調にも視線にも力が入ってしまったらしい。

 長谷川さんはようやく口を閉じ、恥じ入るようにしゅんとうなだれた。


 ───その光景に、胸がすく気持ちでいるわたしは、救いがないな。

 ざらついた感傷を飲みこんで、みどりはできるだけやさしい声音をつくった。


「一般論の話ね。わたしは気にしないけど、明るい話題ってわけでもないし。ほかじゃ快くおもわない人もいるかもだから」

「……うん、そうだね。気をつける」


 こくりとうなずいて、クラスメイトは席を離れていった。いつものなかよし集団をみつけてその輪の中に入っていく。

 その背を見届けてからようやく、ため息をこぼした。


(はぁ……ほんと、朝っぱらからなんて話を……)


 一日のはじめにする話題にしては最悪の部類だったことはたしか。趣味がわるいなんてもんじゃない。

 おまけに回避不能のもらい事故。あの口ぶり、悪意はなくても作為はあっただろう。心についたひっかき傷の修理代として、慰謝料でもふんだくってやりたい気分だ。

 それも、最後の言葉で帳消しなんだろうけど。



 イヤな気持ちを振りはらうように顔をあげる。と、いつのまにか教室はクラスメイトたちであふれていた。

 部活の朝練を終えて『きょうもつかれた~』なんて席につくもの。

 遅刻ぎりぎりで教室にたどりつき『よっし、きょうも間に合った!』なんて笑顔を振りまくもの。

 みどりの、一年生の教室はいつもどおりだ。それこそ、だれかの死なんてなかったように、退屈で平穏な一日をはじめようとしている。

 それがみどりにとっては少し、まぶしい。


(事故、か……かわいそうに)


 冷めた心は言葉だけをなぞるようにしてそんな感想を浮かべる。

 (いた)む気持ちはあっても、やっぱり、他人の死に実感がわくはずもない。

 身近な人の死にだって、実感なんてついてこないのに。


 もういちどため息をついて、みどりはカバンに入っていたものを机にだした。文房具やら、教科書やら、今日の授業をおもいかえして順番にならべる。

 そうしているうちに校内放送が入り、緊急の集会が体育館で行われる旨が伝えられた。



※次話 22:00投稿予定

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